何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふや

理屈が通っていないような「何を分けのわからんことを言っておるのだ?」と思わざるを得ないようなことを譫言のように言ってくる人がいたりします。 もちろんその人にはその人なりの理屈があって言っているのでしょうが、「さっき言っていたことと今言っていることが違う」とか、「全く関係のないことを関係あるかのように語る」という場合がよ

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陽世の人にあらず

今年に入ってから爆読みしたもののひとつに楳図かずお氏の恐怖マンガがあります。 楳図かずお氏にはあまり馴染みがなかったのですが、「なるべくたくさんの一流に触れる」ということで、一気にたくさん読んでみました。 基本的にグリム童話系のマンガはあまり好きではなく、特にひどく残虐であればそれでいいというような描写は好みではありま

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井臼の力はた款すに足ざれども、己が心なり

料理の価格をそのカロリー量だけで計ることができないように、世のすべての製品やサービスの価値は、その物理的な数量だけで計ることはできません。 技量を要するという部分もありますし、仕込みに手間がかかっているという部分もあります。結果だけ見れば大したことがなさそうに見えても、その裏で膨大な手間がかかっているということはよくあ

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歇息ませ給へ

笑ゥせぇるすまんの頼母さんのストーリーは、至るところで頼られ続け休めない男の心境が色濃く反映されています。初めて読んだときには「笑えないなぁ」と思ったりもしてしまいました。しかしながら自分が勤め人で、昼休みに飯屋でふとこの頼母さんの話を読んだとすれば、どこかしら心が軽くなるんだろうなぁというようなことを思ったりもしまし

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寤させまゐらせん

ふとしたショックや「手を抜いていいぞ系」の環境になったようなときなど、ふとした経緯から怠け癖がついてしまうことがあります。そうした時「元に戻したいなぁ」とは思いつつも意識の力ではなかなか元に戻せなかったりします。 そんな時は、「あまり関係なさそうではあるものの何となくプラスになりそうなこと」や「いずれいつかはやることに

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おぼろなる黒影の中に人ありて

同じような色をしていても、森の中に立っている同系色の電灯の柱などはすぐに見分けがつくように、自然な形や反射の仕方であるものとそうではないものとはすぐに見分けがつきます。 そんな感じで、だいたい普通で正常なものとそうではないものは、すぐに察知することができてしまったりします。そしてそれは概ね違和感として現れてきます。 そ

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軒守る犬の吼ゆる声

小型犬が多くなったということが関係しているのか、最近では番犬として家の外にいる犬を見かけることが減ったような気がします。 しかしながら、かつて番犬というものは至るところにいて、かなりの頻度で吠えられた記憶があります。そうした番犬はサイズ的に中型犬や大型犬なので幼い時は結構恐い思いをしました。 基本的には動物とは仲が良い

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西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも

夕暮れ時ともなると、世間は慌ただしく「さあ帰るぞ」という感じになってきます。 仕事をしている人、旅行に来ている人、買い物帰りの人、いろいろな人が慌ただしく渋滞を作ったりしている中、公園で養子のうさぎと遊んだ後、彼を抱き上げて「さあおうちに帰ろう」という感じになる瞬間は、ゆったりとしていて、また優雅なものでありました。

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待ちつる人は来らず

この世界においては、自然的な確率が渦巻いている中、常に可能性は重なり合っていて、純粋に意図した瞬間に確定してしまうという感じになっています。 それは自ら意志を確定し能動的となるという場合もありますが、表面的に自らが働きかけなくても起こってしまうという格好になっていることもよくあります。 そんな感じで、再会を望みつつも「

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な恚給ひそ

ふとした恐怖心から先手を打つという感じになるのか、予防策を講じる人が出てきたり、何かがうまくいかないことを「言い返しにくいような理由」を用いて当たってくる人がいたりします。 まあそうしたものの奥にあるものは恐怖心なので、下手に抵抗せずに安心してもらうのが先決ということになりますが、何かしらを譲る必要はありません。 可能

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若き男は却物怯して

普段組織のトップに立つような人でも、あまり慣れていないことに対しては臆病になってしまうものです。 知人の話ですが、メディア出演する際に本番5分前まで40分間ほどトイレに立て籠もってしまったという事がありました。 やはり舞台慣れとでも言うべきか、何かしら不特定要素のある多数の人前に出るということに関しては、ある程度の慣れ

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けふは誰某がよき京入なる

京という字だけで都を表すとなれば、京都はみやこにみやこを重ねるという感じになっています。という僕たち京都人の感覚から言ってどう取り扱えばよいのかわからなくなるのが世間一般的な「上京」という言葉です。 さらに上京区民ならもっと「上京」という言葉に違和感を感じてしまいます。第一に「かみぎょう」と読んでしまうはずです。 ―

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其の人を見てあわただしからんは、思はんことの恥かしとて

お客が来たときにだけ営業スマイルをしていればいいというようなタイプの人もいますが、そんな瞬間的な切り替わりをお客の側は敏感に察知していたりします。 もちろん雑で鈍感な人は気付かないということはあるでしょうが、平均以上の繊細さがあれば概ねそうした表と裏を瞬時に感覚で察知してしまうはずです。 「表裏がないようにとは思いつつ

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嚢をかたぶけて酒飯の設をす

高校生くらいの時の話ですが、友人宅に行くと、その友人の友人がそのまた友人を連れてやってくるという感じになりました。まあそのくらいの年齢の頃にはありがちです。 その友達の友達の友達くらいの人をひとまずAさんと呼ぶことにしましょう。ちなみに女子です。 どのような経緯があったのかはわかりませんが、Aさんは最近学校を辞めており

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下枝の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶ひやかに

やはり茱萸(ぐみ)と菊は同じ季節の象徴として合わせて語られるのでしょう。ということも雨月物語に触れるまでは知りませんでしたし、日常でそのように感じるということもありませんでした。 現代においては、物心ついてからの成長の過程において画面から情報を得たりすることが多く、その刺激の強さに慣れ、その構造に慣れているせいか、目の

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重陽の佳節

9月9日が菊の節句であることは知っていましたが、同時に茱萸(ぐみ)の節句であることをこの雨月物語の注釈で知りました。 本来旧暦なので1月ズレますが、現行の9月9日というと、ちょうど毎年のことながら腹の具合が下降気味になり始める時期です。ということは、強烈な暑さが若干弱り始め、夜は過ごしやすくなるということになります。

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