カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

あの手この手で支配しようとしてくる体育会系天才詐欺師

勤め人の頃に、あの手この手で支配しようと躍起になっていた体育会系の先輩のような人がいました。 社内では天才詐欺師として有名であり、胸板を強調し、胡散臭い縁の太い眼鏡をしていました。野球部上がりです。野球部出身者に対しては、予選に出場したのは何回目の甲子園だったかというような質問から上下関係を作ろうとしているような人でした。 しかし残念ながら僕のような人間を支配しようと思っても、僕に遊ばれるだけです。 「暖簾に腕押し」ということがいかに面白いかということを思い返して、時折思い出し笑いとして爆笑しています。 何とか上下

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祝八周年&第2022回投稿記念

本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。 祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。 やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような感じになっています。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつも

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俯いて立ち上がるような感覚

両親を筆頭に、様々な人から教えてこられた物事に対して、それと違う方向に向かい始めようとする時、多かれ少なかれ抵抗感が生まれたりします。 裏切りとまではいかないにしても、相手の生き方、相手と過ごした思い出を切り離すような、そんな感覚が起こってしまいます。 しかしながらそれでも、立ち上がる必要があります。 ちょっと俯いて立ち上がるような感覚です。 精神についても対人コミュニケーションについても、仕事やお金に対する考え方についても、幾度となくそのような「ちょっと俯いて立ち上がるような感覚」を経験しました。 世の中では、当

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人生で一番良かった時期

若者をつかまえては「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、何かしら回答をしようものなら「過去を振り返ってはいけない。『今』と言わなければならない」というようなことを繰り返している体育会系の人がいました。 その脇で一連のやり取りを数回見たことがあるのですが、毎度毎度、「別に『人生で一番良かった時期』というものは、それぞれの時期でそれぞれの良さがあるのではないか?」と思ったりしました(というより質問自体が根本的に過去形ですけど…というのは置いておきましょう)。 とりあえず今が最高だと言わねば

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頷けるような明るいイメージ

今がどんな状況であれ「常に爆笑し、誇りや自信に満ち溢れ、爽快に過ごしている」というような自分自身が頷けるような明るいイメージを持つことで、物事の見え方が変化します。 未来に合わせるように、見えるものが変化し、現在が変化していきます。そうなると結果的に過去の記憶すら解釈が変化していきます。 ただ、普通に過ごしていると「そうなるためには…」と思いを馳せる時に起こりうる負担、負荷に対する辟易がやってきてしまいます。 しかしながら、先の自分がそのような明るい状態でありたいと思うこと自体は正しさを帯びています。 視点を少し遠

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トリックスターによる混沌の生成

トリックスターによって混沌が生成され、その混沌から新しい秩序が生まれる、というようなことがあります。そうなると、最初は厄介者扱いだったトリックスターは、新しい世界をもたらす鍵として評価されます。 いたずらというものは、その秩序の体系の穴をつくようなものであり、ある空間、空間の論理の不完全性を示すようなものになります。そして、その不完全性を示し、空間を壊し、再構築させるというようなことにつながっていきます。 社会的に考えれば、義務教育の成れの果てのような、鬱屈したギムキョ空間に対する矯正のような機能があります。 そう

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熱意に対する比例と反比例

熱意というものは基本的に伝わります。同調によって相手を感化するというような感じです。しかし、一方で熱意に対して反比例するかのように冷めてしまうことがあります。 相手を状況を無視したような熱意は、時に相手を飲み込むように感化するものともなれば、一方で、強烈な抵抗が起こって冷められてしまうという場合もあります。 その理由はいくつかありますが、ひとつは相手の状況を無視したとしても熱意を伝えることのできる状況を作れていたかどうかというようなもの、そしてあまりに自己都合が強すぎたのではないか、というようなもの、さらに「弱さか

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「見えざる手」を観る

見えざる手によって「ちょうどいい感じ」になっていく、というような法則性があります。ただ、プロセスとして一時的にその流れを阻害するものあります。 だいたいの物事は「やりすぎ」に陥って「制限」がかかり、その壁が圧に負けて決壊するように崩壊し、分解して適切に馴染んでいくというような流れになっています。 何かしらの市場の広がりや社会変化が一気に広がり、ある地点で制限がかかってくるようになります。そして次は制限の方が「やりすぎ」ということになり、その空間は決壊します。 という流れなので、波に乗って慢心したり、逆に抗ったりする

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油断させるために弱く見せる

武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。 根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。 そのうち「油断させるために弱く見せる」ということについて少しばかり触れておきましょう。 油断させておくと相手は準備を怠る 下手に強く見せてしまうと、相手はそれ相応の準備をして戦いにやっ

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個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと

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受け取る「器」と「余白」

自分自身の深い部分で「対象を受け取る器」が無いとそれは現実にはやって来ません。これは当然といえば当然のことであり、何も不思議なことではありません。 そしてあまり語られませんが、器に余白がないと、一時的に壊れることもあります。ただこれに関しては、器というよりもエネルギーや気力の余裕といった方が印象としては近いかもしれません。 現実に即したような形でも「受け取る『器』」を捉えることもできますが、説明不可能な感じで何かを受け取ることもあります。 僕にとってのその象徴は養子のうさぎでした(Kさんちのうさちゃんと我が養子)。

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そなえよつねに

この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。 だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなか

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逃避としての変人意識と芸術

世の中には変人と呼ばれる人たちがいます。本当の変人は自分のことを普通であると思い、本当の変人ではない人は、自分のことを変人であると思っている、というようなことがよく言われたりします。 僕もどちらかと言うと変人の部類に入ると思いますが、自分の考えが普通であると思っている部分もありつつ「世間とのギャップがある場合もある」ということも思っているので、何とも言えません。 変人といえばこだわりが強いという面がありながら、そのこだわりが「理解不能」という感じになっています。それは理屈として理解不能なのか、それとも「そこまでのこ

