願望とは何だろう!

願望ってなんだと思いますか?

なんてね。

さてさて、願望の定義なんてほとんどどうでもいいのですが、一応書いておきましょうか。

辞書なんかを引っ張っても

「望んでいること」

とかそんなレベルだと思います。

調べてみると

「願ってその実現を望むこと」と出ました。

比較的ポジティブに「不足に気づくこと」

願望というのは一応望んでいることには違いないのですが、99%くらい、比較的ポジティブに「不足に気づくこと」です。

望んでいるということは、今現在無いという認定であり、かつ、それが自分の幸福感にとって不足している対象だと考えていることです。

わかりやすく

「水が飲みたい」

と思うということは、水分が不足しているということで、若干の不足感があり、今現在は、身体に必要な潤いがないということの認定であり、衝動などなどによってそれに気づくということです。

「それほど喉は渇いていないが水を飲んでおこう」

というのも未来への予測という思考によって、不足感の到来に気づいて予防しているということで、一応不足感です。

不足感を強化する

で、よく

「願望を強く念ずる」

みたいなことを言う人がいますが、願望の性質が理解できていれば、「不足感を強化する」ということになるのがおわかりでしょうか?

まあのどが渇けば渇くほどに、必死で水を求めるように、確かに不足感を強化すれば、行動への衝動は増えるのかもしれません。

ただ、それは構造的に不幸です。

なぜなら、マイナスを作り、ゼロに戻すだけだから。

現象を確認しないと落ち着かないアイツ

単純な話なのですが、「旅行に行きたい」という願望があったとしましょう。

で、あえて聞きますが、それはなぜですか?

ほとんどの場合は、「現状が面白くない」ということであるはずです。

で、願望なのかどうなのかわかりませんが、「旅行に行きたい」と思いつつも、「旅行に行けても行けなくてもいい」という状態を想定してみてください。

渇望感も拒絶感もなく、受け入れている

「行きたい」という感じではないですが、渇望感も拒絶感もなく、受け入れているような感じです。

自己説得なしに、本当にどちらでもいいなんてことを思っている場合は、不足感はありません。

でも、二ヶ月前に実際に行ったように、何故か僕は沖縄に行ったりします。

願望なんて念じていません。

自我としてのアイツの特性は、「現象を確認しないと落ち着かない」ということです。

願望という体の良い「不足感」を呼び起こし、騒ぎ、現象を確認すると騒ぐのをやめるといった感じです。

別に願望なんて持たなくていいですよ。

全自動で進み、流れていくのですから。

願望とは何だろう! 曙光 124

不足感や願望は「過去からの因果」という思い込み

Category:曙光(ニーチェ) / 第二書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