通信講座による資格取得に対する理解

思えば僕も勤め人時代は資格をよく取得したりしました。勤め先において求められているものがほとんどですが、「まだ学生時代のお勉強感覚が残っている間に」と思い一気にたくさん取りました。 こうした資格の取得に関してよく通信講座とか対面の短期集中講座のようなサービスを提供しているところがあります。 ただ、よほどの難易度のものなら専門の塾のようなものがありますし、とりわけ通信講座なんかは何だか中途半端で、しかも高いという印象があります(本を買っている方が安いという印象があります)。 「資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性」等

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個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと

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受け取る「器」と「余白」

自分自身の深い部分で「対象を受け取る器」が無いとそれは現実にはやって来ません。これは当然といえば当然のことであり、何も不思議なことではありません。 そしてあまり語られませんが、器に余白がないと、一時的に壊れることもあります。ただこれに関しては、器というよりもエネルギーや気力の余裕といった方が印象としては近いかもしれません。 現実に即したような形でも「受け取る『器』」を捉えることもできますが、説明不可能な感じで何かを受け取ることもあります。 僕にとってのその象徴は養子のうさぎでした(Kさんちのうさちゃんと我が養子)。

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「曖昧な記憶」とパラレルワールド

「曖昧な記憶」とパラレルワールドについてちょっとした思考実験的な遊びをしてみましょう。哲学とは本来こうした思考の遊びです。 パラレルワールドとは、並行世界、並行宇宙といったようなもので、単に「並行して存在する別の世界」というような感じです。定義付けとしては「時空」等々、様々なものを絡めることができますが、SFマンガ的にシンプルに、枝分かれした「自分の人生の並行世界」程度に考えていきましょう。 「曖昧な記憶」というものはたくさんあります。語の定義を忘れたとかそういったものよりも、自分の経験であるのに何となく「あまり思

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そなえよつねに

この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。 だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなか

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逃避としての変人意識と芸術

世の中には変人と呼ばれる人たちがいます。本当の変人は自分のことを普通であると思い、本当の変人ではない人は、自分のことを変人であると思っている、というようなことがよく言われたりします。 僕もどちらかと言うと変人の部類に入ると思いますが、自分の考えが普通であると思っている部分もありつつ「世間とのギャップがある場合もある」ということも思っているので、何とも言えません。 変人といえばこだわりが強いという面がありながら、そのこだわりが「理解不能」という感じになっています。それは理屈として理解不能なのか、それとも「そこまでのこ

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お客の親への喝

そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやってきました。 別にそれは構わないので、喫茶店にてパソコンを持ち込んで数時間お話しました。 相手のお客は20代男性、発達障害を持つ人でした(これは後で知ることになります)。 何だか少し違

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祓としての「変な意識の力」

変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。 胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。 (力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう) 主観的な空間の把握としての認知が揺れるのか、すれ違うだけでコケるおじさんやおじいさんがたまにいて、あまり出歩かないものの月に一度くらいはそんなことがあります(昨日もそんな事がありました)。コケるという現

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新年 2022

みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。 年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。 寅年ということで… さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃん

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さよなら2021

2021年が終わります。12月生まれということで38歳になりました。半分にしたら19歳、あの時から倍生きたことになります。 中学や高校のときの同級生とも未だに遊びますが、考えてみれば出会ってから20年以上、出会ったタイミングから考えれば四半世紀前後の付き合いということになります。小学校の時からの友達で言えば30年を超えています。 2021年は公私ともに様々な変化がありました。といっても社会情勢はそれほど影響していません。 2021年のラストに、10年ぶりとなる友人がいきなり実家にやってきて、その後我が家にやってきた

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未来を見るためのエネルギー

思い返すと昔はかなり先延ばし癖があり、未来を見ようとしないというか、現状維持に相当意識が向いていたような気がします。 それは未来を考えることが恐ろしいというようなものも含まれていますが、現状がそこそこ楽しいので、その空間をなるべく継続したいというような、そんな理由も結構な比重であったように思います。 十代後半の頃は、「とりあえず癖」が強く、衝動のままに突き進むことも多かったように思います。しかしながら大人になるためのあれこれについては、経済社会に対する「本質的にはどうなっているんだろう?」という問いの力がある程度高

