恥辱

そこに立派な馬がいて、地面を引っ掻いている。それは鼻を鳴らし、乗馬を熱望し、いつも騎乗する人を必要としている。― しかし、おお恥辱!今日彼は跳び乗ることができない。彼はくたびれている。― これは、くたびれた思想家が自分自身の哲学に対して抱く恥辱である。 曙光 487 「恥辱」はよく胡散臭い人がマインドコントロールにおいて使う手法です。

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黄金と飢餓

彼が触れるすべてのものを黄金に変えるような人間が、時折いるものだ。ある日彼は、彼自身そのもののために餓死しなければならないことを発見するであろう。 曙光 486 前半 最近またよくいろいろなところから会社宛にDMが届くようになりました。 創業時も、法人の登記を見てたくさんの事業者が勝手に送りつけてきますが、会社が継続しているということ

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遠い視野

甲。しかしこの孤独はいったいどういうわけだろうか?― 乙。僕は誰に対しても怒りをもたない。だが僕は、友人たちと一緒にいるときよりも、ひとりでいるときのほうが、、彼らを一層はっきり美しく見るように思われる。そして僕が音楽を最も愛し、感じたとき、僕は音楽から離れて生活していた。物事をよく思うためには、遠い視野が僕には必要なように思われる。

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自分の道

われわれが決定的な手段を講じて、いわゆる「自分の道」に踏み入るとき、突然ひとつの秘密がわれわれの前に姿を現す。 曙光 484 序 何かを始める時、たいてい抵抗が起こるものです。 誰か賛同者を求めて、いろいろと公言して、それがよほどいいことであっても、単純にわかりやすい「都合が悪い」といったことから、「え、お前がオレより偉くなんの?」と

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苦しみへの勇気

われわれは現在のままの状態で、かなり多くの不快に耐えることができる。われわれの胃はこの重たい食物に適している。ことによるとわれわれはそれがないなら人生の食事には味がないと思うかもしれない。苦痛へのよい意志がないなら、われわれはあまりにも多くの喜びを逸するにちがいないであろう! 曙光 354 「いままで一度も、特に歓喜というものを味わっ

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言論の自由

「真理は語られなければならない。たとえ世界が粉々に砕けようとも!」― 偉大なフィヒテは大きな口をしてこう叫ぶ!そうだ!全くだ!しかしわれわれは真理を実際に持たなければならないであろう!― ところがフィヒテは、すべての人はたとえ一切が混乱に陥ろうとも自分の意見を述べるべきである、という考えである。この点については、フィヒテとさらに論争す

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人間嫌悪

甲。認識せよ!そうだ!しかしいつも人間として!何だって?いつも同じ喜劇の前に座るのか、同じ喜劇を演じるのか?この眼以外の眼では、物を見ることが全くできないのか?しかも認識に一層適した器官を備えた存在は何と種類が無数にありうることだろう!人類はそのすべての認識の最後に何を認識しているだろうか?― 人間の器官だって!ことによるとそれは認識

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自己の交際を求める

一体われわれは、あまりに多くを求めすぎているのか。適当なときに火の中に入れられて取り出された栗のように、穏やかで、美味で、栄養豊富になった人々との交際を求めるのは?人生から僅かしか期待せず、しかもそれを当然のこととして受け取るのではなく、ちょうど鳥や蜂が運んで来てくれたもののように受け取る人々との交際を求めるのは? 曙光 482 前半

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二人のドイツ人

精神に関してでなく、魂に関して、カントとショーペンハウアーとを、プラトンや、スピノザや、パスカルや、ルソーや、ゲーテなどと比較するなら、上述の二人の思想家は不利な立場にある。彼らの思想は情熱的な魂の歴史を形成していない。そこでは、物語も、危機も、破局も、臨終も、何ら推測されない。彼らの思索は同時にひとつの魂の無意識的な伝記であるのでは

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「独りで歩む」 独立自由と対人関係

「孤独のままの方がよいのでしょうか?」 「どうしても人と関わらないと生活できません」 一応今回の質疑応答の最終回は、上記のような問いに対して、総まとめとして「独りで歩む」について触れていこうと思います。 「独立自由」という言葉を見ると「脱サラして独立するぞ!」とか「自立した生活を!」というようなことになりそうですが、多少被っている面も

