理想主義的な理論は何を推測させるか

理想主義的な理論に最も確実に出会うのは、ためらわない実行者たちにおいてである。なぜなら、彼らはその理論の光彩を自分の評判のために必要とするからである。彼らは、その本能によってそれを摑み、その際全く偽善感を持たない。 曙光 328 前半 自己啓発洗脳組も、ブラック企業営業マンも、胡散臭いコンサルタントも、新興宗教と同じくわざわざ人を騙し

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最後の寡黙

少数の人々は宝物を掘り探す人のような目に遭う。彼らは他人の魂に隠されているものをたまたま発見し、それについて知識を持つ。これはしばしば耐えがたい!われわれは事情によっては、生きている人々や死んだ人々をある程度までよく知り、その内心を突き止めることができるが、彼らのことを他人に語るのは苦痛となる。われわれは言葉ごとに無分別になりはしない

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ひとつの寓話

今年に入ってからですが、久しぶりに手塚治虫氏の漫画を読みました。 もう10年以上も前に一度読んだ作品ですが、改めて読んでみるとやはり今の「後々のキャラ化のグッズ化」を意図していない純化された作品だけに、作者の意志がよくよく染みこんでいると感じました。 手塚治虫氏の「ブッダ」 そんなことで読んだのは手塚治虫氏の「ブッダ」です。 もちろん

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自分の環境を知る

われわれは自分のいろいろな力を評価することはできるが、われわれの力そのものは評価できない。環境はこの力をわれわれに対して隠したり、示したりするばかりではない。― それどころか!環境はこの力を大きくしたり、小さくしたりする。われわれは自分を変化しうる量とみなすべきである。この量の能力は、恵まれた環境の場合、おそらく最高度の能力に匹敵する

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成長しつつある徳

「徳が高い」「功徳がある」というようなことを言語情報として見聞きしても、何の説得力もありません。「あの人は徳が高いことで有名だ」というような情報ですね。それを第三者から聞かされた場合などです。 功徳といったようなものは、そういう一種のプロモーションをしても、実際に会ったりしてしまえば、その人からぷんぷん情報が出ていますから、取り繕うこ

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離れて生き、そして信じる

その時代の預言者や奇蹟を行なう者などになるための手段は、今日においてもやはり昔と同様である。すなわち、僅かばかりの知識と若干の思想と極めて多くの自惚れとを抱いて、離れて生きるという事である。 曙光 325 前半 「離れて生き、そして信じる」ということで苦行や神格化についてでも触れていきましょう。 少し距離を起き、実態を悟られないままに

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俳優の心理学

自分たちが演じる歴史的人物は演技をしているときの自分たちの気分と実際に同じであったと錯覚して、偉大な俳優たちは幸福になる。― しかし彼らはその点でひどくまちがっている。彼らが千里眼的な能力と詐称したがるその模倣力と推測力は、まさしく、態度や、声音や、眼つきや、一般に外面的なものを説明するのに十分な深さにしか到達しない。すなわち彼らから

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第一の天性

現在われわれの教育されている通りでは、われわれは最初に第二の天性を手に入れる。世間の人々がわれわれを成熟した、青年に達した、役に立つと呼ぶとき、われわれはそれを所持しているのである。若干の少数者たちは、それの被いの下でその第一の天性が成熟したまさにそのとき、いつかこの皮を投げ捨てるのに十分な蛇である。大ていの者にあっては第一の天性の芽

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空が暗くなる

晴れやかなところにいると気分も晴れやかになるように、どんより曇り空だとなんだか感傷的になったりする時があります。 陽の光はそれほどに気分にまで影響したりしますが、どんより空が暗くても、それはそれで味わい深かったりします。小糠雨などは絵になります。 といっても、空が暗くなり気圧が下がってくると、心境は少し変わってきます。思うままに情緒だ

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多分医者なしで生きる

病人は、医者にかかっているときには、自分で自分の健康に気をつけているときよりも軽率であるように私には思われる。前者の場合、一切の指令されたことに厳密に関係していれば十分である。後者の場合われわれは、あの指令が目指すものすなわちわれわれの健康を、医者から勧められてするよりも一層良心的に注目し、はるかに多くのものを注意し、はるかに多くのも

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無邪気の危険

無邪気な人間はあらゆる点において犠牲になる。彼らはその無知のために、過度と過度を区別したり、時期を外さずに自分自身に対して用心したりすることができないからである。そこで無邪気な、すなわち無知な若い夫人は、愛情を頻繁に享楽することに慣れ、その夫が病気になったり早く衰えてしまったりする後年には、享楽にひどく不自由するのである。 曙光 32

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傍白(わきぜりふ)

この本のような本は、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくためにある。特に散歩や旅行のときに。人は頭を突っ込んでは、いつでもまた引き出すことができ、月並みなもの何もあたりに見当たらないに違いない。 曙光 454 このブログのようなブログは、読み通したり、読んできかせたりするためにあるのではなく、ひもとくために

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天気について

天気が非常に異常であって、当てにならないと、人々もお互いに信用し合わなくなる。彼らはその上改革好きになる。なぜなら自分たちの習慣を脱しないわけにはゆかないからである。そのために専制君主は、天気が道徳的であるすべての地方を好む。 曙光 320 雨の日は営業に出ずに資料の整理などをした方がいい、と言われることがあります。それ程に天候によっ

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歓待

歓待の習慣の意味は、他人の敵意を麻痺させることである。もしわれわれが他人をもはやさしあたって敵とは感じない場合には、歓待は減る。歓待は、悪意をもったその前提が盛んである限り、盛んである。 曙光 319 歓待(かんたい)は、「手厚くもてなすこと」ということで、「歓迎!」と「接待!」だということですね。まさに「他人の敵意を麻痺させること」

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体系家に注意!

体系家のお芝居というものがある。彼らは体系を仕上げようと思い、それの周りの地平線を完成するので、彼らは自分たちの弱い性質を強い性質の様式で登場させることを試みざるを得ない。― 彼らは完全な、一様に強い性格の人々の役を演じようとする。 曙光 318 一旦体系的に学んでしまうと、その体系からはなかなか抜け出せないものです。自分が教えられた

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夕暮れの判断

終わって疲れているとき、その一日の仕事や、一生の仕事を反省すると、だれでも普通は憂鬱な観察をするに至る。これはしかしその一日や一生のせいではなく、疲れのせいである。 曙光 317 前半 朝は思考が働き、夕方は感情が働く、というようなことがよく言われます。確かに頭は午前中のほうが働きます。しかしパソコン作業は深夜のほうが捗ります。 「な

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弱い宗派

相変わらず弱体であるだろうと感じている宗派は、少数の知識をもった信者を得ようとあせる。そして量の不足を質で補充しようとする。この点が知識階級にとっての少なからぬ危険である。 曙光 316 宗派に限らず何かの思想団体のようなものは、なぜか「仲間を見つけよう」とします。そして数が集まらないならと、強者を集めようとしますが、たまに現れる強者

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