現在、「4週間かけて治した副鼻腔炎が再び」なので、何となくマスク生活をしています(本格的に副鼻腔炎と向き合う)。
4月に入ってから、特に「徹底的排出」の爆下痢以降、全くやる気がないのですが、物事は淡々と進んでいます。
やる気がないくらいの方がうまく進みます。大野智氏のようなものです。
全くやる気自体はないのですが、力が入っていない分、投稿にしてもサクサク進みます。
そして徹底的にやる気がないのですが、異常なほどにお客がやってきます。
普通そうなると何かしらの反応、つまりやる気がないので嫌だとか、「喜んで!」という感じだったりとかそういうのもありそうなものですが、「何とも思わない」というのが正直な感想です。
何とも思わないので、完全マイペースです。
完全マイペースくらいの方が、実力を発揮できる感じもします。
そして、やる気のなさと「何とも思わない」ということが相まって、普通にお客に物事をストレートに伝えるようになりました。
それが最近、特にお客に限らずという感じにもなってきました。
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しかしながら一方で、副鼻腔炎によって、肩が痛い時が増えてきました。しかし、少し工夫すればそれもすぐにおさまります。
そんな中ですが、副鼻腔炎の影響もあってか、しょうもないミスも一日一回くらいは起こります。
やはり酸欠や炎症やリンパの流れに影響が出ていることが原因なのでしょう。
とはいっても、昨年は、そういうミスが一日十回くらいあったので、かなりマシです。
「しょうもないミス」が一日一回くらい起こるのですが、それについても何とも思いません。
そういう意味で「やる気がないのは最高である」という感じになっています。
やる気がないので、あまり怒りや嘆きの反応も起こりません。
怒りや嘆きというのは何だ?
となる人もいるかも知れませんが、たいしたことではありません。
寝ていたら、娘の咳で起こされた上に、娘が嘔吐してその処理をしたりしているうちに体が起きてしまい、ということが2日連続。至近距離の看病と添い寝+睡眠不足で免疫が低下して僕も風邪をひいて発熱、という程度です。
妻はどうしていたのかと言うと、僕より先に発熱、かつ、胃腸炎で完全ダウンという状況でした。
5日間程度は、人生で経験したことがないほど鼻がクリアだったのですが、また鼻がズルズルになりました。
そして耳鼻咽喉科に行った際に
「再発したんじゃなくて、副鼻腔炎が治ってなかったのでは?」と言われ、娘の看病で夜に起こされた先の経緯を軽く話すと
「看病している全員が副鼻腔炎になるわけじゃないからね」
などと言われ、さすがに少しキレそうになると、後ろにいた看護師さんが「再発ではないということを押し通そうとするにしてもその言い草はないだろう」というような威圧感で耳鼻咽喉科の医師に圧力をかけて、僕がキレるまでもなく医師が「まあ家族のあり方はいろいろやから」など弁解になっていないような弁解に入るというようなことも起こりました。
再発か、治っていなかったか、など言語の解釈の問題だ、ということを思いつつ、「治る」の定義が、現役の炎症が治まるということだけでなく、多少のことでは調子を崩さないレベルにまで機能が戻ることであるかどうか、というところ等々の定義の問題でもある、と考えたりもしました。
多義性がある中、定義が曖昧なまま話を進めること自体が、「やはり文系的な論理力はないんだな」ということになります。
それどころか、
「治っていなかったのなら、治せていなかったのは誰か?あなたですよね?」
ということになるということも頭にないのが危ないレベルです。
というような感じで、もし自分に多少のやる気があったならその場でキレていただろう、というようなことは思いました。
看護師さんの圧力がなければ、論破王ならぬ論破神が降臨するところでした。
まあそれも副鼻腔炎の症状がきつい時だったので多少怒りやすかっただけで、今となっては何とも思いません。
それ以外にもビジュアルバム的な面白さに出くわすことが多くなってきました。
その場でも微かに面白いですし、思い出しても面白いような現象によく出くわします。
やる気はないのですが、よく爆笑しています。
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厳密には、自然体でも無為自然でもありません。
やる気がないのに、結局やっている、しかもたいていうまくいく、さらにビジュアルバム的な面白さで満ち溢れている、というこの状態にふさわしい日本語を僕はまだはっきり知りません。
