bossu のすべての投稿

詰まる言葉

直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。 他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。 何かもう一つか2つ聞いておきたいのに、それを思い出せずに詰まってしまうというようなことが多いようなそんな感じがします。 物事の運びが悪い時、たいていは「意志決定がうまくいかない」ということが要因になっています。

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いつまでも子どもでいるために

いつまでも子どもでいるためになどと言うと、語弊を生みそうな感じがしてしまいますし、あくまで「いつまでも冒険野郎な37歳半くらいの人」が目指している「童心も忘れてないぜ系等々、そういう路線でモテよう」というものとは全く異なるため誤解は避けたいところです。 が、先日「劇画・オバQ」を再読したところ、思わず10回くらい読んでしまうことになったので「いつまでも子どもでいるために」という点について触れていきましょう。 「劇画・オバQ」の内容については特に触れませんが、ふと「そうか、僕は正ちゃんにならず、Q太郎でいるために大人

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声の奥にある意味

先日コンビニに行ったときのことです。 ラーメンコーナーなどをぐるぐるしつつ、焼きそばでも買おうかなぁと思っていたところ、店内のスピーカーからファルセット、つまり裏声を多用、というより乱用するような歌声が飛び込んできました。 その瞬間に、多少のムキムキ感がありつつ、脇毛とスネ毛を剃ってタンクトップにハーフパンツの同性愛者が、声を利用し、喉で自慰に耽っているような絵が出てきたので、何も買わずに帰ることにしました。 勝手な感想ですが、 「文化系に侵食してくんな。生活に侵食してくるな」 と思ってしまいました。 裏声を出すと

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音の形状と分子構造

音には形があり、形をしっかり捉えられると楽曲はキレイにまとまります。 また形状や構造を捉えると「どうもフィーリングが合わないな」という共同演奏者同士の息の面も整ってきます。 昔指揮を担当していた時に次のようなことがありました。 四分の三拍子となっている8小節がどうも合わないということなので、息を合わせるためにどのように説明すべきかということを考えました。 その箇所は、スコア上の表記は3/4ですが、音符的な並びは6/8であり、かつ、小節ごとに3/4と6/8が交互に入れ替わるような感じでした。 さらに6/8に関しては、

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ほくそ笑む言葉たち

本格的に読書の習慣ができたのは19歳くらいからですが、京都という土地柄か、幼少期から言葉自体で楽しんでしまう癖があります。 先日、米子の皆生温泉に行ったときの宿泊先に次のような本がありました。 参考 目で見る米子・境港の100年 一体何の本を読んでいるのだという感じもなりそうですが、もちろんそうした土着文化に触れるというのも旅の醍醐味です。この手の本は京都市内でそうそう読めるものではないため、その日は雨ということもあって夜の間に全て読んでしましました。 その本に次のような項目がありました。 「専売局岡山製造所米子出

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菊花の約(ちぎり)

菊花の約

旧暦五月の雨月に開始した雨月物語の菊花の約(きっかのちぎり)は、予定通り旧暦の菊の節句である10月9日に完了しました。 「靑々たる春の柳、家園(みその)に種ることなかれ。交りは軽薄の人と結ぶなかれ」で始まり「咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん」で終わる菊花の約は、安永五年(1776年)に上田秋成氏によって刊行された作品です。ちなみに菊花の約は江戸時代のもののため、読みがなは本来「きくくわのちぎり」となっています。 楊柳茂りやすくとも、秋の初風の吹くに耐へめや 軽薄の人は交わりやすくして亦速なり 友とする書の外は、

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咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。 生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているくらいでないと親友も彼女もできにくいという感じになっています。 なので、そうした現

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立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし

どさくさに紛れてということは混乱期によくあることですが、最近もまた給付金等々において唆しによる詐取が横行したりしていたようです。その他、安易に電子化を進めようとした結果、勝手に口座からお金が引き出されていたというようなどうしようもない犯罪が起こっていたりもするようです。 名義を貸して受け取り、手数料を払うというような構造でちらほら給付金が不正受給されたようですが、個人的には、そんな甘い話に疑いを持たないという感じの危機管理能力というか危機意識が無い方が驚愕の対象となっています。 僕としては、小さいときから「安易にハ

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信義を重んじて態々ここに来る

接待ゴルフという言葉は昔からありますが、全くいやいやというわけでなくとも、本当はそれほど乗り気でもないのに付き合いできているという人たちと遊んで本当に楽しいのか、と小学生の時から思っています。 まあ脳筋体育会系としては、部下や後輩を侍らせている、とか、自分の鶴の一声で、というところで自尊心を回復していたりするのでしょう。 僕の感覚としては、「義理で来てくれている」と思った時点で、「相手に気が悪いなぁ」と思ってしまい、逆に楽しめなくなります。意識の何割かはその人に向くため、目の前の遊びへの集中が阻害されるからです。そ

