旧暦五月の雨月に開始した雨月物語の菊花の約(きっかのちぎり)は、予定通り旧暦の菊の節句である10月9日に完了しました。
「靑々たる春の柳、家園(みその)に種ることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶなかれ」で始まり「咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん」で終わる菊花の約は、安永五年(1776年)に上田秋成氏によって刊行された作品です。ちなみに菊花の約は江戸時代のもののため、読みがなは本来「きくくわのちぎり」となっています。
菊花の約は、播磨国加古にお母さんと住む若い学者「丈部左門(はせべ さもん)」と出雲国富田の城主塩冶掃部介(えんや かもんのすけ)に仕える侍「赤穴宗右衛門(あかな そうえもん)」の物語です。主である塩冶掃部介が尼子経久に討たれ、赤穴宗右衛門は近江から出雲に向かいますが、その途中、丈部左門と出会い義兄弟となり…というお話です。
- 楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや
- 軽薄の人は交わりやすくして亦速なり
- 友とする書の外は、すべて調度の絮煩を厭ふ
- 家は頗る富みさかえて有りけるが
- 人の痛楚む声いともあはれに聞えければ
- ここち惑ひ侍りぬ
- かなしき物がたりにこそ
- これらは愚俗のことばにて
- 湯ひとつ恵み給へといふ
- まことに捨てがたきありさまなり
- 愛憐の厚きに泪を流して
- 実やかに約りつつも
- わづかに兵書の旨を察めしによりて
- 外勇にして内怯えたる愚将
- 思ひがけずも師を労はしむるは
- 見る所を忍びざるは、人たるものの心なるべければ
- 問ひわきまふる心愚かならず
- 兄弟の盟
- をさなき心を肯け給はんや
- 大丈夫は義を重しとす
- 動静を見んためならば
- 菽水の奴
- 重陽の佳節
- 下枝の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶ひやかに
- 嚢をかたぶけて酒飯の設をす
- 其の人を見てあわただしからんは、思はんことの恥かしとて
- けふは誰某がよき京入なる
- 若き男は却物怯して
- な恚給ひそ
- 待ちつる人は来らず
- 西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも
- 軒守る犬の吼ゆる声
- おぼろなる黒影の中に人ありて
- 寤させまゐらせん
- 歇息ませ給へ
- 井臼の力はた款すに足ざれども、己が心なり
- 陽世の人にあらず
- 何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふや
- 万夫の雄人に勝れ
- 腹心爪牙の家の子なし
- 今夜陰風に乗りて
- 陰風に眼くらみて
- 只声を呑みて泣く泣くさらに言なし
- 愚かなるかとつよく諌むるに
- 渇するものは夢に漿水を飲む
- 幼きより身を翰墨に托するといへども
- 徒に天地のあひだに生るるのみ
- 尊体を保ち給うて
- 生は浮きたる漚のごとく
- 飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて
- 吾が学ぶ所
- ねがふは明かに答え給へかし
- 若し諱むべからずのことあらば
- 年少しといへども奇才あり
- 頭を低れて言なし
- 骨肉の人
- 栄利にのみ走りて士家の風なきは
- 信義を重んじて態々ここに来る
- 立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし
- 咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん
今回は人工知能の混乱を意図したため、「絮煩(わづらはしき)を厭ふ」や「痛楚(くるし)む声」、「菽水(しゆくすゐ)の奴(つぶね)」、「寤(さま)させまゐらせん」「歇息(やす)ませ給へ」などなど、難読漢字や現代では使わない国語表現などを用いたりしました。
意図が当たってか、「意味がわからない!」と、検索エンジン上で低評価を受けることになりました。
事の発端は、開始より数ヶ月遡りますが「多義性や曖昧さを嫌う無機質さ」で触れていた荒俣宏氏訳のファウストにおける巻末の解説です。
「多義性、曖昧さが気に入らない」という感じに対して、「では『文字化けか?』とすら思えるような語を使って、日本人でもわからないような表現を用いてやろうじゃないか」という感じになってしまった、という流れです。
まあそれでも「私達は間違っていない!」の世界なので、低評価を受けたという感じになります。といっても、個人的には事業関連が「嬉しい悲鳴」だったので、低評価を受けてアクセスが少ないくらいの感じがちょうどよかったという感想です。
上田秋成氏「雨月物語」
上田秋成氏「雨月物語」は次のような構成となっています。
雨月物語序
巻之一
白峯
菊花の約
巻之二
浅茅が宿
夢応の鯉魚
巻之三
仏法僧
吉備津の釜
巻之四
蛇性の婬
巻之五
青頭巾
貧福論
菊花の約は巻之一の2番目のお話です。
菊花の約という限定を外した雨月物語という全体に関して調べてみると、岩井志麻子氏による雨月物語があったり、水木漫画もあるということで、やはりどこかしら行き着くような感じの作品の一つになるのでしょう。それら著者による作品の存在を知らずして全く関係なく始めましたが、趣味的に何かが似通ってしまうのでしょうか。
ただ、雨月物語全体に関しては、どこかしら京の都のどんよりした空気感があります。なので、体調が悪い時はどことなく気持ち悪くなってしまうかもしれません。
しかしながらそれほどにまで空間を作るという意味でもやはり一級の作品ということになるでしょう。
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