主人公の最後の叫び

人体の構造上、「いえあおう」の順番で音の出る部分が奥に入っていき、軽々しいものから重々しいものへと変化していきます。

これは、そのまま情報空間に対するもの~物理空間に対するものというバロメーターを示すという感じになっています。「い」なら情報的で意識寄り、「う」なら物理的で肉体寄りといった感じです。

「いえあおう」の順でわかる意識的な叫び~肉体的な叫び

母音が「い」から始まるということは、いわば意識的なものであるという感じになり、「う」から始まれば本当に肉体的な叫びということになります。

腹を殴られて「いっ」とは言いません。「うっ」となるはずです。

突発的に第一声で「痛い」と言えるのはまだ痛みが浅いときです。「痛っ!」という時でも、よく観察すると「うおあいたっ」というような語の並びになっていたりします。

「えっ?」となるときは、どちらかというと意識的な認知的不協和などが起こったときです。本能としてはそれほど問題としていない感じです。「は?」の方がより、本能的に反応しています。そして「え?」と比較すると相手への配慮やマナー的な要素が排除されています。「おおっ?」ならもっとゆるく時に攻撃的に映ります

相槌に関しても「ええ」「ああ」「おお」でどんどんゆるくなっていきます。つまり音が軽いほうが意識的配慮、マナー的な要素が増すという感じになります。

生理反応ではない声

本当に心底感心していれば、腹が反応し「おっ」とか「おおー」と感嘆の意を示すということになり、それが意識で制御できないレベルになると「うっ、うっ」と涙を流すという感じなったりするという感じです。詠嘆とはそういうものです。

まあつまり、叫ぶということに関していえば、本当に心底全身で反応していれば、「う」寄りになるという感じで、「い」から始まるというのは「嘘」であるということになります。

「きゃー」という黄色い声

ということで「きゃー」という黄色い声は、生理反応としては嘘です。

叫んでいる自分が可愛いという自惚れや、ドラマなどで「叫べばヒーローが助けに来てくれる」的なことを意識で学習しているにすぎません。

声にならない「うっふん」

美形が出てきて本当にうっとりした時に形容されるのは「うっふん」であり、本当にそんな声を出すことはなくても喉が「うっふん」のような感じになります。ということで「きゃー」は本質から離れているということになります。

自分が緊張してしまうくらいの美形が目の前にやってきた時、起こる生理反応としては、声にならない「うっふん」になるでしょう。

そういうわけで、そんな喉の反応を観察していれば、どれくらいが素の本音で、どれくらいが配慮もしくは嘘なのかが感覚でわかっていきます。表面的な言語的情報に騙されることもなくなっていくでしょう。

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