目の保護のためにダークテーマ

数年前から「どうしようかなぁ」と思いつつ、ようやくサイトをダークテーマに変更しました。 最近では、様々なものがダークテーマになりつつあり、もうそろそろたくさんの人がダークテーマ・ダークモードに慣れてきただろうということで変更してみたしだいです。 一応メリットとしては、第一にディスプレイの光が弱まるので目の保護になるという点です。まあ間接的に消費電力が抑えられたりするという点もあります。 個人的には、普段からメールもWord等々のオフィス系もエクスプローラも全てダークモードであり、iPod touch等々でサイトを見

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油断させるために弱く見せる

武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。 根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。 そのうち「油断させるために弱く見せる」ということについて少しばかり触れておきましょう。 油断させておくと相手は準備を怠る 下手に強く見せてしまうと、相手はそれ相応の準備をして戦いにやっ

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通信講座による資格取得に対する理解

思えば僕も勤め人時代は資格をよく取得したりしました。勤め先において求められているものがほとんどですが、「まだ学生時代のお勉強感覚が残っている間に」と思い一気にたくさん取りました。 こうした資格の取得に関してよく通信講座とか対面の短期集中講座のようなサービスを提供しているところがあります。 ただ、よほどの難易度のものなら専門の塾のようなものがありますし、とりわけ通信講座なんかは何だか中途半端で、しかも高いという印象があります(本を買っている方が安いという印象があります)。 「資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性」等

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個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと

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受け取る「器」と「余白」

自分自身の深い部分で「対象を受け取る器」が無いとそれは現実にはやって来ません。これは当然といえば当然のことであり、何も不思議なことではありません。 そしてあまり語られませんが、器に余白がないと、一時的に壊れることもあります。ただこれに関しては、器というよりもエネルギーや気力の余裕といった方が印象としては近いかもしれません。 現実に即したような形でも「受け取る『器』」を捉えることもできますが、説明不可能な感じで何かを受け取ることもあります。 僕にとってのその象徴は養子のうさぎでした(Kさんちのうさちゃんと我が養子)。

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「曖昧な記憶」とパラレルワールド

「曖昧な記憶」とパラレルワールドについてちょっとした思考実験的な遊びをしてみましょう。哲学とは本来こうした思考の遊びです。 パラレルワールドとは、並行世界、並行宇宙といったようなもので、単に「並行して存在する別の世界」というような感じです。定義付けとしては「時空」等々、様々なものを絡めることができますが、SFマンガ的にシンプルに、枝分かれした「自分の人生の並行世界」程度に考えていきましょう。 「曖昧な記憶」というものはたくさんあります。語の定義を忘れたとかそういったものよりも、自分の経験であるのに何となく「あまり思

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そなえよつねに

この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。 だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなか

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逃避としての変人意識と芸術

世の中には変人と呼ばれる人たちがいます。本当の変人は自分のことを普通であると思い、本当の変人ではない人は、自分のことを変人であると思っている、というようなことがよく言われたりします。 僕もどちらかと言うと変人の部類に入ると思いますが、自分の考えが普通であると思っている部分もありつつ「世間とのギャップがある場合もある」ということも思っているので、何とも言えません。 変人といえばこだわりが強いという面がありながら、そのこだわりが「理解不能」という感じになっています。それは理屈として理解不能なのか、それとも「そこまでのこ

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お客の親への喝

そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやってきました。 別にそれは構わないので、喫茶店にてパソコンを持ち込んで数時間お話しました。 相手のお客は20代男性、発達障害を持つ人でした(これは後で知ることになります)。 何だか少し違

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祓としての「変な意識の力」

変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。 胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。 (力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう) 主観的な空間の把握としての認知が揺れるのか、すれ違うだけでコケるおじさんやおじいさんがたまにいて、あまり出歩かないものの月に一度くらいはそんなことがあります(昨日もそんな事がありました)。コケるという現

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新年 2022

みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。 年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。 寅年ということで… さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃん

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