タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

意識を先に置いたり分散させること

車の運転と同じように、視点は遠い方が安定し、またたくさんの方向をちらほら確認している方が安全に歩んでいくことができます。 あまりに手前の方ばかり見すぎると、感情が大きく揺れ動いてしまい、まさに動揺してしまいやすくなります。 既に無意識的動作となっている運転動作と同様に、日常のすべてが「無意識的有能」以上の領域になると、憂いはどんどん減ってきます。ただ、リスクがすべて消えるわけではないということを踏まえての「憂いのない運転」のような感じになります。 日常の9割以上は、遠くに視点を置くだけで基本的な感情の動揺はなくなり

» 意識を先に置いたり分散させることの続きを読む


共感性なき仮説検証への過剰な欲求

共感性なき仮説検証への過剰な欲求ということで、頭の焼けた理系の「なんとしてでもデータを集めたい」というゲーム中毒・ゲーム依存にも似た過剰な欲の有様についてでも触れていこうと思います。 近年、理系に限らず「共感性がないなぁ」と思うようなあり方はよく見受けられます。 例えば「お金のために働いたことは一度もない」というようなことを自慢気に言う人がいます。この場合、お金のために働かなくても良いような環境に育ったことをパスしており「それを読んだ環境の異なる人はどう思うか?」というところの共感性が欠落しているという感じがします

» 共感性なき仮説検証への過剰な欲求の続きを読む


失敗の回避と立ち直り

重要なのは失敗を回避するということよりも、失敗した時の立ち直りの方であり、一応「失敗してもいい」ということを思うにあたって、失敗しない前提を持たずに、本当に失敗したときのことに対してどう取り扱うのか、再度挑むならばどう挑むのかということを想定しておく方が良いと思っています。 失敗を回避するという感じは消極的です。一応様々な準備をしたり想定を巡らすという点では理に適っていますし積極性がありますが、意識の上では消極性を持ちやすいという特性を持っています。 ー 「失敗してもいい」という言葉をかけながら、失敗しないことを前

» 失敗の回避と立ち直りの続きを読む


休業日に増幅する焦燥

ふと薬局に行った時に「うむ。やはり漢字四文字で構成されたもので最も面白いのは『歯槽膿漏』やな」などと確認したりしているのですが、そんな自分を振り返ると「ああ今はすごく健全やなぁ」と思ってみたりします。 しかしながら先日、久しぶりに限界に来てキレてしまうというようなことが起こってしまいました。 理由は簡単で「休業日にもひっきりなしに連絡してくる人がいたから」です。 それが緊急事態ならばわかりますが、別に通常営業日に連絡しても良さそうな全く緊急性のないことを休業日に何度もメールや電話で連絡してこられたので思わず 「連絡

» 休業日に増幅する焦燥の続きを読む


詰まる言葉

直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。 他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。 何かもう一つか二つ聞いておきたいのに、それを思い出せずに詰まってしまうというようなことが多いようなそんな感じがします。 意志決定と情報不足 物事の運びが悪い時、たいていは「意志決定がうまくいかない」ということが

» 詰まる言葉の続きを読む


いつまでも子どもでいるために

いつまでも子どもでいるためになどと言うと、語弊を生みそうな感じがしてしまいますし、あくまで「いつまでも冒険野郎な37歳半くらいの人」が目指している「童心も忘れてないぜ系等々、そういう路線でモテよう」というものとは全く異なるため誤解は避けたいところです。 が、先日「劇画・オバQ」を再読したところ、思わず10回くらい読んでしまうことになったので「いつまでも子どもでいるために」という点について触れていきましょう。 「劇画・オバQ」の内容については特に触れませんが、ふと「そうか、僕は正ちゃんにならず、Q太郎でいるために大人

» いつまでも子どもでいるためにの続きを読む


咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。 生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているくらいでないと親友も彼女もできにくいという感じになっています。 なので、そうした現

