タグ別アーカイブ: 言語

二度の忍耐

「それによって君は人間に苦痛を与える。」― 私はそれを知っている。そしてまた、私はそのために二重に― 第一に、彼らの憂苦に対する同情によって、第二に彼らが私に返報するであろう復讐によって― 苦しまなければならないことも知っている。しかし、それにもかかわらず私のようなやり方をするのもやはり必要である。 曙光 467 世の中には同情する割に何もしないという人がいます。もちろん「かわいそうだなぁ」とか「大変そうだなぁ」などと同情したからといって、何かをする義務はありません。 しかし、ある動機から「同情」はするのに、解決策

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名声の中の損失

未知の者として人間に語っても差支えがないということは、何という利点であろう!神々はわれわれから匿名を取り去って、われわれを有名にする場合、「われわれの徳の半分」を取り去るのである。 曙光 466 有名になることの何がいいのでしょうか。むしろ匿名の方が重荷はありません。 「誰々が語った」というラベリングは、利便性があるようで、それ以上に本質を覆い隠してしまうことがよくあります。 確かにある文章の解釈にあたり、誰が発した言葉かということを捉えることで単語の定義などへの「ぶれ」は少なくなるかもしれません。 芥川龍之介氏の

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雄弁家の学派

一年間沈黙していると、われわれはおしゃべりを忘れて、雄弁を学ぶ。ピュタゴラス学派の人々は、その当時最上の政治家であった。 曙光 347 雄弁家になるためにということで、一年間も沈黙しなくても、一ヶ月、一週間くらい沈黙するだけでおそらく雄弁になっていくのではないでしょうか。人によっては一週間くらいの沈黙だと、たまりにたまったエネルギーが一気に解放されて逆に無駄話をしゃべりすぎてしまうこともあるかもしれませんが、たいていは、うまく話せるようになるものです。 雄弁(ゆうべん)とはもちろん優れたる弁舌を意味し、ベラベラベラ

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思想家の寛容

ルソーとショーペンハウアーは― 二人ともその存在に人生を真理にあわせるという標語を記入するほど誇りが高かった。そしてまた二人とも― 真理を人生にあわせる― 彼らのいずれもが理解していたような真理を― ことが成功しようとしなかった点で、また彼らの人生は、旋律に一致しようとしない気まぐれな低音部のように、彼らの認識とならんで走った点で、どんなに彼らの誇りに苦しんだことであろう! 曙光 459 前半 「何でもわかりやすく」という流れがやってくると、「そうだカテゴリ分けをしよう」という発想がすぐにやって来ます。 その際は先

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第一の天性

現在われわれの教育されている通りでは、われわれは最初に第二の天性を手に入れる。世間の人々がわれわれを成熟した、青年に達した、役に立つと呼ぶとき、われわれはそれを所持しているのである。若干の少数者たちは、それの被いの下でその第一の天性が成熟したまさにそのとき、いつかこの皮を投げ捨てるのに十分な蛇である。大ていの者にあっては第一の天性の芽は枯死する。 曙光 455 今回はタイトルが「第一の天性」にも関わらず、第二の天性についての内容になります。「天性の才能」と言われる時の天性ですが、これには「第一の天性」と「第二の天性

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体系家に注意!

体系家のお芝居というものがある。彼らは体系を仕上げようと思い、それの周りの地平線を完成するので、彼らは自分たちの弱い性質を強い性質の様式で登場させることを試みざるを得ない。― 彼らは完全な、一様に強い性格の人々の役を演じようとする。 曙光 318 一旦体系的に学んでしまうと、その体系からはなかなか抜け出せないものです。自分が教えられた時のように、自分が学んだ体系の軸をずらさないように、その範疇を超えるやり方は排除するという癖がついてしまいます。 文章ひとつとっても、「起承転結」というような言葉に雁字搦めにされて、そ

