そなえよつねに

この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。

一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。

だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなかったかのいずれかになります。

そして、そうしたことが起こってしまう背景にあるものは、「隣の人を見て大丈夫だろうと思った」というようなものではないか、ということを思っています。

ジャングルに行くのに遊園地の装備

基本的な構造としては、「ジャングルに行くのに遊園地の装備」というような脇の甘さではないでしょうか。

確かに遊びに行くという点では同じかもしれませんが、ジャングルと遊園地では環境の性質が大きく異なります。

「そんなことくらいわかっている」

ということを言う人も結構いると思いますが、日常の様々な選択においては「遊園地に行く程度の格好で、ジャングルの奥地に進む」というようなことをしている人は結構います。

普通、ある程度の意識があれば、海外に行くときには予防接種をしたりします。そしてもちろん常備薬程度も持参します。気候面や衛生面もバラバラですし、水や食べ物も異なり、また、変な虫などがいる場合もあります。

ということで、一応僕も海外に冒険に行く前は10種類くらいの予防接種をしました。

しかしながら短期間だからと、そうしたことに全く無頓着な人もいます。

確かに都市部しか行かない場合等々においては大丈夫な場合もありますが、もし「当たり」を引いた場合は大変なことになります。救急の電話すらままならない場合もあるわけですから当然です。

破傷風についての認識

例えば、破傷風というものがあります(破傷風の恐ろしさは映画「震える舌」を観ればよくわかります)。この予防接種は小学校等々の三種混合ワクチンで行うため、基本的には日本人の若者全てが接種済みとなります。

しかしながら、免疫持続期間は約10年間です。

ということで稀に、老後の趣味としての庭いじりなどで破傷風にかかる人がいるようです。現代の日本でも年間約100人程度の方が感染し、死亡者も出ています。

なので、土を触る場合は、可能な限り破傷風のワクチンを接種しておいた方が無難なのですが、大人になると誰もなかなかそうしたことを勧めてくれません。

それどころか、例えば、海外に行く場合に注意すべきものとして「破傷風」と書いてあっても、「ワクチン接種済みだから」ということになってしまいがちです。

海外に行くと時に急なツアー参加で自然の中に行く場合もあります。

行く場所にもよりますが、植物で足が少し切れてしまった、という中、泥水の中を裸足で渡らざるを得ないというようなシーンも可能性として無いわけではありません。

ということで、行く場所が初めてのところであるならば、できるだけ備えたほうが無難です。

「暑い国だから」と遊園地に行く気分でハーフパンツで行くととんでもない事になる可能性がある、というような感じになります。

隣の人を見て「大丈夫だろう」と思ってしまうリスク

では、隣の人を見て「大丈夫だろう」と思ってしまうリスクについて触れていきましょう。

世の中では、蓋を開けてみないと実態が見えないものがたくさんあります。

その代表例は「なぜか成り立っている店」ではないでしょうか。

例えばカフェか何かで、なんとなくうまくいってそうな店があるとします。それを見て、これくらいなら自分にもできそうだと思って真似てやり始めたとします。

しかし、その店が成り立っていたのは、テナントの持ち主自体が店主の親で賃料がかからず、さらに基本的な収入として別途不動産所得があるから、といった理由がある場合がよくあります。

その他、本人や配偶者が資産を持っており「赤字にさえならなければいい」と言う程度の道楽だったとか、店主は資産を持つ人の子で、その親の世間体的に「私の子どもがニートであってもらっては困る」という理由から、赤字覚悟で店をやらせているといったものもあります。

しかしながら表面的にはそうしたことは見えず、また、そうした裏側は一種の「恥」につながっているので、たいてい隠されたりします。

「なんだ、親のすねかじりか」と思われるより、「自立した店主」と思われたい、というのがそうした人の本音ですから。

ただ、表面的にはわからなかったりするので、「こんな感じで成り立っているのなら、自分にもできるのではないか」という印象を錯覚してしまったりするわけです。

だから本来は、リアルな思考実験や調査などを行い備えなければならないのですが、「いけるだろう」と早合点し、結果、「こんなはずじゃなかった」というような感じで閉店せざるを得ないようになる、といった流れです。

毎度のことながら、もちろんこれは夢を潰すというようなことではありません。むしろ逆です。

リアルを見て、備えられるものは備え、備え得ぬものについては、その損害を受け入れる準備をするというような感じになります。それは一過性の「なんとなく達成した段階で消えてしまうような浅い夢」ではなく、継続した大きな夢を実現することに繋がるはずです。

こうしたものは、仕事や家庭、健康、もっと低レベルなものでは、財・サービスの消費においても同じような構造を持っていると思っています。

これは「隣の人の表面的な部分など根拠にならない」ということであり、かつ、「可能な限り備え、備え得ぬものについては、いざというときの損害を受け入れる」というようなものです。

Category:miscellaneous notes 雑記

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