タグ別アーカイブ: 言語

言語・言葉に関することについて

これらは愚俗のことばにて

言葉の乱れというものが問題視されることもありますが、新しい言葉がどんどん生まれるということは必然的であり、若者言葉のようなものもひとつの空間における結束のようなものをもたらすため、それら言葉は社会的機能として別の面で機能を持っているという面があります。 しかしながら、意味に関するものを取り扱う場合、具体的な意味がつかみにくいという場合であったり、相手との意志の疎通において理解が生まれないというような感じで問題が起こっているのであれば、やはりそれは問題として考えられたりするのは仕方がありません。 意図的に相手には通じ

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ズレたずるむけ感とクラブゲッパ―

音楽を含め芸術や文化の分野においては、各々の人が持つ捉え方があり、感受性や総合的な視点のあり方などによって感想というものは千差万別になっています。 一般的な歌がつく楽曲に関しての感想も、楽器を演奏する人たちは各音について具に聴いていたりもしますが、全く無縁という人にとっては、歌詞が重要な要素として位置付けられていたりします。 しかしながら個人的にはやはり昔から楽器を触ってきたということもあってか、小学生の頃から歌詞に対する比重はあまり高くなく、全体像や各パートの音の方を重視して聴く癖があります。 そうした差異自体は

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情報を短期間で大量に流し込むことで見える基礎と特性

情報を短期間で大量に流し込むことによって、あまり苦労することなくその分野のことがすぐに習得できたりします。習得ということでなくても、情報を短期間で大量に流し込むことでその分野・対象の基礎や特性が見えてきたりもします。 「現地語を浴びる」という感じで一気に情報を流し込む語学の訓練のように、長時間の観察を短期間で一気に行うと一気に基礎的な部分や特性、パターンが見えてきます。 そういえば最近雀くんや山鳩(雉鳩)くんが家の裏によく登場するので、毎日のように彼らの声を聞いています。 一日中鳴き声を聞いていると、雀くんや山鳩く

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自然人のみが解ける暗号

具体的背景のみによって心象を捉えることができるというところがAIが到達できない部分となるでしょう。それは人としての堅牢な防御壁として機能します。 いつの時代も一定方向に物事が向かい出すと必ずそれに対するアンチテーゼが生まれたりします。そしてそれらを統合してより高みに近づくというような弁証法的な発展が通常の知能の醍醐味であり、それこそが進化と呼べるものであったりもします。 ということなので、形態素解析の質が上がろうとも、品詞単位で紐解けると思っている人工知能は、抽象化や転成を用いながら、かつ具体的背景として事実的なデ

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能ある鷹は爪を隠す

能ある鷹は爪を隠すについて触れていきましょう。 辞書的、教科書的な意味として「能ある鷹は爪を隠す」とは、「実力のある者は、軽々しくその能力を見せつけるようなことをしない」というものであり、実力者ほど才能や能力を見せびらかせることはしないというような意味になります。その本意としては、傲慢の戒めというものもありつつ、手の内を明かさずにいた方が何かしらの戦略や戦術を実行する時に有利となるというようなものも含まれています。 鷹(たか)は猛禽類に属すため、鳥類の中で最強というわけではありませんが、食物連鎖のかなり上の方に属す

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前提知識が無い可能性を推測できない人たち

単発的な情報の処理に慣れすぎているということから来ているのか、共感性が乏しいと言えばよいのか、物事を俯瞰する能力に欠けていると言えば良いのか、近年では言葉が通じなかったり、ふとしたことから意味不明な説明をされる場合が増えてきたりもしました。 以前「野放図への白眼視」で触れていた「…ということのようですが…そういったお話はどちらに伝えればいいですか?」「下!」というようなやり取りのように、それで相手がわかるわけがないということが推測できないようなタイプの人が増えてきたような気がします。 「そりゃあんたらの内輪ならそれ

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多義性や曖昧さを嫌う無機質さ

多義性や曖昧さを嫌う無機質さについて触れていきます。 「何だか面白くないなぁ」と思ってしまう要因の一つは、コンピュータを経由することで生じる「多義性や曖昧さを嫌う無機質さ」にあると思っています。 「再現性のためにより具体的に」ということもわかりますが、そればかりでは有機物たる人間は面白さを無くしていってしまうということが起こりうるという感じです。 再現性を高めるためや誤解を避けるため、解釈に多様性を持たせないために具体的に表現するということが望ましい場合もありますが、曖昧性を持ち、多義性を持つ表現の方が適している場

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笑う月 安部公房著 新潮文庫

笑う月

月の季節に「義務教育的な文語の世界を笑う」という感じでふと思い立って始めた「特別企画 その8」の「笑う月」。結局フレーズ抽出によりタイトル化するばかりとなりました。 「有限の情報から無限の組み合わせ」という思考の基本に立ち返り、文語的タイトルに限定されることなくフレーズから抽出して展開していくということを楽しみとしてやってみようということで、今回は新潮社さんより刊行されている安部公房氏の「笑う月」から、からフレーズを拝借してタイトル化して投稿してみました。 なお、笑う月は昭和50年刊行で、文庫版は昭和59年7月25

