カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

みどりのマキバオー

突然現れたマキバオー

ゴールデンウィークのある日、起きた途端に頭の中で「走れマキバオー」が流れ始めました。 するとその日は一日「んあ?」という感じになります。 走れマキバオーを観ているだけで、マキバオーやカスケードはもちろん、「あ、モーリアロー」とか「サトミアマゾン!」「アマゴワクチン!」「んー・・・ニトロニクス!」「ベアナックルやん」という感じになり、やはり登場馬の名前を忘れていない自分がいました。 なんだかんだで僕たちが小学生の頃はダビスタとみどりのマキバオーの影響によって、小学生ですら競走馬の血統を語れるくらいの時代でありました。

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Finn’s Lawと動物保護の意識

つい一ヶ月くらい前のことですが、BBCによると、イギリスで動物保護法の改正案が上院でも可決され、ひとまずイングランドとウェールズで適用されるようになったようです。 Finn’s Law: Stabbed police dog law given Royal Assent Finn’s Law(フィンズ・ロー)と呼ばれるこの改正案は、内容としては、警察犬を傷つけた場合の適用法が器物損壊罪のみであったところを、動物保護法の上で罰することができるようにするためのものです。 外国法なので詳しくは知り

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うさぎのファミリー認定と食による馴致

養子のうさぎが教えてくれたファミリー認定の厳しさについてでも触れていきましょう。 うさぎが亡くなってしばらくが経ちますが、彼のファミリー認定が著しく厳しかったことを思い出したりします。 これは、愛情表現として舐めてくるという行動をすることをもってファミリー認定と考えた場合、その認定基準がかなり厳しく、末期に世話をしていた父や母ですら最後まで舐められたことがなかったという感じでした。 その線引が一体何だったのかを考えると、やはり下の世話あたりになるのではないかということを思ったりします。 元気な時であれば小屋の掃除、

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平成から令和へ 一応振り返る平成

令和になりました。平成から令和に変わったので、「一応振り返る平成」といった感じでちょっとだけ平成について思い返してみようと思います。 こうしたタイミングに反応するというのも微妙ですが、一応数十年に一回なので触れていこうと思います。 ひとことでも触れていましたが、僕は昭和生まれなので、昭和・平成・令和を経験していることになりますが、僕より年上の人たちは概ね昭和を経験しているので僕たち世代だけが特別なわけでも何でもありません。昭和から平成とか、世紀末・ミレニアム・21世紀という節目もあったので、あまり盛り上がりません。

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偉大なるセキセイインコのプーコちゃん

この季節、春から初夏にかけての陽射しを浴びると、セキセイインコのプーコちゃんのことを思い出します。プーコちゃんはメスのインコであり、僕にとってはお姉さんのような存在でした。 人生で一番誰かを応援した瞬間は、今でもプーコちゃんが卵を産んだ瞬間です。諸手を挙げて応援していていました。 その時産んでくれた卵は無事に孵り、ひなが生まれました。 大好きなピーコちゃん(オス)とプーコちゃんの子どもです。 ピーコちゃんにお嫁さんがやってきた 小学生の頃、ある時家の近くの会社に勤めるおばさんが、メスのセキセイインコを連れてやってき

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あまりに無防備なモンカゲロウ

先日、家の裏にカゲロウがいました。モンカゲロウです。 弱すぎる上に短命なことで有名なカゲロウですが、幼虫の時は水中で生活していて、亜成虫という不完全変態を経て自然界最弱級の成虫になるという感じです。 しかし「水辺でも何でも無いのに何でこんなところにいるんだ?」という感じです。 きっと車とか自転車とかに張り付いたりなんかして移動してきたのでしょう。 きっとそんな感じでやってきたであろうモンカゲロウは、天敵に対して「どうぞ発見してください」と言わんばかりの目立つ場所にいました。 「保護色という考え方はないのかね?」 と

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倒木しても満開になった「奇跡の桜」桂川

倒木した桂川~天神川の桜と社会

先日、桜の季節ということで桂川の方に行きました。 いつもの菜の花スポットですが、そこには桜並木があり、ほぼ毎年のように行ったりしています。しかし、桜の季節は比較的人が多いので、桜が散った後に菜の花を見に行くことが多いという感じです。 ただ今年はちょうど桜が満開の時期に暖かい晴れの日が訪れてタイミングも良かったので、多少の人の多さを覚悟しながら桂川の方に行きました。 桂川と天神川が合わさる手前の場所で、厳密に言うと天神川の方なのですが、やたらと人が多く、「うーん…まあ仕方ないだろう」と思っていました。 桜並木の方に行

