タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

緊張時や不眠時の精神統一

緊張時や不眠時の精神統一について軽く触れていきましょう。 緊張しているときや眠れない時は、落ち着こうと思ってもなかなか落ち着くことができません。 また無駄な思考や妄想がループしたりして無駄に疲れてしまうという時もあります。 そうした時に「思考によって思考を制する」ということはなかなかできません。 なので、手綱を取るように暴れる思考を制する実践的方法を軽めに少しだけご紹介します。 意識の散らかり 落ち着きの対極にあるものは、混乱や妄想といったものになります。そうした物を含め思考の活動は、刺激に対して反応するということ

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占いを信じる人たちの責任転嫁の心理

占いを信じる人たちの責任転嫁の心理ということで、占いに依存し、占い師の発言によって人生を導かれてしまう人たちの意識の構造について触れていきます。 占い師によるマインドコントロールや洗脳という事例に関する報道も一度や二度ではありません、そんな中でも未だにこうした占いへの依存が後を絶えません。こうしたものは、全面的に否定するというよりも、その本質的な依存の原因を探り、そして某かの有用性のようなもの、つまり機能を捉えて心理的な構造を見抜いた方が懸命です。 「それは古代から続いていて、いつの時代も占いの方に頼ろうとしてしま

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凛として淡々とした平常心

まあ社会的な騒ぎで微妙に狼狽えてしまっている人も多いと思いますが、僕はいつも通りの平常心のままだったりします。 本当に必要なニュースは嫌でも誰かが伝えてくれたりもしますし、社会的な不安ベースの情報は「見ても仕方がない」ということを十代の時に思ったので、特にニュースも見ていません(自宅にはテレビ自体もないですからね)。 どのような社会問題も、今一度普通に冷静に考えてみると「あまり関係がない」ということを思ったりはしないでしょうか。 「当事者とするならば」ということを思って、感情の動きや思考の動きを想定するという「能力

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情報が内部循環することによる疲弊

情報の一方的な垂れ流しというのも煽動される要因となるので問題がありますが、「見たいものを見る」という形でパーソナライズされた情報というものもまた、偏見を加速させ、同時に「情報が内部循環していくことによる疲弊」をもたらしていくものでもあります。 それは個人レベルでも疲弊をもたらしますが、そうした「人」で構成される社会全体も疲弊させていくものでもあります。 ある程度自分には適しているという感じで特段強いストレスはありませんが、同じような情報ばかりになるので「面白くない」という感じになっています。 新しい世界を発見するた

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指導や監督のパラドクス

どのような職場であれ大体は部下や後輩に対する指導や監督が裏目に出る「指導や監督のパラドクス」が起こったりします。 これは業務をうまく進めていくための指導や監督が逆に業務の遂行に支障をきたしてしまうというような現象です。 その要因としては、それぞれプライドを保ちたい複数の上司の指導による混乱や、サボりや失敗を防ぐための指導と監督がやる気を削ぐ以上に「行動に制限をかける」というような構造が考えられます。 表面上は部下や後輩のスキルやモチベーションを高めるための業務を指導ということになっていますが、その実、下手をすれば成

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調子が悪い時は静観して時を待つ

何かしら調子が悪かったり、ツキに見放されているように感じる時、まずやることはこころを落ち着かせることです。 そして流れを静観して、時を待つというのが理想的であり、無理な時に無理をすると、当然に理に適っていないのでより一層物事がぐちゃぐちゃになっていきます。 ― 特にここ最近は、季節的なものを含めてマクロ的な流れが意識に影響を及ぼすということが顕著になってきたように感じます。 そういえば最近のことになりますが、本ブログを通じてのご連絡に関してもタイミングがほぼ同時ということもあったりしました。それぞれの方々は、それぞ

