タグ別アーカイブ: 社会

社会全般について

合理化によって失われた分を何かで補う

合理化が進んだ分だけ何かが失われて、その失われた分は何かで補わなければバランスがおかしくなるということで、結局かけているコストの総量としてはあまり変化がないような気がしたりもします。 ということで、便利になってできた余白は何かに使わねばなりません。でないとただ愚化していくだけになってしまいます。 そういえば最近店先で会計時にお釣りの小銭を減らそうと端数を少しだけ出したりすると店員さんが混乱されることがたまにあります。 つまり、暗算力がかなり低下しているということになるでしょう。おそらくその原因となっているものが、電

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テレビを見ない生活

もうかれこれテレビを見ない生活が十数年続いています。家にはもちろんテレビ自体がありませんし、今後も買うことはありません。ということで、自宅でテレビを見るというようなことは一生ないでしょう。 今年の台風で家のテレビのアンテナが吹き飛んでテレビがない生活ということを経験した人も結構いると聞きました。そしてアンテナを直そうにも、復旧工事が殺到していてなかなか順番が回ってこないという感じのようです。そしてさらに、まさにテレビ依存ということなのか、テレビのない生活に耐えられないということで、ひかりTVやケーブルTVを契約する

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生命保険等金融商品の不適正募集の背景や手口

今なおたまに生命保険をはじめとした金融商品の不適正募集が問題になることがあります。高齢者を狙った詐欺的な営業方法をはじめ、様々な抜け穴や解釈をもって強引に契約を結ばせようとする問題です。 こうした不適正募集、特に高齢者を狙った不正契約・不適切な営業活動は昔からちらほらありますが、その手口は押し売り等々一般に想像されるような形以外にもたくさんのパターンがあります。業法違反という意味での違法というレベルを超えて、犯罪の領域ですらあります。 現行の法制度などが関係しているのか、詐欺的営業にもかかわらず、不適正募集が発覚し

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自己犠牲の精神からの脱却

自己犠牲の精神からの脱却ということで「自己犠牲」について触れていきます。まず最初に自己犠牲は美徳でもなければ称賛されることでも何でもありません。そして「責任感」というようなものに翻弄されたりする必要もありません。 強迫観念のような自己犠牲を自分でも治したい、自己犠牲の状況にあるのは嫌だと思っていながら、いつまでも自己犠牲を受け入れてしまうという場合も当然ながらよくあります。 「頭ではわかっていても抜け出せない」という状況です。 あくまで文章による伝達なので全てのケースに対応できるかどうかはわかりませんが、可能な限り

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資格ビジネスとマルチ商法の構造の類似性

資格ビジネスには、国家資格や本当にある程度の評価がなされるような民間資格を取得するためのサービスから、胡散臭い民間資格まで多種多様なものがあります。講義型・通信教育型を問わず、共に資格検定講座・資格検定試験で収益をあげようとするという点は一致していますが、異なる点があります。 業務独占の国家資格や一般的な社会的評価を得ているような民間資格に関する資格ビジネスあれば、比較的教育としての要素が強いものの、胡散臭い民間資格は、教育的サービスの他に実際にその業界で起業させようとか、周りの人間も呼び込もうというような意図があ

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中途半端な私服勤務

IT系ベンチャーなどなどにおいて、私服勤務で「オシャレに働いている」と思っている人たちの広告写真をみるといつも違和感を感じます。 なぜなら自分たちは「スーツなんて着ない」ということをアピールしているにもかかわらず、縁の太い眼鏡をかけながら、淡色のパンツ、淡色のシャツといったように、全員同じような服を着ているからです。 A. 誰が誰かわからない というのが本音です。 そして、美容・ファッション業界のものはそうでもないのですが、そうしたIT系ベンチャーのような会社の広告用写真や会社案内においては、結局「ビジネス上あまり

