タグ別アーカイブ: 思い出

私的な思い出

胸の痛みが消えてなくなる感覚

どうも体の部分部分に秘めた痛みというものは、その痛みを受けた時の記憶等々と連動していたりします。 また、緊張の種類によって体としても緊張が走る場所が異なるため、ある部分の痛みや疲れは、それに応じた緊張のエピソードと連動していたりするようです。 先日、夜に眠れなくなり、いつもなら春先に起こるような緊張の解放が一気に起こりました。もしかすると「相手の空間に飲み込まれると調子を崩す」等々を投稿した影響かもしれません。 胸の真ん中にグーッと圧迫感が走り、痛みが走りました。 そして、記憶が急激に描写され、一気に涙が溢れてしま

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相手の空間に飲み込まれると調子を崩す

相手の空間に飲み込まれると調子を崩す、ということで、少しだけ「人との深い関わり」の続編を進めていきましょう。 振り返ると「調子が悪いなぁ」とか「何をやってもうまくいかない」という時、たいていは誰かの空間に飲み込まれていて、自分本来の思いや意図からは外れていた時、という感じなっています。 相手の提案に乗ってみるということはいいですが、行き過ぎるとどんどんツキがまわってこないというような感じになっていきます。 「あ、終わった」と思った瞬間 「起業してから廃業して大企業に新卒で就職することはできないが、反対に大企業に新卒

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人との深い関わり

思えば幼少期から人と深い関わりを持つことが多いなぁというようなことを思ったりします。しかし最近ではほとんどそんな深い関わりが生じることがありません。 人と深く関わって良かったこともあれば、さんざんだったということもあります。 さんざんだったことも数多くありますが、それなりに良い経験になっているので、振り返れば「良かった」というようなことも思います。 人と深く関わってしまう理由 なぜそんなに人と深く関わってしまうのかという点ですが、ひとつは「なるべく友だちになろうとする気質があること」であり、一つは、「人の深い部分を

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1983

1983投稿目ということで、1983年について、というより相当幼い幼少期の頃について触れていきましょう。 僕は1983年(昭和58年)に生まれました。 といっても12月生まれなので、1983年を過ごした期間はほぼわずかで、新生児の頃という感じになります。 そういえば僕の銭湯歴は相当長く、生後一ヶ月で銭湯デビューという感じだったようです。 家に風呂があったらしいのですが、おばあちゃんが風水か何かの入れ知恵に影響され「縁起が悪い」と言ってぶち壊し、一家全員で近くの銭湯に通う習慣がついていたという背景があったようです。

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シューベルト「魔王」について

シューベルト氏の「魔王」という曲は、父と子が森で魔王に出会い、子が魔王に誘われ、父は気づかずというような詩のあるような曲のようです。 一応作詞はゲーテ氏、というより詩の方が先にあり曲が後でついたという感じのようですが、中学校一年生の時、この曲がテストの問題として出されたことがあります。 どのようなシーンを思い浮かべますか? その時の問題が、テスト中にこの曲が流され「この曲を聞いてどんな感じがしますか?どのようなシーンを思い浮かべますか?」というようなものだったので、原作は無視して魔王というタイトルを元に思うままに書

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静かなる気迫

19歳くらいの病中の頃、おばあちゃんの家で2ヶ月ほど暮らしたことがあります。 特に実家が嫌だったとかそうした理由ではありません。 嫌ではないのですが、少し気が散るというか、そのままでは同じところをぐるぐるしているだけのような気がしたので、何かを見つけるために静かな場所で強い人と一緒にいたかったというような感じです。 理解者で触れたおばあさんとの出会いの後、僕は、すべてを解決するものではないにしろ、何かをまとめ、何かを見つけるために周りの中で最も精神が優れ、そして安定した寡黙なおばあちゃんの家で暮らすことにしました。