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わかりやすい「おすすめ本」

「同じ経験はできませんが、どのような本を読んだら良いですか?」 メッセージのみならず、現実社会でもやはり会話の節々に出てくるような話題です。特に若い方で読書に慣れている方からはよく言われるご質問事項です。 ただ、あまりに「おすすめ本」と書いてしまうと、まるで胡散臭いアフィリエイターです。 彼らは「売ろう」と思って記事を書いていますが、

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中心

「私が世界の中心だ!」というあの感情が非常に激しく起こるのは、われわれが不意に恥辱感に襲われた時である。われわれはそのとき、砕ける波の真中に麻痺したもののように立ちつくし、四方八方から視線を向けてわれわれを見通すひとつの巨大な眼のために、目がくらまされたような感じがする。 曙光 352 もちろん「私が世界の中心だ!」という一文から「世

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がっかり感が止まりません

「『最大のがっかり』のようなものが来てから、がっかり感が止まりません」 参考 最大の「がっかり」 このがっかりに対して触れる前に、少し要約抜粋しておきましょう。 今に集中すればそう言った瞬間はすぐにやってきます。 今まで見ていたのはなんなのか、ということにもなります。しかしそれは単なる記憶であって、本当に実在しないことを実感します。

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自我の領域

「自我の領域ではない領域とは何ですか?」 自我の領域ではない領域です。 という同語反復です。 … さて、釣りページに「自我の領域から離れなさい」と書いているからでしょうか、やはりよくわからない事柄なのかもしれません。ということで、「自我の領域」とは何なのか、また逆に「自我の領域ではない領域」「自我とは別の領域」とは何なのか、ということ

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考え方の違いと表現の多様性

「世の中には様々な考え方があると思うのですが、それぞれどれも正しく感じます」 よくあるパターンですが、その多様性を認めるとはどういうことか、についての回答です。 様々な表現の違いというものがあっても、答えは一つしかありません。 そのひとつの答えを「確認することができない」のであれば、その問いは考える必要のないことです。 世の中には様々

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ずっと楽しいままではダメですか?

「毎日が楽しいのですが、ずっと楽しいままではダメですか?」 20代男性からリクエストです。 ラジオパーソナリティのような始まり方ですね。それくらいゆるい方がいいでしょう。 さてそれでは、始めていきましょう。 その「楽しい」という体感を大切にしながらも、意識の変化を追ってみてください。 「楽しい」というのは感情です。感情はその場の反応で

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特別企画 その6

さて、最近はよくcontactからご連絡をいただくようになりました(返信が短文かつ遅くなり恐縮です)。 ご質問も多数たまってきましたので、そろそろちょくちょく回答に入ろうと思います。 「特別企画 その6」と題しまして、質疑応答コーナーを設けます。 ご質問自体は、各投稿のコメント欄でも結構なのですが、どちらかと言うといろいろなことをまと

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さけがたい

諸君に好意を寄せないものは、諸君が何を体験しようと、その体験の中から諸君を腐す機会を見つける!諸君が心情と認識の最も深い革命を経験し、ようやく快方に向かう病人のように切ない微笑を湛えて、自由と明るい静寂の中へ行き着いたとしても― 曙光 480 前半 どんな人がどんなことを言おうと、おそらくどう転んでも非難というものはやって来ます。それ

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愛と真実

愛するあまり、われわれは、真理に対する悪い犯罪者であり、われわれにとって本物だと思われるより以上を本物にしてしまう習慣的な故買者(けいずかい)であり泥棒である。 曙光 479 前半 相手が物であれ人であれ、何か考え方のようなものであれ、愛著のような「好き」という感情、「何を犠牲にしてでも」というような自己犠牲の精神などが含まれるような

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良心的な人々の悪用

つい先日喫茶店に行った時のことです。何やら思想団体のような団体が、デモ行進について会議をしていました。といっても若い人たちです。京都といえば昔からその気が多いのですが、やはり例に漏れず群れたいだけのB層でした。 耳を欹ててみると、「デモ行進中の差し入れに感動した」ということを女性が語っていました。しかしながら、自分たちの代弁者である思

