第1200回投稿記念

これで1200記事目になります。1200回目の投稿ということで「第1200回投稿記念」です。 前回の第1100回投稿記念は、2017年12月7日で、前回からの100記事は、7ヶ月弱かけて投稿したという感じです。最近また少しばかりの特別企画中ですが、しばらくは通常投稿をしていたので、長文のものが目立つ感じになりました。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。 それではおなじみのアクセス解析から投稿記念の回を進め

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序破急そして真骨頂

何かしらのきっかけで興奮状態が起こり、それが続くと新しい展開が始まり、知らぬ間に興奮は冷め、みるみるうちに本来の姿に戻っていきます。 それは恋仲でもそうですし、若いベンチャー企業などでも同じです。興奮状態により普段ではやらないような行動を取ったりして新しい世界が見えてくる、というところまではいいですが、いつしか興奮は落ち着き、また元と同じような状態に戻ってしまうという感じです。 さて、ある時から「物事が終わる瞬間」に感慨深さを感じるようになりました。 特に先日また銀の匙を読んだりしてから、いままでに経験した「物事が

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四天王の正念場

あと一歩、あと一歩のところで踏ん張れるか、そして踏ん張った先でもう一歩進めるか、ということで人生は大きく形を変えていきます。 ちょうど先ほど「ひとこと」でも触れていましたが、先日、5年ぶりくらいに駅構内にてものの見事に吐きました。 トイレまであと一歩、あと一歩と歩みを進めていたのですが踏ん張りきれず、トイレまであと30メートル位の地点で吐いてしまったわけです。 … 先日の嘔吐が5年ぶりくらいなので、最近は本当に吐かなくなりましたが、20代の頃はそんなこともよくありました。 名古屋にてコンビニに1時間以上立て籠もって

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獅子吼による試金石

世の中では弱気なだけのを「優しい人」と勘違いしてしまったり、ブラック企業が表面上取り繕うような慈善行為を持って「良い人」だと勘違いしてしまう現象がよく起こります。 優しさとは何かを考えた時、その表現方法に惑わされることなく考えてみなければなりません。強さや力を持った上で奥に慈悲があるかというところが肝心です。 「サボってやがったな!」と頭を叩かれるのが最高の褒め言葉とされる企業がありました。社長の人格がその行為を「最高の褒め言葉」とするほどの人格だったということです。 そう考えると、オラオラ系の人にはオラオラ系とし

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京都御苑の烏

三羽烏の直談判

以前、桜の季節に京都御苑で弁当を食べていたときです。 木の枝に烏が止まり、「あのー…それ、ちょっとだけいいっすか?」と食べ物をねだってきたことがあります。まるで雪雄が首を伸ばすように、「いいっすか?」とねだってきたので、おすそ分けしておいた、というような感じです。 そういえば先日は鴨川で雀が同じような感じでねだってきたことがありました。特に食べ物は何も持っていなかったのですが、やたらと周りをぐるぐるしていました。 「何ぞお持ちではありませんか?」といった表情です。 その時、目の前でいきなり鴨が飛び出しました。 とて

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茶飯事の匙加減

料理を作るということが面倒なときもあると思いますが、調理は理科の実験的な面白さもあり、かつ、味による楽しみというものもあるので、「外食ばかりで料理が作れない」というのはもったいないのではないか、ということを思うことがあります。 化学反応を目の当たりにすると言う面や包丁を使うという一種の彫刻や職人技を磨くかのような面があるので楽しみは満載です。 腕を上げるためにはひとまず様々なパターンを試すということもさながら、熟練のためには数が要になる部分もあります。 料理の腕を上達させるのには、各作業や素材の洞察を含め「楽しみを

