起業により得た絶望と現実

「起業により得た絶望と現実」ということで、創業当初のことについてでも振り返ろうかなと思います。

もう既にどの職歴よりも長く社長業をしていますが、もちろん最初から順風満帆だったわけではありません。ただ、思い出を振り返る程度で、特に苦労話をする気はありません。

主に創業一年目の頃について思い返してみようと思います。

なぜ僕は会社を作ろうと思ったのだろう?

なぜ、自分は会社を作ろうなどと思ったのかというところを考えると、それにはたくさんの要因がありました。

思いつくところでいうと、脳筋体育会系上司や人は良いものの何を言っているのかわからないような上司、話が通じない上司の元で我慢して生きるということが考えられないというようなことを20歳くらいの時に思ったというのが一番の要因ではないかと思います。

まあその頃はまだまだ病中であり、アルバイト程度の仕事しかしたことがありませんでしたが、そんなあまり相性の良くない人と関わりつつ、住宅ローン等を抱えて「自分は何をしているのか?」という疑問を持ちながら生きていくのは嫌だと思ったことが一番の要因です。こうした思いは小学生の時からありましたが、20歳くらいの時には確定的になりました。

その他にも、時代的にITバブル等々で起業家がヒーロー扱いされていたこと、そうした人たちの話から、なんとなく全体像が見えそうな気がしたこと、そんなことも要因です。

それ以前に、我が家は家系的に中小企業の社長や個人事業主が多く、勤め人の方が稀という感じだったという点もあります。

地域的にも零細企業や個人事業主が多いので、「それが普通」という点もベースとしてはあります。

でも、別に何かしらの家業を継ぐわけでもない、という感じでした。

では、どのような業種で創業するのかという点ですが、そんなことは全く決めていませんでした。

「なんとかなるだろう」

という安易な感じです。

で、朧気なまま創業しました。

まあ勤め人ではなく「商人」や「経営者」になればそれでいいという程度ですね。

なぜ、振り回されるのだろう?

そのような朧気な感じ、良い風に言えば抽象的な感じで事を進めるというのは良いのですが、そのうちに絶望を感じることになりました。

それは、朧気だった意志が要因だった、ということになりますが、何も決めていなかったという点が悪かったのではないと思っています。

もちろん創業からは何を扱うのかを決めていました。それ自体は、あまりうまくいきませんでしたが、知人が「最近君と同じように創業した後輩を紹介するよ。協力できることがあったら一緒に頑張りな」と人を紹介してくれたりしてくれたおかげで、創業当初とは少し異なった事業の方を展開していくことができるようになっていきました。

しかしながら、創業時の従業員に振り回される形になってしまいました。

少なくとも会社である以上は、過度に相手の自由意志など尊重してはいけないんですね。

人のお金で儲からないことをやります。

端的には、仕事風なだけで遊んでいるといった感じです。

そうなると、僕が得た収益が、その人の給与に当てられるだけになります。

そうなると、「自分は何をしているのだろう?」という気分しかやってきません。

注意しても、逆ギレくらいの感じで居直るんですね。

あげく「うちってバンドみたいな感じですね」などとほざいてきます。

なめてるんですね。

もちろんそれでは成り立たないので、クビにすることにしました。

最終的に荷物を取りに来いと言った日に、彼は来ませんでした。

後日、着払いで送ることになりました。

初期投資分で出ていった分は出たまま。入ってきた分は、ほとんどそうした人の給与や固定費等で消えました。

会社の資産は目減りしました。個人的な資産も目減りしました。

「やはり自分は人を扱うことなどできないのではないか?」

とか

「社長業など向いていないのではないか?」

ということを思うようになりました。

それからしばらくは不貞腐れました。

それまではムキになって頑張ったりもしましたが、勤め人の方が楽なんですね。

そして頑張った後に、必ず良くなるのであればやりがいもあります。でもその保証はありません。

勤め人の二倍も三倍も働いても、収益は何分の一になる可能性もあります。

体力は残っていましたが、他のことを試す気力も尽きました。

気力が尽きてしまうのであれば、やはり自分は事業家に向いていないのではないか、と思ったりもしました。

数回、パニック障害の発作も起きました。

もう行くことはないと思っていた病院に行きました。でも、以前の精神科医のところは嫌だったので、幼少期からたまに行く内科の先生のところに行きました。

経緯を説明すると、かつて飲んでいた薬のジェネリックを出してくれました。

「まあ、そんなに追い込まんとな」

そんな言葉をかけてくれました。

(これが僕にとって最後の処方でした)

その時、様々な本に助けられた感はあります。もちろん様々な人にも助けられました。

時折、白昼夢のように松下幸之助氏が現れては「血のしょんべんが出るほど悩んだんかいな?」とエールを送ってくれました。

あまり儲からない下請け業者だった日々

もちろん、若干軌道に乗ってきた方の事業の方は進めていきました。

しかしながら、構造的に下請けのような形です。受注も不安定です。

何とか食べてはいけます。でも、それでは創業した意味がありません。

構造は少し異なりますが、一社からの下請構造で業務をこなすという形は、勤め人とさほど変わりなく、さらに収益は不安定になるのですから、それならば勤め人の方がマシです。