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肩の力を抜いてあとふたこぎ

常日頃「そろそろ切り上げようかなぁ」と思ったときには「あと2つくらいだけ進めておく」という感じにしています。 まあできなくてもそこで切り上げてよし、2つくらい進めばかなり良し、1つだけでも結構いい感じ、ということになるので、だいたいそんな感覚で事を進めます。 何が1つの単位なのかは具体的には示しえませんがそんな感じです。 「激甘コーヒーでも飲んでからもうちょっと進めておくか」と思い、「その前に」と、外の空気を吸いに表に出ると、ちょっと眩しい夕暮れと爽やかな風が舞い込んできました。 「これはイージューライダーしかない

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栄利にのみ走りて士家の風なきは

営利という字の並びはよく見ますが、栄利という字の並びはそれほど出くわすものではありません。注釈には栄達利益と解説されていました。つまり、高い地位になることや儲けることといったところでしょう。 本来、地位はその人の役割に応じたものであるべきであり、利益についても人の役に立った分だけもたらされるものであるべきです。しかしながら、世の中には、一見で合理的そうでありながら、その実、実際の地位のあり方や収入のあり方を狂わせる仕組みがたくさんあります。 そうしたものの代表例は、お役人の出世のあり方でしょう。 お役所や半分お役所

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骨肉の人

深いところで軽視され、また一方深いところで重要視されたりするのが骨肉の人といった印象があります。 深い部分で理解し合えず、また一方深い部分で理解し合えるというようなものでもあり、様々な聖典の部類に示されるように、敬意は示されにくいものという感じになっています。 だいたい自分がどうなろうと、何をしようと身内や地元の人達からは深い部分では敬意など持たれないということは、太古の昔から人間社会の常となっているようです。 持たれているとすればそれは大昔から持たれているというだけで、ある程度の年月が経って改めて敬意を持たれると

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頭を低れて言なし

「頭を低れて言なし」という文字列を見て真っ先に思い浮かんだのがこちら。 雰囲気的に 「バイト帰りにこんな感じで腰を下ろしてしばらくを過ごしたい」 という気分になってきます。 ということが関連付いているのか、少しそのような姿勢を取ると80%くらいの確率で「Olympia WA」を思い出してしまいます。 そして必然的にNOFXの方も思い出します。 ということで、Rancidの方を聴いてしばらく項垂れ、NOFXの方を聴いてパーソナルテンポが速めにシフトされた後に再度Rancidの方を聴いてみると 「世の中も、日常も、まあ

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年少しといへども奇才あり

今年の夏に鳥取県に行ったときのことです。 大山、米子、境港のあたりから鳥取市方面に移動中、トイレがてら道の駅に寄りました。 男子トイレを出て通路に差し掛かった時、小学校低学年くらいの男子の後ろ姿が見えました。 後ろ姿ではありますが、誰に見せることなくと言った様子で「変なおじさん」が始まりました。 まだ家族の方々はトイレ内にいるようだったので、その後、館内待合室に一人です。 鏡ではありませんが、反射で自分の姿が見える場所まで移動し、真剣な面持ちで一人、変なおじさんを研究しています(どうやら動きのキレを研究していたよう

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若し諱むべからずのことあらば

人生には様々なリスクがあります。そうしたものについて考えることは気を重くしたり暗くしたりするので見ないようにしているという人もいるかもしれませんが、何かしらのリスクが常にあるということを全く無視するということはできそうでなかなかできません。 世間の人達を見ると、実際にどうしようもなくなるリスクということは考えない割に、自分が恥をかいたり惨めになるということに対するリスクには敏感だったりするので少し滑稽に見えてしまうことがあります。 熱意で覆い隠す不得手なことからの逃避 愛情の形的なものに関して「熱意さえあれば良い」

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ねがふは明かに答え給へかし

高校生くらいの時のことですが、何かのアニメの脇役のおじいさんが「答える義務はない」というセリフを言っていたのを観てからというもの「そうかぁ。答える義務はないのかぁ」と、ひとつの返答の形を学習してしまいました。 まあ義務と言っても究極的には何かしらの権利が欲しければ的な仮言命法的なものにしかすぎないので、権限の維持や相手からの好意等々を含めそうした対となる対象を欲しなければ何事に対しても義務というものはないという感じになっています。 そう考えると他人に対する責任というものは、相手からの信頼等々を欲する場合にしか生じな

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吾が学ぶ所

物事がわかる時はいずれにしても「なぜだかはわからないが急にわかった」という構造になっていたりします。 散々考えたりして少し間が空き、再度取り組んだ時に「見える!」という感じで「なぜだかはわからないが急にわかった」という感じになったりもしますし、現役で考えているときでも実際に「わかった!」となる直前までは理解できなかったということになるので、その「わかった!」の瞬間においては何か光が降りてくるような感覚で理解をしたりしているわけです。 楽器の練習においても、同じような反復練習をしている間、「うまくいかないなぁ」と思っ