» 咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなんの続きを読む


信義を重んじて態々ここに来る

「信義を重んじて態々(わざわざ)ここに来る」ということで、接待等々について触れていきましょう。 接待ゴルフという言葉は昔からありますが、全くいやいやというわけでなくとも、本当はそれほど乗り気でもないのに付き合いできているという人たちと遊んで本当に楽しいのか、と小学生の時から思っています。 まあ脳筋体育会系としては、部下や後輩を侍らせている、とか、自分の鶴の一声で、というところで自尊心を回復していたりするのでしょう。 仕事の利害を絡めないと誰も一緒に遊んでくれないということは、それだけ本人に魅力がないということになり

» 信義を重んじて態々ここに来るの続きを読む


骨肉の人

深いところで軽視され、また一方深いところで重要視されたりするのが骨肉の人といった印象があります。 深い部分で理解し合えず、また一方深い部分で理解し合えるというようなものでもあり、様々な聖典の部類に示されるように、敬意は示されにくいものという感じになっています。それが「骨肉の争い」の元となっている一つの要因なのでしょう。 だいたい自分がどうなろうと、何をしようと身内や地元の人達からは深い部分では敬意など持たれないということは、太古の昔から人間社会の常となっているようです。 敬意を持たれているとすればそれは大昔から持た

» 骨肉の人の続きを読む


第1900回投稿記念

これで1900記事目になります。ブログ創設から1900回目の投稿ということで「第1900回投稿記念」です。 前回の第1800回投稿記念は、2020年4月25日だったので、前回からの100記事は、5ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づきがありました。また単純に応援メッセージをいただいたりもよくしました。ありがたい限りです。 PC、タブレッ

» 第1900回投稿記念の続きを読む


飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて

寝食を忘れるほどの集中力がある時はそれ以外のことに意識が向かない、つまり雑念が浮かばないので心地が良いものであったりします。 気力不足というものは実際に体に動かしたりして体力を消耗した時に起こるものではなく、どちらかというと意識的な情報が錯乱した時、意志決定やペース等々を振り回されたりした時、意識に上っているか無意識の底にあるかということに関わらず、ずっと気がかりなことがある時に起こったりします。 そうした状況にある時に「体力は消耗すれど精神はひとつのことに集中している」という感じになると、表面的な体力的消耗とは裏

» 飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれての続きを読む


渇するものは夢に漿水を飲む

欲やその充足については、まさに喉の渇きと例えられるように充足してもマイナスからゼロになるだけであり、プラスに感じてしまうのはその差の大きさからの印象にしか過ぎないということになっています。ということで、基本的には苦の範疇です。 そんな中でも生きているからにはどうしようもないという生苦の範囲に入るものと、やはり厳密に考えれば自作自演の「苦」としか捉えることができない無駄な苦しみがあります。 水を求めるように求めよ それが意識的なものでそれほど厳密に決まっていないようなことであっても、自我は生理的な喉の乾きの不快パター

» 渇するものは夢に漿水を飲むの続きを読む


只声を呑みて泣く泣くさらに言なし

「言わなくてもわかって欲しい」という人と「言ってくれなければわからない」という人とはなかなか相容れないものです。 しかしながら「言ってくれなければわからない」という人はまだマシであり、言ったところでどうにもならない人もたまにいたりします。 言わなくてもわかるということが成立するためには、相応の「言わなくてもわかって欲しいなぁ」という経験をしている人が聞き手側にいる必要があるような気がします。 しかしながら、もし経験をしていなくても、また、解釈・想定に多少の間違い・勘違いがあろうとも、破壊的とも取れるほどの明るさがあ

» 只声を呑みて泣く泣くさらに言なしの続きを読む


何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふや

理屈が通っていないような「何を分けのわからんことを言っておるのだ?」と思わざるを得ないようなことを譫言のように言ってくる人がいたりします。 もちろんその人にはその人なりの理屈があって言っているのでしょうが、「さっき言っていたことと今言っていることが違う」とか、「全く関係のないことを関係あるかのように語る」という場合がよくあります。 それは暑さや疲れなどで頭が回っていないという場合もありますが、人によっては原因は別にあって、何とか現状の不快感を解消したいと思いつつ、それがうまくまとまらず意味不明のことを口走ってしまっ

