別の隣人愛
激し易く、騒がしく、むら気で、神経質な人は、大きな情熱の反対である。 曙光 471 序 「隣人愛」といえば、新約聖書を読んだことのない人でも知っているような「あなたの隣にいる人を愛しなさい」というものですね。 隣人を愛する前に愛を思い出しなさい しかし相手の要求には応えても応えなくても構いません。 愛することと、何かの
曙光(ニーチェ)がようやく折り返し地点です
ニーチェ全集7「曙光」の各節題目表からタイトルを拝借するという旨で始まった特別企画 その5ですが、予想通りロングランです。現在575の節のうち半分通過の288の投稿が終わったところです。 スタートは昨年2014年の10月27日です。第一発目の「つけ加えられた合理性」からだいたい10ヶ月が経ちました。 10ヶ月で半分です
大勢の饗宴で
社長同士の集まりというのは、従業員時代には想像もつかないほどたくさんあります。商工会・商工会議所のような団体の集まりもありますし、その他単発のビジネス交流会のようなものもあります。 年末年始の忘年会・新年会などはすごい数のお誘いを受けますし、普段でも何だかんだで宴会・懇親会のようなものがたくさんあります。おそらくその気
最もよい約束の仕方
ある約束がされるとき、約束するものは、言葉ではなく、言葉の背後にあって言い表されないものである。それどころか、言葉は約束を弱めるのである。約束をするあの力の一部分にあたる力を放出し、消費することによって。諸君はそれ故に手をさしのべ、同時に指を口にあてよ。― そうすれば諸君は最も確実に誓うことになる。 曙光 350 最も
心にググっと群馬県 2015 番外編(京都から群馬・栃木まで)
さて、「心にググっと群馬県 2015 番外編」と題しまして、昨年と同じく番外編です。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 番外編 毎度のことながら、「心にググっと群馬県」と言いながらほとんど道中のことについてばかりになります。しかしながら、まずはやはり、関連したような事柄から。 初めて見る野菜たち 尾瀬市場農産物
やすらぎの栃木路 2015 いろは坂
人生初めての栃木県、そして日光のいろは坂です。と言ってもイニシャルDのエンペラーのエボ3乗りの須藤京一やMR-2・MR-Sの小柏カイのホーム「いろは坂」のみなので栃木県に行ったと言っても入り口だけです。 今回向かった「いろは坂」は、栃木県日光市にある中禅寺湖畔と栃木県日光市馬返までの間の国道120号の坂道で、下りが第一
心にググっと群馬県 2015 赤城山と大沼
妙義山、榛名山と並んで上毛三山残るひとつの赤城山です。赤城コースは群馬県道4号線ですね。とにかく勾配があり、「標高500m」というモノが見えたかと思えば、すぐに「標高600m」「標高700m」と、上りの時はぐんぐん標高が上がって行くのがわかります。 急な気圧の変化が激しく、進む度に二リットルの水のペットボトルが、「ポコ
心にググっと群馬県 2015 伊香保温泉
「秋名下り」こと群馬県道33号線(渋川松井田線)を榛名湖から渋川方面に下ると伊香保温泉街に着きます。県道33号線から15号線に行くと水沢うどん街に行くこともできます。 伊香保温泉の存在を初めて知ったのは、ビジュアルバムの「都」です。 伊香保温泉には、「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」がありますが、元祖黄金
心にググっと群馬県 2015 榛名山と榛名湖
