タグ別アーカイブ: 宗教

宗教や思想・主義について

カルトの定義

カルト(cult)とは、もともと熱狂的な崇拝を意味し、一種の原理や哲学に基づいた儀式、行動様式などを意味するような言葉になりますが、現代では反社会的な破壊的カルト集団を指す場合に用いられたりします。 カルトの定義としては、次のようなものになります。 精神の安定のために、絶対性を持たない原理に執著し、原理やそれと関連する人物、概念を熱狂的に崇拝すること。ならびにその崇拝対象がもたらす空間、組織。 熱狂的崇拝によって精神の安定を図るため、その主義、思想、哲学に沿わないものに対しては排他的になり、時に攻撃対象とすること。

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占い師によるいきなりの脅し

固定電話に電話がかかってきて、いきなり「この方はまだ生きていますか?」などと言われたらどんな気分になるでしょうか。 ということで、「占い師によるいきなりの脅し」について触れていきます。 占い師というような商売をしている事自体が絶望的なのですが、こうした人のうち、うまくいっている人ほど「脅しが上手い」ということになっています。 占い師は脅しが上手いという点についてですが、その要因としては、元々大ホラ吹きで、誇張したことを言ったりして人の関心を集められたことが嬉しかったとか、ちょっとした脅しで人が自分の言うことを聞いた

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信念の書き換えと未来についての不完全な論理構造

「信念の書き換え」とそれら信念における「未来についての不完全な論理構造」について触れていきましょう。 「信念」というものは書き換えが可能だったりもします。洗脳、マインドコントロールによって行われていることは、いわば信念の書き換えであり、外界の現象を捉えて反応する関数部分に対する「方程式の書き換え」という感じになっています。 ただ、書き換え可能なものと書き換えが不可能なものがあります。しかし大半は書き換えが可能です。これは、普遍的な「理」と解釈可能性のある「信仰」や「主義」の違いのようなもので、絶対性を持たないような

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「空」でありながら実在するかのように働く機能

それが実在するものでなくとも、実在するかのように働くことが迷妄の要因の一つとなっています。 本来は「有るような、でも、無いようなもの」である「空」でありながら、実際にはそれが実在するかのように働く機能があり、それが実際に何かしらの結果をもたらしたりします。 あくまで五蘊により捉えたものとしての対象であり、本質的には有と無を統合した概念である「空」としての性質を持つものであっても、観念の領域では有としての前提が生じるために機能が生まれ、機能に応じた結果が生じることになります。 それは実在するものであるのかはわからない

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占いを信じる人たちの責任転嫁の心理

占いを信じる人たちの責任転嫁の心理ということで、占いに依存し、占い師の発言によって人生を導かれてしまう人たちの意識の構造について触れていきます。 占い師によるマインドコントロールや洗脳という事例に関する報道も一度や二度ではありません、そんな中でも未だにこうした占いへの依存が後を絶えません。こうしたものは、全面的に否定するというよりも、その本質的な依存の原因を探り、そして某かの有用性のようなもの、つまり機能を捉えて心理的な構造を見抜いた方が賢明です。 「それは古代から続いていて、いつの時代も占いの方に頼ろうとしてしま

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第1700回投稿記念

これで1700記事目になります。ブログ創設から1700回目の投稿ということで「第1700回投稿記念」です。 前回の第1600回投稿記念は、2019年10月10日だったので、前回からの100記事は、3ヶ月弱かけて投稿したという感じです。年末の空き時間の影響もありますが、「笑う月」によってスピードが高まったという感じです。あと少し書庫の植物も増やしたことが若干影響しているでしょう。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうござ

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質問する手順

意見を述べるという時だけでなく、質問をするということに関しても、最終的にどういったことを伝えたいのかがはっきりしていれば、その手順が見えてきます。 初めて会う人に対して「何を話したらいいのかわからない」というようなことがありますが、結局は、何をどう落ち着けたいのかということが決まっていないからこそ混乱が起こるのだと思います。 営業活動など仕事であれば最終的には買ってもらうことというような明確なゴールのようなものがあるので、質問にしても何にしても、そうした目的、目標に沿うような話になっていきます。 目的の為の布石 親

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自己検閲の機構

どうしても自我というものは悪者扱いされるフシがありますが、「それはそれ」というだけのものであり、退治する対象のものというわけではありません。 凝り固まった自我意識というものは、制限を生み、偏見を生み、悪どくなってしまうものとして扱われたりもしますが、こうした自我は時に自己検閲の機構として、逆に洗脳・マインドコントロールをブロックするものとして働いたりもするわけです。 万が一の誤解があるといけないので、改めてこうした「自己検閲の機構としての自我」について触れておこうと思います。 定義が曖昧な自我 というのも、「じろり