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「原因と結果!」

われわれは実際は「原因と結果」の像以外何ものも見なかった。そしてこのような像であることこそ、継起の結合よりも本質的な結合を洞察することを、たしかに不可能にするのだ! 曙光 121 後半 原因と結果、というドストレートなタイトルになっています。曙光においてニーチェがたまに「!」を加えるところは意気込みを感じますね。熱がこもっています。

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労働の讃美者

「労働」が称賛され「労働の祝福」について倦まず語られる場合、私は公益的であって個人的でない行為が賞讃される時と同じ底意を見てとる。あらゆる個人的なものに対する恐怖という底意を。 曙光 173 前半 労働自体がよく賞賛されることがありますが、そうした労働を含め、社会的な物事においては、個人的な利益よりも公益のほうが賞賛される傾向にありま

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普通は誤解されている

会話で気がつくことだが、ある人は他の人の陥るわなをかけようと努力する。これは、人が考えるかもしれないように、悪意からだけではなく、自分自身の滑稽さを楽しむことからなのである。さらにまた、他の人に洒落を言わせるために洒落を準備しておく人々や、他の人が結び目を引き出すために輪を結んでおく人々がいる。これも人が考えるかもしれないように、好意

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通り過ぎよう!

彼を大切にせよ!彼を孤独にまかせておけ!諸君は彼を完全にこわそうと思うのか?突然熱すぎるものがそそがれたコップのように、彼にはひびが入っている。― そして彼はとても貴重なコップだったのだ! 曙光 478 中学1年生の時です。真夏の窓辺に一週間放置した森永マミーを「いける!」といって飲み干して、最大級の下痢になった時です。 お母さんに付

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懐疑から救済されて

甲。他の人たちは、不機嫌になり、弱気になり、腐蝕され、むしばまれ、それどころか半ば喰い破られて、一般的な道徳的懐疑を脱する。― 僕はしかし、以前よりも勇敢になり、健康になって、獲得し直された本能で持って脱する。(略) 乙。君は懐疑家たることをまさしくやめたのだ!君は否定するからだ!― 甲。だが同時に僕はもう一度肯定することを学んだのだ

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精神の収穫祭にて

経験や体験や、それらに関する思想や、さらにこれらの思想に関する夢などが、日々集積し、湧き出る― 測りがたい、魅力ある富である!それを眺めるとめまいがする。どうして心の貧しい人たちは幸いであると賞讃できるのか、わたしはもはや理解できない!― しかし私は、時々疲れたときに彼らをうらやむ。というのは、そのような富の管理は困難なことであり、そ

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悲劇と音楽

たとえばアイスキュロスの時代のギリシア人のように、心情の根本的な調子が戦闘的である人々は、なかなか感動しない。しかし同情が一度彼らの厳しさに打ち勝つと、それは彼らを夢うつつのように、「魔物の力」のように感動させる。 曙光 172 前半 アイスキュロスは、古代アテナイの三大悲劇詩人の一人とされ、悲劇を確立させたとされる人のようです。 さ

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新しい魂の医者はどこにいるのか?

慰めという薬は、それによって人生が、現在人々が信じているあの苦しみにみちた根本的な性格をはじめて手に入れるようになったものであった。人間の最もひどい病気は、彼らが病気にうち勝つことから生じた。 曙光 52 前半 今まで一度も入院はしたことがないのですが、ちょくちょく身体がおかしくなることがよくありました。 特に胃腸です。毎年このシーズ

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重くなる

諸君は彼を知らないのだ。彼は多くの錘(おもり)を身体に吊るすことができる。しかし彼はそれらをみんな一緒に高く持ち上げる。そこで諸君は、諸君の小さな羽ばたきに応じて、彼はこれらの錘を身体に吊るしているのだから下に留まりたいのだ!と結論する。 曙光 475 ニーチェはたまにこういった曖昧で対象を名指しせずにつぶやいたりするので文学的だと言

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ただひとつの道

「弁証法は、神的な存在と現象の面紗(ヴェール)の背後とに到達するためのただひとつの道である」― プラトンはこのことを、ショーペンハウアーが弁証法の反対を主張するのと同じように荘厳に、情熱をこめて主張する。― だが、二人とも間違っている。なぜなら彼らがそれに至るひとつの道をわれわれに示そうとしているものは、全く存在しないのであるから。 

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