カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

雉鳩 キジバト 山鳩 ヤマバト 鳴き声

雉鳩(キジバト)・山鳩(ヤマバト)の鳴き声

家の裏によく山鳩くんがやってきます。片足を悪くしているのですが、どうやら元気そうです。最近若いメスを連れてやってきたりしています。 さて、この山鳩(ヤマバト)こと雉鳩(キジバト)の鳴き声についてですが、様々なところで見かける音の表記やリズムについて少し違和感を感じていますので、個人的に観察した結果を記しておきます。 雉鳩(キジバト)・山鳩の鳴き声は、ホーホーホホー、ホーホー ホッホー系なのですが、本来は数種類あります。そしてこの鳴き声の「音声・音韻表記的な点」についてもちらっと触れておきます。 なお、鳩は鳩ですが、

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祝七周年

本ブログも七周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1942記事目になります。今回も祝六周年の時と同様に、単純に祝七周年というタイトルです。 祝六周年の時は1775記事だったのでこの一年で170弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこのブログにやってきた人の数は、170,737名ということのようでした。その前の

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動物と暮らすための感性の発達

言語習得の臨界期(Critical period)のように、動物と暮らすための感性の発達にも臨界期(感受性期)があるような気がします。 まあ言語習得の臨界年齢のように、その時期が向いているというだけで、その後も一応無理ではないという感じはなりそうなものですが、「よほどのショックが起こるか、よほど工夫をしないと難しい」という感じになりそうなものです。 そんなことをふと思ったりする要因のひとつは、幼少期に動物と暮らして世話をしたことがない人が、大人になって動物を迎え入れた時に、結局動物を世話しきれずに引き取ってもらおう

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うさぎの絵について

うさぎの絵に関して、名実共に最高峰にいるのはピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポター氏であると思っています。 「誰よりもうさぎのことをわかっている」 という感じがします。 うさぎなどの動物とずっと暮らしていた上に、亡くなったうさぎの骨まで確認していたというポター氏。 ということでやはり骨格や筋肉のつき方を捉えているということが、生き物の絵を描くにあたって一番大切なのでしょう。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人が言っていましたが、基礎デッサンを教えているときに、特定の動物を指定すると、教え子さん達の完成物に

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意識を先に置いたり分散させること

車の運転と同じように、視点は遠い方が安定し、またたくさんの方向をちらほら確認している方が安全に歩んでいくことができます。 あまりに手前の方ばかり見すぎると、感情が大きく揺れ動いてしまい、まさに動揺してしまいやすくなります。 既に無意識的動作となっている運転動作と同様に、日常のすべてが「無意識的有能」以上の領域になると、憂いはどんどん減ってきます。ただ、リスクがすべて消えるわけではないということを踏まえての「憂いのない運転」のような感じになります。 日常の9割以上は、遠くに視点を置くだけで基本的な感情の動揺はなくなり

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但し書きがつくような新しい分類

学者は、自然を殺し解体して理解しようとし、天才は、自然を新しい生きいきとした自然によって増大しようとする。 (反時代的考察 Ⅲ 6) そんなことをニーチェはよく言っていたような気がします。 また有名なものとしては次のようなものもあります。 私はすべての体系家を信用せず、彼らを避ける。体系への意志は正直の欠如である。 (偶像の黄昏 箴言と矢 26) 共に原佑氏訳 ― 近年、キーワード中心の注目の浴び方が増えてきてからというもの、売れていない学者が新しい概念をすぐに作り(単にカテゴライズと考えてもいいでしょう)、すぐに

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新年 2021

みなさまあけましておめでとうございます。 2021年になりました。 元日は日が変わった瞬間から早速白味噌の雑煮を食べました。 今年は年が変わる直前までうたた寝し、年が変わる5分前に半分くらい目覚め、夢うつつに「自賠責保険の更新ついでに電動自転車でも見に行こうか」などど思いながらむにゃむにゃしているうちに2021年を迎えました。 丑年ということで… さて、今年は丑年ということなので、早速25番に登場してもらいましょう。 そしてついでと言ってはなんですが、こちらは昨年出会った仔牛です(授乳中)。 … そういえばこの仔牛

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さよなら2020

2020年が終わります。何かとイレギュラーな感じになったこの年ですが、同時にいろいろなことが明るみに出るような感じだったような気もします。社会的な影響に関して、個人的には特に何の憂いもなく過ごすことができました。 12月生まれということで37歳になりました。 36歳というと30代半ばと言う感じがしますが、37歳というと40代が見えてくる感じがします。しかしながら35歳理論に基づくように、年々精神年齢は逆行していっています。 日常のオバQ的要素 ~鼾王として ご飯を盛る量や犬への恐怖など、Q太郎との重複率はまあまあ高