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いわゆる心

一つの言葉でもたくさんの使われ方をします。どんな言葉でも、見る角度によって使われ方が違い、その定義の違いで誤解が生まれます。 そういうわけで、誤解なく伝えるということはある意味で不可能に近いはずです。言語伝えようとするとやはりどこかでズレが生じます。 ウンチクが好きな人は、ソシュールのシニフィアン(記号表現、意味するもの)とシニフィエ(記号、意味されるもの)などを語り出しますが、いずれにしてもそれが一致しようが、持っている観念が違うので、全く同じというわけには行きません。 同じ話を違う人にしても、各々が持つ印象は異

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世界の破壊者

この人は或ることがうまくゆかない。とうとう彼は怒って叫ぶ。「世界がみんな滅びてしまうといいんだが!」この嫌悪すべき感情は次のように推論する嫉妬心の絶頂である。私は或るものを所有し得ない。だから全世界には何も持たせたくない!全世界を無にしたい! 曙光 304 「世界がみんな滅びてしまうといいんだが!」とは完全にゲームかアニメの世界のようです。しかしよく起こる心理状況です。 ネタがスベった時は「この世界よ、滅びてしまえ」と思うそうです。 確かにそのような心境になるでしょう。ネタがスベっただけでなく、普通の話がスベった時

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駄目になる

同じ考え方の人間を、違った考え方の人間よりも高く尊敬せよ、と指導するなら、青年は一番確実に駄目になる。 曙光 297  知識と知恵は違うとよく言われますが、たいてい語られている知恵は知識の部類の中に入るでしょう。たまに「難しい漢字を使う方がいい」と思って「智慧」を使う人がいますが、狭義の智慧はインスピレーションなどではありません。むしろ知識やインスピレーションとは真逆の性質であり、「そぎ落として捨てるからこそ迷わない」というようなものです。 たまに「無駄な知識を増やしても仕方ない」と言って勉強することをしない人がい

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感謝する

一グラン感謝の心と感恩が多すぎる。― するとわれわれは悪徳で苦しむようにそれで苦しむ。われわれは自分の自主性と誠実ともどもに、良心の疚しさの手中に陥る。 曙光 293 (※一グラーン(Gran)は、0.06グラム。薬量の単位<注釈より>) 過去記事を見ても、「感謝しなさい! 曙光 5」「感謝を拒絶する 曙光 235」と、またまた同じようなタイトルのものが出てきました。 感謝の効用のようなものが近年様々な方面で語られるようになってきました。もちろんしないよりした方がいいですが、闇雲に意味もなくしていると新興宗教にハマ

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上品な人々の悲劇

心からの親密さをうまく示すことの出来ない上品な人々は、その上品な性格を、慎しみ深さや、厳格さや、ある種の親密さの軽蔑などによって推測させようと努める。彼らの強い信頼感は姿を見せることに恥じらいを抱いているかのようである。 曙光 288 よくビジネスマナーなどの研修で言葉遣いについて研修をすることがありますが、相手尊重した版、こちらが遜った版、丁寧に言った版、そして「おビール」。 おビールって何よ? 美化語です。 何じゃそりゃ。 というようなことを経験したことがあります。 未だにそういうものの意味がよくわかりません。

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自我は一切を持とうとする

人間は一般に、所有するためにのみ行為するようにみえる。少なくとも、一切の過去の行為をあたかもわれわれがそれによって何かを所有しているかのように見なす言語は、この考えを暗示している(「私は語った、戦った、勝った」ということは、私は今、私の言葉、戦い、勝利を所有している、ということである)。これとともに人間は何と貪欲に見えることだろう!過去さえわが身からもぎ離そうとせず、まさにそれをやはり相変わらず持とうとするのだ! 曙光 281 外国人から見ると、日本語は主語を省略しすぎだということをいいますが、主語を抜いたほうが本

