楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや

今いる環境がずっと続くかのような錯覚が起こることがあります。そうでないとはどこかでわかっていても「なるべく続けばいいなぁ」と思って、「終わること」への憂いから、変化した先を見ないようにするというようなことが後の悲劇をもたらしたりします。

今ある環境を謳歌するということ自体は、今しかないものを掴み取るという点においては良いですが、特殊な環境がもたらした現状に依存すると、そうした環境が変化した途端に破綻します。

例えば学校生活においては、同じ年代の人が「個別に約束すること無く会うことが出来る」という環境が整っています。そうしたものに依存し学生起業などをしようものなら、「個々には繋がりなきものを繋ぎ止めていたもの」が無くなった途端に土台から崩れてしまったりします。

徐々に特殊な環境からは断絶されていく

ある学生ベンチャー企業は、「インターン」という聞こえの良いものを用い、後輩学生をほぼ無償で働かせることによって成り立っていました。

創業時の初期メンバーはもちろん同級生同士という構成でしたが徐々に後輩を誘う形でメンバーを増やしていきました。それは別にいいのですが、インターンという概念を用い、いわば後輩をタダ働きさせていたわけです。給与を支払わないからこそ組織のようなものが成り立っているというだけで、実態としては「企業」と呼ぶには首を傾げざるを得ません。

自己責任の比重が高まり、急に気持ちが失速

学生側としても同級生に比べて経済社会人として一歩先にいるような気分にもなるので最初はいいですが、やはり保護者による支援のもとで生活基盤が整っているからこそ、気分だけで割に合わないようなことでもやることができていた、という構造にいずれ気づいていきます。いわば自己責任の感が強くなっていくという感じです。

そうなると周りとの協調、群れによる楽しさ、一歩先んじていることへの誉れなどによって「もしかしたらこのままいけるのではないか?」というほどの組織の膨らみをもたらしたりする学生ベンチャーに対して急に気持ちが失速していきます。

使い捨てのように後輩を「無給インターン」で囲い込む

そうなったらそうなったで、使い捨てのようにその下の後輩を「無給インターン」で囲い込むというようなことが起こったりします。

しかし、当の母体の運営人が歳を重ねていけば、最初は「かっこいい先輩」として扱われていたとしても、「学生にしか相手にされない惨めな中年」に近づいていきますし、それよりももっと手前に、「後輩の後輩」のような形で続いていた縁がどんどん薄れ、「特殊な環境」からは断絶されていきます。

無給インターンというものを用いてしか成り立たないような企業など企業とは呼べません。

泡沫の如し生滅の様

補助輪付きの自転車のように、「特殊な環境が成り立たないものを成り立たせていてくれているうちに何かに気づき、環境への依存から脱却しなければならなかったのに」という感じになります。

「縁なきものを縁あるかのように繋ぎ止めてくれるもの」が、泡沫の輪を形成し、何かができそうな気分をもたらしてくれますが、それは泡沫の如し易く生じたるものは易く滅するという理からは免れません。

泡沫の夢に迷うなかれ。

楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや。

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