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金輪際なしに…の後日談

なぜかアクシデントというものは連続することが多く、そうした時は集中力が格段に落ちていたりします。 かなり昔になりますが、ものの一ヶ月位で2回バイクに絡んだアクシデントが続いたことがあります。と言っても道端に停めていて、バックしてきた車に一方的に当てられたとか、バイクのスタンドがおかしくて足がバイクの下敷きになった、というようなやつです。 バックしてきた車に当てられた時は、僕が乗車していない状態だったので僕は無傷でした。結構な雨でミラー越しには視界が悪かったというのもわかりますが、結構な勢いでバックしてきたので前の部

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好事家の硬骨漢

欲を肯定し「欲を叶えやすいような世の中にしていこう」というタイプの人達がいます。しかし、欲は苦しみです。特に生命維持の領域を超えた欲はまさに無駄な欲であり、それを発端としてさまざまな煩いをもたらしてしまいます。 世の中では「そういう性質なのだから仕方がない。欲を叶えられるようにして欲しい、叶えやすい社会にして欲しい」という感じで物事を捉えているような人がいますが、社会に何かを要求する前に、その欲自身と対峙してみてはいかがでしょうか? すなわち、欲自体を盲目的に肯定するのではなく、第一前提として「それは苦しみをもたら

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好々爺たちに紅一点

男性ばかりの職場に女性が、または女性ばかりの職場に男性が一人でも入ったりすると空気が極端に変わったりします。 特にその異性が若い人ならなおさらです。サボり癖やギスギス感などが程よくなくなり緩やかな緊張感と癒やし作用をもたらしたりします。 最近ではそうした事を受けてか、わざとそうした人員配置をしたりするようです。僕が勤め人だった頃も、おじさんばかりの部署に新しく女性社員が配置されたりしていました。 一応意図としては「自分の娘と同じくらいの歳の子にかっこ悪いおじさんだと思われたくない」という感じを出して、定年前で「くた

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アシナガバチを保護中

昨日の昼間、家の裏をアシナガバチがフラフラになりながら歩いていました。羽が機能せず、かなり弱っている様子で、足を引き摺るように歩き、その様子を観察しているとバタンと倒れてしまいました。 一昨日に近くで巣の駆除が行われたようで、その時に駆除を間逃れたアシナガバチだと思います。一昨日の夜から近くで羽音と威嚇音を交互に繰り返すようなヘルプコールが続いていたのですが、どこにいるのかもわからない感じでした。何となく助けを求められている感はありましたが、どうしようもないような感じでした。 そんな中、その翌日になりますが、命から

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好一対への下馬評

何かの現象を評価・判断する時、既に持っている知識の中からしか評価をすることができません。その時に既にある知識と知識が組み合わさったりして新しい判断基準ができることもありますが、概ね今までの間に培った知識・経験則からしか評価や判断をすることはできないという感じです。 そう考えると、世間での評価・ランキングなどいかにあてにならないものかということがよく分かるはずです。 ― 僕が中学生の頃にエアマックスが流行っていました。特に高値で取引されていたのはエアマックス95であり、その時流に乗ってかたくさん靴屋ができたりしていま

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首実検、のち、下剋上

そう言えば少し前悪徳体育会系が世間から袋叩きにあった事がありました。メディアに触れない僕の耳にすら届くほどの大盛り上がりを見せていましたが、世間では大なり小なり同じような構造が蔓延しているはずであり、だからこそあれ程の盛り上がりを見せたのでしょう。 意志決定の簡素さやそれに伴う素早さ、そして統制の合理性から考えれば体育会系の構造は「楽」ですが、一方その裏でアイヒマン実験さながらの人格変容の構造を持っています。 そんな中、ゲッベルスさながらの洗脳企業がネット上で意見を申し述べていました。ネット上の広告として表示された