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骨格と装飾と問題

文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚といったように、美術なら視覚といったように、どの次元で表すかとかどの次元で捉えるかというだけの違いで本質的にはそれほど違いはありません。 骨格となるものと装飾的な部分についての差は、文章で

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爆笑して起きてしまうゆかいな夢

僕は今なお夢に爆笑して起きてしまうことがあります。 月に一度以上はそんな感じで起きてしまうのですが、ゆかいな夢で爆笑し、愉快な気分で目が覚めます。 つい先日は、養子のうさぎやインコのピーコちゃん、ガチョウの雪雄や鹿の王などを筆頭とした仲の良い動物や鳥、以前に保護したアシナガバチや逃した米びつ虫をはじめ、ひっくり返っているところを起こした虫たち、宝ヶ池の鯉たちなどの魚類、家に現れたヤモリなどの爬虫類、それに家にいる植物たちなど、ありとあらゆる生き物たちに全身を覆われ、愛情表現的に舐められたり体を這われたりしながらくす

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ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのか

ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのかという点についてフロイト的にでも触れていきましょう。 世間では、あることを面白いと思う人がいる一方、そのことを面白くないと判断する人たちもいて、両者の中で軋轢が生まれたりもします。その様子自体が若干面白いのですが、無駄な争いですし、「この心」として怨憎会苦を得ないためにも、その構造を理解しておいたほうが良いのではないかということを思いました。 笑いの要素は、緊張の緩和や間や特異性など多岐にわたりますが、重要な要素として「抑圧の解放」という要

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祝五周年

本ブログも五周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1480記事目になります。今回も祝四周年の時と同様に、単純に祝五周年というタイトルです。 「五年経つとこんな感じになっているのか」という感じです。 祝四周年の時点で、1140記事だったのでこの一年で340記事を書いたことになります。書庫の増設等もありましたが、この一年もまあまあ書いた方になるのでしょう。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、あ

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日々を彩るアウラと駄アウラ

なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子について触れてみます。 「駄アウラ」とは僕が勝手に呼んでいるものですが、元はアウラから来ています。駄菓子から得ることが多いので駄アウラと呼んでいます。 アウラの喪失 「アウラ」は、ヴァルタ

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ピアノの先生と幼き日の弱さ

なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。 きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。 最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。 なぜならピアノ教室の先生と合わなかったからです。 あと幼い頃にはありがちですが、小指等々の指の痛みが辛いという部分もありました。 しかし嫌々ながらも六年生まで通うことになります。 その理由は幼き日の僕の弱さにありました。

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内発性と自発性

一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと称しながら、人をマインドコントロールしようとする人たちがいます。新入社員研修などでもありがちです。 その内発的動機づけという言葉における内発的という言葉は、おそらくアリストテレスが言っ

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谷野杢蔵(歌の勝ち負け)

ついでなので、いかにも昔話的で、できれば日本昔ばなしでやって欲しい感じのお話もありましたのでご紹介しておきます。 現在ところ検索しても一切出てこない感じなので、おそらく「まんが日本昔ばなし」にはない作品だと思います。もしタイトル違いなどで類似作品があったら誰かに教えていただきたいくらいです。 三人馬鹿に引き続き、もちろん今回のお話も、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中のお話であり、投稿の中でもタイトルだけご紹介していた谷野杢蔵(歌の勝ち負け)です。 爆笑する系ではありませんが、いかにも昔話の雰囲気があり、

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三人馬鹿

古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。 それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。 そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。 民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を構築するにはロジックの揺れを押さえる必要があります。 子供相手にはちょうどいい論理展開ですし、それに加えて認知バイアスの問題も含まれているということで、分解すると奥深い感じになっていま

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その時間を無かったものとして扱う人たち

世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは、その時間に来ていた人たちの待ち時間というものをまるで無かったかのように扱っているということになりますし、残業代を支払わないということは、働いた人の時間、働いていた時間を無かったものと

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宝ヶ池のガチョウ 雪雄

宝ヶ池のガチョウ「雪雄」

「雪雄」は京都市左京区の宝ヶ池にいたガチョウです。長年宝ヶ池公園のアイドルだったガチョウの雪雄は、2017年1月9日に亡くなりました。 宝ヶ池のガチョウ「雪雄」の写真などをまとめておこうと思います。ひとまず「ひとこと」に分散していた画像をまとめつつ少し追加してみました。 宝ヶ池のアイドル、ガチョウの雪雄。 なお「雪雄」という名は僕が勝手に呼んでいただけですのであしからず。 かなり前から一応知っていましたが、はっきりとコミュニケーションを取るようになったのはこの写真の頃からです。昔はガチョウが2羽か3羽いたような記憶

