情報の整理と情報源

少し前からチョロチョロとブログ内を編集したりしています。まあ鋳直しというか情報の整理という感じになるでしょう。

文字として書き起こす手前にはまとまりとエネルギーがあり、それが言語として具体化されているということになっていますが、それが具体的情報として形なって、さらに配列されていくになると一種の僕の頭の中と同じような構造になってきます。

言語化される時にフィルターは通される形になりますが、概念が具体的な記述として形になり、それらが関連性を持って配置されていくので、まさに頭の中に近いような形になります。

情報源の浅さからくる間違いだらけの情報

先日のことになりますが、同級生がネット記事でインタビューを受けていたので、「彼は最近どうしているのだろう?新作でも出したのだろうか?」と言った感じで、新作なんかが出ているのかなぁと少し調べてみると、見るも無惨に「出身校は?奥さんはいるの?子供は?」みたいなウィキベディア情報を再編集しただけの低品質なページばかりが出てきました。

一応開いて読んでみたという感じになりますが「間違いだらけ」という感じでした。意図的な嘘のようなものはありませんでしたが「違う違う」という感じになりました。その違いについてはリアルに知っている人だから分かるという感じです。

やはり情報のクオリティは、その奥にどれだけの情報源を持っているかにかなり依存しています。

そう言えば、僕は1983年生まれですが、同い年の芸能人の不祥事のようなものが多いと騒がれた時期があったそうです。

妄想で語る社会学者

で、社会学者のような人が1983年生まれの人について分析しているような感じのものがあったようですが、「ファミリーコンピュータと同じ年に生まれたので、必死におねだりしたことだろう」などと書いていたようです。

残念ですが、僕たち世代はスーファミだと思うのですがいかがでしょう?

なぜならファミコンそのものは発売がゼロ歳の時であり、スーファミは1990年発売なので発売時は7歳で、ちょうどそれっぽいものが欲しい時期に最新のものが出たのであれば、そちらに飛びつくだろうということが予測されるからです。

ファミコンのゲームをプレイした人ならば実感があると思いますが、ファミコンのソフトはモノによってはクリアがすごく難しかったりします。ということで、スーファミ発売以前の年齢の時は、友人のお兄さんやお姉さんが持っていてプレイしたことはあったとしても、難しすぎてあまり関心がわかなかったというのが本当のところです。

「ちょうどそのようなゲームがなんとなくできそうな年齢の時にスーファミが出たのだから、おねだりするとすればスーファミの方ではないのか?」ということです。

実際に飛びついていたのはスーファミ

そしてあくまで自分たちの実感としてですが、実際に飛びついていたのはスーファミです。もしくは、せめて小学校高学年当時、1994年発売のPlayStationかSEGA SATURNではないでしょうか?

ということで、その「社会学者のような人」は客観的なデータを元に考察すらできずに、短絡的に妄想で語っているということになります。

「ファミコンを出すならスーファミやプレステ、セガサターンについても触れておけ」ということです。

もちろん、「近くにゲーム屋がたくさんあったか?」とか「ゲーセンはあったのか?」という感じで、地域によっては場合は異なるでしょうが、概ねスーファミの方が注目されていたという感じだと思っています。

「ゲーセンにあるストリートファイターⅡを家でもやりたい」というような雰囲気もあったからです。

ということを同い年を代表して言っておきます。

ナレッジと調査

そして同時に、自分でもはっきり知らないのなら、そうした分野をよく知っている知人の社会学者か誰かに聞きに行くとか、1983年生まれの人数人を対象として調査してみるとか、そうした事ができないものかと思ってしまうという感じです。

基本的に何かを語ろうとすれば手前に膨大なナレッジがあるか、綿密な調査が必要になるはずです。フィクションの世界である漫画や小説を手がけれられている方でもそうした調査を心がけていらっしゃるのが普通です。そんな中、よりリアルなデータ分析や考察が必要な学者の世界において、妄想で語るなど「何が学者だ」という感じがしてしまいます。「それで大学教授か?笑わせるな」ということです。

知識も経験もなく調査すらしていないことが見抜かれてしまう

ということで、その人の学者としてのレベルは、「ファミリーコンピュータと同じ年に生まれたので、必死におねだりしたことだろう」といった一文ですら見抜かれてしまうという感じになります。

知識もなければ経験もない、調査すらしていない、ということが一発で見抜かれてしまうという感じです。

また、近年では実際の調査が面倒なのかすぐに「SNS」という言葉を使い、そのフィールドで少し盛り上がっているようなことを近年の傾向として語るような社会学者も増えています(しだいに空洞化していっているのだろう)。それでは偏りが生じるのは言うまでもありませんし、調査としては不十分であり「手抜き」という感じがしてしまいます。

膨大なデータとリアルから得れるもの

小説でも漫画でも、単なる妄想ではなく手前に膨大なデータがあることが作品クオリティの土台になっていたりします。書物で得た情報であってもそれを土台として思考実験をしてみたり、自ら経験したことでないのなら経験者へ聞きに行ったり、現地に赴いたりということもなされていたりします。

すぐに収集できるような情報を編集しているだけ

しかしながらインターネット上の情報、とりわけ情報源をインターネットから仕入れているものやテレビから仕入れているようなものは、その土台となるデータの量とリアルが圧倒的に欠けていたりもします。

すぐに収集できるような情報を編集しているだけだからです。

もちろん、中には非常にクオリティの高い情報もあります。それは実体験に基づいたものであったり、膨大なデータに支えられたものであったりするようなものです。

しかしコンテンツ量産時代にあって、それらを探し当てるのは、砂場の中で砂金を見つけたり、ゴミ捨て場からダイヤモンドを見つけるくらいのレベルになっています。

嘘は嘘であると見抜けない人でないと難しい

かつて掲示板の利用において「嘘は嘘であると見抜けない人でないと難しい」と言われたように、現代でも「嘘は嘘、不確実なものは不確実であると見抜ける人でないとインターネットの利用自体が難しい」という感じになります。

まあもちろんそれに気づくためにはいわゆる「失敗」が必要になるのかもしれません。

例えば「出身校は?妻は?」というようなタイトルのページを見て「しょうもないなぁ」という失敗をしてみることです。

経験上タイトルにたくさん「?」が付いているものはだいたい広告収入目的です。転載しただけの情報が多いでしょう。

概念が具体的情報に具体化する時

だいたい外から得る情報というものは、概念というかイメージが言語化されたり視覚化される時に「具体的情報」となってこそ読み解く事ができるようになるという感じです。

その場にいれば「空気感」で読めたりもしますが、言語データで伝達するのであれば、概念や観念を具体化する必要が出てきます。

そしてそうした具体化において、様々な「正しさ」が葛藤を生み出したりもします。

それは、自分のある信念と、それとは別の信念から出てくる「何を目的にしているか?」という部分がぶつかる時です。

まあわかりやすいのは、自分の持っている「信念」のようなものと「仕事上求められていること」のぶつかり合いです。

作品としての芸術性を高めたいが、スポンサーとの契約があるというような感じでも起こるでしょう。

その時にある種最適化された方向性が、吐き出される具体的情報を形付けることになります。

そういうわけで、そうした「目的」がどのようなものであるかによって具体的に出てくる情報の属性は結構変わってきたりします。

目的を達成する最短ルート

そう考えると「出身校は?妻は?」などというタイトルのページは所詮、何かの特別な目的があるわけでも何でも無く、単に「有名人をネタにして広告収入を稼ぐ」という目的のみを持っているという感じになってきます。

そしてその目的を達成する最短ルートが転載と編集という形になるということになるのでしょう。

だから合理性の上では正解です。

しかしその正解の中に、価値はないという感じになるでしょう。

データを利用した最適化への疑い

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

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