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口八丁の金字塔

口の上手さだけでなく、人は自信にも感化されてうまく転がされてしまいます。妥当性ばかり追求している人より、ホラ吹きの方が大物のような人になっているというケースを実感している人も多いのではないでしょうか。 単に口が上手いということなら「それはスキルだからなぁ」と納得できそうなものですが、それが嘘であっても、大見得であっても、結局周りが感化されて嘘のように実現しているという場合があります。 ある種不公平に感じますが、それくらいに口の上手さの裏にあるような自信のようなものは強力なのです。 しかし普通は嘘を嘘と知りながら自信

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麒麟児が綺羅星のごとく

家にテレビは置かず、かつ、ニュースすら目に触れないという生活をしていますが、なんだかんだで友人や同級生などでいわゆる「有名人」のような人はちょろちょろいて、地元にも現役有名人や元有名人のような人がちょろちょろいます。 そんな人達と銭湯で会ったりすることもありますし、知らぬ間に長い付き合いになっていた人が実は元有名なバンドのメンバーだったり、家の近所に東京ドーム公演をするレベルの人の実家があったりという感じなので、そのような人たちに会ったとしても何の驚きもありません。 そう言えば小学生の時、実家の建て替えをしていた時

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気丈夫かつ几帳面

まるで営業方上がりか事務方上がりかというような感じになりますが、そのどちらでもないような「職人」というポジションもあります。 業種によって職人がいる場合といない場合がありますが、大体は営業系か事務系かという感じで仕事は分かれています。 これは、食べ物を獲得する能力と、保存・加工する能力のような分類になるため、独立するとなるとまずは前者のほうの能力が必要になります。 食べ物を獲得してもすぐに放置して腐らせていたりすれば効率が悪いという感じにはなるので、そうしたことをサポートする人たちの役割というのも重要にはなりますが

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生一本ゆえ間一髪

「人に話をする時はきちんと相手の目を見て話しなさい」 そんなことを幼少期から繰り返し言われていたので、僕はなんだかんだで人の目を見て話す癖がついています。ある時からなるべく眉間などを見るように心がけたりしましたが、今でもだいたいは目のあたりを見るようにしています。 そのような感じで人と接すると、大学生の人などは緊張してしまうのか体が震えたりするそうなので、それも考えものだということを思ったりしましたが、癖なので仕方ありません。 しかしながら、なるべく相手の目を見るということをやり続けつつ、中学生の時などは目つきが悪

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紙一重の皮算用

何事も詰めが甘い場合は、結果が芳しくないものになったりします。かつての僕は結構その口でした。最初はうまくいき、結構なリードを保っているのですが、途中で詰まって結果的に平均的なものになってしまうという感じです。 おそらく無意識的にそうしてしまう傾向があったのでしょう。ある程度うまくいくと、うまく行きすぎないように調整が入るという感じなってしまう癖がありました。 その結果大失敗ということはそれほどありませんでしたが、トップから平均値くらいまで転落、そしてそのままレースが終わるというようなことはよくありました。 そんな感

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風見鶏の表看板

世の中では「いかに人の注目を集めるか?」ということ競い、その結果を渇望して「広告合戦」のようなことが繰り広げられています。 人々の日常の意識の向き先がマスメディア一極集中から、ウェブそしてアプリケーションへとどんどんと分散していきましたが、大体は人の注目を集めようとしすぎた故に疎がられ、その場所は過疎化し、また新たな場所に人々の意識は移るという流れが続いています。 古くはメルマガ登録、その後はSNSと矛先は異なりますが、結局「広告がしつこく、鬱陶しい」ということになって、人の意識を長期的に釘付けにすることはできなく

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銀の匙 中勘助

銀の匙の植物たち

中 勘助氏による「銀の匙」にはたくさんの植物が出てきます。昔は読み飛ばしていたようなそうした植物名が「今となっては引っ掛かる」ということで、ノート代わりに銀の匙に登場する植物たちを書き記して置こうと思います。 銀の匙を読む時、一応毎度毎度注釈を参照しながらという感じで読み進めていますが、そこには解説されていない植物もいくつかあります。植物そのものも登場したりしますが、「柄」や「色」加工物として名称が出てくるものもあります。 それらも含めて残しておいた後、また道端で発見したり植物園などで展示されていたりしたらそれらを