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第2000回投稿記念

これで2000記事目になります。ブログ創設から2000回目の投稿ということで「第2000回投稿記念」です。 前回の第1900回投稿記念は、2020年9月29日だったので、前回からの100記事は、1年3ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。それまでに比べてかなりのローペースでした。 なお、第1000回投稿記念は、2017年9月20日だったので、4年3ヶ月ちょっとで1000記事を投稿したことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいた

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苦悩を縦横無尽に展開

思考がループする時は、基本的には情報不足や意志決定の気力不足が影響していたりします。決めるための情報が不足しているとか、あと一歩の思い切りの力が出ない、というようなものです。 堂々巡りを脱却するため、普通はそうした面でなんとかしようと思ってしまったりします。 また、とりあえず思考が働きだしたら「ストップ」と口に出したりして、思考ループによる気力の浪費を防ぐというような方法が勧められることもあります しかしながら、何かしらの苦悩、苦悩から起こる思考のループを脱却するということに関しては、もっと良い方法があります。 苦

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倫理の照準

基本人格は小学生の時から変わっていませんが、Z会の発達に合わせて、怒り多き思春期を過ごしたりしました。 でもその時に出会ったからこそ「こうなるべきである」というような倫理の照準がうまく設定されたような気がします。 自我の領域として、情報が収束して形成される人格において、「こうなるべきである」と思った人格、象徴は、hide氏です。それは中学生の時から変わっていません。 尊敬する人というのは特にいませんが、もしいたとしても、シッダールタのような聖人とされるような人たちは、当時の自分からすれば遠すぎてリアリティがありませ

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最初から出ていた答え

遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。 それは努力必要論、不要論の範疇に入りますが、それ以外にも、「努力というものでは何ともならない領域のもの」についてのお話もあります。才能が云々というものではなく、「努力とは別領域」とい

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反省と少しの勇気と決意

小説や楽曲、映画、アニメ等々においても、なんだかんだで好きな物語には特徴があります。 それは「今の自分よりも立派な人間になろう」というような反省と、そうなるべく起こる少しの勇気や決断、決意が含まれているようなものです。 ドラえもんの中でもたまにあるような感じですし、藤子・F・不二雄氏は「のび太にはひとつだけいいところがあります。それはたまに反省して立派な人間になろうと思ったりするところです」と言ったような感じで示されたりしています。それと同じような要素があるものを僕は好む傾向にあります。 というわけで、児童文学に分

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カルトの定義

カルト(cult)とは、もともと熱狂的な崇拝を意味し、一種の原理や哲学に基づいた儀式、行動様式などを意味するような言葉になりますが、現代では反社会的な破壊的カルト集団を指す場合に用いられたりします。 カルトの定義としては、次のようなものになります。 精神の安定のために、絶対性を持たない原理に執著し、原理やそれと関連する人物、概念を熱狂的に崇拝すること。ならびにその崇拝対象がもたらす空間、組織。 熱狂的崇拝によって精神の安定を図るため、その主義、思想、哲学に沿わないものに対しては排他的になり、時に攻撃対象とすること。

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蹴球唾吐

1994投稿目ということで1994年…エキサイトステージ94…先日の強制終了…ということで、サッカーの思い出について触れていきましょう。 1993年から1994年頃といえば空前のJリーグ、サッカーブームの到来というような感じであり、当時小学校中学年だった僕の学校でもサッカーが流行しました。友人と「Jリーグ エキサイトステージ’94」を楽しんだり、サッカー遊びのようなことをするような感じになったりしました。 昔からスポーツチームのファンになるにあたって、何を根拠にファンになっていくのかがよくわからず、当時

