タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

翌日の新聞記事の内容

自分が事件に巻き込まれたりした場合、当然に翌日の新聞や新聞社のサイトなどを確認したりします。 しかしながら、そうした事件の全容について、犯人側がある程度うまく証拠を隠滅していた場合、記事の内容が全く異なるものとなっていたりもします。 以前、とばっちり的に巻き込まれた事務所監禁事件について、警察は出動していましたが、僕自身は事件後に被害者として警察に駆け込んだりしていなかったためか、翌日の新聞記事の内容を確認すると、全く見当違いのことが書いてありました。 もっと面白いのが、某掲示板などで、その新聞記事の内容を元に第三

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事実が形作っていく社会

無理に新しいことを創出しようと思わなくても、人が求めているものやそれに対応するものは、既に目の前にあることがほとんどだったりします。 「目に入っても見えていない」ということばかりであり、それは時に前提知識や理解のための材料がないということが要因となっていることもありますが、逆に知識偏重の偏見からも生まれたりします。 ツァラトゥストラの副題である「だれでも読めるが、だれにも読めない書物」みたいな感じで、「誰にでも見えて、ほとんど誰にも見えない」という感じです。 「今ある自分の課題を解決することに適っているか?」という

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データを利用した最適化への疑い

最近では少し落ち着いてきた感じがしますが、人工知能への期待なのか何なのか、やたらとデータ偏重型な社会になりつつあります。まあそれだけ、人間の感性を信用できないとか「システムやスキームを組んでバイトにやらせる」という感覚が蔓延してきているという証なのでしょう。 データを利用した最適化への疑いということで、そんな「統計データの影響による行き過ぎ」について触れてみようと思います。 地元の惣菜屋さんの惣菜のレベルが著しく高く、大手スーパーの惣菜はお世辞にも美味いとは言えないという点から見ても、大規模な情報の収集など当てにな

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セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたりでしょうが「何本買うんだ?」という感じで、公園脇に営業車を止めて同じ人が複数回飲み物を買いに行っている姿もよく見かけたりします。 営業であれ配送であれそれほど広範囲でもなくエリアが決ま

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人道の港 敦賀ムゼウム

美しくたくましく福井県 2020 人道の港 敦賀ムゼウム

毎年の恒例になりつつある年始の福井ツアーですが、あまりどこかしらに行くという感じではなく、ぼーっとすることを目的としています。ただ、今回はとりあえずこの「人道の港 敦賀ムゼウム」にだけは行こうかなぁとだけは思って向かいました。 基本的には、「暇な人が映える写真を撮るために行く系の観光」というものはあまり好みではなく、どちらかというと、爆睡ツアーとかご当地の日常などに触れる方が好きだったりします。 それ以外の場合は、何かしらの人物や作品や深いところでの文化に関して関連性があり、その対象への思い入れが動機とならないと、

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宅地造成で新しい道

世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 先日、知人が先祖から受け継いだ田んぼを造成した上で宅地として売却するか否かということを別の知人の不動産関連の方に相談している場に出くわしました。結局造成に何千万円もかかるので、現状の近隣の土地の価格の相場から考えて、今は検討し直したほうがいい、ということになったようでした。 そんな感じで休眠状態にある田畑というものも結構あるようですが、僕は不動産関連に手を出

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホームで電車の到着を待っている時に「何もせずにいるこ

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第1700回投稿記念

これで1700記事目になります。ブログ創設から1700回目の投稿ということで「第1700回投稿記念」です。 前回の第1600回投稿記念は、2019年10月10日だったので、前回からの100記事は、3ヶ月弱かけて投稿したという感じです。年末の空き時間の影響もありますが、「笑う月」によってスピードが高まったという感じです。あと少し書庫の植物も増やしたことが若干影響しているでしょう。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうござ

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プライバシーの盲点

プライバシーの盲点としてよく語られるのが、スマートフォン関連であり、とりわけソーシャル系ということになっています。 画像の高解像度化により「指紋が読み取られてしまう」ということが囁かれだしたりなんかして、運営側も「アップロード時に画像を自動で圧縮する」などなど、そこそこ対策をしたりしているようです。しかし、可能な限り自己防衛しておくに越したことはありません。 そうしたことに代表されるプライバシー系の問題は、根本をたどれば、「スマートフォンスタート」であることが要因となっているような気がしたりもします。 僕は中学生の

