情報を触ることと散らかりをまとめること
6月の半ばくらいから僕は本格的に毎日機嫌の良い毎日を過ごしています。 しかしながら、暑さのせいもあるのか周りの機嫌が良くないときがあります。 「知らん」といえばそれまでですが、機嫌が悪い人をよくよく観察してみると、単に意識が散らかっているだけではないかと思ったりもします。 最近特に実感しているのが、傲りでも何でも無く8割以上の人たちに
一種のタイムライン
客観的に見るとだめなところもたくさんあるはずですが、アメリカはあらゆる面においてずっとトップです。勝手な定義ですが、アメリカが世界で一番であり続ける理由は、単にクリスマスに「It’s a Wonderful Life(素晴らしき哉、人生)」を放映しているからという理由だけだと思っています。 最初に観たときから、次に観るのは
家族を成り立たせようとする子どもの気持ち
家族を成り立たせようとする子どもの気持ちはわかるでしょうか。 両親のどちらのことも大好きで、その関係を成り立たせようと気を使う子どもの気持ち。 親の機嫌が少しでも良くなればと無理をする子どもの気持ち。 「機嫌が悪いのは当たり前だ」というのは居直りの場合があります。 ある時、妻に少し説教のようなことをして、妻が悲しそうな顔をした時、まだ
友人たちの離婚ラッシュから見えるもの
「友人たちの離婚ラッシュから見えるもの」ということで、ここ数年の友人たちの離婚が相次いでいることから、今生きている自分の意識について変な角度から触れていこうと思います。 実際に離婚経験がないのは僕だけで、男女問わず仲の良い友だちは全員離婚しています(その後再婚している例もあります)。唯一親友だけが婚姻を継続していましたが、その最後の一
秘めたる力
本調子どころかさらに力強くなった僕は、物事を強烈に展開させています。厳密に言うと自我としての「僕」が展開させているのではないのですが、主観的感覚としてはそのようになっています。 最近気づきましたが、調子が狂う原因の第一番目は「睡眠不足」ではあるものの、慢性的な「話が通じない人とのやり取り」というものがその次くらいにくるのではないかと思

プラネタリウムを観るという夢
先日、妻と娘と三人で青少年科学センターに行ってプラネタリウムを観るという夢を実現してきました。これは昔からの夢です。 娘と青少年科学センターに行くのは二回目ですが三人でとなると初めてです。 ただ、行く前に少し、 「家族みんなでプラネタリウムというのも、冷たい熱帯魚の社本みたいで嫌だな」 となりましたが、関係なく向かうことにしました。

情報のかたまりとの付き合い
情報のかたまりとの付き合いについて触れていきます。 結局意識の向きだけで経験することは決まっていきます。 経験に思考も感情も関係はありません。 ある情報のかたまりに意識の向きを向けると、比喩的に表現すればエネルギーを吸い取られます。 そして、その情報のかたまりは何もしてくれません。 それそのものの意志の方向があるだけです。 たまに同調

日々のリズム
先日起業家モードに突入してから、「おやおや怪しいぞ」と思って近くの内科に行くと 「過労です」 と言われてしまいました。 「とにかく寝てください」 という指導を受けました。 なので最近は早く寝ています。 「眠れないと時間を無駄にしているようで腹が立ってくるんです」 というようなことを言うと 「きちんと寝て日中にものすごく動いてください」

ぼーっとして固まった思考の動きをリセットする
「ぼーっとするな」というようなことを言う人がいます。 確かに何か仕事をしているときなどは、別のことに気を向けてもらっていては問題が起こります。 しかし具体的な何かに意識を集中していると、そればっかりに考えが集中してしまいます。 気がかりなことがたくさんあると、それらについても考えてしまいます。 そのような時は、徹底的にぼーっとします。
白詰草の花冠
お金がなくて、売るものもなくて、近くに生えていた野草を摘んでちょっとした花束にして「誰かが買ってくれないだろうか」と思うようなイメージが浮かんでくることもあります。 それはそれでいいんです。 それをちょっとした飾りにしたら、お店に人が入ってくるだろうか、なんてな期待をするというのもいいんです。 「ああ、お金にはならないか」と諦めるとい

