タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

知的障害者との沖縄旅行

僕は今までに沖縄に三回行ったことがあります。 一回目は、小学生の時です。祖父母を含めた家族+いとこで行きました。 三回目は、「ジュゴンの見える丘 2017」で触れていた通り2017年に行きました。 そして間の二回目は19歳の時です。病中に何故か知的障害者の支援施設からボランティアスタッフとして沖縄旅行についていきました。 僕には昔から「どんなものでも可能な限り体験を通じて知りたい」という癖があります。でないと、非言語的な部分や奥にある本質構造が見えず、表面的な論理空間から導いた一般論の範疇になってしまいますからね(

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短文コミュニケーション

「短文コミュニケーション」しかできないというのは考えものです。その傾向は、比較的高齢の人たちに増えているような気がします。短文以外になると頭がカーっとなり、短文しか記述できないというような感じになっていくのでしょう。 そんなことを思ったのは最近の業務のメールのやりとりです。 相手が還暦前後の年齢以上になると、短文しか返ってこないということが起こりやすい傾向にあります。 短文コミュニケーションは会話に近い感じになりますが、それしかできないとなると、大きな情報空間を構築したり操作したりすることができません。そういう生活

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選ばれない側の「つまらない人たち」の行動

世の中では選ばれない側の「つまらない人」たちが、群れて自分たちと同じようなレベルにまで引きずり落とすということをしようとします。インターネットの普及によりその行動はより起こりやすくなりました。 マスコミが盛り上がるというのも結局人の関心を刺激して収益を上げるということなので、つまらない人たちが反応することを取り上げるというのはご商売柄致し方ないことです。 ちなみにこの「つまらない人たち」というのは、僕から見てつまらないという意味ではありません。ご本人たちがご本人たちの日常を「つまらない」と感じている人たちです。 そ

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情報と衝動と会話

スマートフォンの普及に伴い変化してきた情報の取り扱い方と情報がもたらす衝動、そして人と人との会話についてでも触れていきましょう。 最近ではセルフレジのようなものも普及して「一言も話さない店員」に出くわす機会も増えてきました。それくらいに個人主義的な風潮になってきているというような感があります。 とりわけ社会情勢により自宅にいる機会が増えたりしていた時期以降は、「会話が噛み合わない」というような事がよくありました。 これは単に「得た情報を吐き出したい」という衝動が各々にあって、得る情報がパーソナライズされたものばかり

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思考と勢い

古今東西、たいてい社会でうまくいっている人、うまくいっている風に見える人は、少し変わっています。稼ぎの上で、ある程度稼いでいたりするような人ですね。 それで、世間ではある程度稼ぐとか、社会でうまくいくにはどうすればいいかという面で、知識とか思考の方を重視しようとしています。 その原因は、それである程度会社で出世できるというような雰囲気があるからです。でも、その範疇を超えている人たちは、少し変わっていながらも、もっと稼いでいます。 ただ、そうしたもっと稼いでいる人たちは変な人達なので、世間的な感覚からすれば参考にした

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店員さんへの接し方

よく店員さんへの接し方で、その人の人格がよくわかるというようなことが言われたりします。これは特に自分が利用するお店の店員さんに限ったことではなく、自分がお客であるとか世間的には社会的立場が上だとかそういう局面においてどのような態度を取るかというところになります。 ひどい人は本当に酷い態度を取ります。 では、どのような態度が普通で、どのような態度が素晴らしく、逆にどのような態度が酷い態度なのか、ということについては、レジで並んでいたりするときに観察できる「自分より前にいる人たちが取る態度」が、「普通の態度」ということ

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「仕事」を理由にした工事車両等の厚かましい路上駐車

工事車両等の厚かましい路上駐車ということで、迷惑駐車についてでも触れていきます。どの道最後は警察によって解決するような事柄にはなりますが、「仕事だから」という謎の言い訳によって厚かましく人の家の塀沿いに迷惑駐車をする工事業者等について、今一度触れていきましょう。 今までに「断末魔の長広舌」や「鉄面皮との天王山」、「誠実な遊戯」などで触れていますが、駐車のベストスポットということになるのか、家の塀沿いによく車を駐められることがあります。 特に工事業者に限ったことではなく、置き薬屋、生命保険の営業車が厚かましく駐めてい

