タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

自己主張の強すぎる家電

「近年、家電にもいろいろな技術が組み込まれてきて、便利になる一方だ」なんてなことは言いません。むしろ逆で、家電の自己主張が強すぎて迷惑をしています。 アプリケーションからの通知しかり、家電から発する光や通知音然り、鬱陶しくてたまりません。 特に「寝る時のことを考えているのか?」ということをよく思ったりします。 「ITだAIだ、などと言う前に、根本的なところからしっかりやれ」と言いたくなります。 「そんなことすら頭に浮かばないのに何がAIの時代だ」 ということです。 引き算の発想がない 他のメーカーと差をつけなければ

» 自己主張の強すぎる家電の続きを読む


一番マシだったからであって支持したわけではない

20歳過ぎくらいの時、経済学を勉強したりなんかして、コンビニに行く時にでも「この商品購入という行為一つとっても投票行為的な属性も持っているのだなぁ」というようなことを思い始めました。 しかしながら、昼に弁当を買いに行くとき、目当てのものが売り切れていて仕方なく他のものを買う時などがあります。 休み時間は限られていますし、それはそれで代替手段として仕方ない面がありますが、そんな時に売れ残っていた商品が「アイドルとコラボレーション」とか「アニメとコラボレーション」的な感じになっていたりした場合、そのような企画に賛同した

» 一番マシだったからであって支持したわけではないの続きを読む


「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処

「キャー!」「きゃあん!」といった超高周波の奇声を絶叫する子供が激増してきました。 家の前、飲食店、スーパーなどの小売店、そして温泉ですら、「無線のチューニング」並みの「キャー!」「きゃあん!」という子供の奇声が聞こえてきます。これは完全に公害です。 最初に言っておきますが、「うえーん」や「えーん」「ぎゃあああ」といったように、怪我をして泣いているとか、赤ん坊が泣いているという場合の声ではありません。 だいたい女の子の方に多いですが、小学校就学前から小学校中学年くらいまでの間の子供が叫ぶ「キャー!」「きゃあん!」と

» 「キャー!」「きゃあん!」と叫ぶ子供の奇声への対処の続きを読む


第1400回投稿記念

これで1400記事目になります。ブログ創設から1400回目の投稿ということで「第1400回投稿記念」です。 前回の第1300回投稿記念は、2018年10月19日で、前回からの100記事は、40日ちょっとくらいかけて投稿したという感じです。なんだかんだで長文のものも結構ありますが、比較的短期間で100記事を迎えた感じになります。これは、書庫の心理学を増設したということ大きく影響しています。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、あり

» 第1400回投稿記念の続きを読む


売るための場ではない場所での無駄な売り込み

年末が近づき、忘年会等々いろいろな会合が盛んに行われるシーズンになってきました。 で、そういう場所というのはあくまでただの集まりだったりするはずなのですが、獲物を狙うかのように「売るための場ではない場所での無駄な売り込みをしてくる人たち」もたまに混じったりしています。 そして、その会合のメンバーが経営者だらけだったりすると、百戦錬磨の人たちばかりなので、もちろん相手にはされません。稀に創業したてで自信がない人も混じっていたりするので、そうした人たちを獲物として狙うということなのかもしれませんが、だいたいは、猛者たち

» 売るための場ではない場所での無駄な売り込みの続きを読む


蓋然性とあいまいさ

思えば「蓋然性」と「あいまいさ」が長年僕を苦しめていました。それは哲学的問いであり、とりわけ哲学的領域と社会との整合、社会生活における自分のあり方としての課題です。 ふと病中で活字中毒だった頃を思い返すと、この「蓋然性」というものをどう取り扱うか、どの程度の曖昧さならば良しとするのかの線引が難しく、その問いに真剣に向き合ってしまったからこそ「笑ってしまうような悩み」を抱えることになってしまいました。 あくまで確実性の問題である「蓋然性」であるのに、それに対する厳密な記述と論証を求めたと言うような感じです。確実性の問