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オスのセキセイインコが持つポジティブさ

オスのセキセイインコは異常なほどのポジティブさを持っています。ポジティブと言うより、根底から「ネガティブがない」というような印象があります。 鉄腕アトムには基本的に恐怖心がプログラミングされていないように、オスのセキセイインコにも恐怖心や悲しみといったものがほとんどないという感じになっています。もちろん個体差はあると思いますが、楽観主義やポジティブの塊とでも言いましょうか、パラメータの振り分け的に、喜びや友愛が強く、恐怖心や悲しみ、妬みや僻みはゼロに近いという感じの印象があります。 9月20日~26日は動物愛護週間

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14歳

比較的最近のことですが、千原ジュニア氏の14歳を再読しました。 小学生の時にすんげー!Best10で千原ジュニア氏を初めて見た時、「この人は他の人とは違う」ということを思い、そして「何かが自分と似ている。きっと僕はこの人のようになる」というようなことを率直に思いました。 僕は部屋に閉じこもることはなかったですが、14歳を読み返すと、怒りの強さを筆頭に「やっぱりどこか似ているなぁ」というようなことを思ったりしました。 ― 世の中では昔からいじめのようなものが常に問題視されています。 それをどう定義するかというところの

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微かでも大きな果報

因果応報という言葉は、どうしても胡散臭いカルト宗教などに利用されがちです。なので、あまり使いたくない感じがしますが、比較的最近、父から聞いた話で気づいた、しんみりした微かでも大きな果報について触れていきます。 うちの寡黙な方のおばあちゃんが存命の頃、二人でよく食事に行きました。おばあちゃんは、特にグルメであるとかはしゃいで騒ぐという感じではなく、静かに黙って食べるような感じでした。 十代の頃、おばあちゃんも含め家族数人で行った時に、ほとんど黙ってふんふん言いながら、食事をする他の家族の姿を見るおばあちゃんを指して、

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祝七周年

本ブログも七周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1942記事目になります。今回も祝六周年の時と同様に、単純に祝七周年というタイトルです。 祝六周年の時は1775記事だったのでこの一年で170弱の投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこのブログにやってきた人の数は、170,737名ということのようでした。その前の

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うさぎの絵について

うさぎの絵に関して、名実共に最高峰にいるのはピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポター氏であると思っています。 「誰よりもうさぎのことをわかっている」 という感じがします。 うさぎなどの動物とずっと暮らしていた上に、亡くなったうさぎの骨まで確認していたというポター氏。 ということでやはり骨格や筋肉のつき方を捉えているということが、生き物の絵を描くにあたって一番大切なのでしょう。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人が言っていましたが、基礎デッサンを教えているときに、特定の動物を指定すると、教え子さん達の完成物に

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陰風に眼くらみて

人は主に視覚情報を頼りに外界を判断していると言われたりもしますが、もちろん聴覚や嗅覚、味覚、触覚なども頼りにしていたりします。 視覚の比重が高いからこそ動画や画像を見て美しいものであると捉えたりもしているのでしょうが、実際に実物はそれにニオイというものも要素として加わってくるわけです。 たいていの場合「ニオイ」というと、良い匂いによる加点よりも臭さによる減点の方が大きい感じになっています。 という中、動画などにおいては視覚と聴覚の情報はやってきても嗅覚情報はやってきません。だからこそ実際よりも美しく感じてしまったり

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軒守る犬の吼ゆる声

小型犬が多くなったということが関係しているのか、最近では番犬として家の外にいる犬を見かけることが減ったような気がします。 しかしながら、かつて番犬というものは至るところにいて、かなりの頻度で吠えられた記憶があります。そうした番犬はサイズ的に中型犬や大型犬なので幼い時は結構恐い思いをしました。 基本的には動物とは仲が良いのですが、小学生の頃に犬に靴を奪われてからというもの、中学生の時くらいまでは犬が苦手で仕方ありませんでした(韋駄天が一目散)。 苦手で仕方がない割に、雄犬にはよく好かれ、通学路で抱きつかれ腰を振られる

