フリーランスの精神的な欠落
全てのフリーランスの実態を知っているわけではありませんが、クラウドソーシングで出会うようなフリーランスの方の中には「何かが欠落している」と思わざるを得ないような人が結構いるようです。精神的な欠落ともいうべきか、基礎的な何かが欠落している感じです。 僕自身はそうしたクラウドソーシングを利用したことはありませんし、今後も利用することはない
凛として淡々とした平常心
まあ社会的な騒ぎで微妙に狼狽えてしまっている人も多いと思いますが、僕はいつも通りの平常心のままだったりします。 本当に必要なニュースは嫌でも誰かが伝えてくれたりもしますし、社会的な不安ベースの情報は「見ても仕方がない」ということを十代の時に思ったので、特にニュースも見ていません(自宅にはテレビ自体もないですからね)。 どのような社会問
頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランス
頬を赤らめる表現で見える空間のパワーバランスということで、キャラクター設計や表情の描写のあり方で見える、物理空間と情報空間というコントラストによる社会的なパワーバランスの変化について触れていきます。 アニメキャラクターやゲームキャラクターが猫も杓子も頬を赤らめているという現象は、社会的なパワーバランスの変化を示しているフシがあります。
日常を観光目線で非日常に変えること
地域コミュニティの弱体化が原因となっているのか、日常を観光目線で非日常に変えることが至るところで起きていたりします。 地域インフラとして、そして自然な地域のコミュニティの繋がりの場として機能していた施設や店舗が、高齢化による利用者の利用頻度の低下や事業承継の難しさによって事業継続がままならなくなることがよくあります。 その結果、全く異
情報が内部循環することによる疲弊
情報の一方的な垂れ流しというのも煽動される要因となるので問題がありますが、「見たいものを見る」という形でパーソナライズされた情報というものもまた、偏見を加速させ、同時に「情報が内部循環していくことによる疲弊」をもたらしていくものでもあります。 それは個人レベルでも疲弊をもたらしますが、そうした「人」で構成される社会全体も疲弊させていく
指導や監督のパラドクス
どのような職場であれ大体は部下や後輩に対する指導や監督が裏目に出る「指導や監督のパラドクス」が起こったりします。 これは業務をうまく進めていくための指導や監督が逆に業務の遂行に支障をきたしてしまうというような現象です。 その要因としては、それぞれプライドを保ちたい複数の上司の指導による混乱や、サボりや失敗を防ぐための指導と監督がやる気
データ利用による専門性や信頼性、権威性の評価の危険性
データ利用による専門性や信頼性、権威性の評価の危険性について少しだけ触れていきます。 最近、コロナウイルスに関連したデマがよく広がっていると見聞きしますが、内容を聞くと爆笑レベルであり、感情によって理性が抑制され、妄想が広がるととんでもないような暴論に行き着くということがよくよく示されているような気がします。 そんな爆笑レベルに反応す
情報処理に対するイデオロギーの反映
まあ今に始まったことではありませんが、情報処理に対して、一定以上の利用者が揃った段階でイデオロギーを反映させていくというような風潮がよく垣間見れたりします。 「独占的なシェア率を誇るプラットフォームを作って、それからは…」という一種の加速主義的な感じでしょうか。 10年くらい前からその気配はちらほらありましたが、デバイスの普及によって
雑な人の驚くほど雑な行動
世の中には多種多様な人がいます。なので、想定外のレベルで「雑な人の驚くほど雑な行動」を垣間見ることがあります。 なぜその人が今まで生きてこれたのかが不思議に思えるほどの雑さですが、「誰もが狼狽を隠せない」で触れていた当のバンドメンバーのように、雑さゆえに起こったトラブルや失態で固まった空気を上書きするほどのポジティブな雑さがあればそれ
確率に潜む日和見
個人レベルの意識であれ、その集合である社会の流れであれ、決定論的な理も働く中、その実、確率による因果が働いています。 以前にも少し触れましたが、大腸菌のバランスのように善玉菌と悪玉菌と日和見菌かのごとく、ある流れとそれを否定する流れが常に争いの状態となっており、7割程度は中性で、残りの3割の枠を善と悪のような両極端が争いを起こしている
デマを飛ばすんじゃない
「デマを飛ばすんじゃない!」と言いたくなるような情報はたくさんあります。そうしたデマ情報は昔から絶えませんが、近年では様々な情報への到達が容易になっているので、デマと出くわす確率は格段に上がっています。 自信のなさから来ているのか、近年では大学による研究結果等々権威性というものを盾にしたような説得が多い傾向にあります。しかしながらその
翌日の新聞記事の内容
自分が事件に巻き込まれたりした場合、当然に翌日の新聞や新聞社のサイトなどを確認したりします。 しかしながら、そうした事件の全容について、犯人側がある程度うまく証拠を隠滅していた場合、記事の内容が事実とは全く異なるものとなっていたりもします。 以前、とばっちり的に巻き込まれた事務所監禁事件について、警察は出動していましたが、僕自身は事件
事実が形作っていく社会
無理に新しいことを創出しようと思わなくても、人が求めているものやそれに対応するものは、既に目の前にあることがほとんどだったりします。 「目に入っても見えていない」ということばかりであり、それは時に前提知識や理解のための材料がないということが要因となっていることもありますが、逆に知識偏重の偏見からも生まれたりします。 ツァラトゥストラの
データを利用した最適化への疑い
最近では少し落ち着いてきた感じがしますが、人工知能への期待なのか何なのか、やたらとデータ偏重型な社会になりつつあります。まあそれだけ、人間の感性を信用できないとか「システムやスキームを組んでバイトにやらせる」という感覚が蔓延してきているという証なのでしょう。 データを利用した最適化への疑いということで、そんな「統計データの影響による行
