「誠実」という若き男の悩み

古今東西、若き男の悩みというものは特に変わっていません。若き男と表現するものの、思春期以降老年期までの間にたいていの男性にはいつか訪れる悩みです。有名どころで言うと、サマセット・モーム氏はその悩み、怒りを「人間の絆」で表現しました。

まずは事実を知り、そして、それをどう取り扱っていくかというところが問題です。これを曖昧にすると、老年に差し掛かるまで悶え苦しむことになりかねません。

これは、本能と理性の問題でもあります。

それは、端的には「誠実」に関する問題です。

これを乗り越えると、煩いが極端に減ることになります。

「モテないが正しい」の真意となります。正確には、「嫌でもモテてしまうが、モテようとしないのが正しい」という感じです。

「誠実」を否定する本能

と、冒頭ではぼかしつつ、もっと直接的にその問題とは何かを書いていきましょう。

それは、男同士であれば通じる「誠実」、仕事をはじめとした社会生活では良しとされる「誠実」が、恋愛対象の女に対しては通じないということです。

それにショックを受けます。そして不誠実にもなりたくないという葛藤が生まれるという点です。

男同士であれば、誠実な対応は、ほとんど誠実な対応で返ってきます。

しかし、女、特に恋愛感情を抱いた相手に対する誠実な対応は、時に不誠実で返ってきます。

「追われたり、真面目になられた瞬間に冷める」

という現象です。

誠意あるような対応をしても、

方向が「女への媚」であると

「気持ち悪い」

と思われてしまうということです。

男性同士の社会では、誠実さは「狩りの上での協力」というかつてからある習性としての本能と現代社会での理性が一致します。

しかしながら、追う男に対する追われる女は、男に誠実さを見せられた時、尽くされた時、「自分に媚びを売る弱い存在の種は要らない」という本能と現代社会での返報性のような理性が一致しません。

本能対理性の場合は、概ね本能が勝ちます。もちろん場合によっては、それに対する葛藤も生まれるでしょう。しかし、たいていは「何となく嫌」という感想を持つ程度で、さほど悩みを持ちはしません。

その上、

「見返りを求めているなんて…」

「なんて無様なんでしょう」

という感想を持ちます。

「誠実さには誠実さが返ってくる」

という考えを基本としている男としては、かなりショックです。

男社会で、誠実さに対して不誠実さが返ってくるとなると、縁が切れるか、喧嘩になるかという感じになります。

「あいつはとてつもないクズだな」

という感想が来るはずです。

しかし、そこに○玉の衝動があります。

そして相手に費やした分の損を確定させたくないというような気持ちも働きます。

そこで葛藤が生まれ悶え苦しむことになります。

女に絶望した男たちの態度

せっかくの誠意も「気持ち悪い」と鼻で笑われた男たちは一体どんな心境になるのでしょうか?

それは概ね次のとおりです。

  • 絶望により人間不信になる
  • 女をぞんざいに扱う

ほとんどは前者になります。たいてい回復まで数年を要してしまいます。

元々行列ができるほど顔が良い、行列ができるほど話がうまい等のモテ要素を持っている人たちは、「期待せずにぞんざいに扱う」の方に一旦行き着きます。

さあぞんざいに扱おう

この方向に行き着いた人たちは、一定期間女遊びを繰り返します。表現は悪いですがゴミや使い捨ての備品のように扱います。なので皮肉なことに入れ食いです。追ったり真面目になりませんから。

たいていそのきっかけは、大好きな彼女と別れてしまったというようなものとなります。そしてなぜ終わってしまったかと言うと、「多少なり相手の事や『相手の将来』を考えて自分の方向を変えようとしたら、相手が冷たくなった」というようなことが原因になっています。

