ニュース

テレビを観ないのですが、そんな話になると「ニュースも観ないんですか?」という旨のことを言われます。

少し考えて頂ければわかるのですが、ニュースを見て僕に何ができるのでしょうか。

ニュース程度の浅い情報や知識を知ったところで、特に何かがもたらされるわけではありませんし、知ったところで何かに働きかけることができるわけでもありません。

例えば遠くの山形県で強盗事件があったとします。

僕はそれを聞いてどうすればいいのですか。

たとえ、家の近くでそんな事件があったところで、それを知ってもやることは変わりません。外にいてそれを聞いたところで、家に帰るだけです。

ニュース程度の浅い情報や知識を知って何ができるのか?

これは事件に限ったことではありません。

何か社会に参加しているような意識で満足感を充足しているだけのような気がします。

「パンダに赤ちゃんが生まれました」とか「桜が開花しました」くらいでいいと思います。

「いや、国防や経済のことは知らなければいけないだろう」

と言ったところで、知って、何ができますか?

社会人の必須条件のように錯覚

ニュース程度の浅い情報や知識では判断を下すこともできない上に、判断したところで何ができるでしょうか。

せいぜい会社の休憩時間の暇つぶしの雑談のネタになるだけです。

社会人として当たり前にチェックしておかねばならないなどというような脅迫じみた空気感がありますが、

やはり

「ペルセウス座流星群のシーズンです」

「ああ、そうだったそうだった」

くらい軽い気持ちでいいと思います。

観るのがいけないわけではないのですが、どうしても知識人や社会人としての必須条件のように錯覚してしまうのがまずいような気がします。

遠くで起きた刑事事件をいくら知ったところで、何の役にも立ちません。

せいぜい刑法専攻の学生が「今度の課題として使おう」と思う程度でしょうか。

そうしたものを超えて、情報を知っていたところで、何ができるというわけでもなし、というのがニュースです。

啓蒙活動

また、政治に関する市民団体などがありますが、本当に何かを変えたいのでしょうか。

群れて啓蒙活動をしていても何も変わりません。

「ひとり一人の意識が変われば」という言葉を逃げ道に使っているだけで、本当は宣伝して回る以外には何もできないのではないでしょうか。

交通事故防止のために何ができるだろう。

「そうだ、ポスターを作って交通安全の意識を高めよう」

というようなレベルです。

そんなことより、きっちり睡眠をとってもらうとか、本当に取り締まるべき車を取り締まるとか、見えにくい信号や交差点を工夫するとかの方が早いですし確実です。

番組内容に文句

たまにニュースに限らず、番組内容に文句を言うような人がいますが、文句があるなら観なければいいだけです。

「社会を変える一票を」みたいな言い訳をして、鬱憤をテレビ局にぶつけているだけではないでしょうか。

そもそもテレビは広告媒体です。

何を期待しているのかわかりません。

「こんなもの子供が観たら。。。」

といったところで、だれも強制的に見せたりはしていません。

目元にガムテープを貼り付けて目を閉じれないようにして見せているわけではありません。

本屋にも過激な本はたくさんあります。

18禁以外にもかなり危なっかしい本もあります。

テレビどころではありません。

なんなら新興宗教的な本もあります。

選ぶのは子供の自由ですが、情報媒体は別にテレビだけとは限らないのです。

文句なんか言わずに選ばなければいいだけです。

「アンケート」みたいなことが社会に溢れているため、「自分たちの意見は貴重なんだ」「意見を求められてるんだ」などと錯覚しそうですが、別に文句があるなら利用しなければいいだけです。

国とか会社とか社会にあふれる他の存在に期待しすぎなのだと思います。

漫才やコントやドラマなんかはすべてが「嘘」です。

でも楽しめればそれでいいのではないでしょうか。

僕は楽しむ媒体が他にあるので、観ないというだけです。

あくまで「選んでいない」だけで、拒絶しているわけではありません。

ただ、やはり必要のない情報はなるべく遮断するに越したことはありません。

テレビを見ない生活

不要な細切れの情報

Category:miscellaneous notes 雑記

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