男と男の一騎打ち
「男と男の一騎打ち」というような機会はさほど多くありませんが、やはり節目節目でそのような感じのことがちらほらありました。 大口の取引や、起業前に職場の上司と話した時等々もありますが、それらはさほど大したことはありません。 人生で一番の「一騎打ち」はやはり、妻のお義父さんに結婚の挨拶をしに行った時です。 ものの数分ですが、妻に対する気合いと娘に対する気合いがぶつかり合う瞬間ですね。 その時の誇り以上の誇りの感覚はありませんし、また、その時以上に「女が女の顔になる瞬間」を見たことはありません。 夫と父、男と男の本気の愛
不安の押し付け合い空間との縁切り
どうも社会において「不安の押し付け合い」をよく見受けます。これは各個人の問題ではなく、一時期の社会状況の変化とその時の情報汚染の影響だと考えています。 端的にはコロナ環境の影響です。その時についた「癖」とその影響による不安が根底にあります。 先に社会状況と情報汚染の影響の例について触れておきます。 体育会系の脳筋感や「脅して人を動かそう」という「ノルアドレナリンルート選択」は、おそらく第二次世界大戦をメインとした戦争の影響だと考えています。その時の社会状況における人の意識の最適化がそれだったという感じです。 そうい
情報の破壊
気力や体力がない時、「治そう、回復させよう」と考えます。それでうまくいくときもありますが、うまくいかないときもあります。 それはマイナス要因が大きすぎる時です。 このマイナス要因というのは何かということを突き詰めると、意図の障害になっている情報状態です。 また、治しても治しても復活する体のこわばりや痛みがある時、特定の情報による慢性的な緊張や炎症が潜んでいる場合があります。 なので表面的に治療しても、また緊張によって復活します。 何かしらの表現としての情報が残っているわけですね。 で、それを意識上の解釈変更で正そう
ドラえもん的視点
ふとドラえもん誕生の時の藤子・F・不二雄氏を思い出したのですが、その誕生の時の発想やマンガ自体が「現代の哲学がようやく追いついてきている視点」であることに気づきました。 大きく分けると ドラえもん誕生の時のF先生の思考 「タイムマシンがあったら未来の自分からアイデアをもらってくるのに」 という点、そして 「ドラえもんの世界自体がパラレルワールドであるということ」です。 前者はやや大乗仏教的です。 後者は「量子的な重なり合いの解釈」として現代の哲学でようやく追いついてきた考え方です。 ドラえもんというものが普通の社会
肚の据わりと集中力・やる気のルート選択
肚の据わりとやる気について、そして集中力・やる気のルート選択でも触れていきましょう。極めて大まかに軽くだけ触れておきます。 大きく分けると肚(はら)の気と、「集中力・やる気のルート選択」についてです。それぞれ別々のことについて触れますが、前者は東洋的、後者は西洋的かもしれません。 肚(はら)の気 まず、肚(はら)の気について触れていきます。気と呼ぼうがプラーナと呼ぼうがそのあたりは何でも構いません。 まあいわゆる下丹田、臍下丹田であり、あえてまとめると第一・第二チャクラについてです。第一は会陰や尾骨、第二は小腸・仙
子守唄と夏の空
自転車で少し動き、自転車を置いて歩くようななんてことのない散歩でも とてもきれいな空に出会うことがあります。 娘が2歳の頃はそんなことがよくありました。 どんどん先々進む娘に付き合うと、とんでもないところまで歩くことになります。 「だっこ!」 ちょっと待ってくださいよ。 体力を使い果たした彼女は、うとうとし始めています。 我が家の子守唄「Love so sweet」の出番です。 「3歳になってもだっこしてもらえる?」 ああ、そういうロマンチックなことを言うね君は。 「3歳になっても、30歳になってもだっこしたげるよ
低評価レビュー削除のための注文キャンセル
先日、某オンラインショッピングモールにて、低評価レビュー削除のためとしか思えない、店舗側都合の注文キャンセルで頭が混乱する経験をしました。 iPod等々のスピーカーよりはマシでありつつ、娘にすぐ壊されるため、安物のBluetoothスピーカーを買いました(むしろ壊されたからまた買ったという感じです)。 少し前の注文になりますが、一応領収書発行をしようと思ったら注文履歴が消えています。 レビュー特典のようなものがあったので、購入直後に普段はしないレビューを無理やりつけたのですが、その時の内容が悪いものだったからか、注
壊れそうな不器用な笑顔
壊れそうな不器用な笑顔は、それはそれで宝石のように煌めいています。無理をして笑う必要はありませんが、絵に描いたような素敵な笑顔でなくても、今にも壊れそうな、不器用な笑顔でも、それはそれで何か輝いて見えます。
程よいシンクロで覚醒するもの
最近では聴く曲も「娘セレクト」が多くなってきました。 今までは特に「世界の終わり」を聴いたことはなかったのですが、聴いてみると結構歳が近いからか妙に頭が同調します。 それで、聴いていると、「ああ、そこはヒイズミマサユ機氏調にしてしまうな」とか「そこは小林武史氏調にしてしまうな」とか、「多分もっとSUGIZO氏のようにうねらせながら伸ばしてしまうな」と思うときがあります。 つまり、自分ならそう編曲したり演奏してしまうというようなものです。 しかし、よくよく聴いていると、 「私が間違っています」 ということに気づいたり
