元祖ダイエットアファメーション

元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。

ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。

といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。

「適正な量の食事」という感じで言えば、今回ご紹介する「詩」は、まさに元祖ダイエットアファメーションであり、既に2500年以上前に実践されていたということで面白みがあります。

先日、ひとことで古本屋のサンユッタ・ニカーヤの値段について触れていましたが、その流れで家に帰ってサンユッタ・ニカーヤを読んだ時に「大食」という場所に目が行きました。

ということで、まずはそんな「大食」についてご紹介しましょう。

サンユッタ・ニカーヤ「大食」

いわゆる「お経」である経典の中にサンユッタ・ニカーヤというものがあります。意味としては「主題ごとに整理された教えの集成」という意味になりますが、そのサンユッタ・ニカーヤの第Ⅲ篇第二章第四節に「大食」というコーナーがあります。

当時のインドあたりにあったコーサラ国という国の王、パセーナディは大食いの王様であり、食後にブッダのそばに来て、座って話をしようとした時に、息苦しそうにしていました。

そこでブッダは次のような詩を唱えます。

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を(節することを)知っている人にとっては、諸々の(苦痛の)感覚は弱まってゆく。寿命をたもちながら、徐々に老いる」

それを聞いたコーサラ国王パセーナディは、一緒に聞いていた学生スダッサナに次のように命じます。

「今の詩を暗記して、私が食事をする際に唱えなさい。ちゃんと日当を出すから」

そうしてパセーナディが食事をする時にスダッサナは毎回毎回「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を(節することを)知っている人にとっては、諸々の(苦痛の)感覚は弱まってゆく。寿命は徐々に老い朽ちて、過ぎ去って行く」と唱えました。

そして、パセーナディはみるみる痩せていきました。

というようなお話です。

ということで2500年以上前に実践されたとされる「元祖ダイエットアファメーション」です。

注釈によると、パセーナディとしては腹いっぱい食べて本当は横になりたいくらいだったものの、せっかくブッダが来ているのだから座って話がしたいと思い、無理をしていたからこそ苦しそうだったという感じで、食後の苦しそうなパセーナディを見て「食い過ぎは良くないですよ」ということを詩にしたという感じのようです。

なお、雑阿含経においては、「徐々に老いる」の部分が「安らかに消える」と訳されているようです。

書いて食卓に置いておく

所詮、意識は直近に触れた情報に影響を受けます。逆に言えば、触れていないとその影響力は弱まっていきます。ということで、ダイエットを志している場合は、常に自分が触れる所に、とりわけ食事であれば食卓に先の詩を書いて置いておくのが理想的です。

パセーナディの場合は、いわばお金の力を使って部下に暗記させて毎回唱えさせていたという感じですが、そこまではなかなかできないので、紙に書いて毎回目に触れるようにしておくと良いでしょう。

快い体感と結びついている方が良い

アファメーションのテクニックとしては、それが我慢になり苦痛になるよりも、それが快い体感と結びついている方が良いということになりますので、「(苦痛の)」などは外した上で、紙に書いて食卓に置いておくと良いでしょう。

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を知っていれば、諸々の感覚は弱まってゆく。寿命をたもちながら、安らかとなる」

そのような感じで独自にアレンジしてもかまいませんし、本質からズレずに抵抗や「頑張り」が起こらないようなものであればそれで十分です。

つねに心を落ち着けて

必然的に「つねに心を落ち着けて」という言葉を見ることになるので、気づけば焦ること無くゆっくり食べているかもしれませんし、心を落ち着けるためにと無駄話をしたりテレビを観ながら食べるということも無くなっているかもしれません。

空腹感は水分不足のときにも起こりますが、自分の今の空腹感は水分不足なのか、それとも本当の空腹なのかということにも気づけるようになるかもしれません。

我慢をする必要はありません。我慢をすると、時にその我慢が暴走し暴飲暴食に走ってしまいます。

意識が散らかると「適量」を見逃す

ただなるべく心を落ち着けて、食事中にテレビを観たり、スマートフォンを触ったり、雑誌を読んだりせずに、食事に集中しているだけで勝手に痩せていきます。

意識が散らかると「適量」を見逃してしまいます。

ストレスを感じて食べ物に手が伸びそうになった時、食べることを我慢する必要はありませんが、ひとまず水を飲んで、自分が感情に苛まれていることを確認してください。

その上で、なるべく心を落ち着けて満足いくまで食べてください。そして「ここが適量だ」と気付いたところで食べるのをやめてください。

我慢をすれば、いずれどこかでそれを補うような暴飲暴食をしてしまうことになりかねませんし、無理矢理食事制限をすると、体が省エネモードになって頭が働かなくなったりしつつ、その割に体重も落ちなければ体調もおかしくなっていきます。

三日坊主への対処として紙に書いたものを置いておく

と、普段はそんなことを知っていても忘れてしまいます。

ということで、紙に書いたものを食卓に置いておくことでそれを思い出すようにします。

目の前の食事に集中する習慣がつくと、減量したい人は知らぬ間に体重が減っていきますし、体調が悪い人も改善していくはずです。

可能であれば、正座をして点てたての抹茶いただくかのごとく、毎食心を落ち着けてしっかりといただきましょう。

日常、友人や職場の人達との集まりなどもあるので、いつもいつもというわけにはいかないかもしれませんが、少なくとも自宅で取る食事に関してはそうした工夫をしておくことです。

すぐに結果は伴ってきます。

アファメーションとして唱えることを習慣としようと思っても、そんな工夫は三日坊主で終わります。

であるならば、唱え癖が三日坊主で終わることへの対処として、紙に書いたものを置いておけばいいのです。

ただし、それにストレスを感じてビリビリに破いてしまいたくなるようなものはいけません。

それが目に入ることで心が落ち着き、冷静になりつつも快い体感が起こるように工夫をしなければなりません。

しかしながら、そうしたことはアイツを騙すための工夫でしかありません。それでも、野放しにするよりはマシなので、アファメーションについても少しご紹介してみました。

先程、洗脳の結果としての消費行動について触れましたが、「ダイエット」となるとマスメディアにしろ、アフィリエイターにしろ、具体的な理論を説きながら、時に不安を与え、それに沿った商品を売ろうとします。

何かを物によって、消費によって叶えようとする前に「そうした行動は『心の歪み』で生じたものを『物』で補正しようとしているということなのだ」ということに気付きましょう。

確かに心の歪みによって一度歪んでしまった体を補正するためには、そうした具体的な方法論が有効だったりもします。

しかし、根本には心の歪みがあり、それに合わせるように現象が起こったのだということを忘れずに、問題が出てきてから対処するということを越えて、「根本から問題を生じさせない」という感じで過ごしていきましょう。

「病苦」病の苦しみ

Category:miscellaneous notes 雑記

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