個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。

その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。

そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。

育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなことを感じたりしました。

文化的背景が影響を与えないような原始レベルの笑いについては世界共通であり、カッコをつけなければすぐに友だちになれるということを実感しました。

国単位、人種単位で何かを判断するというのは単なる偏見であり、差別そのものであるというふうに思っています。そうした偏見が偏見であることを完全に確認するために冒険に出かけたという面も結構な比重でありました。

そういう意味では、どこの国にも良い人と悪い人がいたということが、ある意味でありがたいという感じになりました。良い人ばかりでもなく、悪人ばかりでもないという感じのが「やはりその人個人の問題」という結論につながるからです。

ということで、今回は臆すことなくそんな偏見と差別について少しばかり触れていきましょう。

本名の発覚

まずは小学生の頃まで遡りましょう。

小学生の時に転校してきた人がいました。

普通に馴染み、僕も普通に友だちになりました。

そんなある日、泊りがけの臨海学校的なイベントがあるということで、前日に荷物を学校に持ち込むというようなことがありました。

今では取り扱いも変わっていると思いますが、その時に保険証のコピーのチェックというものがありました。

怪我をした時などに最寄りの医療機関に駆け込む際にひとまず見せる用にコピーを持参しなさいというような感じだったので、ちゃんと持参しているかどうかをチェックするような感じでした。

こういう時に、何故か同級生同士というものは保険証を見せあったりしてしまうものです。

で、その友人とは背の順が隣同士だったので、自分の保険証も差し出しながら、彼の保険証を覗き込みました。

「え?これ何?」

というようなことをとっさに言ってしまいました。

彼は「いや、あの、その」と、しどろもどろです。

周りに人が集まってきました。

「いや、あの、その」という感じで、彼はまだ狼狽えています。

「なんで違う名前なんかはわからんけど、別にいつもこの書いてある方の名前でもええやん。なんで違うの?」

と聞いたりしてみました。

「いや、オレもわからん」

「なんか変なの。でも呼ぶ時はいつも呼んでる方でええの?」

「うん。それでいいと思う」

小学生なのでその程度の会話でした。

「韓国籍やから、そっちの方の名前みたい。で、それが本名やねん」

「ほな、別に本名でええやん」

「いやまあそうやねんけど、オレにもよくわからん」

「そういえば前にボーイスカウトで韓国人のスカウトと交流したで」

「あ、そうなん」

「これからもたまにそういうなんあるし、また色々教えてな」

「あ、キムチ食ったことある」

「ない」

「うまいで」

臨海学校的なものが終わってから母にキムチを食べてみたいというとすぐに買ってきてくれました。

そして彼に

「キムチ、うまかったで。今まで人生損してたわ」

というと、

「その話を家でしたら、おかんが漬けたやつを持っていけって言ってたから、また持っていくわ」

というような感じで、より一層仲良くなりました。

その後、再びボーイスカウトで韓国のスカウトとの交流があり、少しの間文通するというような流れになりました。

「英語でもいいんやけど、ハングルで書いて相手を驚かせてみたいねん。おまえできんの?」

そんな事を彼に言うと、

「オレはできひんな。でも、おとんやったらできんで」

という流れになり、彼の家で彼のお父さんに日本語をハングルに訳してもらい、それを書き写すというようなことをしたりしました。

そのような感じでその友達とは仲良く過ごしました。

日本に対する敵意

それから随分経ち、高校生になりました。彼とは別の高校に行くことになりました。

そして2年生になった頃、韓国名のままの同級生が、ある時点でいきなり「日本に対する敵意」をむき出しにしてきたことがありました。

韓国・朝鮮籍の何人かがグループになって集まっては、祖国の称賛、そして日本の侮蔑というようなことをしてきたりしたわけです。

祖国の称賛というのは別にいいですが、日本に対する侮蔑、敵意はいただけません。

そういうわけで僕たち日本人グループは、応戦するような形で彼らと衝突するのでした。

「嫌なら祖国に帰れ」

というような争いです。

僕も何人かの同級生と束になり、相手の韓国・朝鮮グループと口喧嘩です。こちらから仕掛けることはありませんでしたが、応戦する時は応戦するというような感じでした。

特に暴力事件にはなったりはしませんでしたが、僕は小学校の時の彼との思い出があるため、人一倍悔しいような、そんな気持ちでいっぱいで、誰よりも率先して相手のリーダーと罵声バトルを繰り返したりしました。

その後相手のリーダーは留年となり、親御さんの意向で自主退学となりました(間接的に聞いた話では「きちんと勉強する気がないなら辞めて働け」と言われたようです)。

彼が退学したことで、3年生に上がる頃、そうした衝突はなくなりました。

卒業式の日の出来事

高校の卒業式の日、同級生みんなでパーティーをしました(といっても公園で)。

そこで、ある一人が、突然次のようなことを言い出しました。

「俺、韓国籍やねん」

僕たちは目が点になりました。

なぜなら彼は、先の争いの中でこちら側につき、「嫌なら祖国に帰れ」と言っていた一人だったからです。

「あれは〇〇(相手のリーダー)が悪い。みんなが認めてくれるかはわからんけど、俺には日本しか無い。日本しか知らん。日本で育ったとしか言えん」

一同、まだ目が点になっています。

彼は続けました。

「日本で育って日本にしか思い出がないんやったら、わざわざ悪く言うなよ。まさに『嫌なら祖国に帰れ』やわ。と思ったから、俺はみんなと一緒にいた」

「なんか、ごめん」

「いや、悪いのはあいつ(相手のリーダー)やで。仕掛けてきたんもあいつやし、俺はお前らが正しいと思ったから」

僕たちは肩を組みながら仲良く朝まで遊びました。

「個々で判断することの正しさ」の確認の意図

その時、先の同級生のおかげで、小学校の時の彼への思いのようなモヤモヤは消え、微かながらにあった偏見も消え、やはり国単位、人種単位で何かを判断するのではなく個々で判断するというのが正しいということが明確になってきました。

ということで、その後「その意識を世界中に広げる」という意図を含めて世界中に冒険に出てみようと思ったわけです。

キング牧師風に言えば「社会的属性、とりわけ先天的な属性ではなく、人格によって人が正当に評価される世界」を望みます。

シッダールタ風に言えば、「その人が何者であるかは、生まれによらず、行為によって決まる」というようなことになるわけです。

それは当然の「理」であると知り、そうした世界が正しいという覚悟があれば、どのような立ち位置にある人でも勇気が湧き、また、偏見と差別は無くなっていくでしょう。

環境や属性のせいにするわけでもなく、環境や属性に傲ることもない社会になるはずです。

そして、そうした正見、覚悟は、この内側の心を安穏に導きます。

Category:miscellaneous notes 雑記

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