タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

ジグソーパズルで高まる集中力

先日から、ちらほらとジグソーパズルを楽しんでいます。 20歳過ぎくらいの時はよくジグソーパズルを楽しんでいましたが、かなりのブランクを経てまた楽しむことになりました。 きっかけは、水木しげるロードにて自宅用土産にとゲゲゲの鬼太郎ジグソーパズルを購入したことでした。しかし、300ピースのため、すぐに終わってしまいました。なので「次は1000ピースだ」ということで、リサとガスパールの1000ピースにチャレンジしています。 20歳ごろにジグソーパズルを始めたときのきっかけは、単純にビル・ゲイツ氏が「ジグソーパズルは楽しい

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確率に潜む日和見

個人レベルの意識であれ、その集合である社会の流れであれ、決定論的な理も働く中、その実、確率による因果が働いています。 以前にも少し触れましたが、大腸菌のバランスのように善玉菌と悪玉菌と日和見菌かのごとく、ある流れとそれを否定する流れが常に争いの状態となっており、7割程度は中性で、残りの3割の枠を善と悪のような両極端が争いを起こしているという感じになっています。 残りの3割の枠に対して2対1になるのか、1対2になるのか、はたまた均衡状態にあるのかによって因果の確率の中で、決定としての現象が異なってくるというような感じ

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湿っぽい虚しさに身をまかせながら

湿っぽい虚しさに身をまかせながら、感情に浸っていると、体の方にも部分的に痛みが走り、そして感情と共に消えていったりします。 「虚しさも、どうせならば楽しんでしまえ」という感じで取り扱ってみると、「案外楽しいかもしれない」と思えてきたりします。 もはや虚しさといえば、移り行く人の意識くらいなもので、それすらも諸行無常として捉えれば憂いすらありません。 考えてみれば、例えば両親であっても、小学生の時の自分と両親の関係、中学生の時の自分と両親の関係、といった感じで、常に一定ではなく、自分も相手も環境もそれぞれ各々が変化し

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白っぽい、頼り切った微笑

白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日、検査を受けた時の自分も鎮静剤の影響で「ふわ~」っとしながら、そのような「白っぽい、頼り切った微笑」を浮かべていたような気がします。 そんな感じで頼り切った感じで思わず微笑むことがあり

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扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれませんが、「実際はもっと小さい」というところがポイントであり、一種の虚勢というような面もあります。 インドクジャクくんは「扇子のように折りたたみ可能な印象」そのものですね。 情報の空間における大きさ 身体的な大

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気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、完全にありのままを包括した世界とイコールであると考えることはできません。 見えた

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選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。 何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味わってしまうと、自分の中の可能性が広がってしまい逆に選択のストレスを味わってしま

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまでは行きませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観視などから抑圧が減った

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにいること」が不審者の挙動に見える その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホーム

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一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があり、視野が狭まっているということが裏側で起こっていたりします。 本当に「欲しいもの」や「やりたいこと」と出会った時は、消去法という発想が出てきません。一見理に適っていそうな「消去法」は、やはりその裏に「本意ではない感じ」が潜んでいます。 消去法的な発想がもたらす義務

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一種の崩壊感

崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、想像と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じにはなりますが、やじろべえのようにある程度両端が伸びている方が安定したりもします。 両極端の「伸び」による安定 ということで、ある程度両極端を経験していたりしつつ、そのどちらにも傾かない

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自信がなさそうな膝の角度

意識の状態は顔や声を筆頭に身体に表れますが、ひとまずは「高い」とか「上の方」と言ったように、意識が上方に向かっている時は緊張状態であり、下の方にあればリラックスしているという感じで見分けることができます。 緊張することを「あがる」と言ったり、リラックスすることを「落ち着く」と表現したりという感じで、日本語の表現の中にもそれを意味するようなものがたくさんあります。 膝自体は曲がっていて、頭頂部の位置としては下の方であっても、そうした自信のなさそうな感じの時は、必ず意識は上の方に行っています。 呼吸にしても同様で、肺の

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食べさせる相手がいなくなった料理人

食べさせる相手がいなくなった料理人、聞き手のいなくなった演奏者、…目的をなくした者、能力に意味を与えられない者… 想像するだけでも虚しくなります。 人々に振り回されたりして心身ともに疲労がたまり、嫌気が差してきた時は、仕事が嫌になったりしますが、全く仕事とが無いこともまた、苦痛をもたらしたりします。 一人もお客が来ない店のように、座っていても一本の問い合わせも来ない事務所のように、閑古鳥が鳴いている状態というものは、暇疲れを超えて自己の存在意義すら問われるというような苦痛がやってきます。 無くしてから気づくありがた

