水の味

以前は水で酔うというようなお話をしましたが、今回は「おいしい水」について触れていこうと思います。

「きき水」などなど水の味を語るにあたって、硬水や軟水についての分類、つまりミネラル分についてばかり語られますが、味を構成しているものはそれだけではありません。

「ボルビック」か「クリスタルガイザー」か「コントレックス」か「いろはす」かと言ったきき水や、「南アルプスの天然水」か、「奥大山の天然水」か、「阿蘇の天然水」かといったきき水の範疇を超えて、水の味を構成しているものはミネラル分による硬度やpH値、炭酸の有無だけではありません。

詳しく調べれば細菌もホコリもたくさん入っているでしょう。完全な「純水」を飲もうとしても、「飲む」ということになれば必ず唾液の影響などを受けます。さらに飲むコップによっても味の感覚は変化したりします。

そもそも、舌という感覚器官がある状態にあるものの影響(一種のエネルギー)を受けて何かの解釈(思考的なものではないですが)があって味覚として心で認識する、というような構造になっていますね。

この際に、物質面をいじることも当然に味に関係してきますが、それよりそれを受け取る側はどうなのか、ということについては語られることはあまりありません。

苦手な人と一緒に食卓に並ぶと、「美味いメシも不味くなる」というような会話はよく聞くものの、そういったポイントをたいていいつも忘れています。

世間では何とか「水ビジネス」を盛り上げようとさせる傾向にあります。そのために「炭酸ガスが含まれたものを少しは摂りましょう」というような旨を唱えますが、それが全く無駄とは言いません。

ただ、それよりも軽い気持ちでいることのほうがはるかに重要であることを考えれば、そういった条件付は、逆に「気になってしまう」というような本末転倒を招きかねない、という点が問題かもしれませんね。

水をうまく飲む方法、というものは物理的にはたくさん方法論は語られていることでしょう。マグカップで飲むのとワイングラスで飲むのはまた違いますからね。

しかしそんなことより、「水の味」だけに集中して飲んでみることをおすすめします。何も考えず、その他の一切の動きを止めて、舌に全神経を集中させてください。

すると、単一の物質に近いはずの「水」が多彩な味を演出してくれることに気づきます。慣れれば、その味を変化させることもできます。

水もいいですが、食べ物でも同じです。いかに「記憶による再合成」で認識していたかがよくわかります。なぜかワインだけはテイスティングされますが、別にワインに限る必要もありません。

何ごともそうですが、お金をかけることも結構ですが、根本的なことは「人任せにはできない」上に、それよりもっとずばっと変わってしまうのだからおもしろいですね。


なお僕は、日々水を大量に摂取します。小学生の頃から水を飲む量が人よりも断然に多く、その影響で腹痛がよく起こっているのではないかと思うほどです。「喉の渇きは脱水の証拠」という感じですが、僕は本当に昔から水分摂取には余念がありません。

日々必要となる大量の飲み水

Category:miscellaneous notes 雑記

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