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ジグソーパズルで高まる集中

ジグソーパズルで高まる集中力

先日から、ちらほらとジグソーパズルを楽しんでいます。 20歳過ぎくらいの時はよくジグソーパズルを楽しんでいましたが、かなりのブランクを経てまた楽しむことになりました。 きっかけは、水木しげるロードにて自宅用土産にとゲゲゲの鬼太郎ジグソーパズルを購入したことでした。しかし、300ピースのため、すぐに終わってしまいました。なので「次は1000ピースだ」ということで、リサとガスパールの1000ピースにチャレンジしています。 20歳ごろにジグソーパズルを始めたときのきっかけは、単純にビル・ゲイツ氏が「ジグソーパズルは楽しい

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確率に潜む日和見

個人レベルの意識であれ、その集合である社会の流れであれ、決定論的な理も働く中、その実、確率による因果が働いています。 以前にも少し触れましたが、大腸菌のバランスのように善玉菌と悪玉菌と日和見菌かのごとく、ある流れとそれを否定する流れが常に争いの状態となっており、7割程度は中性で、残りの3割の枠を善と悪のような両極端が争いを起こしているという感じになっています。 残りの3割の枠に対して2対1になるのか、1対2になるのか、はたまた均衡状態にあるのかによって因果の確率の中で、決定としての現象が異なってくるというような感じ

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湿っぽい虚しさに身をまかせながら

湿っぽい虚しさに身をまかせながら、感情に浸っていると、体の方にも部分的に痛みが走り、そして感情と共に消えていったりします。 「虚しさも、どうせならば楽しんでしまえ」という感じで取り扱ってみると、「案外楽しいかもしれない」と思えてきたりします。 もはや虚しさといえば、移り行く人の意識くらいなもので、それすらも諸行無常として捉えれば憂いすらありません。 考えてみれば、例えば両親であっても、小学生の時の自分と両親の関係、中学生の時の自分と両親の関係、といった感じで、常に一定ではなく、自分も相手も環境もそれぞれ各々が変化し

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白っぽい、頼り切った微笑

白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日、検査を受けた時の自分も鎮静剤の影響で「ふわ~」っとしながら、そのような「白っぽい、頼り切った微笑」を浮かべていたような気がします。 そんな感じで頼り切った感じで思わず微笑むことがあり

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扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれませんが、「実際はもっと小さい」というところがポイントであり、一種の虚勢というような面もあります。 インドクジャクくんは「扇子のように折りたたみ可能な印象」そのものですね。 情報の空間における大きさ 身体的な大

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気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、完全にありのままを包括した世界とイコールであると考えることはできません。 見えた

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選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。 何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味わってしまうと、自分の中の可能性が広がってしまい逆に選択のストレスを味わってしま

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 笑うことが減った要因 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにいること」が不審者の挙動に見える その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホーム

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一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があり、視野が狭まっているということが裏側で起こっていたりします。 本当に「欲しいもの」や「やりたいこと」と出会った時は、消去法という発想が出てきません。一見理に適っていそうな「消去法」は、やはりその裏に「本意ではない感じ」が潜んでいます。 消去法的な発想がもたらす義務

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一種の崩壊感

崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、想像と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じにはなりますが、やじろべえのようにある程度両端が伸びている方が安定したりもします。 両極端の「伸び」による安定 ということで、ある程度両極端を経験していたりしつつ、そのどちらにも傾かない

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自信がなさそうな膝の角度

意識の状態は顔や声を筆頭に身体に表れますが、ひとまずは「高い」とか「上の方」と言ったように、意識が上方に向かっている時は緊張状態であり、下の方にあればリラックスしているという感じで見分けることができます。 緊張することを「あがる」と言ったり、リラックスすることを「落ち着く」と表現したりという感じで、日本語の表現の中にもそれを意味するようなものがたくさんあります。 膝自体は曲がっていて、頭頂部の位置としては下の方であっても、そうした自信のなさそうな感じの時は、必ず意識は上の方に行っています。 呼吸にしても同様で、肺の

