カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

絆という大きな束縛

絆という大きな束縛を解き放つこと、それが苦しみから脱することのポイントとなります。 サンユッタ・ニカーヤ第Ⅳ篇第一章第四節、第五節の「わな」をヒントに、大きな束縛について触れていきましょう。 本日で、養子のうさぎが亡くなって二年になります(うさぎの死 さようならわが息子よ)。昨年は、「愛別離苦」愛するものと別れる苦しみを書いてみましたが、今年は愛別離苦の元となる絆という大きな束縛について触れていきます。 「あなたは悪魔のきずな(わな)で縛られています。―天界のきずなと人間のきずなとがありますが…。あなたは悪魔の縛め

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第1600回投稿記念

これで1600記事目になります。ブログ創設から1600回目の投稿ということで「第1600回投稿記念」です。 前回の第1500回投稿記念は、2019年6月1日で、前回からの100記事は、4ヶ月ちょっとかけて投稿したという感じです。旅行記を細分化して連投したことや「笑う月」を開始したことで後半にはスピードが高まりましたが、前半はかなり緩やかでした。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの

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動物愛護週間

9月20日から26日は動物愛護週間です。と、義務教育全開のような感じになってしまいましたが、ちょうどよい機会なので動物愛護について触れようと思います。 好きと愛、そして好意と慈悲の違いのようなもので、対象を好きなだけの人は、自らの楽しみ、高揚感などのためにそれを利用するにとどまりますが、慈悲から観れば、幸せを願い苦しみが取り除かれるようにというような視点になります。 そういえば先日、元競走馬のたてがみを勝手に切って持って帰るという事件があったそうです。まあそれが金銭目的なのか何なのかはわかりませんが、そうした行為を

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生兵法とレトリック

自転車トラブルが起こった時のケース(頻発した自転車トラブル)等々、「知能が発達していないゆえに生兵法で挑んでくる」といったケースが身の回りでも頻繁に起こっているようです。 「生兵法は大怪我のもと」という言葉があるにも関わらず、よくもまあそんなに強気に出れるなぁと思ったりもしますが、むしろ「凄さがわかるのも能力である」ということから考えれば、能力がないからこそ、その意味すらわからないという感じになるのでしょう。 別に必要なものではありませんが、ある程度論理学やレトリック(修辞学)を経験してみると、そういった出来事は減

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オグリキャップとライスシャワー

オグリキャップとライスシャワー

笠松競馬場に行ったついでと言ってはなんですが、ダビスタとみどりのマキバオーによって競馬ファンとなった小学生時代を思い返し、大好きな二大馬オグリキャップとライスシャワーについて少し触れておこうと思います。 我が家に競馬文化はなく、また、僕自身もダビスタをやりこんだのはⅡとⅢなので、この2頭が現役で活躍していた時は本格的に競馬を知っていたわけではありませんでしたが、親戚にオグリキャップのぬいぐるみを貰ってからというもの小学生ながらちょくちょくレースを観るようになりました。 名馬といえば、あまり良く知らないもののディープ

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ウォシュレットの逆襲から解決までのプロセス

小学五年生の時の懺悔タイム以降、「この世で最も苦しいのは腹痛であり、何事にも優先して腹痛を回避せよ」という信念を持っており、腹痛回避には余念がありません。 しかしながら、想定外の急激な冷えなどにより、少なからず腹痛が起こる可能性があります。そうした万が一の腹痛時、トイレが汚いとテンションが下がります。なので、そうした時の無駄な気力の消費を避けるために結構な頻度でトイレ掃除をしています。 トイレを掃除すると金運が上がる云々という話もありますが(まああれは「どうせ誰かがやるだろう」という怠慢や他者依存に関する心理的効果

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問題が生じた時に意識に余裕を生み出す論証

問題が生じた時に意識に余裕を生み出す論証ということで、今回は心の観察等々意識的なあり方ではなく、実質的で理性的な「問題への対峙の仕方」について触れていきます。 僕の身の回りの人、特に女性の多くに「相手の言っていることはなんとなく理解できるが、変だなぁという違和感だけがあって、結局言い返せない」という悩みを持つ人がいます。 そうした形で我慢を強いられることは苦しいことです。「不服を持ちつつも受け入れなければならないのか」というような感じです。 僕も十代の頃くらいは、深いところでそうした嫌な感じを経験しました。感覚的な

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足音や振動など隣の家の騒音への対処

足音や振動など隣の家の騒音への対処ということで、隣人がもたらす騒音への対処について触れていきます。 二ヶ月ほど前、直接注意に行ったりしましたが、最近また調子に乗り始めているので、そろそろ本格的に対処しようかなぁと思います。 この騒音についてですが、一般生活レベルの騒音ではなく、親が煽ることで子供が走り回る時に生じる強烈な足音というか振動という感じです。 まあ単純には親が「えーい!うぇーい!」などと煽り、子供が「あーあー」などと騒ぎながら「ドドドドドドド」と走り回るという感じです。 「公園でやれ」 ということになりま