ただ、それでも一応、若干軌道に乗ってきた方の事業の方は進めていきました。

片手間の奴らに鼻で笑われた日

そうして、事業を成長させる間、経営者同士の集まりのようなものにも顔を出しました。

あまり事業が固まっていなかったこともあって、きっと僕は挙動不審だったのでしょう。

創業社長たちは、たいていいつも温かく接してくれました。

でもまあ片手間でやっているような人たち、つまり旦那の稼ぎで生活は安定しつつ肩書欲しさにやっている自称女性起業家みたいな人や、ただのお飾りの坊っちゃんのようなやつには、事業を説明する時に「ふーん」というような鼻で笑うような態度で接してこられたのは印象に残っています。

ワイン片手に、値踏みするように首を大きく振る感じは今でも覚えています。

でも、言い返しても意味はありません。

「そんな人達もいるんだ」という程度です。

脱下請け

それほど下請け扱いはされていませんでしたが、一社の下請構造はマズいと、小学生の時から思っていました。

それで、廃業した零細企業がいっぱいありましたからね。

まあ、その事業を進めるにしても、下請構造は早期に脱却しなければならないと思いました。

その後、一社から二社、三社…と取引先を増やして、一応、「ほぼ一社依存」は脱却しました。これに二、三年はかかりました。そしてその後、一年程度で販路を増やして拡大し、下請構造を脱却しました。

受けないことはないですが、下請け的な構造になっているものは全売上の10%以内になるようになりました。

それからは気楽でした。

取引先の従業員の人に教えてもらったことをヒントに、売上が爆増したり、電話が苦手なことを良いことに新サービスを思いついたりと、トントン拍子でした。

僕の場合、「絶望」と「人」に恵まれたからこそ、その後うまくいきました。

血のしょんべんが出るほど悩むこと

この「絶望」に恵まれたという点について触れていきましょう。

話がそれるかもしれませんが、僕が現実を見破ったのは、創業一年目に絶望が訪れた時でした。これは第一段階でしたが、その絶望の中で、現実の成り立ちが朧気ながら掴めました。

絶望は必要条件ではないと思います。

ただ、松下幸之助氏の言う「商人は、数回、血のしょんべんが出るほど悩むというプロセスを踏んで一人前になる」というのは、理解ができます。それは世間的な発想で「それくらい考えろ」というのでも通用するのかもしれませんが、この言葉はそれ以上のものではないかと思っています。

「数回、血のしょんべんが出るほど悩む」というプロセスを経ると、無理な思考を放棄するようになります。無理な態度を取らなくなります。

僕の場合は、「血のしょんべん」ではなく、激しい動悸や眼の前が真っ赤になるという「パニック発作」でしたが、そんなものが繰り返されると、「チンケな自分の思考」や「無理な態度」を放棄するようになります。

「もういいや」

ということになります。

だからこそうまくいくんですね。

本当に「もういいや」となると、日常生活も「素」になります。

カッコをつけることも、逆に嘆くこともなくなります。気持ちに無理がなく、淡々としたものになります。

だからこそうまくいくんだと思っています。

Category:company management & business 会社経営と商い

「起業により得た絶望と現実」への2件のフィードバック

  1. こんにちは。
    以前コメントさせて頂きbossuさんに大変救われた者です。本当にありがとうございます。
    以後も時々お邪魔させて頂き、読み逃げする不届き者でございます。
    当時のハンドルネームから今回は変えてコメントさせて下さい(メールアドレスは同じですので以前のHNはおわかりと思います)。
    苦しい時に薬代わり神頼みでbossuさんのブログに駆け込ませて頂いています。
    bossuさんのブログを拝読し、YouTube等で頑張る系の動画を見て自分を奮い立たせております。
    今の世の中は、やり逃げやり勝ちなのでしょうか。被害を被る方はただじっと我慢して耐えて心身共に壊されて日々をやり過ごしていかなければならないのでしょうか。
    被害を与える側は己の行動を反省などせず、恫喝、脅し、力で無理矢理押さえつける低能。
    以前コメントした件とは別の問題です。個人的な事をまたつらつらと申し訳ありません。
    bossuさんのように正々堂々といきたいのですが中々できません。
    ただbossuさんもパニック症を患われた過去がおありとのことで色々とお辛い事や難しい事がある(あった)ことと思います。
    そしてそのような繊細な心を持ち、かつ聡明である方は、同じ力を持っていても決して恐怖で相手を捻じ伏せることはしないと思います。
    低能な雑草は無駄に長生きしますね。それがまた厄介な事に連鎖していきます。
    お目汚し申し訳ありません。また色々と読ませて下さい。ありがとうございます。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      我慢はしないほうが良いですね。
      かといって、ぎゅっと握りしめていることを実行すれば良いのかというと、それもまた違うときがあります。
      できなくもないですが、相手を変えることはなかなかできません。
      そこでよく自分の側を変えろということが言われますが、世間的な「自分を変える」というのは、結局「我慢しろ」ということに繋がってしまいがちです。
      「恫喝、脅し、力で無理矢理押さえつける」というのは、恐怖や劣等感から起こっていますね。
      なので、恐怖心や劣等感を見破って堂々としていればいいんですね。
      強さというのは押し返す力の強さだけではありません。
      淡々としていて動じないというのも強さなんですね。
      相手に強さを求めても、相手は弱いので何ともなりません。こちらが強ければ、特に問題は起こりません。
      どのような相手でも、その関わりを継続する必要はありません。
      相手に怒りや落胆を覚えたら、関係を継続しなければならないという観念を手放してください。
      継続しなければ起こるであろう出来事への恐怖、自分の心の内側を見つめてみてください。
      「どうであろうと別に構わない。どうあがいても本当は安心で満たされているからね」という淡々とした感覚を掴んでみてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