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お客の親への喝

そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやってきました。 別にそれは構わないので、喫茶店にてパソコンを持ち込んで数時間お話しました。 相手のお客は20代男性、発達障害を持つ人でした(これは後で知ることになります)。 何だか少し違

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祓としての「変な意識の力」

変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。 胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。 (力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう) 主観的な空間の把握としての認知が揺れるのか、すれ違うだけでコケるおじさんやおじいさんがたまにいて、あまり出歩かないものの月に一度くらいはそんなことがあります(昨日もそんな事がありました)。コケるという現

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新年 2022

みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。 年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。 寅年ということで… さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃん

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さよなら2021

2021年が終わります。12月生まれということで38歳になりました。半分にしたら19歳、あの時から倍生きたことになります。 中学や高校のときの同級生とも未だに遊びますが、考えてみれば出会ってから20年以上、出会ったタイミングから考えれば四半世紀前後の付き合いということになります。小学校の時からの友達で言えば30年を超えています。 2021年は公私ともに様々な変化がありました。といっても社会情勢はそれほど影響していません。 2021年のラストに、10年ぶりとなる友人がいきなり実家にやってきて、その後我が家にやってきた

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第2000回投稿記念

これで2000記事目になります。ブログ創設から2000回目の投稿ということで「第2000回投稿記念」です。 前回の第1900回投稿記念は、2020年9月29日だったので、前回からの100記事は、1年3ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。それまでに比べてかなりのローペースでした。 なお、第1000回投稿記念は、2017年9月20日だったので、4年3ヶ月ちょっとで1000記事を投稿したことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいた

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倫理の照準

基本人格は小学生の時から変わっていませんが、Z会の発達に合わせて、怒り多き思春期を過ごしたりしました。 でもその時に出会ったからこそ「こうなるべきである」というような倫理の照準がうまく設定されたような気がします。 自我の領域として、情報が収束して形成される人格において、「こうなるべきである」と思った人格、象徴は、hide氏です。それは中学生の時から変わっていません。 尊敬する人というのは特にいませんが、もしいたとしても、シッダールタのような聖人とされるような人たちは、当時の自分からすれば遠すぎてリアリティがありませ

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最初から出ていた答え

遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。 それは努力必要論、不要論の範疇に入りますが、それ以外にも、「努力というものでは何ともならない領域のもの」についてのお話もあります。才能が云々というものではなく、「努力とは別領域」とい

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反省と少しの勇気と決意

小説や楽曲、映画、アニメ等々においても、なんだかんだで好きな物語には特徴があります。 それは「今の自分よりも立派な人間になろう」というような反省と、そうなるべく起こる少しの勇気や決断、決意が含まれているようなものです。 ドラえもんの中でもたまにあるような感じですし、藤子・F・不二雄氏は「のび太にはひとつだけいいところがあります。それはたまに反省して立派な人間になろうと思ったりするところです」と言ったような感じで示されたりしています。それと同じような要素があるものを僕は好む傾向にあります。 というわけで、児童文学に分

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カルトの定義

カルト(cult)とは、もともと熱狂的な崇拝を意味し、一種の原理や哲学に基づいた儀式、行動様式などを意味するような言葉になりますが、現代では反社会的な破壊的カルト集団を指す場合に用いられたりします。 カルトの定義としては、次のようなものになります。 精神の安定のために、絶対性を持たない原理に執著し、原理やそれと関連する人物、概念を熱狂的に崇拝すること。ならびにその崇拝対象がもたらす空間、組織。 熱狂的崇拝によって精神の安定を図るため、その主義、思想、哲学に沿わないものに対しては排他的になり、時に攻撃対象とすること。

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蹴球唾吐

1994投稿目ということで1994年…エキサイトステージ94…先日の強制終了…ということで、サッカーの思い出について触れていきましょう。 1993年から1994年頃といえば空前のJリーグ、サッカーブームの到来というような感じであり、当時小学校中学年だった僕の学校でもサッカーが流行しました。友人と「Jリーグ エキサイトステージ’94」を楽しんだり、サッカー遊びのようなことをするような感じになったりしました。 昔からスポーツチームのファンになるにあたって、何を根拠にファンになっていくのかがよくわからず、当時

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顔の締まりとランラン光線

最近聞いた話ですが、推しの文化により、関連したものによって自分を表現しようというか、話の取っ掛かりを作って誰かに絡んでもらおう、できればモテようとするような雰囲気があるようです。 しかしながらそんなことでいくら取り繕おうが、本来、顔だけで人格はバレてしまうので、深い部分ではあまり意味がないのではないか、深い仲になったりする点においては、それほど有効ではないのではないか、と思ったりします。 また、服装がもっさいわけではなく、実は顔が…ということが言われたりすることもあります。意外と同じ服を同じようなサイズ感で顔が締ま

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静止することにより見えるもの

日常から離れ、静止することによって見えるものがあります。それは特に非日常的な体験というものではなく、独りの空間をある程度保って静止するといったようなものです。そうすると行きたい方向が見えてくる場合があります。 例えば、「少し休みを取ったとしても、特にやることがないからなぁ」と思ったりして、あまり一人で独立した空間を持つことを意図しないというようなことがあります。 「周りとの関係を調整してまで、わざわざ休みを取らなくても良い。そうした間を設けるにあたって、周りに色々と言って回る方が面倒だ」というような感じです。 しか

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