毎度の事ながら榛名山にはもちろん行くのですが、「秋名下り」の溝落としは夜のお楽しみということで、昼間の榛名山・榛名湖に行きました。 溝落としとか溝走りとか言われる側溝に引っ掛ける走り方は、この付近に行かないとあのタイプの側溝自体がありません。イニシャルDの実写版も「秋名」の撮影は新潟のようですが、このタイプの側溝はおそ
心にググっと群馬県 2015 妙義山
「碓氷と妙義は目と鼻の先だ」と言ったことを妙義ナイトキッズのR32使い中里毅が言っていたような気がしますが、碓氷峠と妙義山は確かに目と鼻の先です。 ちなみに「富岡市妙義町中里」という地名もあります。初めてこの辺りを通った時に偶然標識をみつけて思わず微笑んでしまいました。 昨年は、碓氷と妙義をひとまとめにしてしまいました
心にググっと群馬県 2015 碓氷峠「アプトの道」
なぜか毎年恒例になりつつある、盆明けの「群馬ツアー」です。 今回は1500キロほど走りました(4日半、1515km)。 さて、「心にググっと群馬県」第一発目は、長野県軽井沢から群馬への玄関口、中山道の「碓氷峠」です。碓氷峠には当然昨年も行きました。 昨年の記事 心にググっと群馬県 2014 碓氷~妙義 碓氷峠といえば、
賢者の非人間性
すべてのものを粉砕する賢者の重い足どり― 仏教の歌によると、「犀のように孤独に歩む」― には、時々和解的で穏やかな人間性が必要である。しかもあのいっそうすみやかな足どりや、才気あるあの愛想のよい社交的な言い回し方ばかりでなく、機智や一種の自己嘲笑ばかりでなく、矛盾さえも、世に行われている不合理へと臨機に復帰することさえ
美の国は一層大きい
「美しい国」という表現がたまにされることがあります。中国語などでアメリカを「美国」と書きますが、日本のことを「美しい国」と表現するということがたまに起こります。 しかしどこの国も美しいものです。美しさは受け取り手の感性の問題ですから、実態として「美しい」という属性自体は持っていません。見る人の感性によって「美しいとされ
二度の忍耐
「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の
懐疑家を安心させるために
「私は、私のなすことが全くわからない!私は、私のなすべきことが全くわからない!」― 君は正しい。しかし次のことは疑うな。君はなされる!いかなる瞬間にも!人類はいつでも能動態と受動態とを取り違えてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。 曙光 120 懐疑家とは、もちろん何でもかんでも懐疑的に見て懐疑的に思考し
そんなに重要ではない
人の死を見守ると、われわれには通常ある考えが浮かぶが、われわれは直ちにその考えを作法通りという不適切な感情によって心の中でおさえつけてしまう。すなわち、死ぬという行為は、一般に畏敬の念で主張されているように重要であるのではなく、また死んでゆく人は、彼がここでまさに失おうとしているものよりも、おそらくもっと重要なものを生
近代人の養育
すべてを食べる人間は、一番上等の種ではない。 曙光 171 中 うまい飯屋を「知っているだけの人」の類については、さんざん触れてきました。 しかし、味覚など本人の感性しだいであり、結局は頭の中で合成しているだけのことです。錯覚させようと思えばできてしまうことです。 しかし錯覚させなくても、たとえば白米や塩などであっても
名声の中の損失
未知の者として人間に語っても差支えがないということは、何という利点であろう!神々はわれわれから匿名を取り去って、われわれを有名にする場合、「われわれの徳の半分」を取り去るのである。 曙光 466 名声を欲する人、有名になりたいという人はいつの時代でもいますが、名声を獲得すること、有名になることの何がいいのでしょうか。む
われわれがやはりそうであるとおり!
