就職活動でもその気になればルールを超えることができる
「その気になればルールを超えることができる」 僕がそれを実感したのが就職活動でした。 相手に文句だけを言っても変えることはできません。 身内の人などであれば、それに応じてくれる人もいるかもしれませんが、若造一人が何の接点もない企業相手にいくら真っ当そうな自説を説いたとしても通用しない、それを突きつけられるのが主に就職活動です。 相手に
祝五周年
本ブログも五周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1480記事目になります。今回も祝四周年の時と同様に、単純に祝五周年というタイトルです。 「五年経つとこんな感じになっているのか」という感じです。 祝四周年の時点で、1140記事だったのでこの一年で340記事を書いたことになります。書庫の増設等もありましたが、この一年もまあまあ書
自己実現と安らぎ
「あなたの自己実現とこの心の安らぎは関係がありません」 といった感じで、自己実現と安らぎについて触れていきます。 ふと心が折れそうになった時、一種の呪文のようにつぶやいてみると面白いかもしれません。 より厳密に考えると、「無意識は単語の概念から想起するため否定形を認識できない」とか、「単語の意味を想起してから打ち消すので、一度は想起し
認知のあり方と解釈
認知のあり方と解釈について触れていきます。 社会においては、誰が発したのかというところが影響することがありますが、本来は意味において誰が発するかというところは、哲学領域等々、領域によっては本当に関係がありません。 出典を根拠とされようが、その出典自体は何に保証されているのか、という感じになります。より詳しい論証やデータがあるくらいで、
表と裏と社会性と匿名性
一時期やたらにインターネット上で著者を示そうとか実名で公開させようとするような流れがありました。しかしそれは、インターネットの役割として相性が悪く、頓挫する形になりました。 まあインターネットの匿名性は、時に社会の中で問題となることがありますが、そうした場合被害者側の思いばかりが語られ、匿名性がもたらした害悪だということが語られたりし
相棒プレシジョンベースとの20年
今年で我が相棒フェンダープレシジョンベースを手にとって20年になります。二代目なので、その前からベースを弾いていましたが、初代はお下がりの貰い物だったので、100%のマイベースではありませんでした。 新品のまま我が家に来たベースはこのプレベのみ。ということで100%僕専用であり、相棒としてこの20年間を共に過ごしてきたことになります。
日々を彩るアウラと駄アウラ
なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子につ
芽が出るまで穏やかに待つこと
結果が出ることを焦ると全てが台無しになることがあります。 待つ時には待たねばならないと言う感じです。 焦燥感から物事を待てずにフライングしてしまうと、せっかく現れるはずだったものが姿形を変えてしまうことがあります。また逆に痛みを恐れて判断が遅れると損失がひどくなることもあります。だから穏やかに過ごすのが一番です。 「成長を温かく見守る
ピアノの先生と幼き日の弱さ
なんだかんだで小学一年生から六年生までピアノを習っていました。 きっかけは何だったかはっきり覚えていませんが、「ピアノを弾きたい」と父に言うと、数日後家にピアノが届き、さっそく近くのピアノ教室に通うことになりました。 最初の1年くらいは多分楽しかったと思いますが、その後すぐに辞めたくなりました。 なぜならピアノ教室の先生と合わなかった
趣味や職業と生き物の命と不殺生
「趣味や職業と生き物の命と不殺生」ということで、生き物の命と人が生きていく上での殺生について触れていきます。 たくさんの数のご連絡の中から「趣味の釣り」や職業として殺生を避けられない職業についてのご質問を受けました。 趣味としての釣りにおいては、海の生き物に対する殺生が関連し、ガーデニングにおいてもいわゆる雑草取りや害虫駆除という殺生
対人恐怖と人間不信への対処
対人恐怖と人間不信への対処について触れていきます。 人間不信や疑心暗鬼が加速すると、人によっては他人と接するのが恐いという感じになりますし、人によっては攻撃的になってしまったりします。 自分の「自我」を含めて人の意識は不安定です。なので、人を心底信用することはできませんし、それはそれで大いに理解できることですが、恐怖を感じたり攻撃的に
真面目と怠惰
真面目と怠惰というコントラストがあります。真面目は良くて怠惰はダメだとかそんな感じですね。 「真面目だけど不器用」 とか 「真面目でいい人なのにうまくいかない」 ということがよくあります。 もちろん真面目なことはいいことですが、真面目なようで実は真面目っぽさにかこつけた怠惰であることがあります。そうなるともったいなかったりしますので、
内発性と自発性
一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと
異常な「?」や「意味・解説」「類語と例文を示すこと」を評価すること