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際限のない「何をどこまで」を防ぐ表現

良いことと悪いことを考える時、通常の加点方式で考えてしまうと限界がなく「これでよし」という定義ができません。 「この心が苦しみを受け取る」という視点から考えた場合、いわゆる幸せ的なものは加点方式ではなく「本来の完全で理想的な状態を阻害しているものを削ぎ落としていく」という構造になるはずです。 「対人恐怖と人間不信への対処」や「この世界のささやかな全て」などで善行為的なことについて「表面的な作為のみならず不作為すらも、不善ではないという事自体が、絶対値的に差分だけ与えられたということになる」という感じのことを書いたこ

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妄想は感情を知識がこじつけることで生まれる

妄想は感情を知識がこじつけることで生まれるということで、謎のスピリチュアルとかカルト宗教のカルト臭い論理と感情について少しだけ触れておこうと思います。 世の中にはそうしたものに違和感を感じている人も多いと思いますが、それでも一定数気が狂れたように盲信している人たちもいます。 そうした霊魂系の話は、多少なりと具体的に示し得ないメタ領域的な要素を含んでおり、具体論で論駁しても示し得ない領域のため決着がつきにくかったりします。そして、なぜかつじつまが合っているようなこともあるのでさらに論駁がしにくかったりもします。 また

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起こった出来事に対する処理と今後の予防

社会における物事の善悪や正義的な判断には、処理と予防という視点が必要になります。いわば非難する側される側といった人達の間にある紛争においても「起こった出来事に対する処理」の意味合いと「今後の予防」としての観点を検討するのが一番です。 そしてその対象範囲を個人間という範囲、そして社会全体という範囲、それぞれで俯瞰しておくとすぐに解決するはずです。そうしたメリットを知ってか知らずか、こうした点はかつて暗黙の了解的であった印象があるのですが、あまりにも自己という視点のみしか見えていないような印象を受けました。 単純には言

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頻発した自転車トラブル

令和に入ってからというもの、家族たちに若干のトラブル的なことがよく起こりました。といっても自転車トラブルで、一方的に被害を受けるような感じのことばかりです。 それもなんだか変な感じで、一昔前ならあまり起こり得なかったような事柄ばかりです。少し全体を見れば問題点もすぐに発見できそうなことばかりで、いかに加害者が近視眼的かということがよく分かるような事例ばかりでした。 ― 以前までは前に出てこなかった人たちが変に前に出てきたり、責任感があったであろう人たちが責任回避をしだすという部分などが影響しているような気がします。

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物事の完璧さプロの定義

物事を完璧にこなそうと思っても、やはり多少はアラが出ます。 完全な状態を目指すというのはいいですが、あまり根を詰めるとその分緊張するので、結果的にミスを生み出してしまったり、カリカリして空気が悪くなったりして物事がうまくいかなくなってしまうことがあります。 ― 小学生の時はテストが簡単だったので「100点中100点でクリア」という感覚でした。が、中学生くらいになってから、平均点云々の話になり、テストは100点じゃなくても良いという感じだったので、「そうかぁ、100点じゃなくていいのかぁ」ということを知りました。 そ

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目の痛みによって体がパソコンから逃げる

どうも昔から何事もスイッチが入るとやりすぎる傾向にあり、今までの間も何度か「過労によって体が震える」というような感じを経験しています。 先日から、公私共に気持ちだけはずっと前のめりでしたが、目が限界に来たようで、体がついてこないというか、パソコンなどの光から体が逃げるという感じになりました。 先日読んだマキバオーにちなみますが、感覚的にはラストの直線で一杯になった競走馬のような感じです。 以前に雪目になった時に日差しによる目の痛みを経験したので、この季節は好きでもないサングラスをかけることにしていて、多少目の痛みは

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第1500回投稿記念

これで1500記事目になります。ブログ創設から1500回目の投稿ということで「第1500回投稿記念」です。 前回の第1400回投稿記念は、2018年12月2日で、前回からの100記事は、半年くらいかけて投稿したという感じです。通常投稿ばかりだとやはり緩やかですね。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。たくさんの気づきがありました。 それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状況から投稿記念の回を進めてい

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動物愛護からみる人のあり方

動物保護と虐待といったコントラストによって、倫理的な人のあり方が見えてきます。 「Finn’s Lawと動物保護の意識」で触れていた「フィン」の活躍の動画を観ていると、関連動画で動物保護団体の活動の動画が出てきました。 すると関連動画で日本語で再編集された動画が出てきたのでいくつかご紹介しておきます。 動物を虐待するのも人間なら救うのも人間です。 それを見た時、トルコにてぼったくりバーで胸ぐらを掴んできたのもトルコ人なら、バスの休憩時間に紅茶をおごってくれたのもトルコ人だったことを思い出しました。詐欺を働きかけてこ