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職業的誇りを傷つけられたせいか

職業的誇りを傷つけられたせいか「僕は皮膚の専門医ですよ」とキレてきながら思いっきり誤診していた医師と出会ってからというもの、医師にも相当のレベルの差があるのだろうということを思うようになりました。 当のその医師は、保健室の先生が「帯状疱疹」だと言い当て、別の医師が「帯状疱疹ですね」と診断した症状を、この腫れは「虫に這われたから起こった」と一点張りをしていました。 僕が寝ている間に掻いた部分を毒虫に這われた痕だと主張していました。 まあその手の人間は、職業的誇りというよりも「自分は我慢をしてみなさんよりも勉強しました

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いたずらに感傷的になるのはよして

今日、僕は少し感傷的になりました。 それは、間接的に来る仕事の話において、医師たちの拝金主義的な意図を垣間見たからです。もちろん僕はその手の人に手を貸すことはありません。 しかし一方で、その手の拝金主義の医師たちに便乗する金融機関やコンサルタントなどもいることは事実であり、そうした人の様子を見ると少しばかり感傷的になったりもします。まあ広義の怒りにはなりますが悲しみがやってくるという感じです。 「ああ私よ、いたずらに感傷的になるのはよしなさい」と自らが自らを諭すような不思議です。 患者は経済社会の中の消費者・顧客で

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見解は最初から一致していた

数年前のことですが、某業界の国内での第一人者的な方と共同で仕事をやりかけたことがあります。 「やりかけた」ということで実際には実施しておらず、結局は依頼主が「ロクでも無い系」だったので、準備段階で頓挫したという感じになりました。 ただ、その人と語り合う中でも、やはり「見解は最初から一致していた」という感じで、ある種分かり合う者同士は喧嘩にならないということを実感しました。 最初は、出し惜しみをする僕のことを若干敵対視されていた感がありましたが、依頼主がロクでも無い系なので出し惜しみをしていたということがわかった途端

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かなりの努力を要する作業

世の中には微妙に高額に思えるサービスがたくさんあります。 その中の一部は「単にぼったくりなだけ」という感じですが、料理における、「完成物の容量は安価なものと同じくらいでも、仕込みの手間が膨大」というような感じで、かかる手間の分だけ高額になっているものもたくさんあります。 そういえば、芸大で教鞭を取っている友人から次のようなことを聞かれたことがあります。 「今後イラストレーション等々で食べていきたい学生から『ロゴ作成』なんかの世間の値段の幅について聞かれることがあるんだが、どう説明するのがいいだろう?」 まあいわば、

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これが人間か

「アウシュビッツは終わらない」を改めて読もうと思った時に、2017年に完全版として「これが人間か」が出ていたため、そちらを読むことにしました。 プリーモ・レーヴィ著「これが人間か」には、彼が体験したアウシュビッツ強制収容所での経験が綴られています。 「私はこの本を書くにあたって、犠牲になりましたというあわれっぽい調子や、復讐を叫ぶたけり狂った調子を捨て、証人が使うような節度ある平静な言葉を慎重に用いた。私の言葉が感情を抑えた、客観的なものになればなるほど、それだけ信用の置ける有意義なものになると考えて」 と記される

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先を争うようにして駈けて行く

「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め人は企業の奴隷であるというようなことは、ある方面から見れば正しくても、そうした企業のチームの中でないとできないことがあったり、それを独立してやるには効率が悪いという感じになっていたりし

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相手が案内人である以上

以前にも少し触れたことがありましたが、睡眠中を含め、空間からの脱出が難しく、身の安全の確保が意識に上るサービスほど、丁寧な接客となるという感じになっています。 旅館業はもちろん、飛行機などもそうですし、本来は電車や長距離バスでも同様の配慮が望ましいという感じになります。 そんな中ですが、以前某温泉旅館のオーナー社長一族の方から入浴サービス券をもらったので向かったことがあります。 ひとまずフロントで受付を済ませて、係の方に温泉施設まで案内してもらうという感じになりました。 少し寒い季節だったので、旅館に着いてすぐに尿

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総員玉砕せよ! 水木しげる氏

総員玉砕せよ!

