カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

何かが切れる瞬間

寝て起きてしばらくしてまだまだボーッとしている時、変な気がかりが起こることがあります。たいていはすぐに何とも無くなるのですが、稀にすごく嫌な気分になることがあります。 しかしそんな時は、ほとんど必ずそのすぐ後に何かが切れます。切れる瞬間が明確にわかるような感じで何かが切れます。 そしてだいたい何かに没頭することになります。その間嫌な気分になることはありません。 そういうわけで嫌な気分は一瞬だけであり、それで終わりです。 変な感じなのですが、怒りの対象ではなく嫌な気分に対して怒りが生じるという感じです。 ほとんどは仕

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同情と共感

同情と共感についてまとめておきます。同情と共感は似ていますが、己の心にどう影響するかが全く違うので、似て非なるものとしてその違いについても触れていきます。 英語的な話をすると「同情」は「sympathy」であり、「共感」は「empathy」と言う感じになりますが、もちろんそれが心理学者なのか哲学者なのかといったことを筆頭に、その言葉を扱う人達によって若干の定義は違ってくるでしょう。 しかしながら、概ね同情は、相手の感情に同化し一緒に感情を味わうこと、共感は、相手の感情を理解することといった感じです。 同情とは、主に

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曖昧さのもつ力

抽象的で曖昧な言葉ほどものすごい力を発揮したりします。 言葉が抽象的である場合、その分だけ包括する概念の範囲が広く、解釈可能性もたくさんあるということになります。 ただ、具体性からは逆行することになるので意味を捉えにくくなるということになり、その分だけイライラするということもありますが、やはり曖昧な言葉は凄まじい効力を持っていたりします。 「明確に示さねばならない」と思えば思うほど、現実の展開はうまくいかなくなったりもします。 日常で言えば、「私はモテるのだ」と心底思っておけばその自信が本当のモテをもたらすのに、「

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人を信用することと人間不信

「人を信用することができない」 ということが人を苦しめる最たるものの一つです。 しかしながら、何事も信用し切ることはできませんし、かといって一切の信用がなければ社会生活はままならないという構造になっています。そんな中「信用しようとすること」自体が疑いを含んでいるため理屈の上でどう考えようがその信用問題についてはなかなか答えを導き出すことはできません。 そんな中、それを解決する方向性を示唆したのは、夏目漱石氏の「こころ」であり、その時に受けた衝撃は凄まじいものでした。「人を信用しない」ということに自分も含めるというよ

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縁起が良い動物とか悪い動物という発想

世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。 縁起が良い動物は何か? 縁起の悪い動物は何か? A そんな分類は意味をなさない 単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳しく書いていきましょう。 本能が反応するという仕組み 昔何かで読みましたが、人は大きく「蛇を怖がる人」と「蜘蛛を怖がる人」に分類されるというような感じで、怖がるものの類型というものはある

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僕のもとに帰ってきたドラえもん

いまなお「ドラえもんを観ると目が少年になる」という現象が起こります。 最近はTV版のドラえもんを観たり、「ドラえもん のび太の恐竜」などなど、劇場版のドラえもんを観たりしています 先日は手塚治虫記念館に行きましたが、やはり僕の中では藤子・F・不二雄氏が最も好きな漫画家であり、いつまでもその感覚は残っていて、それは30年以上塗り替えられていません。 少年期の僕にとって「幸せな生活とは何か?」と言うとドラえもんがある生活であり、ドラえもんと共に成長し、ドラえもんがあったからこそ生きてこれたというような感がしています。

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加速するギャップと埋まり難き情報差

思い返すとこの十年くらいで大きく生活が様変わりしたような感じがします。そんな中一番顕著なのが、周りの人とのギャップかもしれません。友人たちを一通り観察すると、その変化が大きく枝分かれしていったように感じます。 社会的な評価基準のようなものが直接的に影響を及ぼしているというわけではありませんが、結局日常どんな生活をしているかで人格の変わり方も異なってくるので、やはり枝分かれする前にあった状態が、その後をある程度方向づけているというような感じがします。 もちろんどのタイミングでどのような変化をするかはわかりませんが、1

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第1300回投稿記念

これで1300記事目になります。ブログ創設から1300回目の投稿ということで「第1300回投稿記念」です。 前回の第1200回投稿記念は、2018年6月30日で、前回からの100記事は、4ヶ月半くらいかけて投稿したという感じです。最近は通常投稿をしていたので、軽いものもちらほらありつつ長文のものが目立つ感じになりました。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。 それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状

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君主論から考えるいじめへの対応と対策

生きる苦しみについて書いたりしたので、わかりやすい苦しみとしての「いじめられること」について考えてみましょう。 以前「なぜ、人をいじめてはいけないのか」で、善悪基準からいじめがいけない理由などについて考えてみてもほとんど無駄ですよというようなことを書いてみましたが、いじめが良いとか悪いとかそうした絶対的な善悪基準や倫理道徳云々はさておいて、自分が不当ないじめにでも遭ったら、それはもう苦しくて嫌であることは明白であり、その状態から脱することは本能的な恒常性として議論の余地無く対応していかねばなりません。 社会全体的な