» 蓋然性とあいまいさの続きを読む


目先しか見えないと改善の価値がわからない

目先しか見えないと改善の価値がわからないということで、目先の物事しか見えない人たちにとっては工夫や改良を継続して繰り返していく「改善」の価値がわからないというようなことについて触れていきます。 人は感情的になっているときほど本能よりの思考しかできなくなっているため、思考としての「過去」や「未来」というものを想定できなくなったりします。 ということで、今現在以外に意識が向くことで煩悩が起こるという面もありますが、今以外を思考上で想定できるということは、思考をする上では役に立ちます。その場しのぎで生きている人たちにとっ

» 目先しか見えないと改善の価値がわからないの続きを読む


数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由

数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由という感じで、世の中で出版されるビジネス関連の本が精神論とか心のあり方に落ち着いてしまうワケについて触れていきます。 具体的なハウツーが欲しいのに、なんだかんだで書いてあることは精神論だったり考え方だったり、心のあり方だったりという感じに落ち着いているというようなやつです。 まあそれを嫌だと思う人も結構いると思いますが、どうしても最終的にはその人のマインドが大きな影響を及ぼすのでビジネス書においても結局最終的には精神論ばかりになるという感じになっています。 レベルによって

» 数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由の続きを読む


加速するギャップと埋まり難き情報差

思い返すとこの十年くらいで大きく生活が様変わりしたような感じがします。そんな中一番顕著なのが、周りの人とのギャップかもしれません。友人たちを一通り観察すると、その変化が大きく枝分かれしていったように感じます。 社会的な評価基準のようなものが直接的に影響を及ぼしているというわけではありませんが、結局日常どんな生活をしているかで人格の変わり方も異なってくるので、やはり枝分かれする前にあった状態が、その後をある程度方向づけているというような感じがします。 もちろんどのタイミングでどのような変化をするかはわかりませんが、1

» 加速するギャップと埋まり難き情報差の続きを読む


ネット広告の品質と品性

詐欺的な商法を叩く割に、その脇でちゃっかりとそうした広告を表示することで収益を上げているという落語的な感じに爆笑したので、記念に書き記しておこうと思います。 最近また「ネット広告から集客して情報弱者からお金をむしり取る系」の人たちが問題になったりしていたようです。昔からこの手の情報商材詐欺のようなものは常に一定のマーケットを持っていて、なぜかそれにハマってしまう人たちも一定数いるという感じになっています。 今回問題視されていたのは、「スマホタップで稼げる」的なやつで、半年や一年ちょっとで数億円を稼いだという感じのよ

» ネット広告の品質と品性の続きを読む


営業や面接が怖いという人への処方箋

世の中では、営業や面接が怖いという人が結構いるようです。まあ僕も昔はその気があったような気がしますが、今では「遊びがてら営業や面接に行きたい」と思うほどになっています。 今回触れるのは、営業や面接が怖いという人に向けての克服法といったチンケな一般論ではありません。 細かなテクニックについては特に触れませんが、ただおそらく「営業や面接に行きたくなってしまう」という感じになってしまうはずです。 まあ「人に判断される」というのは恐怖を伴うものです。 しかしながら、社会、特に経済社会では、基本的に何かしら人に判断してもらわ

» 営業や面接が怖いという人への処方箋の続きを読む


君主論から考えるいじめへの対応と対策

生きる苦しみについて書いたりしたので、わかりやすい苦しみとしての「いじめられること」について考えてみましょう。 以前「なぜ、人をいじめてはいけないのか」で、善悪基準からいじめがいけない理由などについて考えてみてもほとんど無駄ですよというようなことを書いてみましたが、いじめが良いとか悪いとかそうした絶対的な善悪基準や倫理道徳云々はさておいて、自分が不当ないじめにでも遭ったら、それはもう苦しくて嫌であることは明白であり、その状態から脱することは本能的な恒常性として議論の余地無く対応していかねばなりません。 社会全体的な

» 君主論から考えるいじめへの対応と対策の続きを読む


不安がもたらす安易な行動

不安がもたらす安易な行動ということで、不安が行動を促し、そうした情動が落ち着くとその行動を終えるという人と、安易な提案では満足できず矛盾を嫌う人たちについて書いていきます。 一時期女性向けウェブメディアのようなものが検索結果を汚染していた時期がありました。盗作のような形の転載が基本であり、安易な内容で不確実なものも数多くあり、信憑性の問題から一気に墜落しました。またそうしたものもちょろちょろ復活していくと思いますが、ここで考えてみたいのがなぜそうしたものに人が集まってくるのかという点です。 性差的に女性は男性よりも

