この世界のささやかな全て
思い返せば病中の頃、次のようなことを考えたことがあります。 「何気ない挨拶であっても、ただ視線を合わすことであっても、それが100回連続で起こらなければ気が狂うのかもしれない。無視されるという事が1000回連続で起こればおそらくこの世界に絶望するだろう。そして10000回目を迎えた時、僕はこの世界と縁を切っているだろう
微かなストレスの積み重ねを防ぐ環境を整備する
日常的に心理的なストレスを抱えている場合、たいていは「意識を変えよう」とばかりしてしまいます。「心理的な問題なのだから、この心を何とかしなくてはならないのだ」という感じです。 ただお腹が空けばイライラするように、腹が痛いと弱気になるように体調も無視するわけにはいきません。腹が良くなれば気分もマシになる、それと同じように
真夏の墓参りと花々
「墓場ビジネスと霊感商法」などで触れていますが、墓自体はただのビジネスであり、墓参りという文化そのものが、文化という名のマインドコントロールであると思っています。 そんな中、母に頼まれて母方の先祖の墓に花を添えに行くということをこの夏経験しました。 その時に最も感じたのは憂いです。花に対しての憐憫です。 生きている花た
三字熟語
「四字熟語辞典」に載っている「三字熟語」を無理やり2つ合わせてタイトルとして設定していくという感じで進めてきた特別企画 その7「三字熟語」が完了しました。 「ひねくれつつもすぐに終わりそうな感じ」を目指し、タイトルには三字熟語を使いつつ、本文にはその三字熟語を一切使わないというテーマで書いてみました。 今回、高橋書店の
老婆心からの両天秤
機関投資家レベルでよほど大きなお金を動かすのでない限り、リスク分散のためにポートフォリオを組むという感じはあまりおすすめはできません。手間がかかるだけだったりしますし、規模が小さいとそんなにリスクの分散効果はないからです。 ポートフォリオというと、金融の世界では分散投資のようなことを意味します。様々な金融商品の組み合わ
理不尽な疫病神
考え方、というよりも社会における視野が大きく違うと、話も合わなくなってきます。そんな中、「隣の高校だった人」などなど、知らぬ間に縁が切れていったような同い年の人たちを見渡してみると、やはり学校の風土的な違いがどこかしら影響しているような気がする時もあります。 最近では無くなりましたが、そうした人たちから集まりのお誘いを
八百長の胸算用
世の中のいたるところで出来レースが展開されています。いかに作品に作者が記載されていても、ゴーストライターが書いたものかもしれないという点は、どこまでも疑問として残ってしまいます。 作詞が歌い手名義になっていても、トークの機会を観察する限り、ご本人の気質や語彙力から「本当のところはわからない」と感じるときもあります。 「
無尽蔵の耳学問
ちらっと聞いたり耳にした情報にとらわれている人を相手にする場合、そうした変に固定観念化した知識を壊すことから始めなければならなくなったりします。 マスコミの情報ももちろんですが、そうしたものや井戸端会議などで登場したワンフレーズを変に覚えていたりして、そのフレーズをあまり吟味しないまま解釈していたりして下手に固定観念が
未曾有の満艦飾
全身を着飾ること一つとってもその人となりが表れるので面白いと思っています。 未だに人があまりに豪奢に着飾っている姿を見ると、笑ってしまう癖があります。特にゴー☆ジャス氏が世に登場されてからは、彼がすぐに脳内再生されてしまうため、より一層笑うようになってしまいました。 洗練されていない、わかりやすい着飾り姿を見ると笑って
朴念仁と没交渉
日常、特に人と関わりたいということを思うことがありません。拒否することはありませんが、積極的に人と会うということは全くといっていいほど無くなりました。 昔は積極的に人を誘って遊びに行ったりもしましたが、人と会うという空間にそれほど快さを感じなくなったのでしょう。遊びの誘いを断るということはないものの、自発的にこちらから
無頼漢の屁理屈
たいていの人とは難なく接することができるのですが、強烈な感情によって頭が働いていない人を相手にするときは少し辟易したりすることもあります。 なぜなら話が通じないからです。 最終的には話が通じるのですが、「己の都合」しか見えなくなっている人を相手にするときは若干厄介です。 もちろん己の都合を伝えてもらうのはいいのですが、
不退転な不死鳥
永遠の命への憧れのようなものを持っている人がいます。しかしよくよく考えてみると生きていると煩いがたくさんあります。そんな中、仮に「永久に死ねない」ということになってしまった場合、本当にそれでいいのでしょうか。 よく物語の設定などで王様が「あとは永遠の命だけだ」というような感じで、「トップに立ったのだから後はその喜びをず
風来坊と風物詩
ひとことで触れていましたが、少し前深夜に道端でおばあさんに声をかけられ、会釈をして目が合った瞬間に怯えられて逃げ去られたという感じのことが起こりました。 全国平均がどのようなものかがわからないのでなんとも言えませんが、そのような感じで「変な人出現率」においては京都もそこそこ高いのではないかと思っています。 変な人につい
日和見な昼行灯
確固とした意志を持つことがなく、その時の状況に合わせて多数の勝ち馬に同調するという層がだいたい7割、それは腸内細菌の世界ですら起こっていることなので、変わることのない自然のバランスなのかもしれません。 ただ腸内細菌においてもそれは細菌類たちの社会の中でのバランスであり、一つずつの細菌自体は一応独立した存在でもあります。
一筋縄ではいかない檜舞台
何だかんだで新規創業の相談などを受けることがあります。 起業などにおいても、やってみないとわからないこともあれば、やる前から準備がいくらでもできる事柄もあります。 やはりどんなことでも、やり進めてみて実際のフィードバックを得てからでないと本質がつかめない部分は出てきます(フィードバックを奪う人たち)。 そういうものもあ
左団扇であるからこそ鐚一文無駄にしない
無料という名目のものは、概ね結局その分どこかで埋め合わせをするように消費欲を刺激するような仕掛けがいっぱいしてあります。その目的にもよりますが、特に企業が運営しているものであればほぼ確実にそのような構造になっています。 お金の使い方としては、ただお金を使うだけの使い方と、お金を生み出すための使い方というような似て非なる
破天荒と半可通
斬新なアイデア、画期的なアイデアというものを生み出すにも、概ねその手前にたくさんの情報が必要になります。 考えが凝り固まった玄人が見落としているようなところを初心者が発見するといった感じで、稀にビギナーズラック的にアイデアが生まれることもありますが、ほとんどのケースでそのようなことは起こりません。 アイデアは、それを発
裸一貫の白日夢
万が一、自分が身一つで「すっからかん」になったとしても、特に憂いはないだろうなぁということを思う時があります。もし、一切の資産がなくなったとしても、何とかやり直せる自信のようなものがあるからという感じになりましょう。 この自信のような、余裕のようなものは、ある種結果的であって、その手前に「絵」があるからそう思うという感
野放図への白眼視
京都という土地柄か、少しの言葉遣いの違いなどに過敏です。すぐに「なんて低俗な」とか「小癪な。何様のつもりか」という感想を持ってしまい、時に爪弾きにしてしまうという感じです。そうした言葉への感度は、デメリットとして無駄に怒りが生じてしまうと言う面もありますが、逆に言語表現が豊かになったりコミュニケーション能力を培えるとい