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日々の体温と人々の記憶

パソコンやスマートフォン、タブレットの光にさらされると体温が下がるような気がします。実際の体温がどうなっているのかわかりませんが、気力とでもいいましょうか、生きる力、生命力が失われ、体温が下がっていくような感覚がしています。 それは視覚にだけ集中し、変な姿勢を続けていることも影響しているのかもしれません。 ― そんな折に僕が小学生だった頃、つまりまだパソコンや携帯電話などが普及していなかった時代の音楽を聴いたり、映画を観たりすると、男性であれ、女性であれ体温の高さを感じることがあります。 それよりも昔の作品であれば

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理不尽な疫病神

考え方、というよりも社会における視野が大きく違うと、話も合わなくなってきます。そんな中、「隣の高校だった人」などなど、知らぬ間に縁が切れていったような同い年の人たちを見渡してみると、やはり学校の風土的な違いがどこかしら影響しているような気がする時もあります。 最近では無くなりましたが、そうした人たちから集まりのお誘いを受けたりしました。しかし、その内容が「青春を引き摺っている系」のニオイがするので、企画内容に寒気を覚えてしまい、断っているうちに誘われもしなくなりました。 別にいけないわけでもないのですが、何だか寒気

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日和見な昼行灯

確固とした意志を持つことがなく、その時の状況に合わせて多数の勝ち馬に同調するという層がだいたい7割、それは腸内細菌の世界ですら起こっていることなので、変わることのない自然のバランスなのかもしれません。 ただ腸内細菌においてもそれは細菌類たちの社会の中でのバランスであり、一つずつの細菌自体は一応独立した存在でもあります。 これを人間社会に置き換えてみて考えた場合、社会の構造がどうあれ結局は自分個人がどうあるかというところだけが問題となります。 ― 「洗脳の結果としての消費行動」などで、以前にも少し触れていましたが、ち

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一筋縄ではいかない檜舞台

何だかんだで新規創業の相談などを受けることがあります。 起業などにおいても、やってみないとわからないこともあれば、やる前から準備がいくらでもできる事柄もあります。 やはりどんなことでも、やり進めてみて実際のフィードバックを得てからでないと本質がつかめない部分は出てきます。 そういうものもあるので、準備ばかりではどうしようもない側面もありますが、「やってみないとわからない!」などと言って盛り上がる人たちの中には、単に知らないことを知っていくこと、つまり、調べて理解して実行していくことが面倒なだけで怠けているだけだった

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土壇場の泥仕合

なるべく揉め事というものは避けたいものですが、そうした局面ほどその人の本性やエゴイズムを垣間見れることはないので面白かったりします。 あえて仕掛けることはありませんが、不条理な要求に応じることはないので必然的に多少一悶着が起こったりします。 むしろ昔からこうした揉め事を好んでいるようなフシがありました。なぜならそこには「本音」があり、問答の内容は思索のきっかけにもなり得るからです。 たくさんの本音が出る分、成長の糧にもなるわけです。 さて、結構前のことになりますが、「従業員をクビにする」という局面で、たくさんの気づ

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張本人の付焼刃

事態をそれ以上に大きくしないためにと、何かが起こった時の事後対策として様々な工夫が凝らされたりもしますが、そうしたものの必要性自体は理解できるものの「うまくごまかす」という方向性ばかりを勧める人たちもいて、遺憾に思うことも多々あります。 そういえば先日、某会合に参加したのですが、その会場となっていた飲食店はひどいものでした。なんだか比較的最近にオープンしたような店はほぼ例外なくひどさがあるような気がしてなりません。 おそらくその要因としては、コンセプト的なものばかりがもてはやされ、サービスの根幹部分が蔑ろにされてい

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短兵急にて立往生

気持ちの先走りを上手く利用すれば、そのエネルギーで目の前の問題を突破できることもあります。創業社長はだいたいせっかちな人が多い印象もありますし、あまり深く考えすぎないことが物事の展開のスピードを高めているという感じもします。 しかしながら、そうした人たちは、あまりよく考えていないようで、意識の裏側では最低限以上のことは考えていたりもします。特に経験値が高ければ高いほどその精度は高まるという感じですが、あまり深く考えずに先々進めてしまう裏側には、「無駄に検討している時間もコストが掛かっている」という意識があるからでし