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先に弁明したほうが負け

日常、社会の中では「先に弁明したほうが負け」ということになっているのか、「明らかに負けているのに非を認めず強気」というような人を見受けることがあります。 そうした場合だけでなく、「気持ちを汲み取ったら負け」ということなのか、何があっても意味不明の毅然さを保つ人たちもいます。 その代表例は、外資系企業であり、時価総額ランキング上位のIT・ネット系企業などにおいては顕著だったりします。 法制度よりも自分たちのポリシーの方が上 現地は訴訟国家であり、一切の感情を排除するということになるのか、さすがに感覚が違いすぎると思っ

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薄のろではなかった

「うすのろ」というトランプゲームがあるようで、ある日僕はそのゲームへの参加を誘われました。「うすのろのばか」と呼ばれていたりします。このゲームにはたくさんの呼称があるようですが、ひとまず僕が経験した時は、「うすのろのばか」という名称で取り扱われていました。 で、やっているうちに覚えるというような感じで曖昧な説明をされ、はっきりしたルールがわからないまま参加したのですが、ゲーム中の掛け声である「うすのろのばか」という言葉が、妙に「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」的に聞こえてきて、軽いマインドコントロールに入りそうだっ

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なにやらいかがわしい憶測

新入社員研修の時、ある男性講師の方が「疑わしい」という文言について「うたがわしい、ですよ。いかがわしい、じゃないですよ」と強調されていました。 きっとその方としては、いわゆる鉄板ということだったのでしょうが、さほどウケることはなく、聴衆たちには流されていました。 その後、「パワーで押し切る」ということを意図されたのかはわかりませんが、再度「うたがわしい」を強調されていました。リベンジということなのかはわかりませんが、やはり聴衆との間には微妙なズレがあり、変な空気が流れていました。 如何わしい行為というフレーズが、そ

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確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう

なんだかんだで思い違い、記憶違いということは未だによくあり、自分自身が見たもの、見た記憶を信頼しきらないことにしています。 「確実に見たかどうかを繰返し自分に問い質してみよう」ということで、テストがてらコンビニに貼ってあるライブ案内のポスターに掲載されていた方々の名前を思い出してチェックすることがあります。 失礼な形になりますが、たいてい自分の知らない方々の名前は変な形で記憶しており、ほとんどの場合で間違えます。 名称の記憶 特に名字と「人の名前ではない名詞」やカタカナ語が組み合わさったようなパターンの場合は高確率

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イメージをともなわない言葉だけの網

感動という文字を見ても感動しないように、言葉はうまく紡ぎ合わせて何とかイメージを形成しないと、感情を動かすことはできません。 しかしうまく編まれたからといって「イメージ」が生まれないということもあります。 「笑う月」の中では次のように語られています。 「日頃から言葉の操作に従事しているぼくのような場合、イメージをともなわない言葉だけの網が編まれてしまう可能性だってあるわけだ。夢を見たという表現は、もはや適切でなく、夢のなかで言葉が編まれた、とでも言い替えるべきだろう」 言葉が発端となり、言葉と言葉が編まれ、言葉と視

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一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはない

一滴の雨のしずくが、大海の主成分であることに変わりはないように、客観的な世界を仮定した場合、一人ひとりが社会の構成員であるように、言葉、情景といった一つひとつの記憶が膨大な無意識を構成するものであることには変わりありません。 それがどのようなものであれ、いずれ心的複合体として重要度の高いものとして発露することがあります。非常に微細なものであってもいつか何かしらの意図の発生の材料となっているという感じになります。 ひとつの言葉がきっかけとする連想 ひとつの言葉がきっかけとなって凄まじいほどの連想を呼び起こしてしまうと

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やむをえずつけた符牒

「やむをえずつけた符牒」ということで隠語についてでも触れていきましょう。 世の中にはたくさんの隠語のようなものがありますが、何だかひねりに欠け、バレてしまうのではないかと思ってしまうようなものもたくさんあります。 別にバレてもいいという意図でつけられたものもあると思いますが、中学の同級生の裏ネーム的なものの場合は、バレた途端に喧嘩になってしまったりするので、多段階に変形させて隠語化せざるを得ません。 あまりにストレートなものになるとバレるリスクが高まる上に野暮ったい、ということで、同級生たちは時に個人のひらめきを利

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発想の種子の、登場のしてきかたのさりげなさ

どのような表現にしてもその人の内にあるものしか外には出てこないため、どんな組み合わせになるにしても発想の種子に関してもできるだけ多いほうが面白みが増していきます。そんな発想の種子の登場のしてきかたはいつもさりげなく、遠い昔にちらっと見ただけというようなものですら、何の脈略もなくある時ふと何かの起点となったりします。 そういえば、近年「英語教育をなるべく若いうちから」というような流れになってきているようですが、発想にしても思考実験にしても結局は母語たる言語で行うので、それより先に国語の方に力を入れたほうがいいのではな

