ワンテーマ B層

B層という言葉をたまに使いますが、類語は「ウェーイ」「おもんないグループ」です。念の為に寄せ集めておきます。ウェーイは、「ただのウェーイ」と、最高を最幸と書きたがる「自己啓発洗脳ウェーイ」などに分類されます。このサイトの常連さんは、B層ではないでしょう。

B層の研究

「絆」という言葉が苦手です。寒気がします。僕はB層のことを「ウェーイのやつ」と呼んでいます。震災の募金活動についても寒気がしていました。この違和感の理由を的確に論じてくださっていたのが「B層の研究」でした。

B層の研究

絆という言葉を金融機関までよく使うようになりました。金の切れ目が縁の切れ目、ではなかったのでしょうか。

タイヤの細いチャリとロハスな人

寒気がするのが、スタンドをつけずに、コンビニなどの壁に立てかけることを「カッコイイ」と思っていることや、盗難防止用チェーンを肩から下げることを「オレ流行りの人」と思っていることです。

タイヤの細いチャリとロハスな人

ひとまずチカチカしたライトの角度を調整して欲しいですね。先日は横断歩道の自転車用のところを歩いたら、タイヤの細いチャリのやつに睨まれました。睨むくらいなら、自転車に乗らないことです。

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本当は、友達の数も「いいね」の数も、何の得にもならないのですが、どうも「見せびらかしたい欲」にうまい具合にはまったシステムだと思います。

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「俺、いつもこうだ、何やってもダメだ」というような旨の投稿にもイイねが6件ついていました。異常な世の中です。

おもんなさの加速

それまでのおもんないグループは、目立ちたくても指をくわえて見ることくらいしかできませんでした。それがインターネットの普及により、「発信」できるようになってしまいました。発信することによって、一人で悶々と考えることなく「いいじゃんそれ」が加速するようになってしまいました。しかしそのやりとりが笑われていることには気づいていません。

おもんなさの加速

 おもんないだけならばいいですが、多数決で自分たちは面白いと思っているところが、最も絶望するところです。ただその絶望的なところが、傍は面白いという構図になっています。

青春なんて 改

夕焼けが目の前にきれいに映り出しました。見惚れる間もなく尿意に迫られていた僕は、猛スピードで麓に向かいます。するとウェーイのやつらがゲレンデのど真ん中で横一列で座り込んでいるではありませんか。

青春なんて 改

彼らは、群れる口実になれば、それがスノーボードであれ、サッカーの国際試合であれ、なんでもいいのでしょう。

本当に好き?

たまに「最高」を「最幸」と書いて、「ウェーイ」となっている人がいますが、僕は寒気がします。

本当に好き?

一種の新興宗教です。

われわれのすべてが非理性的である点

感情で動いている人はすごくエンジョイしているかのように見えますが、あちらこちらで沸き起こる感情に振り回されているだけなのだということを本人は知りません。

われわれのすべてが非理性的である点

「あー飲みに行きてぇ!」と思った時は、その衝動がどこから湧いてきたのか、自分の心を探ってみてください。

アイドル志望とハイスタンダード

楽器をまともに演奏できるようになるまでには結構時間がかかります。
つまらなく思えるような反復練習も必要になります。曲を作れるようになるまでは相当の時間がかかります。でも、歌って踊るくらいならすぐに出来るでしょう。

アイドル志望とハイスタンダード

やるのはいいですが、内輪だけにしてみてはいかがでしょうか。

良心問題

ところで、忘年会を望年会と書くのはなぜでしょうか。今年のことを心から亡くして、という趣旨から「夢」のような「希望」のような意味合いに変えればポジティブだ、というようなことでしょうか。

良心問題

ぜひ漢字のテストでバツをもらってください。

笑いと笑うことについて

笑っている人の数が多ければ、その人の方が面白いのでしょうか。どうしても義務教育で民主主義を教えられ、多数決の状況を多く経験するので、感覚が麻痺しますが、社会に出ると一人一票は選挙くらいで、ほとんどの事柄は平等ではないことがわかります。

笑いと笑うことについて

話自体が面白いのか、話を聞いた時の空気感が面白かったのかを考えてみるといいでしょう。たいていの面白く無い話は、それを話してくる人にとっては、その出来事が起こった時や初めて話を聞いた時の空気感が楽しかっただけという場合が多く、その話を人に聞かせて面白い話とするには、その時の空気感を再現出来るだけのスキルが必要になります。