最近では、そのへんから引っ張ってきたような意味や解説を並べたもの、類語と例文を並べるだけのページが増えてきました。 それ自体が確かに言葉の学習としての価値があるのならは良いのですが、概ね類語として示されているものは類語であってイコールではない、決定的な差異もあるのにそれが示されていないという形で、本質的な部分からは乖離しているような気
見栄や恥に釣られる甘い客
見栄や恥に釣られる甘い客ということで、恥の意識とマインドコントロールについて少しだけ触れていきましょう。 マインドコントロールの要因はいくつかありますが、用いられやすい心理的要因として「恥の意識」があります。 恥をかきたくないということに始まり、カッコをつけたいとかモテたいという意識があると、意志決定をコントロールされてしまい時に「甘
谷野杢蔵(歌の勝ち負け)
ついでなので、いかにも昔話的で、できれば日本昔ばなしでやって欲しい感じのお話もありましたのでご紹介しておきます。 現在ところ検索しても一切出てこない感じなので、おそらく「まんが日本昔ばなし」にはない作品だと思います。もしタイトル違いなどで類似作品があったら誰かに教えていただきたいくらいです。 三人馬鹿に引き続き、もちろん今回のお話も、
三人馬鹿
古い土着の昔話の中には、非常に良い示唆に富みつつ、非常に洗練されているものが見つかることがあります。 それもまた「名もなき方が作り出した」というところに魅力があります。 そのような感じで、以前にご紹介した「ふるさと和気 民話編」の中から僕が爆笑した僕好みの昔話をご紹介します。 民話・昔話の類型としては、笑い話となっていますが、笑い話を
些細な力の無限連鎖
もう随分と前のことですが、弱体化した支店を立て直す敏腕管理者の方がいました。僕が実際に目の当たりにした良きリーダーの一人です。 彼は今でも僕の中での「理想のリーダー像のモデル」として重要な位置にいます。 彼が見せた「些細な力の無限連鎖」という奇跡のような復活劇について振り返ってみようと思います。 凄腕の支店長がやってきた ある時、売上
その時間を無かったものとして扱う人たち
世の中には平気で遅刻したり、残業代や取引代金を支払わなかったりする人がたまにいます。僕としては信じられませんが、いくら世の中が変化していこうが、未だにそうした人たちがいるようで、その様子が耳に入ってきます。 それら人たちのその行為は、要約して言うならば「その時間を無かったものとして扱う」ということです。 約束の時間にこないということは
中小零細企業を侮る中小企業診断士
中小零細企業を侮る中小企業診断士ということで、胡散臭いコンサルタントとまではいかないものの、たかだが国家資格を取得した程度で先生気取りをする中小企業診断士持ちのコンサルタントについてでも書いていきます。 「国家資格を取得した」ということで、もちろん中小企業診断士です。 まあもちろん中小企業診断士としてまともな人もいるのですが、一回も会
ウジウジが続く時は極論や極端な発想で思い切る
ウジウジが続く時、そんな時は微妙なストレスが日々心身を痛めつけてきます。 変なウジウジが続く時、極論や極端な発想で思い切ると、意外とあっけなくそれが解決したりします。 友人や知人に相談なんかをして「そんなことは関係ない」とか「気にするほどのことじゃない」と言ってもらったとしても、なんだか頭では理解することができつつ、心の内では納得でき
有身見とヴィパッサナーと諸法無我
有身見とヴィパッサナーと諸法無我といった感じで、ご質問のご連絡を受けた中から諸法無我に関連したものを一般化して残しておきます。 「有身見を錯覚であると見破るヴィパッサナー」、「自己観察中の自分は一体何者なのか?」、「ふたつの心が同時に生まれていることになるのか?」、「諸法無我に関する哲学的・科学的な構造の理解」、「五感で得た情報をあり
真我の否定、心と意識の違いと諸法無我
真我の否定、心と意識の違いと諸法無我といった感じで、ここでは、ご質問のご連絡を受けた中から諸法無我に関連したものを一般化して残しておきます。 「真我という概念の否定」、「色即是空の空」、「心身二元論・霊肉二元論と心」、「心と意識の違い」、「一つのチャネルである意識」、「認識する働きである心」についての質疑応答について記載しています。
宝ヶ池のガチョウ「雪雄」
「雪雄」は京都市左京区の宝ヶ池にいたガチョウです。長年宝ヶ池公園のアイドルだったガチョウの雪雄は、2017年1月9日に亡くなりました。 宝ヶ池のガチョウ「雪雄」の写真などをまとめておこうと思います。ひとまず「ひとこと」に分散していた画像をまとめつつ少し追加してみました。 宝ヶ池のアイドル、ガチョウの雪雄。 なお「雪雄」という名は僕が勝
虚しさの先にある安穏
経験の始まりと終わりを明確に捉えて区切ることはできませんが、終わりに生じる結果を観察していると、たいへん虚しい気持ちになってきたりします。 それはいわゆる諦めのようなものとは違っています。 一見虚しいような感覚にもなりますが、それでも憂いはありません。 なぜなら単なる虚しさには奥に期待があり、期待なき一種の虚しさには安らぎしかないから