自分の環境を知る

われわれは自分のいろいろな力を評価することはできるが、われわれの力そのものは評価できない。環境はこの力をわれわれに対して隠したり、示したりするばかりではない。― それどころか!環境はこの力を大きくしたり、小さくしたりする。われわれは自分を変化しうる量とみなすべきである。この量の能力は、恵まれた環境の場合、おそらく最高度の能力に匹敵する事が出来るであろう。それ故にわれわれは環境を熟慮し、その観察に当って、いかなる勤勉もいとわないようにしなければならない。 曙光 326

向いていないことを仕事にすると、その能率は著しく悪いものになります。向いていないはずなのに、その方向で出世でもすれば給与が高いとか名誉があるとか、そういったノイズを含めたまま向き不向きを考えるとたいてい間違った方向に行ってしまいます。

情報をたくさん得ることはいいですが、それを整理するということを忘れている人が多く見受けられます。

人からいろんなことを聞くと、色んなパターンの情報が入ってきます。

それはそれでいいですが、それを野放しにすると混乱するだけの結果が待っています。

混乱の中にいると、自分の能力が開花することはほどんどありません。

盲点に気づくための質問

誰かに何かを聞いて情報を得るための質問にはその動機によっていくつかの類型があります。

よく「いろいろな人に意見を聞いてみる」ということをしてもたいていはその動機が不安感発端であり、一歩間違えると失敗した時の責任を「意見を言った人」にしたいという責任のすり替えなんかになります。

もし誰かのツッコミによって、自分が気づいていないところに気づけたならそれでよし、そうでないならば考えが変わることはありません。

意志決定のストレス

物事を決めることは基本的にはストレスがかかるものです。

しかし、取捨選択とリスクの許容が既にできているのであれば、選択肢がいくつあっても、一瞬で答えは出てくるはずです。

情報をいっぱい知ってもそれをまとめること無く、「一つの意見に従う」という目線で考えると迷いが生じるでしょう。なぜならば、どの意見も一貫性があるのなら、ある側面では正しい意見だからです。

買い物に行って何時間も迷うようなら、自分の意識のまとまりの無さを疑ったほうがいいでしょう。

いろいろな「自分が知らなかった商品」がたくさん目に飛び込んでみても、自分は何が欲しいかが決まっていれば迷いはありません。

買い物に行ってたくさん時間を費やしてしまうことを

「そういうものだ」

と、当然のこととせずに、何度でも

「なんでこんなにふらふらしているのか?」

と自分に問いかけたほうがいいでしょう。

自分の環境を知る 曙光 326

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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