一切の期待を手放して命がけで逃げる
一切の期待を手放して命がけで逃げる、逃げるなら本気で逃げるということをしてみるとよいのではないかと思う時があります。 逃げると言っても何かしら期待を持っている時は本気で逃げてはいません。 本気で逃げるとどうなるのかというと、そのうち意識が「なんでも来い」というような方向に変わります。 しかし、「意識がそうした方向に変わったら改めて取り

やわらかな陽の中で
陰と陽が統合された感覚を得てから、法人設立当時の感覚が続いています。何かしらの結果が出ても出なくても楽しいような感じですね。 そしてやたらといろいろな人とよく接するようになりました。 宅急便のお兄さんにすら「集荷の電話受付がAIのやつになってましたね」などと声をかけたりしてしまいます(ちなみにAIのやつは何も便利なものではなく、時間を

思い切り不足の時の処方箋
おそらく誰しもに「自分にしかわからない感覚」があると思います。また自分なりの思い切り不足への対処法があったりもすると思います。 春のこの時期は、同じような気持ちになりやすいのでしょうか、「how are you? 」と「 ささやかな」を聴いてしまいます。2018年の投稿「春の感傷」もちょうどこの時期です。 まあ面白いものだなぁと思いま
独り歩く夜道で出会った陰と陽
昨年は数え年で42歳厄年。ということなのか、昨年はなかなか散々な目に遭いました。その後日に日に良くなっていますが、たまに散々な目に遭うことがあります。それを無理に明るく解釈しようとすると、もっとおかしくなります。 特に陰陽にこだわりのようなものはありません。 しかしながら、誰かが流行らせたのか、世の中ではある時からやたらと「ありがとう
ふたり絵本クラブ
若いときは想像もしていなかったことのひとつが、娘との「ふたり絵本クラブ」です。 絵本の読み聞かせに関しては、お腹の中にいる時から(声を覚えてもらいたかったのです)ですが、その後も一日最大5時間(英才教育的なものを強要しているのではなく、強要されているのは僕の方)の読み聞かせを繰り返し、結局は絵本の創作をするというところに落ち着いていま

祝十一周年
本ブログもついに十一周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2259記事目になります。今回は、単純に十一周年というタイトルです。 祝十周年の時は2181記事だったので、この一年で80弱くらいの投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方

「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性
結局のところ、女性というものは基本的に支配欲の権化であり、僕は、この「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性をこの人生のうちの男としての人生の最大の目的にしているフシがあります。 「身の周りの他人を支配し、自分で勝手に決めた理想、自己実現を叶える」 具に観察するとそのようになっています。 「他人を支配して」いかにサボるか、「他

消えていく中の懐かしさ
そういえば比較的最近The pillowsが解散したようです。それだけでなく昨年からいろいろなものが終りを迎え、消え、新しい風景に変わっていったりしています。 娘としても「病に倒れる前におばあちゃんとよく行った思い出の店」が閉店して工事をしている風景を見て、喚くわけでもなくショックを受けたように静かに涙を流したりすることがありました。

狂人たちの中にいて狂人にならずにいること
狂人たちの中にいると、狂っていないはずの自分がおかしな存在として扱われ、彼らと同じような狂人にならないと不快感が生じてしまうというような同調圧力がかかることがあります。 古くは中学生時代の体育会系的な圧力、その後も脳筋要素が強かった勤め人時代の職場もそんな感じでした。 最近では、介護関連でよく狂人に出くわしました。 狂人は狂人であるこ

吠えたける悪魔の取り扱い説明書
「吠えたける悪魔」はどこにいるかというと、結局は自分の内側にいます。 その構造を分解して考えればすぐに見破ることができます。 例えば、僕が父の中にいる「吠えたける悪魔」を浴びて何かしらの嫌な思いをしたとすれば、その嫌な思いという情報、「父をはじめとした家族との関係性において生じた何かしらのもの」がその本体になるわけです。 人を通じてや