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じろりと白眼をむいて

意図的にじろりと白眼をむいている様はまだしも、日常的に白眼をむいている様は、精神に狂いがあるというか洗脳されている人という感じがします。 比較的最近のことになりますが、経営者会合において「持続可能な云々」の絡みで、外国の十代の人が表立ってスピーチしている動画を観たことがありました。 目がイッています。 ああいうタイプの人は、だいたい誰かにマインドコントロールされているという感じがするのでまともに相手にしてはいけませんし、発していた発言も憲法前文のような譫言感があったので、動画を観ていた社長仲間、士業の方々は、一同「

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期待を失わずにいられる空想家

期待ということはある意味での確信がないということであり、空想というと絵空事という感じなので「期待を失わずにいられる空想家」という表現はあまり適していませんが、概ねそのような感じで過ごすと毎日が爽快になります。 今お金がないとして、にっちもさっちもいかないという状態だったとしましょう。しかし、一応可能性としては、明日にはそれが解決しているという可能性もあります。それがどのような解決のプロセスかはわからなくても、可能性としてはゼロではありません。 もしそうであれば、今の状態に対して何かしらの判断をして思い煩うということ

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形見の品のようなもの

墓を筆頭に故人に対する思いを物質的に扱ったものは、単に執著を生み出すだけなのでなるべく避けるべきことではあります。 特に墓石などは高額で、さらに継続した儀式などでお金を取られたりすることになる、つまり、霊感商法的な墓場ビジネスに利用されるだけなので避けねばなりません(墓場ビジネスと霊感商法)。繰り返しておきますが、心を縛る執著を生むため原始仏教などでは墓は否定されており、墓は後世において利権獲得のためにご都合解釈で運用され始めたシステムです。 そんな中、現代において壟断への執著をどんなご都合解釈でやり過ごしているの

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妄想は感情を知識がこじつけることで生まれる

妄想は感情を知識がこじつけることで生まれるということで、謎のスピリチュアルとかカルト宗教のカルト臭い論理と感情について少しだけ触れておこうと思います。 世の中にはそうしたものに違和感を感じている人も多いと思いますが、それでも一定数気が狂れたように盲信している人たちもいます。 そうした霊魂系の話は、多少なりと具体的に示し得ないメタ領域的な要素を含んでおり、具体論で論駁しても示し得ない領域のため決着がつきにくかったりします。そして、なぜかつじつまが合っているようなこともあるのでさらに論駁がしにくかったりもします。 また

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感謝の効用のカラクリと注意点

「感謝」について、感謝の効用のカラクリと注意点についてでも触れていきます。 胡散臭い自己啓発やスピリチュアリズムなどが蔓延してからというもの「感謝」が安物になりました。 言霊が云々なんてなことを言いながら、何にでも感謝しろというような一種の社会的圧力すら出てきているような感じもします。 ありがとうなんて思ってもいないくせに「ありがとう」とか「感謝してます」みたいなことをひとまず言っておけばいいというような風潮があります。 それはそれで時にうまく働くことがありますが、逆に精神を悪化させてしまうこともあります。そういう

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さよなら2018

2018年が終わります。一応例のごとく2018年を少し振り返っておきましょう。 昔からですが、僕は戌年が嫌い、というよりもおそらく相性がよくありません。学年で言えば概ね一つ上であり、最も相性の悪かった人たちです。おそらくそんな事が関係しているのでしょう。 戌年の人には申し訳ないですが、犬や戌という概念すらあまり好きではなく、昔は戌年の「戌」という字を見ただけでちょっと嫌な気分になるくらいでした。 そういう感じなので「やっと終わる…」という感じがしています。 ただ、戌年ということもあってか玉サブローを発見したり、牧羊

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「外国では神を信じてると言おう」は、無神論・アナーキズムとニヒリストへの恐怖

まあ一度くらいはボコボコに書いておこうかと思ったので、「外国では神を信じてると言おう」という発想に対する答えについて書いておきます。 結局、キリスト教圏などを含め外国で、無宗教、無信仰、無神論が非難されるのは、アナーキズムとニヒリストへの恐怖の裏返しであり、自分たちの思想の押し付けにしかすぎないということになります。 英語学習や国際関係の学習の場ではすぐに、「外国で何も信仰がないということを言うと不審がられるから、神を信じてると言おう」などと平気で言っていたりします。 残念ですが、そうしたことについて教育する場合は

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第1400回投稿記念

これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。 前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、書庫の心理学を増設したということが大きく影響しています。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、あ