空間感情の学び直し

最高の幸福を自己啓発ウェーイは「最幸」と書きます。それだけで新興宗教のような胡散臭さが拭えません。たしかなことは、最高の幸福は、群れてウェーイすることではありません。

空間感情の学び直し

仮にいまから10年間、誰とも群れられないとして、そこに憂いや渇望が生じるのならば、群によって生じた喜びのような刺激は、幸せだと言い切れるのか、というようなことです。

岸和田少年愚連隊

観てみました、というような流れは苦手です。なぜならブログなどのタイトルが「○○に行ってきました」「○○観てきました」というのはおもんないグループのような気がするからです。俗に言う「踊ってみた、歌ってみた」の類の親類ですね。

岸和田少年愚連隊

「踊ってみた、歌ってみた」の類は、誰かが反応してくれないと病む、というようなことになるならば、やめておいたほうがいいでしょう。ただのコピーにもなっていないコピーを、なぜ人に見せようと思うのか、その衝動の源流を探ってみたほうがいいでしょう。

危機に瀕した者の慰め

派遣村というものがありましたが、「群れて慰めあっている前に、あなたたちは何かやりましたか?」というような疑問が残ります。こういう時に慰めに向かうとき、その方向性は宗教的なものか何かすごいような存在にすがるか、弱者同志で群れ合って強者を非難することぐらいです。

危機に瀕した者の慰め

炊き出しが悪いわけではないのですが、「炊き出し」という言葉に寒気を感じるようになってしまいました。

結婚の偶然

己の心を見張ることなく、飲みに行ったり、ゴルフに行ったり、ごまかしてばかりの人とは距離を置かねばなりません。そういう人は友だちではないというより、関わる必要がありません。

結婚の偶然

そういう人たちは、なぜそのような行動をとっているのか、ということを考えてみるといいでしょう。行動の手前には意志があり、その手前には何かの衝動があります。その衝動は、一体何者なのでしょうか。

ニュース

政治に関する市民団体などがありますが、本当に何かを変えたいのでしょうか。群れて啓蒙活動をしていても何も変わりません。「ひとり一人の意識が変われば」という言葉を逃げ道に使っているだけで、本当は宣伝して回る以外には何もできないのではないでしょうか。

ニュース

ポスターなんか作らずに、資金を集めて、会社を買収していくというようなことをしてもいいはずです。それができるような人は、ポスターを作って啓発などせずに、実際に大きな組織の運営側になっています。群れたいだけなのか、共感者に囲まれたいだけなのか、本当に何かを変えたいのか、よくよく考えて欲しいですね。しかしながら、何かを変え、何かが変わったところで、それによって、何を得て、どういう状態になりたいのでしょうか。全て、過去は記憶、未来は想像にもかかわらず。

人生サーファー 改

自分とは全然関係ない国家やスポーツチームなどの状況で勝手に気分が悪くなっている人がいます。この類の人についても未だに理解できません。その人が一喜一憂や応援や敵対相手を非難したところで何か変わるのでしょうか。

人生サーファー 改

時にスカッとする、時にイライラする、自分のコントロールの及ばないような対象に、自分の気分の舵取りをさせるなんて、もったいないですね。本来は何もコントロールする必要もないのに。

お酒と居酒屋

本当に仲が良ければ、酒はあってもなくてもどちらでも良くなります。酒なしで朝まで話込めないような仲では、やはりどこか壁があるのでしょう。

お酒と居酒屋

「酔いにまかせてそんなこと言わないで」

「酔ってるから本音が出るんじゃないか」

という口説き文句はさておきましょう。

いつかはすべてがナツメロ 改

アイドルなどは、音楽よりというよりエンターテイメントよりなので、もう議論の対象にもなりませんが、問題は、韻も意識しないようなラップを音楽としてしまうところにあります。

いつかはすべてがナツメロ 改

ああいう人たちは、音楽を聞いて、どう思うのでしょうか。「もう離さない、おまえしかいない」と言う風に言われても「ない」は否定ですから、いくらでも使えます。そんなものが韻と言えるのでしょうか。

その他

相乗効果

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