» 何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふやの続きを読む


陽世の人にあらず

今年に入ってから爆読みしたもののひとつに楳図かずお氏の恐怖マンガがあります。 楳図かずお氏にはあまり馴染みがなかったのですが、「なるべくたくさんの一流に触れる」ということで、一気にたくさん読んでみました。 基本的にグリム童話系のマンガはあまり好きではなく、特にひどく残虐であればそれでいいというような描写は好みではありません。 楳図かずお作品も「その延長にある中の一流のもの」かと思っていましたが、良い意味で予想外に素晴らしく洗練された作品となっていました(とりわけ「イアラ」の「わび」は良い鍛錬となるでしょう)。 「こ

» 陽世の人にあらずの続きを読む


歇息ませ給へ

笑ゥせぇるすまんの頼母さんのストーリーは、至るところで頼られ続け休めない男の心境が色濃く反映されています。初めて読んだときには「笑えないなぁ」と思ったりもしてしまいました。しかしながら自分が勤め人で、昼休みに飯屋でふとこの頼母さんの話を読んだとすれば、どこかしら心が軽くなるんだろうなぁというようなことを思ったりもしました。 ― 頼られるということは一種の強さの証でもあり、自尊心に関わるようなことなので通常は喜ぶようなことになりそうなものですが、よほどの力量でない限り、会う人会う人に頼られすぎると「いつどこで休めばよ

» 歇息ませ給への続きを読む


寤させまゐらせん

ふとしたショックや「手を抜いていいぞ系」の環境になったようなときなど、ふとした経緯から怠け癖がついてしまうことがあります。そうした時「元に戻したいなぁ」とは思いつつも意識の力ではなかなか元に戻せなかったりします。 そんな時は、「あまり関係なさそうではあるものの何となくプラスになりそうなこと」や「いずれいつかはやることになるだろう」というような事を「あまり負担のかからない範囲でちらほらやってみる」というのがよく効きます。 停滞している状態に風穴を通す それは実際に事を起こすということでなくとも、ぼんやり思っていること

» 寤させまゐらせんの続きを読む


若き男は却物怯して

普段組織のトップに立つような人でも、あまり慣れていないことに対しては臆病になってしまうものです。 知人の話ですが、メディア出演する際に本番5分前まで40分間ほどトイレに立て籠もってしまったという事がありました。 やはり舞台慣れとでも言うべきか、何かしら不特定要素のある多数の人前に出るということに関しては、ある程度の慣れが必要になるのかもしれません。そのような話を聞いた時、「我が事としてはバンド活動を含め様々な経験をしておいて良かった」と思ったりもしました。 ― そのような場に出るにあたっては、元々図太い性格をしてい

» 若き男は却物怯しての続きを読む


其の人を見てあわただしからんは、思はんことの恥かしとて

お客が来たときにだけ営業スマイルをしていればいいというようなタイプの人もいますが、そんな瞬間的な切り替わりをお客の側は敏感に察知していたりします。 もちろん雑で鈍感な人は気付かないということはあるでしょうが、平均以上の繊細さがあれば概ねそうした表と裏を瞬時に感覚で察知してしまうはずです。 「表裏がないようにとは思いつつも、仕事は面白くないもの、つまらないものであり、いつでも笑顔でいるということはできない」 というのもわかりますが、やはり相手は若干の慌ただしい感じを見抜き、そんな表裏がある感じを見抜いてしまいます。