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ながらスマホによる自転車事故の被害

近年、自転車事故による被害が増えているようです。電動自転車やスピードの出る「タイヤの細いチャリ」が普及したからか、事故の規模も大きかったりするようです。そして何より、スマートフォン汚染の影響により、スマートフォンを操作しながら運転するということをする人がいるため、事故が増えているような感じもします。 いわゆる「ながらスマホ」での自転車運転は、意識の上でも視覚的な面でも注意力が散漫になるということに加え、片手の自由が一部奪われるということになるので、事故の確率は結構高まってしまいます。 近年ではこうしたながらスマホ運

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怒りによって見えなくなる「相手の責任の範囲」

稀にですが、それ以上言っても仕方がないのに、それ以上のことを言って、何かしらを求めてくる人がいます。 いわば、それ以上感情に任せて怒りちらしたところで、現実的にどうしようもないのに、現実に即したことは行わずに、「自分の感情を落ち着かせろ」とでも言わんばかりに、やたらと謝罪等を求めてくるというような感じです。 もちろん僕はこの手の人には、意味のない謝罪はしませんし、要求にも応えません。意味がないからです。 責任の範囲と帰責事由 社会生活において、とりわけ契約等々においては、責任の範囲というものがあります。そして、何か

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フリーランスのスケジュール感覚

特にフリーランスの方への思いはありませんし、フリーランスの方に仕事を依頼することは滅多にありません。 ただ、時折、外注先の外注先くらいの感じで、そうした方々と間接的に接することがあります。 そんな中どうしても「フリーランスの方のスケジュール感覚は異常である」と思わざるをえないようなことがたまにあります。 もちろんこうしたものは千差万別で一括りにできるようなものではありませんが、あまり会社勤めの経験がないままに独立したようなタイプの人、家庭がメインで業務は片手間でやっているような人に関しては、世の一般的な法人と比較し

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社会における自己の抽象的な定義

わかりやすさ重視ということなのか、何かにつけて専門性ばかりが前に押し出される傾向にありますが、社会における自己に関してはなるべく抽象的な定義づけをしておいて、全体像を把握する方が好ましいと思っています。 キーワード重視の社会環境では、具体的な専門性や権威性を武器にする人たちの方が目立つという意味ではやりやすいため、そうしたものに目を奪われがちです。 しかしながら、専門性を高めると盲点が発生しやすく、また想像通り応用が利きにくいというような感じになるので、ふとした環境変化の際に右往左往してしまうということも起こります

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仕事や収益に関する納得

仕事や収益に関する納得について触れていきましょう。 自己欺瞞なき納得、すなわち自らの本心を偽ることのないなき納得があれば、現象は思うように、― 否、思いがけないほどにうまく展開していきます。 世の中には自尊心が欠落し、多種多様な偏見で物を言う人達もいます。そんな人達に屈辱を与えられた時、本当に嫌なのはそれを返しきれない思いです。 ただ、本質的に自分自身の内側に納得があるのであれば、そんな偏見の物言いは単なる譫言にしか聞こえなくなります。 端的には「言われる筋合いはない」ということになるので、何もできずに譫言だけを言

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祝八周年&第2022回投稿記念

本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。 祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。 やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような感じになっています。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつも

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検索の質の著しい低下

近年ウェブ検索の質の著しい低下を感じたりします。その中でもとりわけ取り消し線付きで「含まれない: キーワード‎| 含めて検索:」という感じで「キーワードを勝手に除外する」というような機能に酷さを感じます。 誤字ならばまだしも、入力したものを勝手に除外するというのはいかがなものでしょうか。 それだけでなく「キーワードは含まれているものの、キーワードとは特に関係ないようなページが上位に表示される」というような感じで、普通に検索結果が酷いということを感じたりします。 確かにキーワードは含まれているものの、キーワードとは特

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「見えざる手」を観る

見えざる手によって「ちょうどいい感じ」になっていく、というような法則性があります。ただ、プロセスとして一時的にその流れを阻害するものあります。 だいたいの物事は「やりすぎ」に陥って「制限」がかかり、その壁が圧に負けて決壊するように崩壊し、分解して適切に馴染んでいくというような流れになっています。 何かしらの市場の広がりや社会変化が一気に広がり、ある地点で制限がかかってくるようになります。そして次は制限の方が「やりすぎ」ということになり、その空間は決壊します。 という流れなので、波に乗って慢心したり、逆に抗ったりする

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油断させるために弱く見せる

武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。 根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。 そのうち「油断させるために弱く見せる」ということについて少しばかり触れておきましょう。 油断させておくと相手は準備を怠る 下手に強く見せてしまうと、相手はそれ相応の準備をして戦いにやっ

