運営元の都合

インターネットを取り巻く環境は日進月歩で変化しており、数年単位で「運営元の都合」により、今までの全てが無に帰する場合もあれば、「忘れたいのに忘れられない」ということが起こったりします。

そういえば来年でGoogle+が廃止されるようです。今までに上げられた投稿の取扱がどうなるのかは知りませんが、もし完全に消えてしまうのなら、そこでの投稿、やり取りされた全てが無に帰するという感じになります。

SNS系に限らずですが、新しく生まれていったネット上のサービスは、それまでにあった「やり取りや記録のあり方」の代替手段となっていたりします。機能だけ見れば確かに代替手段としての機能がありますが、やはり他社管理になるのでその運営元の都合によって、意図したものとは別のものとなってしまう場合があります。

新機能によってやり取りが削除され証拠が消えた

例えば、以前に実際に身の回りであった話ですが、近年「連絡手段」としてよく活用されるようになったLINEというサービスが、メールでのやり取りの代替手段となったりしました(なお、僕は使用していません)。

そしてある時、「既に配信したメッセージを送信者が削除できる」という機能が付加されました。

そして僕の身の回りにあった事案では、結果的にそのやり取りが訴訟におけるキーポイントとなる予定が、その新機能によって「やり取り」は削除され証拠無しとなってしまったというような感じでした。運営元に問い合わせればどうにかなるのかもしれませんが、おそらく難しいでしょう。

メッセージを送受信できれば良いという安易な発想

通常のeメールであれば、送信元IPなども記録されるため、証拠となりやすいのですが、その事案では「文章メッセージを送受信できれば良い」という安易な発想が元で証拠が消えてしまったのです。

そういえば昔、連絡手段としてTwitterが台頭してきた時、高校生が飲み会の連絡をツイッター上で行って、教師陣にバレて一斉補導ということもありました。

少し考えれば、それは公開情報として誰しもが見れるものであるということが頭に浮かぶはずであり、少なくとも疚しいことに関する連絡なのであれば、なるべくバレないようにクローズド空間で行うことが普通だろうと思ってしまいます。

そんな感じで「機能のみ」に着目してその前後にはどのような構造があるのかが見えていないと、とんでもないことが起こったりもします(その事例では補導できたのである意味「良し」ということだったのかもしれませんが)。

そうした感じで、構造が見えないままに利用するととんでもないことが起こることがあります。そうしたサービスの利用においてその機能を勘違いし、かつ、「雑さ」があると取り返しのつかないことになります(雑な人の驚くほど雑な行動)。

サービス廃止でそれまでの歴史が無になる

まあそんな感じで考えてみたいのが、人とのコミュニケーションを含め、情報の記録としてネット系サービスを利用するということです。確かにクラウド的に場所、デバイスを問わず使えますし便利なのですが、運営元の都合により急に全てを消されるということもありうるという感じです。

「サービスの廃止でそれまでの歴史が無になる」ということになります。

数年かけて蓄積した写真や文字情報が、運営元の都合で一気に全て消えてなくなるということが起こるという感じです。

まあGoogle+については、あまり利用している人も多くありませんでしたし、アイドル系の人たちに汚染させれていた感があるのでそれほどの被害はないと思いますが、やはり基本的にはローカルに保存するのが一番です。

無料サービス系は、いつどのタイミングで運営元の都合で変更があるかわかりません。ということで、無料ブログなんかもあまり良いものとは思えません。ただ、バックアップ機能があり、他の空間で再現できるのであれば多少はマシです。

「いきなりそれまでの歴史が無になる」ということが起こり得るので、そのようなものに情報を落として残しておくというのはいずれ一方的に無にされるという可能性を孕んでいます。

そういうことなので重要なやり取りなんかは、特にやめておいたほうがいいと思っています。

逆に思い起こさせたり、消えてくれなかったり

一方、面白いのが意味もなくシステムが「数年前の写真」を見せてきたりして、微妙な思い出を思い出させてきたりすることもあります。また、サービスによっては再編集ができず、削除することもできないというようなものもあります。特に他のサイトから引っ張ってくる系ですね。

そうなると考え方によっては、人の「黒歴史」のようなものが延々と残るということになります。それも直近数年だけの話ではなく、自分の孫やひ孫の世代になってもそれが残りうるということです。

僕はもう既に「手探り感」がないので、本ブログの内容が永久に残ってもいいと思っていますが、例えば何かの学問的領域において「試行錯誤の前と後」では、考えが変わったりもします。

そんな中、顔が真っ赤になるような「青かった頃」のデータを消したくても消せないとなると、まさに真っ青になるという感じがしないでしょうか。

まあもちろん「忘れられる権利」を根拠に削除を申請することはできるのかもしれませんが、それもそれで面倒ですからね。

そのような感じで、無料なんかで利用できるサービスでも今のところは、自由度が高いところがたくさんありますが、所詮は他人の作り出したフィールドにしか過ぎません。

よほど法令に反するようなものでない限り、無料で利用しておいて文句を言うものお門違いという感じになってしまいます。

ということで、運営元の都合でどうなるかわからないようなものは、なるべく安易な利用は避けたほうがいいのではないでしょうか。

情報処理に対するイデオロギーの反映

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

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