» 其の人を見てあわただしからんは、思はんことの恥かしとての続きを読む


大丈夫は義を重しとす

「義」というものは、統制のためにMr.脳筋の思想が取り入れられたものである部分が多少なりとあります。しかしながら、そうした思想的なものがなくても、義を重んじるというところは大丈夫としてのあり方としてある程度自然に成り立っているフシがあります。 そうした義について、それを崩してしまうものの代表例としては、概ねムラムラによる錯乱と「女の入れ知恵」です。 男同士の友情において「友情が崩れてしまう」という局面において垣間見れるもの、それはたいていそうした「ムラムラによる錯乱と入れ知恵」です。 義崩れるところに弱体化あり 義

» 大丈夫は義を重しとすの続きを読む


をさなき心を肯け給はんや

中学校に上がる時、他の小学校からやってきたメンバーなどおらず、自分がいた小学校のメンバーだけのまま中学生になっていたらきっと「自作すごろく」のメンバーたちと一緒にシミュレーションゲームなどを開発していたんだろうなぁと思うことがあります(眠る感覚との再会)。 そこには人と人との仲を保ち、膨らませる共同創造の要素があるからです。 ― 僕の友人の一人に、婚姻直前で婚約破棄ということが数回、その後見合いなどをするも数ヶ月で破綻ということを繰り返していた人がいます。 また、「実質上破綻している夫婦の方が円満な夫婦を遥かに凌ぐ

» をさなき心を肯け給はんやの続きを読む


問ひわきまふる心愚かならず

質問の仕方によって、その人が何を考え奥にどんな目的を持っているのか、ということや知能の程度がわかったりします。 抽象的な質問の仕方では返答する相手が対象の特定に困ってしまう、ということで、抽象的過ぎる質問は避けるべきであるということもありますが、あえて抽象的な質問をすることによって、無意識に潜む想念を表出化させるということもあるので一律には論じえません。 ただ、抽象的な質問をしておきながら、対象を特定するため、つまり具体化のためにこちらから質問をすると「質問に質問で答えるな」と言い返してくるような人がいたりもするの

» 問ひわきまふる心愚かならずの続きを読む


思ひがけずも師を労はしむるは

細かいところまで考えれば「意図せずとも不測の事態が起こる可能性はどこかしらにある」という理からは免れることができません。 どれだけ対策し、予防していたとしても、やはりたくさんの要素において不確定要素があるため不測の事態が起こりうるという感じになっています。 完璧や成功というものは何かしらの基準に基づく判断であり、基準のあり方によって「完璧である」とか「成功した」という感想が異なってきます。 というような構造がある中 「うっかりしてたなあ」 というような事態が起こった時に、「総合的な面でどういう状況を生み出すのか?」

» 思ひがけずも師を労はしむるはの続きを読む


外勇にして内怯えたる愚将

普通に考えると、横暴な人が社会でうまくいくはずがないということになりますが、ブラック企業が完全には根絶されていないということにより示されるように、経済的な成功のようなものは、その人の人格とはイコールではないという格好になっています。 希望的観測で言うと「いつかは失墜する」ということになりますが、うまい具合に任期中は失墜せずにリタイアするという可能性も大いにありますし、だいたいその企業の内側にいる人はマインドコントロール下にあるので、革命のようなことも起こりにくいという感じになっています。 人の意識の性質として、急迫

» 外勇にして内怯えたる愚将の続きを読む


愛憐の厚きに泪を流して

そういえば昔漢字のテストで、あしたのジョーの「泪橋」につられる形で「涙」を「泪」と書き、丸をもらいつつも先生に呼び出されたことがあります。 さて、普段それほど問題がないと考えられる「憐れみ」ですが、もちろん副作用として相手に憐れみ乞いの癖がついてしまうということが起こったりします。 そして一方で、手をかけた側には、ほんのりとした喜びのようなものが生まれるため、相互依存を生み出しやすくなるという面もあります。 これが自分のことを自分でこなす人よりも甘え上手のほうが好かれ、実際に自分の分を自分でやる人よりも、頼んでやっ

» 愛憐の厚きに泪を流しての続きを読む