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大上段への大団円

起業する前の最後の上司というか支店長的な人は、いわゆる「全然足りねぇじゃん!」系の人でしたが、そんな彼への最後の仕打ちを決行してから退職しました。 直属の管理者には世話になっていたので、彼には恩返しがしたいと思いつつ、やはり「全然足りねぇじゃん」系の支店長を泣かせてから去ってやりたいという気持ちも少なからずありました。 ある上司のことは好きでも、別のある上司のことは嫌いだ、というケースは結構あるのではないでしょうか? それが退職への葛藤になっているということもそこそこあると思いますが、嫌いな相手を泣かせるということ

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大黒柱の醍醐味

醍醐(だいご)という言葉の持つ意味がバター味やチーズ味らへんの乳製品の味のことを指すということを知ったのは比較的最近のことです。京都にも伏見に醍醐寺があり、付近は醍醐という地名なので少しは馴染みのある言葉だったはずですが、本格的に意味を知ったのは20代になってからです。 さて、リーダーたるもの、とりわけ社長たるものだけが味わうようなことについてでも触れていきましょう。世の社長たちの切実な叫びのような事柄です。 よく社長同士が集まると、そうした人たちしかあまりわからないような話になり、そうしたところで一気に仲良くなっ

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序破急そして真骨頂

何かしらのきっかけで興奮状態が起こり、それが続くと新しい展開が始まり、知らぬ間に興奮は冷め、みるみるうちに本来の姿に戻っていきます。 それは恋仲でもそうですし、若いベンチャー企業などでも同じです。興奮状態により普段ではやらないような行動を取ったりして新しい世界が見えてくる、というところまではいいですが、いつしか興奮は落ち着き、また元と同じような状態に戻ってしまうという感じです。 さて、ある時から「物事が終わる瞬間」に感慨深さを感じるようになりました。 特に先日また銀の匙を読んだりしてから、いままでに経験した「物事が

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金輪際なしに…の後日談

なぜかアクシデントというものは連続することが多く、そうした時は集中力が格段に落ちていたりします。 かなり昔になりますが、ものの一ヶ月位で2回バイクに絡んだアクシデントが続いたことがあります。と言っても道端に停めていて、バックしてきた車に一方的に当てられたとか、バイクのスタンドがおかしくて足がバイクの下敷きになった、というようなやつです。 バックしてきた車に当てられた時は、僕が乗車していない状態だったので僕は無傷でした。結構な雨でミラー越しには視界が悪かったというのもわかりますが、結構な勢いでバックしてきたので前の部

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好々爺たちに紅一点

男性ばかりの職場に女性が、または女性ばかりの職場に男性が一人でも入ったりすると空気が極端に変わったりします。 特にその異性が若い人ならなおさらです。サボり癖やギスギス感などが程よくなくなり緩やかな緊張感と癒やし作用をもたらしたりします。 最近ではそうした事を受けてか、わざとそうした人員配置をしたりするようです。僕が勤め人だった頃も、おじさんばかりの部署に新しく女性社員が配置されたりしていました。 一応意図としては「自分の娘と同じくらいの歳の子にかっこ悪いおじさんだと思われたくない」という感じを出して、定年前で「くた

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首実検、のち、下剋上

そう言えば少し前悪徳体育会系が世間から袋叩きにあった事がありました。メディアに触れない僕の耳にすら届くほどの大盛り上がりを見せていましたが、世間では大なり小なり同じような構造が蔓延しているはずであり、だからこそあれ程の盛り上がりを見せたのでしょう。 意志決定の簡素さやそれに伴う素早さ、そして統制の合理性から考えれば体育会系の構造は「楽」ですが、一方その裏でアイヒマン実験さながらの人格変容の構造を持っています。 そんな中、ゲッベルスさながらの洗脳企業がネット上で意見を申し述べていました。ネット上の広告として表示された