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一番高貴なものが当て外れをするところ

われわれは結局だれかに自分の最上のものを、自分の宝石を与える。― そのとき愛はもはや与えるべきものを何も持たない。しかしそれを受け取る者は、それをたしかに自分の最上のものとは思わない。したがって、与える者が当てにしているあの完全で最高の感謝の心が、彼には欠けている。 曙光 445 感謝を当てにしている時点で少し違うような気がしますね。愛情のようなものを与えれば感謝が返ってくると思っても、期待通り返ってくるかはわかりません。感謝に限らず、それが結果の類であるかぎり、何も当てにしないことです。 物理的な予測と未来への妄

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賞讃

賞讃や讃辞という言葉も頻繁に出てくるようになりました。曙光はどうしてもタイトルの似通ったものが多いですね。以前も「改」シリーズを作ったくらいなので構わないのですが、すぐに出てくるところが難題です。まあそんなに頭をひねる必要のあることではありません。 よくわからないままに受賞 勤め人の頃、たまに表彰式のようなことをやって「従業員のモチベーション向上を図ろう」ということを会社がやっていました。特に新入社員時代はその手の催しがよくありました。 それはそれでいいのですが、ある時ただの研修というか、役員の講話的なモノを聞くと

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演劇はその時をもつ

ある民族の想像力が衰えると、その伝説が舞台で上演されるという傾向が生じる。今や民族は想像力の粗雑な補充品を我慢するのである。 曙光 265 前半 昔の曲のカバー曲などを聴くと時に寒気がすることがあります。 オリジナルと同等以上の味があるのならばいいのですが、「なか卯」などで流れるようなカバー集のような曲は寒気がしました。その理由がよくわからなかったのですが、最近ではよくわかるようになりました。 それは、オリジナル楽曲を音符に変換して、音符をなぞっていることにあります。それは初音ミクだけで十分です。 せっかく楽譜に表

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なぜこのように崇高なのだろう!

おお、私はこの動物を知っている!もちろんそれは二本脚で「神のように」闊歩する方がそれ自身には好まれる。― しかしそれが再び四本脚に逆もどりするなら、私にはその方が好ましい。その方が、全く比べようもないほどそれにとっては自然のままなのだ! 曙光 261 絶望的な先生 「二本脚だ」、と思い浮かべるのは人間ですが、鳥はみんな二本脚です。 小学生の時に「鳥の足は何本でしょうか?」と先生が言うので、「二本です」と言うと、その先生は「みんな三本だと思っているが四本なのだ」と意味不明なことを言い始めました。 それは鳥の足の指の数

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われわれの心に浮かんでいる言葉

われわれは、自分の考えをいつも持ち合わせの言葉で表現する。あるいは私の疑念の全体を表現すると、われわれはどの瞬間にも、それをほぼ表現し得る言葉をわれわれが持ち合わせているような、まさにそういう考えだけしか持たないのである。 曙光 257 語彙の数だけ、思考の幅も変わるといったことを聞いたことがあります。単語ごとに定義は異なり、ニュアンスは異なっていくので、より仔細な表現、厳密化が可能になるというものと、もうひとつ、思考対象の領域が広くなるというものです。 一つの単語を見たり聞いたりした時に浮かんでくるイメージも変わ

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誇り

ああ、諸君はみんな、拷問をうけた者が、拷問のあとその秘密を抱いたまま独房に連れ戻されたときの感情を知らない!― 彼は相変わらず歯を食いしばり秘密をしっかりと守っている。諸君は人間の誇りの歓喜について何を知っていようか! 曙光 229  誇りについては以前に「精神に対する誇り」で触れました。この項目でニーチェは、「秘密を抱いたまま独房に連れ戻されたときの感情を知らない!」と言っていますが、それは誇りではなく「したり」ではないかと思ってしまいます。 ここでは「やったぜ」という意味ですね。 一般的な「誇り」=「驕り(傲り

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「汝自身を知れ」は学問の全体である

あらゆる物の認識の終わりになってはじめて、人間は自己自身を認識したことになるであろう。なぜなら、物は人間の限界であるにすぎないからである。 曙光 48 「汝自身を知れ」とぱっと見ると、「まずは自分を知ろう」というよく就職カウンセリングでありがちな自己分析のようなことをしか思い浮かばないと思いますが、一応これは古代ギリシャの神殿に掲げられたものです。 格言は短文であれば短文であるほど、たくさんの解釈ができます。理屈上は、文は長いほどひとつずつの単語の定義を解釈していけるので、長文のほうが解釈の幅は広がりそうですが、簡