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食べさせる相手がいなくなった料理人

食べさせる相手がいなくなった料理人、聞き手のいなくなった演奏者、…目的をなくした者、能力に意味を与えられない者… 想像するだけでも虚しくなります。 人々に振り回されたりして心身ともに疲労がたまり、嫌気が差してきた時は、仕事が嫌になったりしますが、全く仕事とが無いこともまた、苦痛をもたらしたりします。 一人もお客が来ない店のように、座っていても一本の問い合わせも来ない事務所のように、閑古鳥が鳴いている状態というものは、暇疲れを超えて自己の存在意義すら問われるというような苦痛がやってきます。 無くしてから気づくありがた

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見解は最初から一致していた

数年前のことですが、某業界の国内での第一人者的な方と共同で仕事をやりかけたことがあります。 「やりかけた」ということで実際には実施しておらず、結局は依頼主が「ロクでも無い系」だったので、準備段階で頓挫したという感じになりました。 ただ、その人と語り合う中でも、やはり「見解は最初から一致していた」という感じで、ある種分かり合う者同士は喧嘩にならないということを実感しました。 「敵視」から「共に辞退」へ 最初は、出し惜しみをする僕のことを若干敵対視されていた感がありましたが、依頼主がロクでも無い系なので出し惜しみをして

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遭難の悲愴感

本格的な遭難を経験したことはありませんが、「まだ実りそうな希望」と「チャンスが失われた中の希望」というものは若干異なり、「広い荒野にぽつんといるような感じ」が、遭難の悲愴感を示すのに最もふさわしいような気がします。 以前、「企画した人の地図のマークのミス」により想定外の山中をうろつくというような軽い遭難について触れたことがありました(すばらしい日々)。その時に後輩が不安から泣きだしたりということもありましたが、「必ずなんとかなる」という希望が揺るぎなくあったので、肉体的な辛さはありましたが、一種の勇気も奮闘も意味の

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なにやらいかがわしい憶測

新入社員研修の時、ある男性講師の方が「疑わしい」という文言について「うたがわしい、ですよ。いかがわしい、じゃないですよ」と強調されていました。 きっとその方としては、いわゆる鉄板ということだったのでしょうが、さほどウケることはなく、聴衆たちには流されていました。 その後、「パワーで押し切る」ということを意図されたのかはわかりませんが、再度「うたがわしい」を強調されていました。リベンジということなのかはわかりませんが、やはり聴衆との間には微妙なズレがあり、変な空気が流れていました。 如何わしい行為というフレーズが、そ

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質問する手順

意見を述べるという時だけでなく、質問をするということに関しても、最終的にどういったことを伝えたいのかがはっきりしていれば、その手順が見えてきます。 初めて会う人に対して「何を話したらいいのかわからない」というようなことがありますが、結局は、何をどう落ち着けたいのかということが決まっていないからこそ混乱が起こるのだと思います。 営業活動など仕事であれば最終的には買ってもらうことというような明確なゴールのようなものがあるので、質問にしても何にしても、そうした目的、目標に沿うような話になっていきます。 目的の為の布石 親

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質の悪い臭いをかくすための偽装

詐欺師や洗脳集団ほど、相手の懐に入り込むのに「使えるものは何でも使う」という感じで、高級品で装ったり、「いい人認定がされるようなこと」を演技したりします。 それほど世間は見た目と仕草で判断しているということになりますが、「いい人認定がされるようなこと」が効いてしまう背景には、いかにそれが珍しいかというような要素も少なからず含まれているはずです。 こう言っては何ですが、僕は「女性の涙」を筆頭に感情的な訴えには屈したことがありません。そう考えると冷徹な方に入るのでしょう。 「それだけ感情的になるということはよほどのこと

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先を争うようにして駈けて行く

「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め人は企業の奴隷であるというようなことは、ある方面から見れば正しくても、そうした企業のチームの中でないとできないことがあったり、それを独立してやるには効率が悪いという感じになっていたりし

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