菽水の奴

貧しさというものは時に苦しく、時に悔しい思いをもたらしたりします。その一方で、時に強さをももたらすものであり、共感の能力や物事の本質を見極める能力の高まりに貢献することもあります。

どう転ぶかはまさに姿勢しだいであり、物事は常に変化し、一時的に状態が悪くなるという可能性は常に潜んでいるため、「常日頃、目の前の現象についてどのような解釈をしているか」が吉と出るか凶と出るかを分けるものとなります。

個々人にそれぞれ「まあこれくらいだろう」という基準があり、その基準は生活水準を筆頭に様々な点において存在しています。

その「まあこれくらいだろう」という基準が壊れかけた時、どのように振る舞うかがその後の生き方を大きく変化させていきます。

何とか現状にしがみつこうとする振る舞いは、物事が悪い方に行くという場合だけではなく、良い方に行くというときでも起こります。

しかしながら一見悪い方に向かいかけている時、どのような姿勢で生きているかという視点のあり方、解釈の仕方でいかようにも取り扱うことができます。

斜陽や凋落、赤貧という響き

斜陽や凋落、赤貧という響きはあまり気分の良いものではありません。

しかしながら、最近急な不況や失業等々のニオイがしてきたとしても、少なくとも僕と同世代以上の人であればバブル崩壊後の社会環境の変化を経験しているはずです。

その時にそれをどのように感じていたかによって、今もそして今後も起こりうる環境の変化をどう捉えるかが変わってくるような気がします。

「何をモデルにすればよいのか?」という混乱

一時的に悪くなるということは仕方がない面がありますが、僕の場合は、その不況のリアルが迫ってきたタイミングが十代半ばから成人してしばらくする頃まででした。

その頃の自分のことを思い返すと、その辛さは、様々な制限や諦めの感が中心でした。そして何より信頼していた大人たちが凋落し、まだ微妙に補助輪が欲しいような年頃の時に何も頼れず、何をモデルにすればよいのかわからないような混乱が訪れたことが何よりもの辛さだったというような感じがします。

まあそのおかげで「大人の意見をそのまま聞いても大人は責任を取らないし、ものによっては取りようもない」ということから、自分の頭で考える癖がさらにつきました。

父などに対して、その尊厳を守りたいということは思いましたが、その一方で「やはりうまくいっている人をモデルにするしかない」という思いが起こりました。その対象は特定の一人というわけではありません。それぞれ部分的にでも良いので、うまくいっている人の解釈方法の方を採用しようという程度のものです。

それは家族関係としてはある種心苦しいことですが、その結果として自分がどのように成長するかという結果の方が実質的な親孝行になるだろうということを思いました。

目先の家族関係的な尊厳、思い、感情に縛られ、全てではありませんが「ダメな方」に合わせるということはその場しのぎでしかありません。

例えば金銭面ででも孝行しようと思えばお金が要ります。それがなければ元も子もありません。もちろんそれだけで孝行が成り立つというものではありませんが、社会生活の上では、そうした基盤が整っていないと、凡夫では心に余裕すら生まれません。

しかしながら逆説的ですが心に余裕がないと、基盤すら整いません。

それは何かふんわりしたものへの依存や見て見ぬ振りをするというような逃避ではなく独立してあるような余裕でなければなりません。

不況への備えへの意見の是非

僕たちがまだ十代くらいだった頃からよく不況への備えとしていろいろなことが囁かれていました。

そこでよく出てくるのが学歴や安定的な企業・組織への就職といったようなものでした。

それからというもの、不安の解消というネガティブな面からスタートする形で公務員人気が高まったりしましたし、ある時期からは子供の将来の夢として「正社員」というワードが出てきたりもしました。

しかし、小学生の頃、何不自由のない坊っちゃん生活を送っていて、その後斜陽どころか凋落という感じまで貧しさがやってきた経験、そして、安定企業で首切りにあった人たちなどを見てきたという経験から、「それだけじゃまだ足らんよ」ということを思って十代後半から二十代を過ごしてきました。

「安定」という言葉

そんな時にふと見渡してみると、「安定」という言葉を使ったりしている人たちは、みなそれほど大成していない人たちばかりでした。

それどころかほとんど社会に出ることなく家庭に入ってパートをしているような人たちが、にわか知識で語っているものばかりでした。

将来の夢は「正社員」といっている子供もきっと、そんな親の影響なのだろうと思います。

そして、安定というものにしがみついて、結局枯れたようになっている人も多く、また、安定を手放すまいとして過労死した人たちもいます。

もちろん勤め人でしかできないこともありますし、それはそれで良いと思いますが、「別に首を切られても余裕で転職できる」という余裕は欲しいところです。

もっと自由な余裕

多少なりと貧しさを経験した当時の僕が欲したのは「もっと自由な余裕」でした。

そしてそれを手に入れるにあたって、広い意味での学力は必要ですが、学歴はほとんど意味をなさないということもすぐにわかりましたし(それも進む方向にはよりますが)、「誰かさんの世話になるということは、その誰かさんの環境の変化に振り回される」ということにもすぐに気づきました。

なので勤め人をするにしても、引く手あまたのスキルと実績は必要になるだろうと思いましたし、何より闇市のイメージを常に持って環境がどう変化しようと図太く稼ぐということを中心に置いておこうと思いました。

水がお金を始めとした豊かさであるならば、家の前にたらいを置いて雨を待つようでは、本質的な余裕は生まれないということです。本来は、川から用水路を引くこともできますし、井戸を掘るという選択肢もあります。

それら流れのあり方は環境の変化によって変わることがあります。しかしまた流れを見つければよいのです。

菽水の奴。

雨を待たずして金脈を探せ。

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