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待ちつる人は来らず

この世界においては、自然的な確率が渦巻いている中、常に可能性は重なり合っていて、純粋に意図した瞬間に確定してしまうという感じになっています。 それは自ら意志を確定し能動的となるという場合もありますが、表面的に自らが働きかけなくても起こってしまうという格好になっていることもよくあります。 そんな感じで、再会を望みつつも「待っていても来ない」という場合もありながら、逆に「待ってもいないのに来てしまう」という場合もよくあります。 いつかまた巡りあってしまう人たち 「久しく会っていないなぁ」と思っていた友人がいました。「ど

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嚢をかたぶけて酒飯の設をす

高校生くらいの時の話ですが、友人宅に行くと、その友人の友人がそのまた友人を連れてやってくるという感じになりました。まあそのくらいの年齢の頃にはありがちです。 その友達の友達の友達くらいの人をひとまずAさんと呼ぶことにしましょう。ちなみに女子です。 どのような経緯があったのかはわかりませんが、Aさんは最近学校を辞めており、どこかの機械工場に勤めているという感じだったようです。 それはそれでいいのですが、Aさんは友達と一緒に僕の友人宅までやってきました。 人数分のドリンクを持ってきてくれたという何とも粋な感じでした。僕

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燕の巣立ち

燕の巣立ち

燕の巣立ちということで、ちょうど巣立った瞬間のツバメのひなちゃんに会ったのでご紹介します。 燕は外敵から身を守るためということなのか、人が行き来する場所に巣を作る習性があります。 厩舎にたくさんの燕の巣があり、厩舎ガイドツアー中も親燕たちが飛び交う感じでした。 見上げると燕の巣に五羽のひなちゃん。   と、その時、一羽のツバメのヒナちゃんが飛び立ちました。 初めてのフライトでまだうまく飛べなかったのか、壁際に落ちるように止まりました。 片羽が壁に引っかかるようになっています。 巣を見るとやはり四羽になって

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大山乗馬センター 厩舎ガイドツアー&ふれあいでむにゃむにゃ

大山乗馬センター 厩舎ガイドツアー&ふれあいでむにゃむにゃ

昨年夏、そして今年の2月に厩舎ガイドツアーで厩舎内見学をさせていただきましたが、もちろん今回もおやつを片手に厩舎ガイドツアーです。そしてその後、前回のブラッシングを思い出し、パウダースノーやディアマーベルなどをなでなでしました。 大山乗馬センター 厩舎ガイドツアー &場内の動物たち(2019年7月) 大山乗馬センター 厩務員体験&厩舎ガイドツアー(2020年2月) 厩舎ガイドツアー やあ君はスカちゃんじゃないか。 戻るとアイソトープがいました。 そしてマリアンデールも。 何だか君、冬よりも毛が明るいなぁ。 ふれあい

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ハフリンガーと行く森の小道

大山乗馬センター ハフリンガーと行く森の小道

大山乗馬センター内ナンバーワンの食いしん坊、ハフリンガーの福くん。昨年来た時、前掻きの重厚感とヨダレレベルの最強感から凄まじい可愛らしさを感じました。 こちらは昨年の様子。 「おやつが我慢できない!」 という感じが、駄菓子屋の前に入り浸る小6男子感満載なので大好きです。 冬に来た時は肥満傾向により「おやつ禁止令」が出ており、食いしん坊の福くんが鼻息荒くなっている中に、おやつをあげられなかったのが少し残念でした。 「おやつの大義名分があればいいのになぁ」と思っていたところ、「福に乗ってみますか?」と夢が叶う形で実現し

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菊花賞馬 ビッグウィーク

大山乗馬センター 厩舎ガイドツアー 菊花賞馬 ビッグウィーク

比較的最近大山乗馬センターにやってきた菊花賞馬 ビッグウィークをご紹介します。 冬に訪れた頃はまだ大山乗馬センターにはおらず、少し前までは京都にいたようです。 美しい青鹿毛のビッグウィーク。引っ越ししたからかまだ冬毛が残っているようでした。 父:バゴ、母:タニノジャドール、父の母:サンデーサイレンス。 2010年第71回菊花賞 (動画は削除されたようです) 2010年の菊花賞。顔が黄色のメンコとシャドーロールで埋め尽くされているのがビッグウィーク。 経歴を見ると、7月までは未勝利で、そこから10月にはGⅠの菊花賞で