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主人公の最後の叫び

人体の構造上、「いえあおう」の順番で音の出る部分が奥に入っていき、軽々しいものから重々しいものへと変化していきます。 これは、そのまま情報空間に対するもの~物理空間に対するものというバロメーターを示すという感じになっています。「い」なら情報的で意識寄り、「う」なら物理的で肉体寄りといった感じです。 母音が「い」から始まるということは、いわば意識的なものであるという感じになり、「う」から始まれば本当に肉体的な叫びということになります。 腹を殴られて「いっ」とは言いません。「うっ」となるはずです。 突発的に第一声で「痛

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意識下で書きつづっている創作ノート

何だかんだで一度見聞きしたものは全て覚えていて、ふとした時にそれが意識に上がってきて影響を与えたりします。意識下で書きつづっている創作ノートには常に何かが書き込まれ、まとまりとして形になった時、何かしらの理由で必要になった時にふっと意識に登場し、日常に影響を与えてきます。 見聞きしたものについては、サブリミナル的に無意識に届くということもありますが、やはり基本的に意識が向く矛先とか解釈の仕方は認知バイアスによって取捨選択されているという感じにはなっているので、偏見なら偏見がどんどん加速していきます。 そんな感じで日

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生兵法とレトリック

自転車トラブルが起こった時のケース(頻発した自転車トラブル)等々、「知能が発達していないゆえに生兵法で挑んでくる」といったケースが身の回りでも頻繁に起こっているようです。 「生兵法は大怪我のもと」という言葉があるにも関わらず、よくもまあそんなに強気に出れるなぁと思ったりもしますが、むしろ「凄さがわかるのも能力である」ということから考えれば、能力がないからこそ、その意味すらわからないという感じになるのでしょう。 別に必要なものではありませんが、ある程度論理学やレトリック(修辞学)を経験してみると、そういった出来事は減

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関連付けによる情報の整理

今回の夏ツアーに関して、内容は大雑把ながらも取り扱うテーマとしては細分化して投稿してみました。まあ内容の大雑把さは後に追加情報を投入することができるので、ひとまず「ハコ」を作ってみたという感じです。 それに付随して画像の詳細ページが大量に出来上がったので、更に細分化されたという格好になっています。 ただそうして細分化され具体化された情報が大量に出てきたので、何と何が関連し、どれがどのように関係しているかということがぐちゃぐちゃになってきたりします。まあいわば混乱です。 実際の頭の中では、ボーッとしているときなどにう

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第1500回投稿記念

これで1500記事目になります。ブログ創設から1500回目の投稿ということで「第1500回投稿記念」です。 前回の第1400回投稿記念は、2018年12月2日で、前回からの100記事は、半年くらいかけて投稿したという感じです。通常投稿ばかりだとやはり緩やかですね。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。たくさんの気づきがありました。 それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状況から投稿記念の回を進めてい

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骨格と装飾と問題

文章と音楽は全く別物かのように見えたりもしますが、知っている人は知っているように、骨格と装飾といった感じで、中心となる部分とオマケの部分があります。 また、そこにある美しさは、フィボナッチ数列から導かれる黄金比のような法則性もあります。そういうわけで、本来文理芸は切り離されているものではありません。 言語なら言語的意識、音なら聴覚といったように、美術なら視覚といったように、どの次元で表すかとかどの次元で捉えるかというだけの違いで本質的にはそれほど違いはありません。 骨格となるものと装飾的な部分についての差は、文章で

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システムや機械の利用と依存

システムや機械の利用と依存ということで、利用と依存についてでも書いていきましょう。もちろんシステムや機械自体は悪くないという部分もありますが、機械への依存が増えると、本質的なクオリティは下がってしまう場合もあるというような点について触れていきます。 特に今に始まったことではありませんが、現代においてもひとまずいかにして「人の代わりに機械にやらせるか」という方向で技術開発は進んでいます。 それ自体は別にいいのですが、単にシステムや機械を利用することと依存することは全く別物です。 全体像を理解した上で、部分を機械に代替

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日々を彩るアウラと駄アウラ

なんだかんだで年数回旅立ったりしていますが、日常これといって刺激を「求める」ということはありません。元々怒りが強く排除の方に気が向くくらいであり、かつ、放っておいても刺激はやってくるので「不足している感じがない」という感じです。 で、勝手に刺激は展開されていってしまうので「日々を彩るアウラと駄アウラ」といった感じでそんな日々の様子について触れてみます。 「駄アウラ」とは僕が勝手に呼んでいるものですが、元はアウラから来ています。駄菓子から得ることが多いので駄アウラと呼んでいます。 アウラの喪失 「アウラ」は、ヴァルタ

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内発性と自発性

一見同じように見えてしまう「内発性」と「自発性」は、似て非なるものであり、「内発的」と「自発的」というものも異なる概念です。 まあ言葉の定義というものは、各々の方々によって違ったりしますが、ここでは、アリストテレス的に内発性と自発性について少し触れていきます。先程、類語について触れていたのでそのついでです。 世の中では内発的動機づけと称しながら、人をマインドコントロールしようとする人たちがいます。新入社員研修などでもありがちです。 その内発的動機づけという言葉における内発的という言葉は、おそらくアリストテレスが言っ

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