夫婦仲の秘訣
夫婦仲の秘訣は何ですか? というような話題がありますね。 「あれこれをしてくれる」云々、「こういうところがいいと思う」云々、様々な意見がありますね。 逆に仲の悪い人たちや「一方が当て馬のポンゴになっている夫婦」は「別れるに限る」というようなものもありますね。 しかし、どれも本質とは異なります。 答えを言いましょうか。 男側の自信です。 それだけです。 その自信に根拠がなければないほどいいですね。 つまり、最も良いのは「根拠のない自信のようなもの」です。 そこまでいかない場合でも、何かで自信を持っていればまだマシです
話し相手が欲しい時
話し相手が欲しい時、話を聞いて欲しいというような感情が昂った時、普通は話し相手を探そうとしてしまいます。 たいていそんなふうに話し相手が欲しい、話を聞いて欲しいと思っている時は、何かしらの抑圧されたもの、鬱憤といったものが溜まっていたり、頭がまとまっていない状態だったりするので、聞いている側は面倒だったりします。 ほとんどの場合は、建設的な意見が欲しいのではなく、ストレス解消を目的としています。 旧来から掲示板やチャットというものもありますし、最近では、話し相手を探す系アプリの広告がよく出たりします。 しかしながら
ヒゲ、メガネの面白さ
ヒゲを生やして縁の太いメガネをかけている人を見ると、 爆笑してしまうんです。 そんなに自分を隠したい? それ、かっこいいの? かっこいいね。 きっと。 僕は思わないけど。 ― 特に行く気もないショッピングモールにたまたま行く用事があって行くと、 ヒゲ、メガネの人が子供を連れていたりするんですよ。 え、どこかの誰かは、あれに抱かれてんの? ということすら面白いんですよ。 え? あれがインサイダー取引したの? ― いいよ。 僕の鼻毛を笑ってくれても。 鼻毛を「かっこいい」とは思ってないけど。 ヒゲにメガネ。 かっこいい
アフォリズム 1041-1050
アフォリズム 1041-1050 1041.自信と女 1042.年配者の癖 1043.自信のない親 1044.四無量心の中の「褒め」 1045.ゲーム化のためのゲーム 1046.家族の仲と安心 1047.手紙の文化 1048.追従と道の誤り 1049.合理性のあるすごそうな考えへの態度 1050.ブレない三面 1041.自信と女 自信がぐらついた時、たいていそばに女がいた気がする。 多少なりと異性としての意識を持つ女の意見をまともに聞こうと思ったり、相手のことを考えたりすると自信が揺らぐ。 これは自分への信頼であり
第2201回投稿記念
これで2201記事目になります。ブログ創設から2201回目の投稿ということで「第2201回投稿記念」です。小6事件という個人的な「続きもの」を投稿していたので「第2200回投稿記念」ではなく第2201回目の投稿となってしまいました。 前回の第2100回投稿記念は、2023年1月18日だったので、前回からの101記事は、1年半弱かけて投稿したという感じです。またローペースで、かつ、アフォリズムで少し数を稼いだ感はあります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、
小6事件のその後 「絶交」
前回:小6事件⑤ 最終章「ともだち」の完成と「友だち」 とーもだち!とーもだち! さあゲームの始まりです。愚弄な同級生諸君。ボクを止めてみたまえ。 ということで、親友のおかげで部分的には落ち着いたものの、ともだち化は進みました。 思春期、第二次性徴期ということもあるでしょう。 僕は小6事件の張本人が、Aであることを記憶の中で封じ込めていました。 しかし、中学2年生くらいの時に事件が起こります。 この頃のこの事件の影響で、俗に言う「いじめはいじめる側が100%悪い」という意見を譫言だと思っています。 その場合もありま
小6事件⑤ 最終章「ともだち」の完成と「友だち」
前回:小6事件④ 行かないで愛しき人よ 女神さんがいなくなり、僕の「ともだち化」は加速しました。 そして中学生になりました。 入学の前後あたり頃の自分は、「女神さんが引っ越した先は親戚の家の近くだから住民票を移して自分も転校する策略」などばかりを考えていました。 上級生に喧嘩を売って、あえて痛くない程度に負けて「いじめられているから仕方ない」という構造を作って大人を説得するというのがいいだろうか? という事ばかり考えていました。 さて、最上級生から最下級生へ。 今度は少し年上も標的にしよう。どんどん大人にも挑んでい
小6事件④ 行かないで愛しき人よ
前回:小6事件③ F先生A先生 ぼくはどうすればいいの? 「唆され立候補し自己投票した1票のみだった学級委員選挙事件」があった時、唆した当のAは「言い訳」をする程度、他の人は選ばれた人に意識が向き、一部の比較的仲の良かった同級生男子は若干気まずそうな空気を出した程度でした。 そんな中、机に伏せている僕に、ひとりだけ「大丈夫?」と声をかけてくれた女子がいました。状況を理解してくれた唯一の人です。 それまで同じクラスになったことはなく、話したのも初めてでした。なのでこの人が自分に投票しなかったのは仕方がないとも思いまし
小6事件③ F先生A先生 ぼくはどうすればいいの?