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大山乗馬センター アングロアラブと行く森の小道

大山乗馬センター アングロアラブと行く森の小道

うーまがあうからいつもいーっしょ! ということで当然のごとく大山乗馬センターに向かいました。 爆睡ツアーということで今回も再び森の小道です。 大山乗馬センター 森の小道を馬に乗ってお散歩 アングロアラブと行く森の小道ということで2日連続で森の小道トレッキングです。 今回は、今年2月にお世話になったアングロアラブのパウダースノー乗せてもらいました。 大山乗馬センター 外乗で大山の自然を満喫 アングロアラブのパウダースノーと行く森の小道 今年の二月、複数回に渡りお世話になった芦毛のアングロアラブパウダースノー。(アング

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兄弟の盟

みどりのマキバオーにおいて、たれ蔵は別格として、サトミアマゾンの次に好きなのは実はピーターⅡだったりします(突然現れたマキバオー)。たれ蔵のライバルの一頭アマゴワクチンの全兄ですが、好きというよりも何だか親近感があるという感じです。兄というものはそんな感じなのでしょう。 ― 兄弟というものは不思議な関係であり、友人とはまた一味違った関係性を持っています。 家庭にもよりますが、世の中で唯一わかり合える部分を共有している存在であるという場合が多いのではないでしょうか。 兄の気持ちは兄にしかわからず、弟の気持ちは弟にしか

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まことに捨てがたきありさまなり

小学校中学年くらいの時のことです。 ボーイスカウト、というよりも当時カブスカウトだった僕たちのリーダーに荒俣宏氏と重複率97%くらいの人がいました。アリャマタコリャマタ氏にちなんで、この方をアリマタ氏と呼ぶことにしましょう。 関西弁ということを除き、顔もメガネも風貌も、声も話し方もすべて荒俣氏そっくりであり、カブスカウトのみんなからも人気のリーダーでした。 ある時、カブスカウトのハイキング中に誰かが 「アリマタさん、好きな歌はありますか?」 と質問しました。 するとアリマタ氏は 「そうですね、僕はね。忍たま乱太郎の

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眠る感覚との再会

昨年の秋頃の話ですが、道を歩いていると小学生の集団とすれ違いました。小学校中学年くらいの男子集団です。 遠くから歩いてきた彼らは、選挙活動かのように 「何月何日に〇〇小学校で運動会があります。見に来てください」 と、誰に言うでもなく、誰にでも言っているような感じで行進していました。 「そりゃあまあ年頃の男子たるもの勇姿を見てもらいたいだろう」 と思いながらだんだん距離が近づいた頃、再度「何月何日に〇〇小学校で運動会があります。ぜひ見に来てください」という声が聞こえました。 すると脇にいた一人が 「来てくれたら100

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勘違いの証明

中学1年生くらいの頃の話になりますが、部活動で壁打ちのようなものをしていて、飛んでいったボールを見つめていた時のことです。 単に放物線を描くボールを見ていただけなのですが、急にひとつ上の学年の人がこちらに近寄ってきて 「おい、お前睨んでたやろ」 と言ってきました。 (あんた誰?) くらいの感じでしたし、その時初めてその人が同じ学校にいるということを知ったくらいのレベルだったので、当然に喧嘩を売るべく睨んでいたわけでも何でもありません。 その人が近寄ってきたからその人に気づいたくらいで、視界に入っていても見ることすら

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フィードバックを奪う人たち

必要以上の保護は人格の否定に繋がることがあります。その一例としては、歪んだ思いからフィードバックを奪うというようなものがあります。 店舗にてアンケート用紙を置いていたとしても、回収ボックスが店内にあった場合は、意図的に悪い意見は破棄されるというようなことが起こるように、フィードバックが無残にも阻害されてしまうということは世間の至るところで見受けられたりします。 そうしたものは、店舗スタッフの都合というものが大きく関わっているので想像に容易いですが、歪んだ愛情とも言うべきか、「微妙に言い返せないようなことを理由に、過

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