「何がいけないのですか?」

という認知的不協和が起こっています。

でもたいていはその別れた彼女のことを思っていたりします。そのショックから立ち直るまで、女という生き物を敵視するかのようにぞんざいに扱います。

自分を傷つけた「女」という生き物全体への復讐のような感覚です。

その裏には人間に対する期待もあります。

「いつか誠意が誠意で返ってくるような、そんな人と暮らしたい」

というようなことも思っています。

「相手のために頑張ってみたりする自分を評価してくれる人であれば…」

という期待を持っていたりします。

しかし、現実は残酷です。

本能にその誠実さはありません。

女の側でも、理性では「ひどいことはしたくない」と思いながら、実際は冷めてしまうというようなことが起こります。

「こちらが尽くせば尽くすほど、相手は冷めてしまう」

という構造はいつまでも残ります。

「ぞんざいに扱えば扱うほど、相手はこちらに関心を向ける」

という慈悲とは逆行した構造があります。

モテてしまう男たちは、本当はそんな世界を呪いたくなっています。

最も残酷な構造

こうした構造は残念ながら普遍的です。もしかすると変化するかもしれませんが、自分たちが生きている間に本能の基本部分が変化することを期待するのは野暮というものです。

この本能部分の構造の残酷性は、家庭に現れてきます。

「家族を思い、家族に尽くすと夫としての立ち位置が危うくなる」

という最悪な結果を招きます。

奥さんに気を遣って優しくしている人ほどナメられています。

逆に横柄な人は意外と関係性がうまくいっていたりします。

普通に考えると許せません。

横柄な態度など取りたくないのに、そうした人の方がうまくいって、相手に気遣いをしている方がうまくいかないなんて…

と考えます。当然です。

友人は、奥さんに懇願されマイホームを購入した挙げ句、奥さんの親御さんが家にやってきた時に

「あなたがいるとうちのお母さんがリラックスできないから、2時間位どこかで時間を潰してきて」と言われたそうです。

さすがに

「ここは僕の家や!」

とキレたそうです。

よくそんなことが言えるなとも思いますが、相手を思ってお金をかければかけるほどそんな事になってしまうのです。

同じように、奥さんの要望で家を購入し、さらに車も無駄に7人乗りを購入しローン地獄になった知人(高給取りではありません)が、

ある時酒に酔い、迎えに来た奥さんを指さして

「これがやらせてくれへん嫁ですー!」

と泣き出しました。

当て馬のポンゴです。

僕の中ではそうした光景を見聞きするたびに

「当て馬のポンゴ♪ポンゴ♪ポンゴ♪(黒ネコのタンゴ調)」

が自動再生されます。

核家族では、奥さんの気力体力にも限界があります。決してサボっているわけでも能力が低いわけでもありません。なので、そこに手を差し伸べるというのはいいですが、方向を間違えると当て馬のポンゴ、パパゾンビになります。

(世の中では住居の関係等の致し方なさからか「イクメンという言葉を流行らせたい」などと言って、現役世代の男性陣に負担させその親世代を遊ばせようとしています。本来はもう少し幅広い家族で、時間・労力、金銭を支えるのが理想です。そのための配慮ができるのならばそうする方が無難です)

残念ながら「相手を思って労力をかけ、さらに債務という重荷を背負い、そして軽視される」というあり得ないような形で、尊厳を踏み躙られることになります。

相手への気遣いや誠実さに対して

「当て馬のポンゴ」

というアンサーが返ってくるということです。

本来、理性の上ではそうしたことが残虐であることも理解しているはずですが、本能には勝てません。

失った愛着を求めて

基本的なそのような構造がありますが、その奥には、たいてい男の側に失った愛着を求めるという要素があり、女の本能はそれを拒絶するというような構造が潜んでいます。

端的には、

「安心して安らげる場所が欲しい」というものと

「お母さん。ぼく頑張ったよ」

というようなものを欲しているというような要素があります。

それを失ったのか、それとも元々不完全だったのかはわかりません。

ただ、やはり色々と相手を思って気遣ったことが逆行するというのは、

幼児期に男の子が

「お母さん。ぼく頑張ったよ」

と頑張ったことを「は?それで?」と母に言われるほどショックだということです。

男の子が母を想って書いた似顔絵を即ゴミ箱に突っ込むほどの残酷さです。

ただ、相手はお母さんではありません。

しかし、安らげる場所を欲するのは、本能レベルで普通のことです。そのために奮闘するものの、「バカにされるのがオチ」というのは、ショックすぎます。

「愛し愛され安らげる関係になれるかな」と思い、頑張りだしたら、相手が急に冷たくなった、というショックは計り知れません。

そこで元々モテる才能がある人たちは、そのショックから立ち直るために、相手をぞんざいに扱うしかなくなります。

「誠意に唾をかけるお前ら涙など、私の涙に比べれば安すぎる」

というものが奥に潜んでいます。

100人の女を泣かせたとすれば、彼のショックは女の涙100人分だったということです。

ただ、その誠実を不誠実で返す残酷な属性、愛情を無関心で返す属性は、本能レベルであり、どうしようもありません。

誠実とZ会

さて、では、最初からぞんざいに扱ったり、途中からただ雑に扱えばよいのかというとそうでもありません。

ということで、誠実とぞんざい、それぞれがもたらす良い結果だけを受け取るにはどうすれば良いかという点に移ります。

媚びを売ることはやめることです。

ふざけたことに対しては

「ふざけんな」

と言える状態でないといけません。

そして嫌でも相手が反応するZ会に近づいていくしかありません。

強気になれないのは、抱えるものが多すぎて疲弊し、非Z会になっているからか、自信のなさか、といったところです。

その自信のなさすらも、Z会が解決します。

相手のために尽くすというのは、相手の関心を得るために無理をしているということです。そこに弱さがあります。

強さが必要です。

強さがあれば誠実さが裏切られることもありません。

ひとまず胸を張りましょう。

相手の関心を得ることではなく、相手を無視して仕事などに意識を向けましょう。

特に媚を売っているというわけでなく自然な優しさであっても、ある程度冷めてきている人はそれをバカにしてきます。バカにしてくる相手に関心を向けている場合ではありません。

ちなみにZ力が増してくると、一緒に歩いている中、すれ違う女性からの目線が多くなり、それぞれの人の目の輝きが増します。隣りにいる女性もそれを察知します。そして危険を感じて勝手に盛り上がったりします。

徹底的に色気づくというのもいいですね。外見はお金やちょっとの手間で解決することができます。

そこでくだらなさを実感してください。

ちゃんとした身なりをすると女性店員さんの態度も変わりますから。

「私はそういうのには関心がないの」

という女の人もいますが、

ほとんどは嘘ですね。

また、相手が下手に出てきてもすぐに応じてはいけません。

「へんっ。ちょろいちょろい」

くらいに思われてしまうかもしれません。

そうなると許せませんね。殴ってしまいそうになるはずです。

なので、基本的には相手よりも上に立ってください。

それが結果的に相手のためにもなります。

「誠実さ」と「女の態度」によって若き男は悩みます。

拒絶したり、絶望したり、人間不信に陥ったりします。

ただ、そんな誠実が不誠実で返されるというチグハグな構造は、間接的な「おしり叩き」であると考えてください。

「強くいて欲しい」

ただそれだけなのです。

安らぎは、誰かが与えてくれるものではありません。

行動に対する評価も、誰かが与えてくれるものではありません。

現実的な社会関係においては、Z会の方に向かうのが一番です。

しかし根本問題としては、様々なものに対する依存、期待、執著から脱するということになります。

木漏れ陽が灼く影

Category:miscellaneous notes 雑記

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