» 不安がもたらす安易な行動の続きを読む


運営元の都合

インターネットを取り巻く環境は日進月歩で変化しており、数年単位で「運営元の都合」により、今までの全てが無に帰する場合もあれば、「忘れたいのに忘れられない」ということが起こったりします。 そういえば来年でGoogle+が廃止されるようです。今までに上げられた投稿の取扱がどうなるのかは知りませんが、もし完全に消えてしまうのなら、そこでの投稿、やり取りされた全てが無に帰するという感じになります。 SNS系に限らずですが、新しく生まれていったネット上のサービスは、それまでにあった「やり取りや記録のあり方」の代替手段となって

» 運営元の都合の続きを読む


魅力と期待・信用と相対基準

すごく単純なことなのですが、魅力は相対基準で決まります。あくまでそれを魅力だと判断する人の観念に沿って、魅力が魅力であると判断されるという感じです。もちろん本能レベルでの快・不快や「ちょうどいい」という基準もありますが、それらが複合されて魅力というものは判断されるということになります。 その魅力には、奥に期待や信用というものもあります。例えば、僕は遊び盛りの十代の女の子には魅力を感じさせることは難しいのではないでしょうか。 なぜなら、遊び盛りの十代の男の子たちと比較して、彼女たちを「楽しませる」という部分での期待を

» 魅力と期待・信用と相対基準の続きを読む


偏りに対する矯正の提案の一般化

プロダクトアウトに対するマーケットインや、減塩・炭水化物制限などなど、この世の中にはたくさんの提案がありますが、まずこれらは「ある偏りに対する矯正の提案」であることを捉えておくほうが賢明です。 ところが世の中では、何か必殺技があるかのように一つの方法論を一般化する傾向にあります。そしてそれはまた次の極端を呼び、物事をおかしくしていってしまうという感じになっています。 ということで、マーケットインとプロダクトアウトを中心としてこれらの歪みについて考えていきましょう。 固定観念を超えるためのマーケットイン 有名な考え方

» 偏りに対する矯正の提案の一般化の続きを読む


情報の整理と情報源

少し前からチョロチョロとブログ内を編集したりしています。まあ情報の整理という感じになるでしょう。 文字として書き起こす手前にはまとまりとエネルギーがあり、それが言語として具体化されているということになっていますが、それが具体的情報として形なって、さらに配列されていくになると一種の僕の頭の中と同じような構造になってきます。 言語化される時にフィルターは通される形になりますが、概念が具体的な記述として形になり、それらが関連性を持って配置されていくので、まさに頭の中に近いような形になります。 ― 先日のことになりますが、

» 情報の整理と情報源の続きを読む


合理化によって失われた分を何かで補う

合理化が進んだ分だけ何かが失われて、その失われた分は何かで補わなければバランスがおかしくなるということで、結局かけているコストの総量としてはあまり変化がないような気がしたりもします。 ということで、便利になってできた余白は何かに使わねばなりません。でないとただ愚化していくだけになってしまいます。 そういえば最近店先で会計時にお釣りの小銭を減らそうと端数を少しだけ出したりすると店員さんが混乱されることがたまにあります。 つまり、暗算力がかなり低下しているということになるでしょう。おそらくその原因となっているものが、電

» 合理化によって失われた分を何かで補うの続きを読む


テレビを見ない生活

もうかれこれテレビを見ない生活が十数年続いています。家にはもちろんテレビ自体がありませんし、今後も買うことはありません。ということで、自宅でテレビを見るというようなことは一生ないでしょう。 今年の台風で家のテレビのアンテナが吹き飛んでテレビがない生活ということを経験した人も結構いると聞きました。そしてアンテナを直そうにも、復旧工事が殺到していてなかなか順番が回ってこないという感じのようです。そしてさらに、まさにテレビ依存ということなのか、テレビのない生活に耐えられないということで、ひかりTVやケーブルTVを契約する