「われわれ」といっても男性限定ですが、われわれ男性はやはり男性である限り、超えなければならない壁というものがあります。 ○玉との主従関係ですが、その点については何度も触れています。 それは非常にハードルが高いのかも知れません。 そういうわけで、今回は「まずは義務教育程度のモテテクから脱しよう」というテーマでお送りしてい
ある出会いに際して
「出会いがない」ということをいう人がいますが、生きていればそんなことはありません。僕個人としては、できればあまり人と会いたくもないのに、毎年毎年出会いは増えるばかりです。 家に引きこもっている場合は、人と会いようもありませんが、インターネットがなかった時代ならまだしも、たいていゲーム上ででも誰かと会ったりはしているでし
力の感情
次のことはよく区別するがよい。力の感情をまず獲得しようとするものは、あらゆる手段をとらえ、その感情を養うことを恥としない。しかし力の感情を所有しているものは、その趣味にひどく選り好みがあり上品になっている。彼が何ものかに満足することは珍しい。 曙光 348 なんだか「力」という字を見ると、たいていは「社会的な力」のこと
贈る者の恥ずかしさ
「贈り物」というものは、本来贈る人の善意のような気持ちが形になるようなものです。 気持ちを形にして示してみる、というのが贈り物であり、その手前には、相手に対する気持ちというものが必要なはずです。 その思いが形になり、物を媒介して思いが伝わる、それが贈り物のもつ本質的な意味であると言えるでしょう。 「贈る者の恥ずかしさ」
第七日に
「諸君はあれを私の創造として賞賛するのか?私は自分の重荷になるものを片づけたにすぎない!」 曙光 463 序 「第七日に」 「うーん…どうしよう…」という久しぶりの混乱がやって来ました。現在お腹が弱っていることも原因かもしれません。お腹が弱っているのでエネルギーを吸収できず、慢性的にフラフラだったりします。 銭湯の電気
緩慢な療養
疲れというものは結構軽視されています。どうせ療養するなら思いっきり療養した方がいいのは明確ですが、ただ休んでいてもなかなか疲れは取れるものではありません。 以前勤め人だった頃に、年配の上司に「ビタミン剤は歳がいくと効果を実感するぞ」と教えてもらったことがあります。しかしビタミンでは追いつかないことがあります。 今現在も
雄弁家の学派
一年間沈黙していると、われわれはおしゃべりを忘れて、雄弁を学ぶ。ピュタゴラス学派の人々は、その当時最上の政治家であった。 曙光 347 雄弁家になるためにということで、一年間も沈黙しなくても、一ヶ月、一週間くらい沈黙するだけでおそらく雄弁になっていくのではないでしょうか。人によっては一週間くらいの沈黙だと、たまりにたま
女ぎらい
「女性はわれわれの敵である。」― 男性としてこのように他の男性たちに語る者は、自分自身を憎悪するだけでなく、自分の手段をも憎悪するような抑制されない衝動のあまり、そう語るのである。 曙光 347 女ぎらい(女嫌い)というストレートなタイトルでお送りします。女嫌い、女性嫌悪という感じになりましょうか。 700回投稿の際に
第700回投稿記念
これで700記事目になります。ということで第700回投稿記念の回です。第600回から第700回にかけては少しスピードが落ちた感があったように思います。少し忙し気味でした。またちょろちょろ書いていきます。 常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 そしてメッセージをいただいた方々、ご連絡ありがとうございます。やはり少し
われわれの幸福は賛否の論拠ではない
多くの人間は、わずかの幸福しか感じる能力がない。 曙光 345 序 思い返せば明確に人生に疑いをかけた瞬間というのがあります。 おそらくそれまでにも細かいものはたくさんあったのでしょうが、一番明確に覚えているのは、高校二年生の時です。 アルバイトを終えて、家に返ってホットコーヒーを飲みました。 その瞬間です。 「うまい
ここはロードス島だ、ここで踊れ
われわれの音楽、それは海の魔物のようにそれ自体としては性格を持たないために、あらゆるものに変化することができ、また変化せざるをえない。 曙光 461 序 「ここはロードス島だ、ここで踊れ」 と、いきなり言われても、ロードス島がどこにあるのかわかりません(調べてみるとギリシャの南エーゲ地方にあるそうで、ナトリア半島沿岸部
その危険な時を利用する
切羽詰まっている時の感情は不快ですが、切羽詰まりすぎると不快であることすら感じることができずに、逆に理性的になるものです。 よくほろ酔いだと気分が乗って、普段では受け入れない要求を受けたりするということがありますが、泥酔すると逆に理性的になり、体が楽になること以外のことを考えなくなるのと構図はあまり変わりません。 精神