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「我こそは」という勘違い

数年前から会社宛に一方的に送られてくる営業メールの中に「我こそは」という勘違いが含まれるようなものがたまに紛れ込んでいたりします。 端的には「インフルエンサーマーケティング」たるものであり、「フォロワーが多いですよ」ということで、「広告宣伝効果がありますから宣伝してあげましょうか?」というような営業メールという感じです。 そういうのはB層を相手にした胡散臭い情報商材などの空間でやっておいてくれというのが本音ですが、「世間一般にも認められたい」ということからか、企業あてに営業メールを送ってきたりしているわけです。 登

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共感性なき仮説検証への過剰な欲求

共感性なき仮説検証への過剰な欲求ということで、頭の焼けた理系の「なんとしてでもデータを集めたい」というゲーム中毒・ゲーム依存にも似た過剰な欲の有様についてでも触れていこうと思います。 近年、理系に限らず「共感性がないなぁ」と思うようなあり方はよく見受けられます。 例えば「お金のために働いたことは一度もない」というようなことを自慢気に言う人がいます。この場合、お金のために働かなくても良いような環境に育ったことをパスしており「それを読んだ環境の異なる人はどう思うか?」というところの共感性が欠落しているという感じがします

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画一的なものに対する民俗学的脱出

中央集権的なものに対する「対抗ではない一種の脱出のあり方」として民俗学的な逃れ方のような方法があります。それは勃興時の民俗学が意図したところであり、「すべてが画一的になりつつある中、何が私達ならしめるのか?」というところのひとつの地域社会的な個性の保存といったようなものです。 それはひとつの全体的な侵略のようなものに対する個の空間的脱出のようなものであり、権力や合理性から画一的になりつつある社会において情報としての「地域社会的な個の保存」のようなものになります。 直接的な強制ではないが、物事のあり方、選択を制限する

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失敗の回避と立ち直り

重要なのは失敗を回避するということよりも、失敗した時の立ち直りの方であり、一応「失敗してもいい」ということを思うにあたって、失敗しない前提を持たずに、本当に失敗したときのことに対してどう取り扱うのか、再度挑むならばどう挑むのかということを想定しておく方が良いと思っています。 失敗を回避するという感じは消極的です。一応様々な準備をしたり想定を巡らすという点では理に適っていますし積極性がありますが、意識の上では消極性を持ちやすいという特性を持っています。 ー 「失敗してもいい」という言葉をかけながら、失敗しないことを前

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休業日に増幅する焦燥

ふと薬局に行った時に「うむ。やはり漢字四文字で構成されたもので最も面白いのは『歯槽膿漏』やな」などと確認したりしているのですが、そんな自分を振り返ると「ああ今はすごく健全やなぁ」と思ってみたりします。 しかしながら先日、久しぶりに限界に来てキレてしまうというようなことが起こってしまいました。 理由は簡単で「休業日にもひっきりなしに連絡してくる人がいたから」です。 それが緊急事態ならばわかりますが、別に通常営業日に連絡しても良さそうな全く緊急性のないことを休業日に何度もメールや電話で連絡してこられたので思わず 「連絡

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詰まる言葉

直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。 他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。 何かもう一つか2つ聞いておきたいのに、それを思い出せずに詰まってしまうというようなことが多いようなそんな感じがします。 物事の運びが悪い時、たいていは「意志決定がうまくいかない」ということが要因になっています。

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いつまでも子どもでいるために

いつまでも子どもでいるためになどと言うと、語弊を生みそうな感じがしてしまいますし、あくまで「いつまでも冒険野郎な37歳半くらいの人」が目指している「童心も忘れてないぜ系等々、そういう路線でモテよう」というものとは全く異なるため誤解は避けたいところです。 が、先日「劇画・オバQ」を再読したところ、思わず10回くらい読んでしまうことになったので「いつまでも子どもでいるために」という点について触れていきましょう。 「劇画・オバQ」の内容については特に触れませんが、ふと「そうか、僕は正ちゃんにならず、Q太郎でいるために大人

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ほくそ笑む言葉たち

本格的に読書の習慣ができたのは19歳くらいからですが、京都という土地柄か、幼少期から言葉自体で楽しんでしまう癖があります。 先日、米子の皆生温泉に行ったときの宿泊先に次のような本がありました。 参考 目で見る米子・境港の100年 一体何の本を読んでいるのだという感じもなりそうですが、もちろんそうした土着文化に触れるというのも旅の醍醐味です。この手の本は京都市内でそうそう読めるものではないため、その日は雨ということもあって夜の間に全て読んでしましました。 その本に次のような項目がありました。 「専売局岡山製造所米子出

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第1900回投稿記念

これで1900記事目になります。ブログ創設から1900回目の投稿ということで「第1900回投稿記念」です。 前回の第1800回投稿記念は、2020年4月25日だったので、前回からの100記事は、5ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づきがありました。また単純に応援メッセージをいただいたりもよくしました。ありがたい限りです。 PC、タブレッ