前回:小6事件② 注目とニセモノの始まり 小学生当時、藤子不二雄両名、つまり F先生とA先生の関係に最大のあこがれを感じていました。まあその点は今でも変わりありません。 「小学生の時からずっと一緒で、さらにドラえもんやオバQ 、怪物くんを生み出している」 僕の中の理想です。 そんな友だちが欲しいのです。ただ、安定的に続くかは不安で仕方ありません。 その当時でも他のクラスに「クラスの同級生たちよりもっと仲の良い友だち」はいました。 ただ、今のクラスにも4年生くらいの時は毎日遊んだ友だちがいました。しかし彼は僕に投票し
小6事件② 注目とニセモノの始まり
前回:小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり とーもだち!とーもだち!僕の頭にある意味での「よげんの書」が出来上がりつつありました。 おそらく学級委員になったのは、少年野球をやっているZ君。人畜無害です。おそらく野球つながりで相当の票を獲得していました。 名簿の画像を送ってくれた同級生女子、― Cとしましょう。との話し合いの末、おそらくZ君だったということがわかりました。 そこで、ある程度納得がいきました。同じクラスには少年野球組が多く、ある程度仲の良かったやつも野球つながりでそっちに流れたということです。 それ
小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり
僕の中の全てではないにしろ、自我の3/4くらいは、20世紀少年で言うところの「ともだち」であり、デスノートで言えば「キラこと夜神月」です。熱血だったり、スマートだったりといったヒーロー側ではありません。 そのきっかけは、小学校6年生の頃の事件です。 それまでは生きていました。 ですがその時から、世界が歪みました。 傷つきすぎた僕はその事件を「捏造」していました。記憶に蓋をするための捏造です。 小学6年生になってしばらく経ったある日、学級委員を決める選挙的なものがありました。 そうしたものはいつもスルーしていたのです
紙に書き出すこと
紙に思考の内容を書き出すことで、思考はまとまり、感情は落ち着いていきます。できれば紙とペンでというのが理想です。書くと思考スピードが落ちます。その速度の低下が、本音を発露させやすくなるポイントになります。 本来の効果はそれだけではありません。自分自身への共感、理解、そして信頼に繋がっていきます。つまり根拠なき自信につながっていきます。他の側面で見れば、思考を書き出すことは、ヴィパッサナーのひとつの類型として考えることもできます。思考を観察するということですからね。 ブログ投稿もその役割がありましたが、やはり長年運営
アフォリズム 1031-1040
アフォリズム 1031-1040 1031.なんとか走れるとしても 1032.先にやめる 1033.信念の脆弱性 1034.「守る教育」をする側に求められるもの 1035.合理性の追求の果て 1036.大声や全力疾走 1037.自分に合った寝具 1038.家庭に生活費を入れるということ 1039.妄想と体験 1040.自我を宥めること 1031.なんとか走れるとしても パンクしたままでも一応なんとか走れるけどさ、やっぱり先に直してから走った方が良いんじゃないの? 1032.先にやめる 「こんな世の中にした奴らが悪い
声枯れの利用
現在副鼻腔炎が続いています。まあ娘の風邪がうつってそれからという感じなのですが、治りかけてはまた復活しということで、一ヶ月以上続いています。 日中は平気ですが、この副鼻腔炎は寝込みを襲ってきます。こちらは眠っているのでどうしようもありません。 また、日によっては鼻だけが苦しい時もあれば、喉に落ちてきて声が枯れてくるという時もあります。 こうした副鼻腔炎癖がついたのは、コロナ感染の時です。 そしてふと思い返すと、怒りが増幅していた原因の半分くらいはこの副鼻腔炎の息苦しさからくる「ちょっとした酸欠」なのではないかと思っ
思い切る際の気合い
人間、短期的なストレスにはある程度対応できても、中長期的なものにはなかなか耐えられません。そして、短期的なストレスすら避けてしまうということの理由に「中長期的にかかるストレスを想像すること」が挙げられます。 ストレスというのは負荷であって、「暑いなぁ」とか「スクワットで太ももがきついぞ」といった身体的な負荷もありますが、精神の上でのストレスもあります。 それ自体はなくなりません。ただ、反応を変えるというか、ストレスを感じた時の反射のあり方を変えることはできます。 ただ、根本的な部分を避けて枝葉の部分だけを対処するよ
現実を無視する
「なんとかなる」の続編です。 それは「現実を無視する」です。 「現実が変わらないのであれば困る」ということになりますが、その意見は自我の意見です。現実を変えるために「なんとかなる」と思い込もうとして、安心したフリをするというのは誤りです。 「なんとかなる」と心底思って安心して意識の向きが明るくなったのに、現実を確認してまた騒ぐということを繰り返してはいけません。 なので、より厳密に言えば、「なんとかなる」の状態になったら、不安・恐怖を伴う思考や妄想を無視する、かつ、現実を無視するということです。 「現実を無視する」