デコピンで終わり
強くなるということは、大きくなるということです。 大きくなるということは、囚われないということです。 ー 時に、「どっちの選択が囚われないということなのだろう?」という難題がやってきます。 「どっちの選択をすることが『囚われていない』ということになるのだろう?」 というような感じですね。 そんな時は、「どっちの選択をすることが『囚われ

私の厄払い
厄年というものは「役がつく」などと言われたりします。それはそれでいいですが、昨年の本厄は、のしかかってくるものが大きすぎて相当縮こまってしまったような気がします。 ということで世間では神頼み的に厄払いをしたりもするようですが、僕は単に休養によって厄払いをしました。 しかしながら、きっかけがあります。 それは年始に親友が我が家にやってき

バンジージャンプ的な思い切り
最近親友がマカオタワーにてバンジージャンプをしてきたそうです。 飛ぶ前は震えが来るそうですが、飛んでからは何ともないということのようでした。 本能的な恐怖の反応は出ます。 しかし頭では一応かなりの確率で大丈夫だということはわかっています。 そんな中でも、一緒にその場に行った全員が尻込みし、彼だけがバンジージャンプを楽しんだということの

休養と加速
個人的には昔から年に数回ショートバケーション的なものをちらほら挟むようにしています。とはいっても、そうしたものを取りにくい状況が続いていて、なかなか実現しませんでした。 今回の年末年始を中心に休んでみようと思いつつも、家族というものの存在すら本来の孤独的な休息にはならないので、あえて仕事を遅めから開始することで強制的に休むことにしまし

父への評価と仕事や資産
よく父との仲や父への評価と仕事運や金運は大きく関わっているというようなことが言われます(なお、お父さんがいない人は、対象は父性の象徴になるというだけです)。 確かに過去を振り返ってみたり、今現在でも周りを見渡すと「不本意なフリーターのような状態や引きこもりニートになっている人(主に男性)」はたいていそのお父さんを嫌っています。 もちろ

弱気と縋り根性の破壊
毎年、年末年始には親友と遊ぶことにしています。彼とは四半世紀という長年の付き合いの中でお互いの「自分では見えない部分」の情報の歪みを矯正し合っています。 今年も例年のごとく彼がやってきて、「自分では見えにくい悪しき情報」の抽出を行ってくれました。 前回の「他人の都合と抵抗」における「他人の空間に引っ張られる」とはつまり一種の「弱気と縋

他人の都合と抵抗
他人の都合というものは厄介なものです。 何が厄介かと言うと、時に「自分を尊重する」というものと「相手を尊重する」というものがぶつかるからです。 抽象化して統合された都合を発見できればいいのですが、相手が狂っていたりすると、相手の都合ばかりが迫ってきたりします。 そうした感じで迫られた時に、「相手の都合や状況も理解できるからなぁ」と思っ

顔の好みを超えた本能レベルでの拒絶
大変失礼なのですが、僕は人生で数回、女の人の顔を見ただけで吐きそうになったことがあり、一度は本当に目の前で吐いてしまったことがあります。 容姿の美醜というより、好みの顔ではないというものが大きく、理性で考えると「個人的感想として、美しいというわけでもないが、その人の顔を好む人もいるだろう」というような感じだったりもします。 本当に「本

新年 2025
あけましておめでとうございます。 2025年になりました。 元日は例年のごとく白味噌の雑煮を食べました。 ちなみにこの白味噌ですが、たいていスーパーでは主に二種類の白味噌が売られています。この時、「四条堀川らへんの白味噌」を選ばないと「スプーン7杯でこの白さ」的な騙しを食らうことになります。 きゅうりの古漬け そういえば年末に正月準備

さよなら2024
2024年が終わります。12月生まれということで41歳になりました。数え年で42歳厄年です。流れ作業についていけるかもしれない、黒夢のファンでございます。 ということで、2024年の思い出についてでも触れていきましょう。 数々の「試練」 今年は数々の試練を与えられるような年になりました。 試練感にはいくつかの「山」があり、それぞれなか