能ある鷹は爪を隠す

能ある鷹は爪を隠すについて触れていきましょう。

辞書的、教科書的な意味として「能ある鷹は爪を隠す」とは、「実力のある者は、軽々しくその能力を見せつけるようなことをしない」というものであり、実力者ほど才能や能力を見せびらかせることはしないというような意味になります。その本意としては、傲慢の戒めというものもありつつ、手の内を明かさずにいた方が何かしらの戦略や戦術を実行する時に有利となるというようなものも含まれています。

鷹(たか)は猛禽類に属すため、鳥類の中で最強というわけではありませんが、食物連鎖のかなり上の方に属す鳥です。そんな鷹の中でも有能なものは、その武器たる爪を見せびらかせず、内に忍ばせて実利を取るというような意味を持つものが「能ある鷹は爪を隠す」というものですが、この言葉は第三者への称賛の際に用いられることがあるものの、目の前の相手に直接的に使用することは威圧ともなりかねません。

というようなことを示したくて投稿しているわけではありません。もちろん「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんについてであり、その言葉を口癖のように言っていた彼はきっと今でも若者を見つけては「能ある鷹は爪を隠す」と言っていることでしょう。

そして孫でも生まれればその孫に自分の威厳を示すために「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を連呼するであろうということを前提として、「いかになってはいけない大人か」、「カッコ悪い大人か」ということを示しておくために投稿しておきます。

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を使って、出る杭を打つかのごとく若者を潰し、自分の威厳を確保しようとしていたかということを示しておくことで、そんな想定上の「孫」にも「おじいちゃんのようなカッコ悪い大人にはならないように気をつけてくださいね」ということにつながれば幸いだという感じです。

もしあまりに連呼される「能ある鷹は爪を隠す」という言葉から、その意味を調べ、偶然にも発見するという可能性を作っておくという感じです。

「能ある鷹は爪を隠す」の人の特徴と利用シーン

「能ある鷹は爪を隠す」の人の特徴と言葉の利用シーンについて触れていきましょう。

この「能ある鷹は爪を隠す」が口癖のおじさんについては、過去に二度ほど触れたことがありました。

「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんは、新入社員時代の直属の上司であり、僕の「初めてのお客さん」や「初めて飛び込み訪問で契約してくれたお客さん」の分の成績を半分横取りしていきました。

「手続きに失敗してお客に迷惑をかけるといけないから」と言う理由を用い、微妙に言い返せないような「配属されてすぐの新入社員」の成績を奪っていきました。なお、被害にあったのは僕だけではありません。

その人としては「手続きに失敗してお客に迷惑がかかり、契約がボツになってもいけないから、能ある鷹の私が同行してあげよう」ということなのでしょう。

その能ある鷹は爪を隠すのおじさんは、仕事ができず半窓際社員であり、僕の上司となりえたのも組合活動を頑張ったからという感じであり、ある程度の役職につけたのも同期の友人が出世してかなり上の人になり、温情で出世させてもらったというような人でした。

「能ある鷹は爪を隠す」の使用例

「能ある鷹は爪を隠す」を連呼するおじさんは、微妙な体育会系であり、僕がある程度の成績で先輩たちを上回って表彰された時、僕は特に何もしていないにもかかわらず、自分と同じような「できない先輩」を庇うように「能ある鷹は爪を隠す!」と連呼し、また「二ヶ月先でも先輩は先輩やぞ!」という釘刺しをしてきました。

とりわけ新入社員を対象とすることが多いですが、成績が良くて表彰された時、すかさず「能ある鷹は爪を隠すやぞ!」と言ってきます。

偶然にも配属先が同じだった同期とともに二人とも「全国の同期社員の中のランキングでかなり上位に入った」という報告があり、部長が褒めてくれたりしたことがありました。その時、席に戻るとすかさず「能ある鷹は爪を隠す、ということを忘れるなよ」と言ってきました。

