思考と勢い

古今東西、たいてい社会でうまくいっている人、うまくいっている風に見える人は、少し変わっています。稼ぎの上で、ある程度稼いでいたりするような人ですね。

それで、世間ではある程度稼ぐとか、社会でうまくいくにはどうすればいいかという面で、知識とか思考の方を重視しようとしています。

その原因は、それである程度会社で出世できるというような雰囲気があるからです。でも、その範疇を超えている人たちは、少し変わっていながらも、もっと稼いでいます。

ただ、そうしたもっと稼いでいる人たちは変な人達なので、世間的な感覚からすれば参考にしたくありません。

「それくらい稼ぎたいが、変人のようにはなりたくない」

というような感想です。そして、変人にならずにある程度稼ぐということを意図して学歴の方を高めようとします。

しかしながら、世間が勘違いしている部分があります。

それは、世の中で見える範囲に出てきているのは、「かなりうまくいっている人のうち、自己顕示欲が異常な人たちだけ」という点です。

特に近年であれば、言い方は悪いかもしれませんが、共感性等に問題があるような人が前に出てきて凄まじく稼いでいたりします。

しかし、それは氷山の一角です。

その奥に、共感性に問題がなくて、それ以上に稼いでいる人たちが100倍も1000倍もいる、と思っておいた方が無難です。

「稼ごうとすると、この人たちのような考え方で、この人たちと同じような行動をしなければならないのか」と思うと、嫌になってきます。

ただただ、自己顕示欲が強く、自己愛が異常なので、前に出てきているだけです。もしくは言動が異常なので、世間で騒がれているだけだったりします。

そのような自己顕示欲や自己愛が異常な人は、行動が無茶苦茶です。

人がためらうことを平気でやります。

たまに壁にぶつかったり、世間に叩かれたりしますが、勢いは止まらず、引き続き無茶苦茶をやり続けます。

でも無茶苦茶のように見えて、多少修正が入っていたりします。つまり、一応考えて行動修正をしているわけですね。

そこで考えてみたいのが、社会である程度大成するのに必要なのは何かという点です。

彼らのように前に出てきている人たち以外のあまり目立たない人たちも、実は同じように無茶苦茶をしています。

そこに私的な自尊心の補償のような点がないというだけで、行動としては無茶苦茶だったりします。

しかし、やはり無茶苦茶でありながら、すぐに修正します。

ということは、必要なのは、勢いや行動、そして行動や考え方を修正するというような点ということになります。

世の中では

「なぜこんな人が偉くなっているのか」

と首を傾げたくなる人がたくさんいます。

しかし、それは、偉くなった人のうち、人格に問題があったり、自己顕示欲が強い人達が、世に晒されやすいというだけであり、その裏にはもっとたくさんの普通の人格で偉い人がたくさんいます。

表現は悪いですが、「頭がおかしい」と思わざるを得ない人が、出世しているかのように見えると、社会のことが嫌いになってしまいます。

しかしながら、「頭がおかしい人」でも「頭が健常な人」でもどちらでもある程度出世はできてしまうわけです。

その両者に共通している点は、「無茶苦茶」という点です。

ひとまずわからなくてもやる、ということです。

やるなら無茶苦茶な勢いでやる、ということです。

そしてその結果にくじけずに修正していく、ということです。

端的には、ためらわずに行動をするというようなことですね。

世間の人が一回試している間に十回試しているんですね。

世間の人が一つのことを試している間に十個のことを試していると、嫌でも出世します。

で、この「ためらわずに行動をする」というものは、共感性が欠如している人の方がやりやすいという特徴があります。

なので、「人格に問題がある人がなぜ出世しているのだろう?」というような現象が起こるわけです。

しかしながら、「ためらわずに行動をする」ということは、本当は共感性があってもできます。しかし、世間の目、恥などなどを気にしてブレーキがかかりやすいという感じになっています。

ただ、個人的感想としては、共感性が欠如しているような人が入り込めないほどに、共感能力がある人達が出世していって欲しいと思っています。

ですから、彼らに勝って欲しいですね。

彼らを叩いている暇があるのなら、彼らの出る幕を無くすんです。

事を始める前に思考が働くということはいいですが、思考はたいていブレーキになります。ダメな理由ばかり考えます。

で、「ダメなんだ」と勢いがしぼむというのはいただけません。

「ダメな理由を押さえておく」という程度にして、その考えは置いておく方がいいでしょう。

「ダメな理由を考えられる頭はあるんだ」という程度にしておくということです。

「行動に移せない」という場合、だいたいは勇気や度胸といった類のものが不足しているだけです。

思考だけでは解決することができません。

思考だけで解決できると思っていることが、頭を使っていない証です。

「体に力が入らない」とすれば、体に力が入るようになるにはどうすればいいかを調べて考えるということをするはずです。

「もし体が酸化しているのならば、それをなんとかするということも試してみよう」というようなことですね。

本当に本気ならば、一度試して、まだダメだったら他の方法を探して試してみたりするはずですね。

他の方法を試すのにも勢いが要ります。勇気も要ります。

止まってしまうと、勢いが萎んで思考がまた勢いを止めます。

フィードバックから修正案を考えるのは良いのですが、たいていは「動かなくていい理由を」考えてしまいます。そうした変な思考が働く前に、次を試すというのがいいですね。

「個人投資家になって不労所得で暮らす」

というようなことを思う人もいますが、それはたいてい人に対して勇気が出ないというだけです。

しかしながら、個人レベルの投資で稼ごうとしても、大金を投入しないと大金は稼げません。

大金を投入するということは勇気が要ります。

人に対する勇気か大金を投入する勇気か、という属性は違いますが、どちらにしても勇気や度胸というものは必要になります。

それで、勇気があまりないので、ちまちました低リスク低リターンの投資信託で小さなお金を投入して様子を見るというようなことをします。

それはそれで一つの行動で評価すべきことです。

しかしながらそんな低リスクの投資信託でも基準価格が下がり、資産が目減りしてしまった時に、感情がソワソワしてしまいます。

なので「お試し」、「徐々に」というのは良いですが、たいていそこで足が止まります。

なので、たいてい投資だけで食えるような人にはなれません。

そうなると根本問題は、頭や投資センスではなく勇気の質や量と、行動力ということになります。

何事も「できる理由」、「解決できる理由」を探すというのもいいですが、思考を巡らせているだけでは、それにも限界があります。

何かの行動とそれに伴う結果がないと、その次の案はなかなか出てきません。

「やるなら無茶苦茶やってやろう」

と思っておくと、世間で言う失敗もたくさんするかもしれませんし、恥もたくさんかくかもしれませんが、猛スピードで出世することになります。

しっかりした人が「共感性が欠如した人格異常者」に押しのけられるというのは、社会的にも良いことであるとは思えません。

勢いをつけて出世してください。

Category:company management & business 会社経営と商い

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