寤させまゐらせん

ふとしたショックや「手を抜いていいぞ系」の環境になったようなときなど、ふとした経緯から怠け癖がついてしまうことがあります。そうした時「元に戻したいなぁ」とは思いつつも意識の力ではなかなか元に戻せなかったりします。

そんな時は、「あまり関係なさそうではあるものの何となくプラスになりそうなこと」や「いずれいつかはやることになるだろう」というような事を「あまり負担のかからない範囲でちらほらやってみる」というのがよく効きます。

停滞している状態に風穴を通す

それは実際に事を起こすということでなくとも、ぼんやり思っていることについての情報収集といった程度の行動でも構いません。

重要なのは停滞している状態に風穴を通すことであり、何かしら動くということが肝心です。

そうすると物事は想定していた以上に加速しながら動き出したりします。

二十代半ばに気付いたことですが、疲労の大半は判断・決断に対するものであり、結果だけ見ると「疲労の割に実は大したことをしていないなぁ」と思ってしまうことがよくあることに気づきました。

決断が遅れた場合、気力体力の消費に加え、時間の消費に関しても影響を与えます。

逆に言えば大体のことは多少間違っていようが、素早く決断した方が楽で、決断により明確になった「やること」をあまり考えずにこなしていたほうが、かなり楽で効率的であるということになります。

やらずじまいがもたらす複数の罠

そして怠惰癖がつき、停滞している時はその決断すら面倒になり結局やらずじまいになってしまいます。しかし、そこには複数の罠が潜んでいるという感じになっています。

結局やらずじまいになっていたとすれば、想像にたやすく何も進展がない、という点がありますし、その事について神経を使うならエネルギーすら充填されていないという感じにもなってしまいます。

やらずに休んでいても休まりもしていないとなれば、何をしているのかわかりません。

その上で「いずれ誰かが」的に他者依存の気持ちすら生まれ、より一層能動的なエネルギーはなくなっていきます。

しかしいきなり元気いっぱいの活動的な自分にフルチェンジ、ということは、よほどショックな事が起こったり、急なワクワクがないと起こりにくいので困りものです。

言い訳のようなことであろうがひとまず動く

というときは、「こんなことは言い訳のようにしか見えないだろう」と思えるようなことでもいいので少しずつ動いてみることです。

個人的にやややる気がない時は、よく領収証の整理などをしていました。その他、貯金箱の中に入れていた小銭をATMに入れに行ったり、靴を磨いたり、トイレを掃除したりといった感じでひとまず動くということをしていました。

その他、例えば「いつか軽く旅に行きたいなぁ」と思った場合は、ひとまずそのエリアまでの交通手段や移動時間を調べてみたりする程度でも構わないのでちょっと動いてみるということがおすすめです。

第一ステップとしてはとりあえず少し動いてみて、目覚めさせていくということになります。

その後の第二ステップとしては、「意識は過去で構成されているため、過去のことでしかも消極的で考えても仕方がないことばかりを反芻している」という点に対して風穴を開けるために、今後の新しい経験のためのパーツを集めるということがいいでしょう。

寤させまゐらせん。

寐むる吾が内にある力への意志を。

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