何となく嫌な仕事への対応

最近、仕事をボツにする機会が多くなってきました。 ボツになったというより、何となく嫌なのでボツにしたというようが近いような感じです。 何となく嫌だからということで案件をボツにするという事自体はありがたい環境であると思いますが、よほどの窮地でない限り、基本的にこの姿勢は以前から変わっていません。 ただ少し違うのは、以前であれば、多少面白くなさそうなものでも「その中から面白さを見出そう」とか、「楽しくできるにはどうすれば良いか」とか、「自分ひとりで勝手に落語的に面白がってみる」といった感じで取り扱っていましたが、最近で

» 何となく嫌な仕事への対応の続きを読む


重圧の転嫁

罪と罰のラスコーリニコフのように、一種の重圧の転嫁が起こることがよくあります。そんな20歳前後の時の男性の心理状況を扱った作品は、小説や楽曲にも多くあります。 特に近代化してからが多いですが、それ以前の作品にもちらほら垣間見れるそれは、時に特定の思想を持ったものや自己顕示欲を満たすことを目的とした人に利用され、時に脳筋体育会系の優越感に利用されたりもします。 重圧の転嫁の矛先として特定の思想の方に誘導する、ということもあれば、そうした「問い」を持つこと自体が「社会に適応できないことへの言い訳だ」ということで脳筋達に

» 重圧の転嫁の続きを読む


生き方を全肯定されてきた雑な人の最後の姿勢

先日友人が久しぶりにやってきたので、彼の会社の「生き方を全肯定されてきた雑な人」が結局どうなったのかを聞いてみました。 すると「生き方を全肯定されてきた雑な人がクビになる日」で触れていた「社長に『今の時代はこれですよ』とか『そんなセンスじゃ生き残れませんよ』という人」が案の定クビになったようです。 試用期間が終わるころに社長さんが「どうや?この仕事続きそうか?」と一応聞いてみたところ、「自信がないです」という言葉をつぶやいた後、「こうしてくれれば自信が持てます」と会社のやり方、方針を自分に合わせるように交渉してきた

» 生き方を全肯定されてきた雑な人の最後の姿勢の続きを読む


日本語の音素の誤解

日本語は発音の数に関わる音素が少なく、英語は多いので聞き取りや発音のために早いうちから聞き分けられるようにしたほうがいいということが語られることがあります。 まあたいていは英語教育を事業にしているようなところが強調していたりするのですが、「日本語は音素が少ない」というのは誤解であり、「もっと日本語をしっかり見つめてください」と言いたくなってしまったりします。 日本語の音素、つまり母音や子音などは概ね23程度で、音の数は、50音の基礎の清音に、濁音や半濁音、拗音をつけたもの程度しかないと考えられたりしています。外来語

» 日本語の音素の誤解の続きを読む