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燕の巣立ち

燕の巣立ち

燕の巣立ちということで、ちょうど巣立った瞬間のツバメのひなちゃんに会ったのでご紹介します。 燕は外敵から身を守るためということなのか、人が行き来する場所に巣を作る習性があります。 厩舎にたくさんの燕の巣があり、厩舎ガイドツアー中も親燕たちが飛び交う感じでした。 見上げると燕の巣に五羽のひなちゃん。   と、その時、一羽のツバメのヒナちゃんが飛び立ちました。 初めてのフライトでまだうまく飛べなかったのか、壁際に落ちるように止まりました。 片羽が壁に引っかかるようになっています。 巣を見るとやはり四羽になって

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嫌な人との向き合い方

生きていると嫌な人と出会ってしまう機会がたまにあります。「趣味が合わない」という程度ならばいいですが、「脳が焼け焦げているのではないか?」と思うほどに多少気が狂れているような人や、周りが見えず自分の快楽だけを追求する傍迷惑な人、アラ探しや侮蔑等々により事あるごとに気力を奪おうする人など、多種多様な人と出くわしてしまう可能性は常にあります。 これらは怨憎会苦という「思い通りにならない苦しみ」です。そうなると怨憎会苦から逃れようと「何でも受け入れる人になろう」とか「人と会わないようにしよう」とか、そんなことを考えてしま

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耐えられる程度の微妙な暑さによる混乱がもたらした気付き

最近は日中が暑く夜はまだ若干涼しいという感じの気候が続いています。昼間の暑さは日差しの強さに依存しているというフシもあるため、曇り空ともなれば「耐えられる程度の微妙な暑さ」といった感じになったりもします。 気づけば脇に熱がこもっており、若干脇毛が絡まっているという感じの暑さです。 そんな微妙に耐えられる程度の気温の中、しばらく暑さをあまり気にかけずにいると、どんどん「回転」を含め頭の調子がおかしくなってきます。 つい昨日は、鳴滝と清滝を間違えたまま話を続けていたり、ミスタービーンと言っているつもりがミスターベーター

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情報を短期間で大量に流し込むことで見える基礎と特性

情報を短期間で大量に流し込むことによって、あまり苦労することなくその分野のことがすぐに習得できたりします。習得ということでなくても、情報を短期間で大量に流し込むことでその分野・対象の基礎や特性が見えてきたりもします。 「現地語を浴びる」という感じで一気に情報を流し込む語学の訓練のように、長時間の観察を短期間で一気に行うと一気に基礎的な部分や特性、パターンが見えてきます。 そういえば最近雀くんや山鳩(雉鳩)くんが家の裏によく登場するので、毎日のように彼らの声を聞いています。 一日中鳴き声を聞いていると、雀くんや山鳩く

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家の前で遊ぶ子供がうるさすぎたので注意すると子供の親が怒鳴り込みに来た

「家の前で遊ぶ子供がうるさすぎたので注意すると子供の親が怒鳴り込みに来た」ということで、先日実家に帰った時に向かいの家の子どもたちが騒ぎまくりながら遊んでいて、お互いを呼ぶ声などがうるさすぎたので注意した時のお話です。 感覚でいうと、となりのトトロの「メイ」が最高にテンションの高い時×6人だと思ってください。 「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処で触れているような奇声は既に対処済みなので奇声は発しませんでしたが、余りあるエネルギーに加え歪んだ自己都合的「叱らない教育」によって情動を抑制する神経回路が発

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ドライアイ対策としてのサングラスの常用

5月に入り日に日に日差しがきつくなってきています。 それ自体はまさに晴れやかでいいのですが、ドライアイの影響により後頭部が焼けたような感じやふらつきが起こるのでサングラスを常用することで対策をしています。 昨年、毎年調子がいいはずの5月にフラフラした感じがやってきて6月には冠動脈の検査を受けたりもしました。しかし結局は、運動不足的な部分とドライアイの影響によるものであるという感じでした(目の痛みによって体がパソコンから逃げる)。 紫外線によるダメージだけではなく、日常的にモニタの光を浴びるということによるブルーライ

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何割かはボツになるという前提

物事の当然の理として「何割かはボツになる」という確率的なものが常に潜んでいます。理論的には100%になりそうなものでも、隠れた要因によって100%にはならないという感じになっていたりします。 何事も何割かはボツになるという前提で物事を進めていると、ボツでも問題がないという感じで気楽に過ごせますし、「またダメだった」と嘆いて動きが止まることによって起こる「同じ確率でも実行した数が少なくなるので成功の数も少なくなる」ということを防ぐことができます。 嘆いてやる気が無くなったり、失敗を恐れて実行すること自体が抑制されてし

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春に訪れる悲愴

ちょうど2年前の同じタイミングくらいの時に「春の感傷」で触れたように、どうしても春になると一度は悲愴な感じが訪れてきます。 それは単に冬の間の縮こまりが解放されるという程度であり、どちらかというと精神の領域ではなく身体的な領域の反応に伴ってという感じだと思っています。 例のごとく今年も数日前に瞳孔が開きっぱなしになり、体は蛹が殻を破るかのごとくになりました。 今回は泣いて目が覚めるというような感じではなく、起きている時に強烈な悲愴感がやってきて、走馬灯のように記憶が凄まじい速度でぐるぐる巡って気づけば自然と涙が出て

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