「この『総員玉砕せよ!』という物語は、九十パーセントは事実です」 と、あとがき「あの場所をそうにまでして…」で記されているように、水木しげる氏の実体験に基づく「ほぼノンフィクション戦記物」である「総員玉砕せよ!」。 一年ちょっとくらいになりますが、「水木しげる 魂の漫画展」に行った時に知ってその場で買いました。「総員玉砕せよ!」の単行本の初版は1991年10月のようで、その時購入した講談社文庫も1995年6月に出ていたようですが、その日まで存在すら知りませんでした。なお、「総員玉砕せよ!聖ジョージ岬・哀歌」という題

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顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい

何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。 実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたものであれば、そうしたものを獲得することが目的であり、なるべく無駄なことをせずにリスクを低減したいということは当然という感じです。 というのが基本でしたが、僕たちが中学生くらいのときから「変

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強い仲間意識で結ばれた間柄

いつまでも周りには誰かしら友だちがいるだろうと思いきや、社会生活の中での区切りごとにそうした友人知人はどんどん姿を消していきます。 今ではあまり積極的に人に会うことはありませんが、それでも先日名刺のストックが切れたので、会っていないようで会っているという事実に気づいたりしました。 しかしながらそれら関係の人は、付き合い自体が浅いのでもはや知人とすら呼べない関係程度だったりもします。 ― 人との関係性の強さは、差別や執著、そしてそれらからくる苦しみを生み出したりもします。しかしながら、洗脳やマインドコントロールのよう

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例外的な偶然の産物

自然淘汰を考える上で重要なのが、誰かしらが何かしらの「違う可能性を試す」という感じで例外的な偶然の産物として生まれ出ることです。 古典的な形で予定説的に考えると、因果は決定しているという感じですが、決定しているのは確率であり、確実の方ではないという感じになります。確率の次も確率ということになれば、それこそ可能性的には無限に不確定・不確実ということになりますが、それでもだいたいの確率でそれが起こるという感じになっています。 時間の概念から考えると「例外的な偶然の産物」が「ご新規さん」として生まれるというより、既に内包

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廃物、もしくは廃人のイメージ

廃物、もしくは廃人のイメージに一種のかっこよさを感じ、退廃的な雰囲気に酔っているような感じの人もいます。 別に完全燃焼したというわけでもないにもかかわらず、その廃人感に一種の美徳さえ感じ、そこに僅かばかり含まれるような芸術性と同化することで、自己陶酔しているような感じです。 まあそんな人を観察してみると単に何かの資格試験に落ちたとかそうした程度だったりします。 「期待したルートから脱落して絶望」といった感じでしょうか。 ただそうした「期待したルート」すらも、朧気なところか生まれ、虚像を実体であると錯覚して夢になった

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人間を咀嚼する大地の口

人間を咀嚼する大地の口 ― それは現代においては、インターネット空間、そしてその入口として用いられている、かなり広範囲の層にまで広がったスマートフォンの画面かもしれません。 混乱、意識の散らかり、気力の不足、それらの要因を静かに観ると、気力を奪い取られているという構造があるように見えます。 実際に役立つ部分と比較すれば割に合わないような、気力の浪費が起こっており、端的には、時間を潰せているのではなく、気力を奪い取られていると考えるほうが無難でしょう。 その要因の中で最大のものは、おそらく区切りのなさ、際限のなさです

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べつに禁止されていたわけではないが、めったに近付かなかった

「べつに禁止されていたわけではないが、めったに近付かなかった、という対象は意外にも多かった」というようなことを思うときがあります。 わかりやすいもので言えば、僕は歓楽街にも行きませんし、街で知らない異性に声をかけたこともありません。 その理由は、2つの方向から示すことができます。ひとつは、「行かなかったり、しなかったりしても別に困らない」というものであり、もうひとつは、そんな感じで「困ってもいないもの」に潜むわずかながらのリスクです。 いわば「ぼったくりバー」などが代表例ですが、それほど行きたいとも思わないところに

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現代の精神状態の反映として

現代の精神状態の反映としてわかりやすいのが、音楽や映画などなど、文化面において「何が流行っているか?」というような点になりますが、最も如実に表すもののひとつが「笑うポイント」であると昔から思っています。 先日たまたま知人の教え子である大学生たちとお話をしましたが、一番感じてしまったジェネレーションギャップは、強烈さへの耐性とか、笑いへの昇華への部分であるような気がしました。 特定の文化や出来事について、知っているとか知らないとかそうした部分はさほど問題になりません。 しかしながら、何事も真面目くさってしまうという部

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フィルムの使用量は信じがたく低い

安部公房氏の笑う月が刊行された昭和五十年の時代においても、「フィルムの使用量は信じがたく低い」と表現されるほどに、日本においては、カメラの所有数に比べてフィルムの消費量は著しく低いということのようでした。 現代においてフィルムカメラを使用するということは、もはやマニアの域に達していると言わざるを得ません。 デジタルカメラが普及し、携帯電話などで画像が撮れるようになり、かつ、それらの解像度が高まっていくに比例してフィルムの価格は高騰していきました。 そしてそれと比例するように現像代も高まっていきました。 僕たちが中学

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