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大立者の十八番

「君子豹変す」なんてな言葉もありますが、社会においてもその人自身においても、時に大掛かりな舵切りをする時があります。 「じわじわ様子を見ながら」というやり方は一見リスクが無いように見えますが、「交差点で停止線からチョロチョロ進む車」のような危なさがあります。 そういえば交差点で思い出しましたが、以前信号待ちをしていたところ、後ろから「ガーシャカガーシャカガーシャカ」と聞こえてきました。 テンポ的にはテクノ的なやつです。 「ふう。爆音を垂れ流しながら走る車が来たか」と思っていたのですが、そんなことを思っていると隣に「

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絵空事で有頂天

すごく良い思い出でも最後の最後の状態がどうあるかによって、その思い出の解釈が変わってきたりします。また最後の状態はそれほど問題ではなくとも、時を経て異なる視点ができた時、寒気がしたりすることもあります。 マルチネットワークはまさに絵に描いた餅で人をぬか喜びさせる天才と言えるでしょう。そして現実が進むに連れて、夢を見せられていただけだと気付くのです。その時、かつて一時的にでも感じた高揚感や充実感がすべて嫌な思い出になるはずです。 基本的に喜びは感情であり、確かに純粋な感情であり、その場の感情は本物と言えば本物です。

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嘘八百の内弁慶

唯物論的には、また、功利主義的には正しい理屈であっても、人の「心」を考慮しなかった理論は失敗に終わっていきます。合理性や数値の上での平等を叶えたとしても、それに携わるのが機械ではなく人である限り、人の心の動きや変化を無視することはできません。 むしろそうした人の心の本質を捉えることこそ、環境によって変化してしまう思考や意志の動きを捉えることこそが最も重要なことだったりします。 コスト的な合理性、組織としての統制のとりやすさを優先し、ヒエラルキーを形成して組織を作り上げていくと、その上位の階層には強力な権限がもたらさ

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一本槍に一辺倒

対象が学問であれ、政治主義であれという感じになりますが、ある一人の人物やひとつの主義にいつまでもしがみついているような人たちは「途中からはルーティンで、何も考えていないのではないか?」ということを思っています。 人にもよりますが、十代、二十代の時はだいたい何かに感染します。感染と表現すればよいのか憑依と表現すればいいのかはわかりませんが、何かに没頭し移入してしまうという感じです。 それは音楽だったり、何かの思想だったり、それらを含めて誰か特定の人物だったりしますが、そうしたモノが持つ情報の空間に感染し、その人物が憑

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一匹狼の一家言

ある時から何事も一人で考えたほうがより良い推論ができるということに気づきました。「それは独り善がりだ」とか「独善だ」などというような人もいますが、「そういう事を言うのならばせめて同レベルで『納得できるような理屈』を話してみればいいじゃないか」というようなことも思いました。なぜなら、独り善がりだ独善だ、などという言葉は苦し紛れの捨て台詞でしかないからです。 それほど厳密なものでなくとも、論証のような感じで、推論の、 ―思考の軌跡をたどりながら結論的に「ということで独善になるので、もう少し考え直す余地があるよ」などと言

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韋駄天が一目散

以前どこかで触れていましたが、僕は文化系ながら太ももが異常に太く63センチほどあります。高校生の時には体育会系の人たちを差し置いて立ち幅跳びなどで学年一位でした(でも走るのは速くありません)。ということで陸上部やラグビー部などからよくスカウトを受けましたが、文化系なので全てお断りしました。 「フォームをキレイにしたらもっと速く走れるぞ」 などと体育教師に言われたりもしましたが、別に関心もありませんでした。中学生の時に保健のテストで85点を取ったのに成績が「2」だったことことから、体育は差別の塊だと思っていたからです

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