Z会・サービス精神で相手の意識のブロックを解く

そう言えばさっきの投稿「自分のみじめさをこえて高まること」で「Z会として意識のブロックを解いていく」をしっかり書こうかなぁとおもったら、ベランダにいるスズメバチが気になって、あまりはっきり書けなかったので、続きを書きます。

まあ特定キーワードを使ってもいいのですが、あまり書くと検索エンジンなんかが反応してきますからね。

いろいろな段階を突破する

飛び込み営業をしたことがある人としたことがない人では、その実際の訪問先の反応が意外と優しいということへの理解が大きく異なります。

小学生の時ならば、どんな人にでも声をかけて、すぐに友だちになれたはずですが、○玉や卵巣が成長するに従い、理性がついてくる、というか自我が発達すると、そういったことに尻込みするようになります。

全員が、小学生のように声をかける方もかけられる方も気さくになれたら、世の中はもっと楽になっているはずですが、義務教育で競争や勝ち負け、優劣を植え付けられてしまったゆえに、意識的な恐怖心が出来上がっているはずです。

まあいきなり飛び込み営業をして、意識の中にある制限を取っ払うのもいいのですが、それが無理なら、町内会の回覧板を回す時に、ポストに入れずにインターホンを鳴らして会話してみるというのもいいかもしれません。

営業が厳しければビラまきでもいい。そんな感じです。

で、本題ですが、先の「理性」で触れたように、本能的な我慢が意識の中で出来上がってしまっています。

それでは、色んな意味でもったいないので、それを解放していきましょう、という感じです。

相手のブロックを解けるのは、自分のブロックを既に解いている人です。

まずは、自分の中の意識の制限を解いていってみてください。

「好き」を我慢していないか?

自分が好きなことを我慢すると、心身ともによくありません。

でも、「パーティーが好きな人」みたいな感じで、基本的に「好きなことはすべて叶えている」とを思っている人がいますが、それは本当に心の底から好きなことなのでしょうか?

おそらく本質的で本当に好きなことは、大勢で群れて楽しむパーティーなどではないはずです。

ここでわかることは、自分が本当に好きなことを見ようとしていない、ということと、隠れていて発見することができない、という問題が大前提にあることです。

キラキラしたサングラスなんかを付けて、パーティーをしている人は、本当に心の底から、抑圧されたものを爆発させることができているのでしょうか。おそらくできていません。というより構造上、無理だと思います。

お願いされて気づいたこと

人からのお願いを、あえて断らずに聞いていると、そうした自分の隠れた「好きなこと」に出会うチャンスがたくさん出てきます。

僕は、ボーイスカウトに所属していた関係から、ロープワークが得意でした。

昔の特技の話をしていると、ロープワークの話題が出たので、様々な結び方の解説をしていると、

「縛ってください」

と言われました。

まあそれが相手にとって喜ばしいことならと、いろいろな縛り方をiPadで確認しました。

元々、ロープワークが得意で好きだったので、一瞬で習得することができました。

幾何学的な美しさがあるんですよね。「アルゴリズムなんとか」のおもちゃとかキレイな数式が好きな理系の人は好きだと思います。

見事縛りが完成した時、高い精神的な喜びがありました。

一種のリアルな彫刻を彫るような、芸術的な恍惚です。

まあこれも、縛ることへの変な偏見がなかったから出会えた経験です。

別に縛りたいという気持ちはありません。むしろサービス精神から結んだとも言えるかもしれません。

ただ、表面上そういう気持ちがなくても、縛ると喜びがあります。

で、そこで思い返したのですが、周りにいた女の人で、スネて去っていった人たちは、概ね適度に支配感を求めていたようでした。

そう考えると、いじめられたいのにいじめられないという、相手の期待に沿わないという意味での「逆のいじめ」をしていたことになります。

そうとは気づきませんでした。

対機説法という面を考えると、あまりに画一的になりすぎていた、ということでしょうか。

女性の意識を解放する

森林原人さんの話によると、看護師、保育士、介護士の方は、概ねある程度の域に達しているそうです。その理由は、汚物処理ができるから、ということでした。

確かに潔癖の人は意識の制限がきついと思います。女性専用車両や女性専用トイレをやたらと求める人達は、おそらく感度が低いと思います。

あと、それら職業の方が既にほとんどの制限がないということの理由は、潔癖とは対極にあることの一つにはなりますが、人肌に触れる機会が圧倒的に多いことです。そして、「誰かの世話をする」という母性の解放も兼ねています。

意識の解放レベルでいうと、潔癖症でお見合いパーティーでもほとんど無言の事務員さんと、明るく気さくな看護師さんとの差をイメージするとわかりやすいかもしれません。

物理的な刺激だけでなんとかなるということはない

で、基本的な意識の制限というのは、感度といえば感度ですが、ほとんどは、意識の中の抗い、抵抗感です。物理的な刺激だけでなんとかなるということはありません。

雑な男性は、刺激が強ければそれが感度と比例すると思っていますが、そんなことはありません。

で、これは、Z会の能力次第で、思考的な説得ではなく、体感として意識を解放していくことができます。

被虐と解放

解放されていくにしたがい、煩いが減っていく

性に抵抗があり、全く無縁だった女性が、様々な単語を平気で言えるようになったとすれば、それはそれで、段階が上がったということです。

そうして抵抗感がなくなっていくにしたがって、実社会でもおおらかになっていきます。

たいていのことは「そんな細かいことはどうでもいい」と思えるようになっていくでしょう。

トイレがおっさんと共用だということで、目くじらを立てていた人が、それを気にしなくなるようになる、ということは、煩いが一つ減り、社会でのくだらない戦いが一つ無くなるということです。

別に非衛生的になれ、ということではありませんが、過剰なまでの潔癖はその人を苦しめるだけですからね。

感覚との関連付け

次に、感覚との関連付けです。

物理的な刺激だけではなんともなりませんが、物理的な刺激であってもある程度感覚があるポイントがあります。まずその場所の物理刺激と意識の中の快感とを複合させることができていったならば、次にその場所と様々な場所を関連付けていくことで、より広く感度を向上させることができます。

感覚を抽象空間に

そして、最後は、その感覚を抽象空間に持っていくことです。

結局頭で感じていますから。

アニメオタクのような人のほうが、物理的な空間よりも抽象的な仮想空間に臨場感を感じるトレーニングが済んでいるため、最後のステップは容易になります。

○玉に支配されていると、その排泄衝動を優先してしまいますが、主従関係を逆転させれば、余裕を持って対応することができます。

女性に対して、意識の解放という意味でサービスしてもいいのですが、普通にそんなことを言うと、○玉の都合だと思われてしまいます。

そして、主従関係も逆転しているので、自分からお願いすることはありえません。

とは言うものの、意識に制限がかかっている人にウジウジ相談されるくらいなら、こうした意識の解放の仕方のほうが実は手っ取り早いと思っています。

飛び込み営業もそんなにキツイこともない、ということを理屈で説明するよりも、試しにインターホンを押してもらって実感してもらうほうが早いといった感じです。

「でもなー、でもなー」と尻込みしている人に、「飛び込み営業してください、お願いします」とは言いません。こちらからお願いすることはないのです。

ただ、一発目に同行してくださいと言われれば、「ついて行こうか?」となるだけです。

そんな感じで、世のZ会にはぜひ頑張っていただきたいと思っています。

Category:miscellaneous notes 雑記

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