寒さというものは辛いものですが、当然ながら寒さという感覚は情報空間にも広がっています。
その寒さの最たるものは、せっかくの演出を台無しにするというようなものです。
そういえばかなり前に「サプライズ」というような言葉について触れた時がありました。そんな事は感情を高めるための粋なテクニックとして何千年も昔から利用されているようなことであるはずですが、あえてラベリングしてしまうことで、せっかくの演出効果が激減してしまうというような事になっています。
先程マーケットインについても触れてみましたが、「プレゼントは何がいいか?」などと聞いてしまうと、相手が既に持っているモノと重複しないとか、相手に適しているという面にはプラス効果がありそうですが、同時にプレゼントの良さが激減してしまうということにもなります。
そこには、「相手のことに関心があり、日頃からよく気にかけていた」というような心持ち的なブーストが消えてしまうという面が潜んでいます。
所詮、モノを媒介するというだけで、伝達しているのは意志なのですから、そうした形で台無しにするのはもったいないという感じがします。
極寒のやり取り
そのような感じで「簡単にわかりやすく」ということがもてはやされているのか、せっかくの洒落っ気を台無しにしてしまうような極寒のやり取りがいたるところで繰り広げられています。
以前インターネット上で「あえてタイトルを間違える」ということをした人がいます。
それに対して
「おいおい・・・」などと突っ込んだりしている様が見受けられました。
寒い。
そして、「あれはわざとだったのでしょうか?」
などと聞く人も出てきたようです。
寒い。
「そうです。話題性を作るためにわざとやりました」
寒い。
という感じです。
「答えなければ粋だったのになぁ」と少し残念でした。
内容の解説がありがたい場合もあれば、「内容の解説は無用」という場合もあります。そんな内容の解説は無用であるという場合の最たるものは、ユーモアや笑いの類ではないでしょうか。
そうしたものは、解説された瞬間に芸術性、侘び寂び、奥ゆかしさが消えてしまったりもします。
寒すぎる場合は逆に感情が高ぶり、爆笑するかほくそ笑むことができます。しかしながらどうしても無理なタイプの寒さもあります。
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