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みどりのマキバオー

突然現れたマキバオー

ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。 するとその日は一日「んあ?」という感じになります。 走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、やはり登場馬の名前を忘れていない自分がいました。 なんだかんだで僕たちが小学生の頃はダビスタとみどりのマキバオーの影響によって、小学生ですら競走馬の血統を語れるくらいの時代でありました。

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Finn’s Lawと動物保護の意識

つい一ヶ月くらい前のことですが、BBCによると、イギリスで動物保護法の改正案が上院でも可決され、ひとまずイングランドとウェールズで適用されるようになったようです。 Finn’s Law: Stabbed police dog law given Royal Assent Finn’s Law(フィンズ・ロー)と呼ばれるこの改正案は、内容としては、警察犬を傷つけた場合の適用法が器物損壊罪のみであったところを、動物保護法の上で罰することができるようにするためのものです。 外国法なので詳しくは知り

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うさぎのファミリー認定と食による馴致

養子のうさぎが教えてくれたファミリー認定の厳しさについてでも触れていきましょう。 うさぎが亡くなってしばらくが経ちますが、彼のファミリー認定が著しく厳しかったことを思い出したりします。 これは、愛情表現として舐めてくるという行動をすることをもってファミリー認定と考えた場合、その認定基準がかなり厳しく、末期に世話をしていた父や母ですら最後まで舐められたことがなかったという感じでした。 その線引が一体何だったのかを考えると、やはり下の世話あたりになるのではないかということを思ったりします。 元気な時であれば小屋の掃除、

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平成から令和へ 一応振り返る平成

令和になりました。平成から令和に変わったので、「一応振り返る平成」といった感じでちょっとだけ平成について思い返してみようと思います。 こうしたタイミングに反応するというのも微妙ですが、一応数十年に一回なので触れていこうと思います。 ひとことでも触れていましたが、僕は昭和生まれなので、昭和・平成・令和を経験していることになりますが、僕より年上の人たちは昭和を経験しているので僕たち世代だけが特別なわけでも何でもありません。昭和から平成とか、世紀末・ミレニアム・21世紀という節目もあったので、あまり盛り上がりません。また

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偉大なるセキセイインコのプーコちゃん

この季節、春から初夏にかけての陽射しを浴びると、セキセイインコのプーコちゃんのことを思い出します。プーコちゃんはメスのインコであり、僕にとってはお姉さんのような存在でした。 人生で一番誰かを応援した瞬間は、今でもプーコちゃんが卵を産んだ瞬間です。諸手を挙げて応援していていました。 その時産んでくれた卵は無事に孵り、ひなが生まれました。 大好きなピーコちゃん(オス)とプーコちゃんの子どもです。 ピーコちゃんにお嫁さんがやってきた 小学生の頃、ある時家の近くの会社に勤めるおばさんが、メスのセキセイインコを連れてやってき

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あまりに無防備なモンカゲロウ

先日、家の裏にカゲロウがいました。モンカゲロウです。 弱すぎる上に短命なことで有名なカゲロウですが、幼虫の時は水中で生活していて、亜成虫という不完全変態を経て自然界最弱級の成虫になるという感じです。 しかし「水辺でも何でも無いのに何でこんなところにいるんだ?」という感じです。 きっと車とか自転車とかに張り付いたりなんかして移動してきたのでしょう。 きっとそんな感じでやってきたであろうモンカゲロウは、天敵に対して「どうぞ発見してください」と言わんばかりの目立つ場所にいました。 「保護色という考え方はないのかね?」 と

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倒木しても満開になった「奇跡の桜」桂川

倒木した桂川~天神川の桜と社会

先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟しながら桂川の方に行きました。 桂川と天神川が合わさる手前の場所で、厳密に言うと天神川の方なのですが、やたらと人が多く、「うーん…まあ仕方ないだろう」と思っていました。 桜並木の方に行

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骨格と装飾と問題

文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚といったように、美術なら視覚といったように、どの次元で表すかとかどの次元で捉えるかというだけの違いで本質的にはそれほど違いはありません。 骨格となるものと装飾的な部分についての差は、文章で

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爆笑して起きてしまうゆかいな夢

僕は今なお夢に爆笑して起きてしまうことがあります。 月に一度以上はそんな感じで起きてしまうのですが、ゆかいな夢で爆笑し、愉快な気分で目が覚めます。 つい先日は、養子のうさぎやインコのピーコちゃん、ガチョウの雪雄や鹿の王などを筆頭とした仲の良い動物や鳥、以前に保護したアシナガバチや逃した米びつ虫をはじめ、ひっくり返っているところを起こした虫たち、宝ヶ池の鯉たちなどの魚類、家に現れたヤモリなどの爬虫類、それに家にいる植物たちなど、ありとあらゆる生き物たちに全身を覆われ、愛情表現的に舐められたり体を這われたりしながらくす

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