最近、情報というものが面白くないんです。
ワンランク上のおっさんは、ということで、
まずはブログ愛について語っていきましょう。
この場所に限らずですが、一応自分で考えるという意味も含めて、旧来からのブログには「自力、かつ、手打ち」で血肉が込められているものの、ここ最近数年間の間に、AIで作った安記事が量産され、アクセス等々を奪っていきました。
AIによる回答によって「ページを回って情報を得る必要がない」という面もありますが、そのページ自体も、長文のものが大量に、しかもすぐに生成されてしまうようになりました。
これは日本国内だけでなく、世界的に「既出情報」をかき集め、それらは「搾りかすなので用無し」と言わんばかりに扱われ、逆に、素人でもそれなりに一人前に語るようになった、というのがここ数年の流れです。
しかしながら、そんな中だからこそ、あえてAIを使っていない情報の価値も高まりつつはあります。
これは面白い現象といえば面白い現象です。
AIの制度が中途半端だと情報的に適合している長文を評価しますが、逆にAIの精度が高まれば高まるほど、「それ、AIですぐ出ますやん」ということになり、無価値化していくということです。
そうなると、「生の声」や「プロの視点」が優遇されていきます。
例えば、AIが微妙に成長段階だった今までであれば、「刺繍」については素人ですが、「専門的な解説を」と言えば、それなりに知っているものかのようなページを作れたわけです。まあ今でも作れます。
そして、それが中途半端なAIの能力によって、評価されたりもしていましたが、「それ、すぐ出せますやん」ということで、それなりの内容なのに評価されなくなるということになっていきます。ひとつは見抜かれるということですが、もう一つの側面として、誰でも簡単にできることは、思いついてやる人が増えれば、オリジナリティがない人から順に脱落していくということです。
むしろ最近は、オリジナリティの方が評価されているので、時と場合によってはこのような、「ワンランク上のおっさんのつぶやきのようなもの」の方がAIにとってはありがたい、ということになっていきます。
精度が上がれば上がるほど、「本質的な意味」の解釈の精度が上がるため、「ゆるく適当な内容だなぁ」ということでも、「しかし、それは実は…」という感性のようなものが働いていくようになるということです。
それで、まずはブログ愛から、と宣言しておきながら前置きだけで1000字くらいになってしまいましたが(こういう前置きが無駄に長いところが、僕本人が書いているという「一種の癖」なので、文体的に本人が書いていることの証明になりえます)、とりあえずそこに触れていきます。
ブログ愛をもう一度
長年ブログを運営していますが、やはり運営期間が長い間に、僕はいろいろな経験をしています。
そしていろいろな思い出も詰まっています。
思考の投影でありながら、経験の投影でもあるわけです。
確か、投稿を書いている途中に妻がげんこつ大のおにぎりを持ってきてくれたことがあったりとか、そんな感じもありました。
しかしながら、情報価値を考えた時に、多少なりと「人と出会えたほうが良かろう」ということで、過去記事の評価を絞っていた面があります。
それはある意味、AI登場前の検索エンジンに合わせていたという感じです。
別に情報として消えるわけではないので、それでもよかろう、と思っていましたが、やはり考えてみると、過去記事に対して多少なりと失礼なことをしていたのではないかと思ってしまったりします。
そこで、評価面でのAI任せです。
評価面でのAI任せ
AIが発達する前であれば、投稿を表に出すか出さないか、というところを手動制御することで、アクセス増を見込むことができましたが、今では少しその取り扱いが変わっています。
しかしんがら、ちょっと発達してきた今であれば、フルで解放しても、それなりに中身を解釈して何となく評価するのではないか、というようなことを思ったりします。
もちろん、テーマがバラバラのブログは、専門家が運営するサイトよりは信頼性が落ちます。
でも、深いところにある意味を、もしAIが多少なりと拾えるようなレベルになったのなら、また面白い出会いが訪れるのではないかと思ったりもします。
そういうわけでブログ愛に戻りますが、夏も終わりに近づいて来ているので、今後はちらほら、「過去記事の取り扱い変更」を含めて、本ブログ出現頻度を高めようかな、と思っています。