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第1900回投稿記念

これで1900記事目になります。ブログ創設から1900回目の投稿ということで「第1900回投稿記念」です。 前回の第1800回投稿記念は、2020年4月25日だったので、前回からの100記事は、5ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づきがありました。また単純に応援メッセージをいただいたりもよくしました。ありがたい限りです。 PC、タブレッ

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飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて

寝食を忘れるほどの集中力がある時はそれ以外のことに意識が向かない、つまり雑念が浮かばないので心地が良いものであったりします。 気力不足というものは実際に体に動かしたりして体力を消耗した時に起こるものではなく、どちらかというと意識的な情報が錯乱した時、意志決定やペース等々を振り回されたりした時、意識に上っているか無意識の底にあるかということに関わらず、ずっと気がかりなことがある時に起こったりします。 そうした状況にある時に「体力は消耗すれど精神はひとつのことに集中している」という感じになると、表面的な体力的消耗とは裏

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生は浮きたる漚のごとく

形として見えるものでありながら、実際にあるとまでは言い切れないものであり、かつ「自らの意志」があるように見えながら流れの中にあるものということで、生とはまさに浮きたる漚のごとくという感じになりましょう。 「自らの意志で頑張った」ということも朧げなものであり、「一生懸命がカッコいい」というような周りの評価から形成されたという点もありつつ、そんな「一生懸命がカッコいい」というような評価そのものもどこかから生じたものであったりします。 そして、そうしたことを伝えた人も、言葉も、概念も全て流れの中でまとまりとして形成された

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尊体を保ち給うて

サプリメント等々が普及したということもあってか、体調が悪いなぁと思った時に、費用を使って何かを取り入れようとしてしまいがちですが、何となく体調が悪いという場合、単に慢性的な酸欠状態だったという場合が結構あります。 そうなると体はガチガチになり、血の巡りも悪くなり、また当然に呼吸もしにくくなってさらに酸欠となります。 一旦そうなってしまった場合は深く息を吸いながら体の柔軟性を取り戻すべくストレッチなどをすればある程度体は復活していきます。 ということで、まずやるべきはそうした無料でできることなのですが、経済社会的な広

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徒に天地のあひだに生るるのみ

日常社会生活を送る上ではさして問題視されない「生きていかなければならないからね」というような言葉も、哲学の空間に足を踏み入れた人たちにとっては「ねばならない」というような断定に違和感を感じるものですし、厳密には「ねばならない」ということは確定していません。 人間賛美や生命賛美というのが当たり前かのように語られたりしますが、それら賛美は当然中の当然というわけではありません。 「価値あるものということにしておかないと何かと都合が悪い」というところが生き物としての人間の共通項のような感じになっているので当たり前かのように

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幼きより身を翰墨に托するといへども

詳しいことはわかりませんが、才能と呼ばれるものは基本的に「幼少期にどれだけ対象に夢中になったか」ということからしか生まれないものであると思っています。 それは文化系の領域だけなのかもしれませんが、そうした才能のようなものが語られる時、「生まれつき」と表現されたりするものの、本当は単に幼少期の体験から生まれるものばかりなのではないかと思ったりするわけです。 話し方のパターンなどは小学生くらいの時からほとんど変わっていませんし、何を面白いと思うかという点についても細かなジャンルやパターンは枝分かれしていそうなものの根本

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渇するものは夢に漿水を飲む

欲やその充足については、まさに喉の渇きと例えられるように充足してもマイナスからゼロになるだけであり、プラスに感じてしまうのはその差の大きさからの印象にしか過ぎないということになっています。ということで、基本的には苦の範疇です。 そんな中でも生きているからにはどうしようもないという生苦の範囲に入るものと、やはり厳密に考えれば自作自演の「苦」としか捉えることができない無駄な苦しみがあります。 水を求めるように求めよ それが意識的なものでそれほど厳密に決まっていないようなことであっても、自我は生理的な喉の乾きの不快パター

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愚かなるかとつよく諌むるに

愚かなるかと強く諌められている方が、何が問題なのかを把握し、改善していくことができるので、その指摘が感情に任せた戯言でもなく、一考の余地のあるようなものなのであればそれはそれでありがたいものであったりします。 言われているうちはまだいいですが、年齢を重ねていくにつれて誰も指摘してくれなくなっていきます。ということで、どんどんと改善の可能性が減っていきます。 しかしながらあまりに度が過ぎていると怒りではなく呆れや情けなさという一種の悲しみがやってくるため、諌めるという気すら起こらなくなってしまうことがあります。 お客

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