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通信講座による資格取得に対する理解

思えば僕も勤め人時代は資格をよく取得したりしました。勤め先において求められているものがほとんどですが、「まだ学生時代のお勉強感覚が残っている間に」と思い一気にたくさん取りました。 こうした資格の取得に関してよく通信講座とか対面の短期集中講座のようなサービスを提供しているところがあります。 ただ、よほどの難易度のものなら専門の塾のようなものがありますし、とりわけ通信講座なんかは何だか中途半端で、しかも高いという印象があります(本を買っている方が安いという印象があります)。 「資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性」等

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個々で判断することの正しさ

海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベルではたいてい友だちになれるということを実感したということです。 育った環境は異なれど「男子たるもの同じようなトンチンカン思考をしてしまう時期を経て大人になったのだなぁ」というようなこと

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そなえよつねに

この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなことになるのなら」という前に、という点について触れていきましょう。 だいたい「こんなはずじゃなかった」と言った感じになってしまう場合、リスクを見て見ぬ振りをしていたか、そもそも見えていなか

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新年 2022

みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨深い気持ちで眠りにつきました。 年明けからは、先月の誕生日にもらった志村けん氏のDVDを観ながら過ごしています。 寅年ということで… さて、今年は寅年ということなので、早速アオイちゃん

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強制終了という選択

パソコン等々がフリーズしたとき、ソフトやアプリが固まってしまってどうしようもない時、取る方法は基本的に強制終了という感じになっています。 それと同じようなことをすればよいのに、なんとかいじくり回そうとしてどうにもならず、右往左往して人生を強制終了させるというようなことに走ってしまう人たちもいるようです。 ただ、単純明快な解の一つとして、対象空間を強制終了するという方法があります。どうしてそれをしないのかが少し不思議です。特にデジタル空間、インターネット空間であれば、それはすぐに可能となるはずです。 友人間でも利用す

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あほぼんの象徴

基本的にダンスというものに寒気を覚えるものの、一部例外があり、エアロビ笑点やタイムスリップショッピングダンスなどは、「あほぼんの象徴」として、別口で感性をくすぐるものとなっています。 エアロビクス的な動きや音楽は、80年代を思わせる雰囲気と相まって、僕にとっては爆笑の対象となったりするわけです。 その根底に流れているものは、やはり資本主義経済、シロナガスチ○ポ的な「あほぼんの象徴」であるからこそ、という感じがします。 すなわちそれは、彼らお得意の略奪や資本主義的合理化の果てにあるものは、「暇でやることがなく、エアロ

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ちょっとした想像力と抑止力

先日、銭湯に行った時のことです。兄弟数人の子連れが一組いて、そこそこ騒がしかったのですが、一番騒がしいのは父親と思しき大人でした。「わー」などとい言いながら、湯船に飛び込むくらいの感じです。 まあ奇声さえあげなければいい、と思いつつ、おそらくイクメンなどという言葉に踊らされ、妻や子どもの言いなりになって自分を保てなくなり、結果、「自分の精神の方を子どもに合わせないと発狂してしまう」というような状態なのでしょう、というようなことを思っていると… 倶利伽羅紋紋さんがやってきました。 倶利伽羅紋紋さんは湯船の中にいた僕の

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電話とメールの使い分け

思い返すと、友人との連絡においては、この数年ほぼメール、メッセージ機能を使っていないということに気づきました。 逆に業務関連ではほとんどがメールのみということになっています。 その大きな違いは、仕事においては「言った/言っていない」というようなものを防ぐため、認識の齟齬を防ぐためというような意味合いが強く、友人関係においてはそうした証拠保全の必要がないという点が挙げられると思います。 直接話す、通話、メッセージという順 原則的に人とのコミュニケーションは、直接話す、通話、メッセージという順になっています。 仕事の面

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「しないこと」への評価

11月は児童虐待防止推進月間ということのようです。個人的には児童愛護の方が表現としては良いのではないかと思ったりもしますが、直接的に虐待というものを防ぐということを意図しているので致し方ないのかもしれません。 個人的には「虐待をしないこと」への評価があまりにも意識されなさすぎているような気がします。 以前、「際限のない『何をどこまで』を防ぐ表現」で「不貪不瞋不痴」について少し触れましたが、「しないこと」への評価ということで、再度「不瞋(ふじん)」を評価することについて触れてみましょう。 とその前に、虐待の疑いがあっ

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