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気丈夫かつ几帳面

まるで営業方上がりか事務方上がりかというような感じになりますが、そのどちらでもないような「職人」というポジションもあります。 業種によって職人がいる場合といない場合がありますが、大体は営業系か事務系かという感じで仕事は分かれています。 これは、食べ物を獲得する能力と、保存・加工する能力のような分類になるため、独立するとなるとまずは前者のほうの能力が必要になります。 食べ物を獲得してもすぐに放置して腐らせていたりすれば効率が悪いという感じにはなるので、そうしたことをサポートする人たちの役割というのも重要にはなりますが

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風見鶏の表看板

世の中では「いかに人の注目を集めるか?」ということ競い、その結果を渇望して「広告合戦」のようなことが繰り広げられています。 人々の日常の意識の向き先がマスメディア一極集中から、ウェブそしてアプリケーションへとどんどんと分散していきましたが、大体は人の注目を集めようとしすぎた故に疎がられ、その場所は過疎化し、また新たな場所に人々の意識は移るという流れが続いています。 古くはメルマガ登録、その後はSNSと矛先は異なりますが、結局「広告がしつこく、鬱陶しい」ということになって、人の意識を長期的に釘付けにすることはできなく

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大立者の十八番

「君子豹変す」なんてな言葉もありますが、社会においてもその人自身においても、時に大掛かりな舵切りをする時があります。 「じわじわ様子を見ながら」というやり方は一見リスクが無いように見えますが、「交差点で停止線からチョロチョロ進む車」のような危なさがあります。 そういえば交差点で思い出しましたが、以前信号待ちをしていたところ、後ろから「ガーシャカガーシャカガーシャカ」と聞こえてきました。 テンポ的にはテクノ的なやつです。 「ふう。爆音を垂れ流しながら走る車が来たか」と思っていたのですが、そんなことを思っていると隣に「

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嘘八百の内弁慶

唯物論的には、また、功利主義的には正しい理屈であっても、人の「心」を考慮しなかった理論は失敗に終わっていきます。合理性や数値の上での平等を叶えたとしても、それに携わるのが機械ではなく人である限り、人の心の動きや変化を無視することはできません。 むしろそうした人の心の本質を捉えることこそ、環境によって変化してしまう思考や意志の動きを捉えることこそが最も重要なことだったりします。 コスト的な合理性、組織としての統制のとりやすさを優先し、ヒエラルキーを形成して組織を作り上げていくと、その上位の階層には強力な権限がもたらさ

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依怙地になって居丈高に

大きな企業でありがちですが、あまりにくだらないような商品を無理に売ろうとすることが多々あります。 もう商品開発の時点からやり直したほうがいいと、誰しもが思っているような状態なのに「自分の案が間違いだったということを認めたくない」という人のエゴにつきあわされる形で売りに行かされるということもよくあります。 そう言えば昔勤め人時代に事あるごとに上司が営業の企画のようなものを持ち込んできた事がありました。 最初の一週目は不慣れな面もあるので大目に見つつ、二週目になると成果も上がらないことに腹を立てて罵声が飛んでくると言っ

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記号としての役割しか持たない人たちと社会的監視機能

洗脳やマインドコントロールについて触れたり、消費社会について思索を巡らしてみたり、面白い映画とあまり面白くない映画の違いを考えてみたり、「手塚治虫のブッダ」の原作と劇場版の違いに遺憾の念を持ったりという感じで過ごしていると、記号としての役割しか持たない人たち、「入れ替え可能なキャラクターとしての立ち位置」について思いが巡ってきました。 そのような感じで「記号としての役割しか持たない人たち」と「社会的監視機能」についてふと考えました。 たまにコンビニに行くのですが、そこでのレジ担当の人は本質的には違ったとしても組織か

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