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顔の締まりとランラン光線

最近聞いた話ですが、推しの文化により、関連したものによって自分を表現しようというか、話の取っ掛かりを作って誰かに絡んでもらおう、できればモテようとするような雰囲気があるようです。 しかしながらそんなことでいくら取り繕おうが、本来、顔だけで人格はバレてしまうので、深い部分ではあまり意味がないのではないか、深い仲になったりする点においては、それほど有効ではないのではないか、と思ったりします。 また、服装がもっさいわけではなく、実は顔が…ということが言われたりすることもあります。意外と同じ服を同じようなサイズ感で顔が締ま

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強制終了という選択

パソコン等々がフリーズしたとき、ソフトやアプリが固まってしまってどうしようもない時、取る方法は基本的に強制終了という感じになっています。 それと同じようなことをすればよいのに、なんとかいじくり回そうとしてどうにもならず、右往左往して人生を強制終了させるというようなことに走ってしまう人たちもいるようです。 ただ、単純明快な解の一つとして、対象空間を強制終了するという方法があります。どうしてそれをしないのかが少し不思議です。特にデジタル空間、インターネット空間であれば、それはすぐに可能となるはずです。 友人間でも利用す

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静止することにより見えるもの

日常から離れ、静止することによって見えるものがあります。それは特に非日常的な体験というものではなく、独りの空間をある程度保って静止するといったようなものです。そうすると行きたい方向が見えてくる場合があります。 例えば、「少し休みを取ったとしても、特にやることがないからなぁ」と思ったりして、あまり一人で独立した空間を持つことを意図しないというようなことがあります。 「周りとの関係を調整してまで、わざわざ休みを取らなくても良い。そうした間を設けるにあたって、周りに色々と言って回る方が面倒だ」というような感じです。 しか

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あほぼんの象徴

基本的にダンスというものに寒気を覚えるものの、一部例外があり、エアロビ笑点やタイムスリップショッピングダンスなどは、「あほぼんの象徴」として、別口で感性をくすぐるものとなっています。 エアロビクス的な動きや音楽は、80年代を思わせる雰囲気と相まって、僕にとっては爆笑の対象となったりするわけです。 その根底に流れているものは、やはり資本主義経済、シロナガスチ○ポ的な「あほぼんの象徴」であるからこそ、という感じがします。 すなわちそれは、彼らお得意の略奪や資本主義的合理化の果てにあるものは、「暇でやることがなく、エアロ

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ちょっとした想像力と抑止力

先日、銭湯に行った時のことです。兄弟数人の子連れが一組いて、そこそこ騒がしかったのですが、一番騒がしいのは父親と思しき大人でした。「わー」などとい言いながら、湯船に飛び込むくらいの感じです。 まあ奇声さえあげなければいい、と思いつつ、おそらくイクメンなどという言葉に踊らされ、妻や子どもの言いなりになって自分を保てなくなり、結果、「自分の精神の方を子どもに合わせないと発狂してしまう」というような状態なのでしょう、というようなことを思っていると… 倶利伽羅紋紋さんがやってきました。 倶利伽羅紋紋さんは湯船の中にいた僕の

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胸の痛みが消えてなくなる感覚

どうも体の部分部分に秘めた痛みというものは、その痛みを受けた時の記憶等々と連動していたりします。 また、緊張の種類によって体としても緊張が走る場所が異なるため、ある部分の痛みや疲れは、それに応じた緊張のエピソードと連動していたりするようです。 先日、夜に眠れなくなり、いつもなら春先に起こるような緊張の解放が一気に起こりました。もしかすると「相手の空間に飲み込まれると調子を崩す」等々を投稿した影響かもしれません。 胸の真ん中にグーッと圧迫感が走り、痛みが走りました。 そして、記憶が急激に描写され、一気に涙が溢れてしま

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電話とメールの使い分け

思い返すと、友人との連絡においては、この数年ほぼメール、メッセージ機能を使っていないということに気づきました。 逆に業務関連ではほとんどがメールのみということになっています。 その大きな違いは、仕事においては「言った/言っていない」というようなものを防ぐため、認識の齟齬を防ぐためというような意味合いが強く、友人関係においてはそうした証拠保全の必要がないという点が挙げられると思います。 直接話す、通話、メッセージという順 原則的に人とのコミュニケーションは、直接話す、通話、メッセージという順になっています。 仕事の面

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by bossu

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