しだいに空洞化していっているのだろう
趣味というほどのものではないのですが、一応旅に出た時に、記念にと収集しているご当地新聞集めという習慣があります。 ご当地新聞を買う時か、何かの待ち時間で著しく暇な時くらいしか新聞を読む機会がないので、そうした時には一応全ての記事に目を通すことにしています。 するとだいたい社会面あたりに、社会学者と誰かの対談とか著名人の論説のようなもの
セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服
日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたり
美しくたくましく福井県 2020 人道の港 敦賀ムゼウム
毎年の恒例になりつつある年始の福井ツアーですが、あまりどこかしらに行くという感じではなく、ぼーっとすることを目的としています。ただ、今回はとりあえずこの「人道の港 敦賀ムゼウム」にだけは行こうかなぁとだけは思って向かいました。 基本的には、「暇な人が映える写真を撮るために行く系の観光」というものはあまり好みではなく、どちらかというと、
宅地造成で新しい道
世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 結局割に合うか合わないかとか、許認可や税の関係などによって、傍目からは不可解な構造になっているもの、不可解な形で放置されているものなどがちらほらあったりします。 ということで「
鞄を持たずにいれば
本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持って
第1700回投稿記念
これで1700記事目になります。ブログ創設から1700回目の投稿ということで「第1700回投稿記念」です。 前回の第1600回投稿記念は、2019年10月10日だったので、前回からの100記事は、3ヶ月弱かけて投稿したという感じです。年末の空き時間の影響もありますが、「笑う月」によってスピードが高まったという感じです。あと少し書庫の植
プライバシーの盲点
プライバシーの盲点としてよく語られるのが、スマートフォン関連であり、とりわけソーシャル系ということになっています。 画像の高解像度化により「指紋が読み取られてしまう」ということが囁かれだしたりなんかして、運営側も「アップロード時に画像を自動で圧縮する」などなど、そこそこ対策をしたりしているようです。しかし、可能な限り自己防衛しておくに
職業的誇りを傷つけられたせいか
職業的誇りを傷つけられたせいか「僕は皮膚の専門医ですよ」とキレてきながら思いっきり誤診していた医師と出会ってからというもの、医師にも相当のレベルの差があるのだろうということを思うようになりました。 当のその医師は、保健室の先生が「帯状疱疹」だと言い当て、別の医師が「帯状疱疹ですね」と診断した症状を、この腫れは「虫に這われたから起こった
いたずらに感傷的になるのはよして
今日、僕は少し感傷的になりました。 それは、間接的に来る仕事の話において、医師たちの拝金主義的な意図を垣間見たからです。もちろん僕はその手の人に手を貸すことはありません。 しかし一方で、その手の拝金主義の医師たちに便乗する金融機関やコンサルタントなどもいることは事実であり、そうした人の様子を見ると少しばかり感傷的になったりもします。ま
見解は最初から一致していた
数年前のことですが、某業界の国内での第一人者的な方と共同で仕事をやりかけたことがあります。 「やりかけた」ということで実際には実施しておらず、結局は双方に関わる共通の依頼主が「ロクでも無い系」だったので、準備段階で頓挫したという感じになりました。 ただ、その人と語り合う中でも、やはり「見解は最初から一致していた」という感じで、ある種分
かなりの努力を要する作業
世の中には微妙に高額に思えるサービスがたくさんあります。 その中の一部は「単にぼったくりなだけ」という感じですが、料理における、「完成物の容量は安価なものと同じくらいでも、仕込みの手間が膨大」というような感じで、かかる手間の分だけ高額になっているものもたくさんあります。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人から次のようなことを聞かれ
これが人間か
「アウシュビッツは終わらない」を改めて読もうと思った時に、2017年に完全版として「これが人間か」が出ていたため、そちらを読むことにしました。 プリーモ・レーヴィ著「これが人間か」には、彼が体験したアウシュビッツ強制収容所での経験が綴られています。 「私はこの本を書くにあたって、犠牲になりましたというあわれっぽい調子や、復讐を叫ぶたけ
先を争うようにして駈けて行く
「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め
相手が案内人である以上
以前にも少し触れたことがありましたが、睡眠中を含め、空間からの脱出が難しく、身の安全の確保が意識に上るサービスほど、丁寧な接客となるという感じになっています。 旅館業はもちろん、飛行機などもそうですし、本来は電車や長距離バスでも同様の配慮が望ましいという感じになります。 生理的欲求や安全の欲求を考えれば、事実上密室空間の中にいることや
総員玉砕せよ!
「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行
顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい
何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。 実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたもので