翌日の新聞記事の内容

自分が事件に巻き込まれたりした場合、当然に翌日の新聞や新聞社のサイトなどを確認したりします。

しかしながら、そうした事件の全容について、犯人側がある程度うまく証拠を隠滅していた場合、記事の内容が事実とは全く異なるものとなっていたりもします。

以前、とばっちり的に巻き込まれた事務所監禁事件について、警察は出動していましたが、僕自身は事件後に被害者として警察に駆け込んだりしていなかったためか、翌日の新聞記事の内容を確認すると、全く見当違いのことが書いてありました。

新聞記事の内容を元に第三者があれこれ雑談

もっと面白いのが、某掲示板などで、その新聞記事の内容を元に第三者があれこれ雑談をしていたことです。

新聞記事自体が事件全体の2割位しか掴めていないという感じだったので、当然にそれを元に語られていることも全く見当違いという感じでした。

犯人側がうまく誤魔化したことがそのまま真実として語られているという感じでした。そうなると警察もマスコミも、その発表を受けた第三者も、まんまと犯人に騙されているということになります。

まあ被害者である僕が名乗り出ていないため仕方がないといえば仕方がないのですが、怒号を聞いた近隣住民から通報があり、警察が駆けつけた後、捜査が入るとマズイと思った彼らに車に乗せられ、別の場所で監禁されていたというのが事実です。

根本的に誤解であり、そんなに後に残る被害がなかったのでよかったのですが、警察の出動時に事務所付近で犯人グループと警察で一悶着あり、その事実だけが新聞記事になっていたという感じでした。

「ちょっとトラブルがあったけど、もう解決した」という説明に納得して警察は帰っていったようでした。

「相手が相手なんだから、真に受けずもうちょっと疑ってかかってくれよ」と思いました。

そんな感じなので、警察が動いたからといって、すべての事実が明るみに出ているわけではなく、また、新聞記事であろうとも事実の一部しか載っていないということを身をもって実感したわけです。

まあ世間的にはそれほど興味関心を呼ぶような話題ではないということで適当に書かれたというのが事実でしょう。

話題性があれば躍起になって情報収集

逆に、そんなに意味のあることとは思えないことでも、話題性があれば躍起になって情報収集をしていたりします。某放火事件では、某新聞社が遺族の取材するためにと被害者の名前をやたらに漁っていたりしたようです。

本当にそんな感じで被害者の名前を調べていたのかという点についてですが、僕の友人のところにも新聞社の記者を名乗る人物から電話がかかってきたようですので、それは事実のようです。

「教え子さんで就職した人とかいるでしょ?それか教え子さんの友人とか。何か情報は入ってきてないですか?」という感じでせがまれたようです。

学校側は個人のプライバシーであるためと、取材を完全に拒否したようで、もちろん教員にも「情報公開はするな」というように釘を刺していたようです。

どうやって僕の友人の電話番号を調べたのかは知りませんが、記者としては、学校が無理なら教員側を追い詰めろという感じだったのでしょうか。

もちろん「知りません」と回答したようです。

まあ結局は、「人の関心が収益につながる」という構造から起こる必然という感じなのでしょう。

それは業種的な構造上仕方のないことなのかもしれません。

なので、正義といえば正義ですが、「資本主義としての正義」といったところでしょう。

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