» テレビを見ない生活の続きを読む


生命保険等金融商品の不適正募集の背景や手口

今なおたまに生命保険をはじめとした金融商品の不適正募集が問題になることがあります。高齢者を狙った詐欺的な営業方法をはじめ、様々な抜け穴や解釈をもって強引に契約を結ばせようとする問題です。 こうした不適正募集、特に高齢者を狙った不正契約・不適切な営業活動は昔からちらほらありますが、その手口は押し売り等々一般に想像されるような形以外にもたくさんのパターンがあります。業法違反という意味での違法というレベルを超えて、犯罪の領域ですらあります。 現行の法制度などが関係しているのか、詐欺的営業にもかかわらず、不適正募集が発覚し

» 生命保険等金融商品の不適正募集の背景や手口の続きを読む


自己犠牲の精神からの脱却

自己犠牲の精神からの脱却ということで「自己犠牲」について触れていきます。まず最初に自己犠牲は美徳でもなければ称賛されることでも何でもありません。そして「責任感」というようなものに翻弄されたりする必要もありません。 強迫観念のような自己犠牲を自分でも治したい、自己犠牲の状況にあるのは嫌だと思っていながら、いつまでも自己犠牲を受け入れてしまうという場合も当然ながらよくあります。 「頭ではわかっていても抜け出せない」という状況です。 あくまで文章による伝達なので全てのケースに対応できるかどうかはわかりませんが、可能な限り

» 自己犠牲の精神からの脱却の続きを読む


資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性

資格ビジネスには、国家資格や本当にある程度の評価がなされるような民間資格を取得するためのサービスから、胡散臭い民間資格まで多種多様なものがあります。講義型・通信教育型を問わず、共に資格検定講座・資格検定試験で収益をあげようとするという点は一致していますが、異なる点があります。 業務独占の国家資格や一般的な社会的評価を得ているような民間資格に関する資格ビジネスあれば、比較的教育としての要素が強いものの、胡散臭い民間資格は、教育的サービスの他に実際にその業界で起業させようとか、周りの人間も呼び込もうというような意図があ

» 資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性の続きを読む


中途半端な私服勤務

IT系ベンチャーなどなどにおいて、私服勤務で「オシャレに働いている」と思っている人たちの広告写真をみるといつも違和感を感じます。 なぜなら自分たちは「スーツなんて着ない」ということをアピールしているにもかかわらず、縁の太い眼鏡をかけながら、淡色のパンツ、淡色のシャツといったように、全員同じような服を着ているからです。 A. 誰が誰かわからない というのが本音です。 そして、美容・ファッション業界のものはそうでもないのですが、そうしたIT系ベンチャーのような会社の広告用写真や会社案内においては、結局「ビジネス上あまり

» 中途半端な私服勤務の続きを読む


日々の体温と人々の記憶

パソコンやスマートフォン、タブレットの光にさらされると体温が下がるような気がします。実際の体温がどうなっているのかわかりませんが、気力とでもいいましょうか、生きる力、生命力が失われ、体温が下がっていくような感覚がしています。 それは視覚にだけ集中し、変な姿勢を続けていることも影響しているのかもしれません。 ― そんな折に僕が小学生だった頃、つまりまだパソコンや携帯電話などが普及していなかった時代の音楽を聴いたり、映画を観たりすると、男性であれ、女性であれ体温の高さを感じることがあります。 それよりも昔の作品であれば

» 日々の体温と人々の記憶の続きを読む


理不尽な疫病神

考え方、というよりも社会における視野が大きく違うと、話も合わなくなってきます。そんな中、「隣の高校だった人」などなど、知らぬ間に縁が切れていったような同い年の人たちを見渡してみると、やはり学校の風土的な違いがどこかしら影響しているような気がする時もあります。 最近では無くなりましたが、そうした人たちから集まりのお誘いを受けたりしました。しかし、その内容が「青春を引き摺っている系」のニオイがするので、企画内容に寒気を覚えてしまい、断っているうちに誘われもしなくなりました。 別にいけないわけでもないのですが、何だか寒気

» 理不尽な疫病神の続きを読む