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言葉がわれわれの妨害になる

言葉に力を与えた時、というよりも意識的無意識的問わず「力があると認めている」時、言葉は力のようなものをもちます。 それが「アイツ騙し」であり、宣言効果であり、アファメーションと言われるものです。言葉を繰り返すことによって、その言葉の影響を利用しようというものです。それは実際の力というよりも、擬似的な力です。 特に「ポジティブな言葉を使おう」という場合、目の前の現象の属性をポジティブなものに解釈するようにフィルターを少し変更するような力です。 本来無属性の現象を、経験の記憶と恐怖心のフィルターで何か属性づけます。少し

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現代人の皮肉

日下一切の大きな関心事を皮肉に取り扱うのが、ヨーロッパ人たちの流儀である。彼らはそれらの仕事に忙しいため、それらを真面目に考える暇がないからである。 曙光 162 現代人の皮肉ということで、京都人の皮肉やそうした京都における皮肉の本意などについて触れていきます。 先日、パスカルの「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである」という格言について触れましたが、ただ単に皮肉に取り扱う場合と、真に「ばかにする」ということは似て非なるものです。 これは宗教を無条件に批判することと、思考の結果、排斥する場合との違いに似て

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見え坊で、けちで、賢くない

諸君の欲望は知性よりも大きく、諸君の虚栄心は欲望よりもさらに大きい。― そうした諸君のような人間には、かなり多くのキリスト教的な実践と、それに加えてわずかばかりのショーペンハウアー的な理論が徹頭徹尾おすすめできる! 曙光 160 見え坊は見栄っ張りを指し、外面・外見をよく飾ることで人からよく思われようとすることであるため、人の虚栄心についてでも書いていきましょう。 見栄を張り方としてはいろいろな張り方がありますが、見え坊とは、見栄っ張りの中でも 特に所有物や外見の装いなんかで見えを張ろうというタイプを指します。 何

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思想家の盲目

思想家とは、思想を持ち、時に思想を説く人ですが、あくまで思想はただの思想で、それ以上ではありません。人を狂気に導く性質を持ちながら、問題は何も解決してくれないという性質を持っています。 思想家が思想を説いたりする奥には、たいていその思想が社会にインパクトを与え、その結果自分の都合が良くなるか、自分の中の何かが満たされるかといったものが潜んでいます。 つまり思想を介して、自らを高めよう、自らを幸せにしようというような試みが垣間見れます。 以前に少し触れましたが、思想を持って、何かの活動をして、その結果社会が動いたとし

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宣誓のひな型

「今私が嘘を言うなら、もはや私は決して真面目な人間ではない。誰でも私に面と向かってそういってよろしい。」―私はこのひな型を、法廷の宣誓とその際しきたりである神への呼びかけとの代わりにおすすめする。この方が強い。信心深い人でも、これに反する理由は持たない。 曙光 152 前半抜粋 宣誓というものがなぜ必要なのか、それは異なった考えを持つ人同士の中での一種の取り決めのような性質があるからではないでしょうか。言うなれば、宣誓などしなくても、あたりまえのことならあえて公に宣言するようなことではない、という違和感があるからで

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最も厳密な理論の効用

人々は、ある人間の多くの道徳的な弱点を大目に見、その上粗い篩(ふるい)にかける。彼が最も厳密な道徳理論を信奉するといつも公言しているとしてのことだが!これに反して人々は、自由精神の道徳学者の生活を、いつも顕微鏡で調べてきた。その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証になる、という底意を抱きながら。 曙光 209 「その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証となる」 日常でよく行われていることです。自分に都合が悪くなれば、相手方の過失を見つけ、関連させて、本題とは全く違った性質なのに「

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