重陽の佳節

9月9日が菊の節句であることは知っていましたが、同時に茱萸(ぐみ)の節句であることをこの雨月物語の注釈で知りました。

本来旧暦なので1月ズレますが、現行の9月9日というと、ちょうど毎年のことながら腹の具合が下降気味になり始める時期です。ということは、強烈な暑さが若干弱り始め、夜は過ごしやすくなるということになります。

ということで、そんな体感を感じる少年時代についてでも触れていきましょう。

マンガ「少年時代」

比較的最近になりますが、藤子不二雄A氏の少年時代(マンガ)を読んでみました。それを原作とする映画「少年時代」に合わせて作られた井上陽水氏の「少年時代」と相まって暑く重苦しい盆地から美ヶ原に着いた時を思い出したりしました。

ラストに向かうまでの間の重苦しさが、まるで盆地のムンムンのようであり、それが最後に軽く美しい風に攫われていくような感じがしました。

マンガ少年時代を読んでからというもの、井上陽水氏の楽曲の沁み方が数段階上がりました。やはりそうしたベクトル、次元が加わることで味わいも変わるのだなぁということを再確認しました。

ラストに向かうまでの重苦しさ、そしてその後の美しさは、自分の高校生の時のようだなぁということも思ったりしました。

どこか気怠く重苦しい日々が素晴らしい日々に

卒業間際に「振り返ってみると楽しかった」とは思ったりしましたが、実際の高校生生活のその当時は、毎日がどこか気怠く、重苦しく、ピリピリとギンギンが入り混じったような日々だったような気がします。

友達と公園で遊んだりしていても、どこか気怠く、会話もとぎれとぎれだったこともよくあったはずですし、感覚的に日々はほとんどが「中の下」くらいだったような気がします。

本当に楽しかったり嬉しかったりすることなど全体の1割もなく、たいていはどこか体も重苦しく、破壊衝動と杞憂を行き来していたような、そんな気がします。

でも、振り返るとすごく素晴らしい日々だったように思えます。

というような感じもしますし、その記憶への感想の変化のプロセスとタイミングは、どうも夏に対する重陽の佳節のようであるというような気もしました。

「少年時代」の言語表現

余談ですが、少年時代を聴いてみると、「どうやって英訳するのだろう?」と最高に英訳が難しい歌詞であるような気がしました。

「風あざみ」を筆頭に、ニュアンスを壊すこともなく英訳するのは非常に難易度が高く、夏目漱石氏レベルでないと厳しいのではないかということを思ってしまいました。

まあ、注釈をつけて定義を示し、造語を理解してもらった上で、風あざみは風あざみとして捉えてもらうしかないということになりそうです。

しかしその伝え方が「ずるむけ」ということになるとせっかくの味わいが消えることも危惧されます。

ということで、風あざみが風あざみとしてまっすぐに役割を果たすということは相当の難しさがあります。

それはまるで記憶にストレートな意味付けをすることの野暮ったさに似ていて、それはそれでいいじゃないかということを感じさせるものでもあります。

重陽の佳節に風あざみ。

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