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不安がもたらす安易な行動

不安がもたらす安易な行動ということで、不安が行動を促し、そうした情動が落ち着くとその行動を終えるという人と、安易な提案では満足できず矛盾を嫌う人たちについて書いていきます。 一時期女性向けウェブメディアのようなものが検索結果を汚染していた時期がありました。盗作のような形の転載が基本であり、安易な内容で不確実なものも数多くあり、信憑性の問題から一気に墜落しました。またそうしたものもちょろちょろ復活していくと思いますが、ここで考えてみたいのがなぜそうしたものに人が集まってくるのかという点です。 性差的に女性は男性よりも

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専門分野への沈黙の強要

小学生の時からずっと抱えている違和感にはなりますが、特に芸術分野などでは、「素人は語るな」とか「素人は手を出すな」的な雰囲気があります。 いくら文化といえど所詮遊びの延長であるはずの美術や音楽の分野において大学などができていったせいで、「しっかりと学んだものしか世に出してはいけない」というような雰囲気があります。 別に誰でも絵を描くことを楽しみ、楽器で遊ぶということをしてもいいはずですし、自由に語ってもよいはずですが、どうもそれが許されないような空気感が出ています。 そんな中近年ではそれが技術的な分野にも浸透し、同

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感情と目の色の変化

目の日なので、感情と目の色の変化についてでも触れてみましょう。 以前、父が激昂した時、目の色が変化したことがありました(僕に対して激昂したわけではありませんが)。 普段は黒い瞳の色が白気味の茶色になったという感じです。そしてあまりに激昂していたので、なだめて横になってもらい、目に手を当ててしばらくすると気持ちも落ち着き、同時に瞳も黒に戻りました。 もちろん僕の目で見た感じの瞳の色だったので、物理的にはどうなのかははっきり知りませんが、感情によって明らかに黒から白茶、そしてまた黒へと目の色が変化しました。 まあ体温や

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耐え難き極寒

寒さというものは辛いものですが、当然ながら寒さという感覚は情報空間にも広がっています。 その寒さの最たるものは、せっかくの演出を台無しにするというようなものです。 そういえばかなり前に「サプライズ」というような言葉について触れた時がありました。そんな事は感情を高めるための粋なテクニックとして何千年も昔から利用されているようなことであるはずですが、あえてラベリングしてしまうことで、せっかくの演出効果が激減してしまうというような事になっています。 先程マーケットインについても触れてみましたが、「プレゼントは何がいいか?

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入力の品質と食事

食べ物の美味しさを最大限に味わおうとするならば、素材や調理法を含めて料理そのもの出来ばかりに着目するのではなく、食べる側の感受性にも着目する必要があります。 受け取り手の集中力が低く、今現在の感受性が低下している状態では、五感の全てにおいて受け取る情報が低下するので、本来の情報よりもかなり低いレベルでしか物事を味わえなかったりもします。 そうしたことを「近代人の養育」で触れていましたが、今回は「入力の品質と感受性」という感じで書いてみようと思います。 それは、音であれば「聴こえる音の周波数の幅」といったような、基礎

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合理化によって失われた分を何かで補う

合理化が進んだ分だけ何かが失われて、その失われた分は何かで補わなければバランスがおかしくなるということで、結局かけているコストの総量としてはあまり変化がないような気がしたりもします。 ということで、便利になってできた余白は何かに使わねばなりません。でないとただ愚化していくだけになってしまいます。 そういえば最近店先で会計時にお釣りの小銭を減らそうと端数を少しだけ出したりすると店員さんが混乱されることがたまにあります。 つまり、暗算力がかなり低下しているということになるでしょう。おそらくその原因となっているものが、電

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動機の奥底が見えればそれを憐れに思う

意識的に行ったことでも無意識的に行ったことでも、その奥底には動機や意図があり、その動機の奥底が見えればそれを憐れに思うようなことがよくあります。 まあ一番わかりやすのは白々しく目を見開いたりしながら「すごいすごいすごーい」を連発していた人でしょうか。女性を囲むため、一種のマインドコントロールテクニックかのような感じで「すごい」を連呼していました。 もちろんその奥には助平心があり「こうすれば惚れてくれるのだ」的なものがあります。安物の心理学で得た浅知恵なのか、経験則的なものなのかはわかりませんが、彼なりの成功法則なの

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腹痛の治し方や急な激痛の和らげ方

腹痛の治し方や急な腹の激痛の和らげ方について触れていこうと思います。 人生で最大の苦痛、最悪な瞬間は確実に腹痛の時だと思っています。 ところが、インターネットで腹痛の治し方などを調べようと思っても、下痢とは、便秘とは、過敏性大腸症候群とは、といった解説ばかりだったりもします。 「ストレスにも気をつけましょう」 「ふざけるな!こっちはそれどころじゃないんだ!」 というのが本音ではないでしょうか? ということで前振りはいいので、急激な激痛の和らげ方などについて書いていきます。雑談は後にします。 食中毒と疑われる場合でな