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縁起が良い動物とか悪い動物という発想

世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。 縁起が良い動物は何か? 縁起の悪い動物は何か? A そんな分類は意味をなさない 単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳しく書いていきましょう。 本能が反応するという仕組み 昔何かで読みましたが、人は大きく「蛇を怖がる人」と「蜘蛛を怖がる人」に分類されるというような感じで、怖がるものの類型というものはある

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「死苦」死ぬ苦しみ

「死苦」死ぬ苦しみについて触れていきます。四苦八苦の四苦「生老病死」の最後の苦しみである死の苦しみです。死の苦しみについて哲学的に書いていきます。 死苦(しく)とは、死ぬ苦しみ、死の苦しみでありながら、死を迎えることからは逃れられないということを示しています。そして、死苦は、死ぬ苦しみ、死の苦しみであると言いながらも、死そのものは経験し得ないため、より厳密に考えると「死に対する恐怖」や「死にたくないという思い」から起こる苦しみを意味します。裏を返せばこの生や生命への執著がもたらす苦しみです。 まず、哲学的に考えると

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倫理と道徳が陥る罠

倫理と道徳が陥る罠ということで、倫理と道徳について触れていきます。徹底的に書いてもいいのですが、深く触れていったところであまり意味を成さないためふんわり書いていきます。 倫理とは、人が生きる上で、理と関係性の中での基準となる行動基準、いわば秩序としての行為の基準という感じです。単純には「人はどうあるべきか」というようなものということになるでしょう。また、道徳とは、結局ある「道」に関して、つまりある基準の上で「それがよし」とされているような指針という感じで、もう少しふわっとした概念です。倫理と道徳の違いとして、倫理は

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「真理」と「真理とは呼べないもの」

「真理」と「真理とは呼べないもの」について触れていきます。 もちろん「あなた達の言う真理が正しい真理ではなく、私の説が正しい真理だ」というような感じではありません。 真理とは、誰にでも再現可能であり、今すぐに確認できるものであり、誰かの主義や考え方で変更できないようなものです。誰がどう考えたところで揺らぐことのない「理(ことわり)」を意味します。法則というふうに考えても良いでしょう。 真理の定義として、論理的な法則に適合していることや命題が事実と適合していることという感じで考えても良いですが、さらにもう少し突っ込ん

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親友からの宗教勧誘とアンチ宗教の終わり

以前に触れたことがありましたが、僕が膨大な量の書物を読み漁るようになったきっかけは、18歳の時の彼女からの宗教勧誘でした。 もちろんそれだけではありませんが、その時人生屈指の集中力を持って考え、考えた結果宗教の教義に対して「価値観が合わない」と話すと大泣きされたという出来事がその後の人生観を大きく変えてしまいました。 そしてまた近頃になっては、20代の初めの頃に親友に宗教勧誘をされたことを思い出します。 特に思い出す必要もないのですが、ただ単なる春先の思い出を記した「洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳

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体験と精神の薬

手塚治虫氏の漫画の中には戦時中や終戦直後の日本を取り扱った作品がいくつかあり、直接的でないにしろそうした体験を元にしたような描写が各作品に散りばめられたりしています。 社会のあり方や人間のあり方、そして人間以外の様々な生き物との接し方などについて、現代でもいろいろな人が色々な表現で描いたりしていますが、どうしてもリアリティに欠けてしまう場合があります。 それはやはり直接の体験ではなく、言語的・思考的な産物としての意見や感覚を発端としているからではないでしょうか。 直接的な体験 動物との違いとして言語による情報の伝達

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真夏の墓参りと花々

真夏の墓参りと花々

「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花たちが、もう既にいない死者のために、もっと言えば宗教という狂気やそこから派生した習慣のために、なぜ劣悪な環境に晒されに行かねばならないのか、という憂いです。 人がその感情のために、―狂人的思考の結果思い

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墓場ビジネスと霊感商法

京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそれほど問題視されないもののタダの霊感商法だと思っています。 そしてたまに何故かいろいろな人の墓参りに付き合うということがあります。どこかに行くついでに「お墓が近くにあるからついでにお墓

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意識の分野の解消法その3 断捨離的に関係を解いていく

世の中では「断捨離」ということで、物を捨てることでスッキリしましょうという感じのことが囁かれています。断捨離がうつにも有効的であるという感じで語られることもあります。不要なものを捨て、所有物を少なくしていこうということで、なるべく執着から離れれば気持ちが楽になるというようなことが語られています。 しかし、おそらくそうした効用的な面だけが語られているにとどまり、本質的なことについてはあまり語られていないと思いますので、あえてそうした断捨離がなぜ効くのかということについて書いていきます。 アイツこと自我の根底にあるもの

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