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虚しさの先にある安穏

経験の始まりと終わりを明確に捉えて区切ることはできませんが、終わりに生じる結果を観察していると、たいへん虚しい気持ちになってきたりします。 それはいわゆる諦めのようなものとは違っています。 一見虚しいような感覚にもなりますが、それでも憂いはありません。 なぜなら単なる虚しさには奥に期待があり、期待なき一種の虚しさには安らぎしかないからです。 でもその期待のなさは、諦めとはまた様子が異なっています。 ― 「名とすべて」の時と同様に雑記第200投稿目記念として、あまり理解できないかもしれないような感じふわふわと書いてい

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日々必要となる大量の飲み水

僕が日々特に必要としているもの、それは大量の水です。 小学生の頃から水を飲む量が人よりも断然に多く、その影響で腹痛がよく起こっているのではないかと思うほどです。 義務教育的ですが、厚生労働省でも「健康のため水を飲もう」推進運動というものを行っているようですので、ついでにご紹介しておきます。 「健康のため水を飲もう」推進運動(厚生労働省) 「喉の渇きは脱水の証拠」という感じですが、僕は本当に昔から水分摂取には余念がありません。 夏は6リットル、冬は3~4リットル 夏場はだいたい毎日6リットル、冬でも3~4リットルは水

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園長先生のクレヨン

つい先日のことですが、カール・ラガーフェルド氏が亡くなられたそうです。 かなり前からカール・ラガーフェルド氏を知っているような口ぶりですが、その存在と名前が一致したのは去年の夏頃でした。 真鍋島で船の運行がイレギュラーになり、出戻り後に次の便を待っている間、テレビ画面にコシノジュンコ氏が登場していたのでそれを見ていました。 その話を父にすると、カール・ラガーフェルド氏の名前が出てきたという感じです(既に廃業し引退していますが、父はそうした業界にいました)。 ということで昨年知ったのですが、父は以前カール・ラガーフェ

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おばあちゃんの梅干し

梅の花が満開になる季節です。 梅・桃・桜といったバラ科サクラ属の花々は、順序よく咲いていきますが、僕は昔からやたらと騒がれる桜よりも梅の方が好きだったりします。もちろんすべての花が好きですが、強いて言うなら開花する順番通りに梅・桃・桜といった順に好きです。 さて、本題であるおばあちゃんの梅干しです。 今年のはじめ福井県に行きましたが、そこで大量の梅干を買いました(「ひとこと」で少し触れていました)。 なぜなら、おばあちゃんの梅干しを95%くらいの再現率で再現したような味だったからです。 おばあちゃんが亡くなってから

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変化する怪物と四半世紀の混乱

先日夢の中で、なぜかリヴァイアサンが出てきました。リヴァイアサンといえばトマス・ホッブズの「リヴァイアサン  あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」でもありますが、僕たち世代としてはファイナルファンタジーシリーズに登場する幻獣のイメージが強い感じです。 一度必然的に出てきた流れは止めることができず、その変化は安定するまで必ず混乱を招きます。 そしてその混乱期間としておよそ四半世紀くらいが目安になるというようなことが、何故か夢の中でリヴァイアサンの形をしててきたわけです。 さらに起きてから干

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八割方はすぐに叶う時代の一眼レフカメラ

技術が進むにつれて、ある程度の地点までは誰でも簡単にたどりつけるようになっていきます。その裏では素人目には理解不能なレベルでのすさまじい高度な技術が組み込まれていたりします。 素人が簡単に操作できるとすれば、その簡単さに応じてその裏にある技術のレベルは高いものになっています。 そのような感じで、以前まではプロの領域だったものであっても八割方はすぐに叶う時代になってきたりしました。 それはプロの価値が下がるということではなく、ラスト二割の価値がより高まったということでもあります。 八割方までは、技術がサポートしてくれ

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虚飾や虚栄を支える他人の目

「虚飾や虚栄を支える他人の目」ということで、見た目で態度を変える人たちについて、そして、それが影響し虚飾や虚栄を繰り返してしまう人たちの意識の中身を少し覗いてみましょう。 背伸びをすること自体は、自分自身が背伸び後の自分に合わせるようになるという流れを作るため良いふうに働くこともありますが、たいてい不足を発端とした虚飾や虚栄は悪い方にしか働きません。そして、より高い地点にいる人達に笑われることにもなりかねないのです。 その笑いが微笑ましいというものになる時もあれば、馬鹿にされるという時もあります。その差は概ね「モテ

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