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テレビを見ない生活

もうかれこれテレビを見ない生活が十数年続いています。家にはもちろんテレビ自体がありませんし、今後も買うことはありません。ということで、自宅でテレビを見るというようなことは一生ないでしょう。 今年の台風で家のテレビのアンテナが吹き飛んでテレビがない生活ということを経験した人も結構いると聞きました。そしてアンテナを直そうにも、復旧工事が殺到していてなかなか順番が回ってこないという感じのようです。そしてさらに、まさにテレビ依存ということなのか、テレビのない生活に耐えられないということで、ひかりTVやケーブルTVを契約する

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今なお印象的な悲劇

先日、シェイクスピアの「マクベス」を読んでいたら、ふとLIVE A LIVE(ライブ・ア・ライブ)の中世編を思い出しました。 マクベスはハムレット、オセロー、リア王と並ぶシェイクスピア四大悲劇のうちの一つですが、それに触発されてか、しばらくの間「人生で最も最初に明確に印象付いた悲劇」である「LIVE A LIVE 中世編」のイメージが頭から離れませんでした。 LIVE A LIVEは、1994年頃のゲームなので僕はまだ小学生でした。 「えー…ストーリーの終わり方でこんな終わり方もあるのかぁ」と幼心にショックでした。

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親友からの宗教勧誘とアンチ宗教の終わり

以前に触れたことがありましたが、僕が膨大な量の書物を読み漁るようになったきっかけは、18歳の時の彼女からの宗教勧誘でした。 もちろんそれだけではありませんが、その時人生屈指の集中力を持って考え、考えた結果宗教の教義に対して「価値観が合わない」と話すと大泣きされたという出来事がその後の人生観を大きく変えてしまいました。 そしてまた近頃になっては、20代の初めの頃に親友に宗教勧誘をされたことを思い出します。 特に思い出す必要もないのですが、ただ単なる春先の思い出を記した「洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳

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体験と精神の薬

手塚治虫氏の漫画の中には戦時中や終戦直後の日本を取り扱った作品がいくつかあり、直接的でないにしろそうした体験を元にしたような描写が各作品に散りばめられたりしています。 社会のあり方や人間のあり方、そして人間以外の様々な生き物との接し方などについて、現代でもいろいろな人が色々な表現で描いたりしていますが、どうしてもリアリティに欠けてしまう場合があります。 それはやはり直接の体験ではなく、言語的・思考的な産物としての意見や感覚を発端としているからではないでしょうか。 動物との違いとして言語による情報の伝達、時に時代を越

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気がつくと目の前にあるという日常とサロメ

ある時家の中である本を読んでいると、その中に安部公房氏の「砂の女」について触れられている部分がありました。 そこですかさず「安部公房の砂の女持ってる?」と聞くと、「目の前にあるよ」と言われてしまいました。 本を読んでいる自分の目の前の本棚にあったのです。 … そして先日、手塚治虫氏の「七色いんこ」を読んでいると、サロメという章がありました。 何の気なしに読んでいたものの、言われて気づいたのですが、居間にぽつんと置いてあった「岩波美術館 テーマ館 第11室 幻想 ファンタジー」の表紙もサロメ(ギュスターヴ・モロー 出

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中途半端な私服勤務

IT系ベンチャーなどなどにおいて、私服勤務で「オシャレに働いている」と思っている人たちの広告写真をみるといつも違和感を感じます。 なぜなら自分たちは「スーツなんて着ない」ということをアピールしているにもかかわらず、縁の太い眼鏡をかけながら、淡色のパンツ、淡色のシャツといったように、全員同じような服を着ているからです。 A. 誰が誰かわからない というのが本音です。 そして、美容・ファッション業界のものはそうでもないのですが、そうしたIT系ベンチャーのような会社の広告用写真や会社案内においては、結局「ビジネス上あまり

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白露の沈鬱

夏の暑さが去り過ごしやすくなるような季節のはずなのですが、どうしても昔からこの季節になるとやる気が無くなります。 20歳前後の頃は、このシーズンによく体を壊していました。 最近では特に体は苦しくないのですが、手足に力が入らなかったり、体が微妙に震えたりもします。 偏頭痛の一種である「頭の内側の痒み」みたいなやつが来るシーズンです。 極端に一日のうちでの気分の乱高下が激しく、少しやる気になったと思ったら30分でそれが終わり、ひたすらしばらく間はやる気が出ないという感じの日々が続いています。 特に何が嫌というわけでもな

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「世界を動かしている」という実感

それが芸術的行為であれ、社会における権力の中の行動であれ、動機をたどると結局は「世界を動かしている」という実感欲しさに人は行動をしていると考えることができます。 その奥にはもちろん「世界をコントロールできるのだ」という、自分の意志の反映の確認という意図があり、そうしたものを求める根本は「世界が自分の意志とは別に動いている」ということに対する恐怖心です。 もちろんここで言う「世界」とは、客観的な世界とイコールではなく、この自我を通した世界、つまり自分の視点で自分が経験する世界です。 意志と表象と音楽 アルトゥール・シ

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