鹿の王との約束

最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違うという感じです。その風格からおそらく宝ヶ池公園付近一帯の鹿の王だと思っています。 彼との出会いもまた不思議なのですが、「宝ヶ池」で触れていた通報を行った時でした。 僕が宝ヶ池公園から

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味やロマンと駄菓子の機械

味やロマンと駄菓子の機械ということで、駄菓子メーカーの事業譲渡について触れつつ、味やロマンと汎用性についてでも書いていきます。 そういえば我が家のスピーカーは、一度パワーアンプの電源を切るとたまに拗ねます。 再度電源を入れても左しか音を鳴らしません。 そんな時、一瞬だけでもボリュームをぐあっと上げると、何かが接触良好となるのか左右とものスピーカーが鳴り出します。 どちらかというとスピーカーが拗ねているというよりもパワーアンプがスネているという感じになるのでしょう。 でも何故かスピーカーの方を見てしまいます。 そんな

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尊厳・自尊心と承認欲求

尊厳・自尊心と承認欲求ということで、人の尊厳や自尊心と他者からの承認、そしてそうした承認を欲する承認欲求について紐解きながら、それらを根本から覆していきます。 「人は他人から自分の存在を確かめる」とでも言いたげに、社会においては尊厳や自尊心を当然のものとして扱い、他者からの承認をもって尊厳を保っているとでも言いたげです。 それこそが人の幸せを決めるものであり、承認欲求は当然に起こる欲求だとでも思っています。 しかしそんなものは必要ありません。 「承認欲求を満たす」とか「自尊心を満たす」という方向性でばかり様々なこと

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家族のバランスと退行現象

家族のバランスと退行現象ということで、家庭内での人間関係のバランスとバランスが崩れた時に起こる退行現象についてでも書いていきましょう。 少し前にはなりますが、自分が作成した心理学の「退行」について改めて確認していた時に、ふと幼少期から大人になるまでの間の我が家を振り返ることとなりました。 よく人格の歪みやそれを発端とする精神疾患は家庭に原因があるというか、家庭要因が大きいということで、それが文学作品や映画のテーマとなったりします。家族療法というものもあるくらいで、それくらいに家庭内の人間同士が相互に与える影響は大き

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生きることに不器用な人たち

生きることに不器用な人たちということで、不器用な生き方についてでも書いていこうと思います。 先に結論から言うと、最も不器用な人は「不器用であることに気付いていない人」です。だからこそ「自分は不器用だ」と気付いている人の方がチャンスが多いということになります。 そして自分が不器用だと気づいている人は、その不器用さを乗り越えた時に自分がたどったような道で迷っている人たちにアドバイスがしやすいという強みがあります。 そんな感じで生きることに不器用な人たちについて触れていきます。 不器用な人が後で開花する 勤め人の頃、前職

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自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く

自由意志はあるのか、もしくは自由意志はないのか、そんなことをいつまでも議論している人たちがたくさんいます。 何かと相容れなさそうな哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論にそれほど意味がないことが朧気ながら分かってくるはずです。 どんなことでも、前提が間違っているとその先の論理の展開もおかしな方向に行きます。まあ自由意志についての混乱は、つまるところ無明から起こっているという感じになるでしょう。 これは、何も考えないまま雰囲気で「哲学に意味がない」とか、「自由意志があるのかないのかなどどうで

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植物と仲良くなった日

植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は、家にインコのピーコちゃんを筆頭にたくさんのインコと接していたため鳥とは仲良しでした。傷ついた雀を保護したことがありますが、その雀ともすぐに友だちになれたため、結構長生きしました。普通

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元祖ダイエットアファメーション

元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。 ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。 といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。 「適正な量の食事」という感じで言えば、今回ご紹介する「詩」は、まさに元祖ダイエットアファメーションであり、既に2500年以上前に実践されていたということで面白みがあります。 先日、ひとこ

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洗脳の結果としての消費行動

洗脳の結果としての消費行動ということで、消費社会においての個々人の消費行動は洗脳・マインドコントロールの結果であるという点について書いていきます。 久しぶりの「お金に関すること」テーマで実に1年半ぶり以上という感じですが、お金持ちになったりするをシンプルに考えれば、お金が出ていく量を減らしていくこともその方法になりますし、これはお金を稼いでいくこと、手に入れていくことにも密接につながっています。ということで、消費行動と洗脳について書いてみようと思ったしだいです。 消費社会と洗脳の関係としてよくメディア洗脳という感じ

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皮肉骨髄から考える「人の意見」

皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話が元となっています。 知っている人は知っているような話ですが、「僕が伝えたかったことは何か、それを示してみなさい」をいう最終試験で、4人の弟子がそれぞれ異なったアプローチで回答をし、「

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ゲームと知能

僕はファミリーコンピュータと同い年であり、小学生の頃はスーパーファミコン全盛期であり、小学校高学年くらいから中学生の頃はセガサターン・プレイステーションの登場によってそれにどっぷり浸かるような世代です。 ファミコンが1983年、スーパーファミコンが1990年、セガサターン・プレイステーションが1994年ということで、まさに成長期がゲーム全盛期という感じになっています。 そんな中、「ゲームをすると頭が悪くなる」などと囁かれていましたが、我が家では全く逆の立場をとっていました。 あまりコンピュータのことを分かっていない

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緊張と弛緩から観る「今」のあり方

心を語る上でよく緊張と弛緩がテーマとなることがあります。リラックスするための筋弛緩法というものもありますし、笑いの要素の一つとして、桂枝雀氏提唱の緊張の緩和理論というものもあります。 緊張があってそれが弛緩する、つまり緩むということですが、その瞬間に人はリラックスし、人は笑うということになります。 そこでよくよく考えてみたいのが、緩んでいる時は文字通り安穏の状態にあり、イコールで幸せな状態にあるということです。 緊張と弛緩や緊張の緩和理論においては、相対的に緊張と「ゆるみ」が対比された上で語られていますが、「ずっと

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正しく観ることが確率論を超える

欧米の確率論的な方法がもてはやされてはいますが、営業にしろ何にしろモノを売るのは実は結構簡単だったりします。 統計や御用聞きを含めたマーケットインは確率論的に物が売れる確率を上げようというようなレベルの低い考え方です。 それは「流行りの髪型にすればモテるのではないか?」というタイプの発想です。 しかしよくよく考えてみると、たった一人の最愛の人と出会えれば「たくさんの人にモテたい」というような気持ちもどこかに行ってしまいます。 大きな工場をもって世界的に展開しているような大企業ならば確率論の方に意識が向いてしまうのも

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忙しい人の「忙しさ」はただの混乱

忙しい人や忙しない人が持つ「忙しさ」はただの混乱だったりします。 忙しそうにしている人ほどただ単に頭の整理ができていないだけで、大したことはしていないというのは、世間でもよくよく実感されているはずです。 忙しくしているということは、嘸かし大層なことをしているのだというような印象もありながら、結果を見ると大したことはしていないという感じです。 すべてを結果ベースで見るとわかりやすいのですが、結果を見ずに「いかに頑張ったか」ということを評価対象になどするからこうした錯覚がいつまでも起こりうるのではないでしょうか。 でも

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