ちなみに上位に入ったからといって何をしたわけでもありません。全国的に考えると環境的に有利な配属先でしたし、僕よりも配属先が同じ同僚の方が成績が上だったりもしました。僕たちは様々な上司に「ありがとうございます。これからも頑張ります」と言ったりはしていましたが、それ以外に何かをしたとというわけではありません。言われてすぐですからね。

しかし、スネたような顔で「能ある鷹は爪を隠すのが大人やぞ」などと言ったりしていました。

自分のやり方に沿う形で営業活動などをしなかったりすると、「教えてやったのに」と口を尖らせたりします。複数の上司から様々な方法を教えてもらう僕たちとしては、なるべく能力のある人、実績のある人達のやり方を模倣したくなるのですが、そんな感じで他の人の方法を用いたりして、うまくいかなかったりすると「せっかく教えてやったのに」とつぶやき、うまくいくと「能ある鷹は爪を隠す!」とつぶやいていました。

「私らが若い時はどこが間違っているのかなんて教えてもらえなかったぞ」などと言いながら、業務の方法を伝える時でもやたらと出し惜しみするかのように指導していました。

そんな中、直接的な営業活動などではありませんが、法的問題が絡む難しい手続きがあり、事務方の達人に聞いてそれをこなしたりした時も同様に「あの人に聞いて解決したんやな。そやけど、能ある鷹は爪を隠すやぞ」と言ってきたりしてました。

極悪ではありませんが、なってはいけない大人のモデルであり、「もっさい大人」の代表例だと今でも思っています。

自分の父の同じくらいの年でしたが、僕より少し年上の先輩、上司陣にも影では馬鹿にされ、「あんなもんが何ほざこうが、数字見たらわかるやんけ(笑)」とバカにされ続けていました。

温情、厚意で出世させてもらったということもその上司陣から聞きました。

そして口癖は「能ある鷹は爪を隠す!」という感じでした。

何よりも寒かったのが、そんな感じで成績を奪い、自尊心をボロボロにされないための先手として「能ある鷹は爪を隠す!」と連呼していたにもかかわらず、宴会後の二次会では「オレはロックだ」とでも言いたげに忌野清志郎を歌っていたことです。

「そんなにオカタクないんだぜ」というアピールを女性社員にしていました。

「能ある鷹は爪を隠す」の意味解釈

そのおじさんの国語力では「能ある鷹は爪を隠す」の意味が理解できなかったのでしょう。もちろん各人が各人の解釈で言葉をとらえても良いのですが、そのおじさんには「能」などありません。

実力、能力を示すような「爪」を隠す前に、能力が必要になります。あくまで「能がある鷹」が実利のためにその実力たる爪を隠すのであって、能がないのであれば土台から論理が破綻してしまいます。

傲慢さから能力を見せびらかす、ということは、相手に戦略、戦術を見抜かれて対策を講じられてしまうということもありながら、単に優越感的な自尊心の補償にしか見えないので、印象として醜く映るということの他、人に嫌われていくということで人望を失うという面もあります。

そうした構造を一文で示すものが「能ある鷹は爪を隠す」ということになりそうなものですが、「能ある鷹は爪を隠す」を座右の銘としているようなくたびれたおじさんは、単に劣等感の補償としてその言葉を利用しているに過ぎません。

実質的な「能ある鷹」

「能ある鷹は爪を隠す」のおじさんは、昔から何かしらの理由をつけて成績を奪う行為をしていたようですが、僕が部下になったのが運の尽き、かなり上の上司に報告しておじさんは指導の対象になり、僕はその後別の上司のところの所属となりました。

そしてその新しい上司が、「ついてこいよ」といって、既に決まりかけているお客さんのところに連れて行ってくれました。

「半分持ってけよ」

と、何もしていない僕に成績を半分くれました。

「いや、それは無理ですよ」

というと

「おっさんにさんざんいかれたんやろ?守ったれへんかったオレらからのお詫びや」

といってものすごい成績を半分分けてくれました。

ものすごいコントラストです。

同じ職場でもこんなに違いがあるものなのだと思った瞬間でした。

Category:miscellaneous notes 雑記

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