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見解は最初から一致していた

数年前のことですが、某業界の国内での第一人者的な方と共同で仕事をやりかけたことがあります。 「やりかけた」ということで実際には実施しておらず、結局は依頼主が「ロクでも無い系」だったので、準備段階で頓挫したという感じになりました。 ただ、その人と語り合う中でも、やはり「見解は最初から一致していた」という感じで、ある種分かり合う者同士は喧嘩にならないということを実感しました。 「敵視」から「共に辞退」へ 最初は、出し惜しみをする僕のことを若干敵対視されていた感がありましたが、依頼主がロクでも無い系なので出し惜しみをして

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遭難の悲愴感

本格的な遭難を経験したことはありませんが、「まだ実りそうな希望」と「チャンスが失われた中の希望」というものは若干異なり、「広い荒野にぽつんといるような感じ」が、遭難の悲愴感を示すのに最もふさわしいような気がします。 以前、「企画した人の地図のマークのミス」により想定外の山中をうろつくというような軽い遭難について触れたことがありました(すばらしい日々)。その時に後輩が不安から泣きだしたりということもありましたが、「必ずなんとかなる」という希望が揺るぎなくあったので、肉体的な辛さはありましたが、一種の勇気も奮闘も意味の

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なにやらいかがわしい憶測

新入社員研修の時、ある男性講師の方が「疑わしい」という文言について「うたがわしい、ですよ。いかがわしい、じゃないですよ」と強調されていました。 きっとその方としては、いわゆる鉄板ということだったのでしょうが、さほどウケることはなく、聴衆たちには流されていました。 その後、「パワーで押し切る」ということを意図されたのかはわかりませんが、再度「うたがわしい」を強調されていました。リベンジということなのかはわかりませんが、やはり聴衆との間には微妙なズレがあり、変な空気が流れていました。 如何わしい行為というフレーズが、そ

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質問する手順

意見を述べるという時だけでなく、質問をするということに関しても、最終的にどういったことを伝えたいのかがはっきりしていれば、その手順が見えてきます。 初めて会う人に対して「何を話したらいいのかわからない」というようなことがありますが、結局は、何をどう落ち着けたいのかということが決まっていないからこそ混乱が起こるのだと思います。 営業活動など仕事であれば最終的には買ってもらうことというような明確なゴールのようなものがあるので、質問にしても何にしても、そうした目的、目標に沿うような話になっていきます。 目的の為の布石 親

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質の悪い臭いをかくすための偽装

詐欺師や洗脳集団ほど、相手の懐に入り込むのに「使えるものは何でも使う」という感じで、高級品で装ったり、「いい人認定がされるようなこと」を演技したりします。 それほど世間は見た目と仕草で判断しているということになりますが、「いい人認定がされるようなこと」が効いてしまう背景には、いかにそれが珍しいかというような要素も少なからず含まれているはずです。 こう言っては何ですが、僕は「女性の涙」を筆頭に感情的な訴えには屈したことがありません。そう考えると冷徹な方に入るのでしょう。 「それだけ感情的になるということはよほどのこと

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先を争うようにして駈けて行く

「争いの先、突っ走った先に何もなかったらどうするのか?」ということが見えないまま、モテをこじらせたように「一生懸命がカッコいい」という感じで奮闘している人たちがいます。 それはそれで個人的志向でやってもらう分にはいいのですが、他人を巻き込んだり、はたまた自分たち以外の人を愚弄したりするということになることがあるので困りものです。 勤め人は企業の奴隷であるというようなことは、ある方面から見れば正しくても、そうした企業のチームの中でないとできないことがあったり、それを独立してやるには効率が悪いという感じになっていたりし

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体験の非日常性

非日常的な体験をすると、意識がカーッとなり、平常時では考えられないような意志決定をしてしまうことがあります。 それが「人から仕掛けれたこと」ならば注意が必要になりますが、そうした一種の狂気、一種の強い変性意識がないと事を成し得ないという場合もありますし、そうして起こった現象がすべてダメなものかといえば、そうでもありません。 合理性から考えれば非合理な男女の仲 合理性から考えれば非合理な男女の仲においても、一種の非日常があるからこそカーッとなり、論理性、合理性を超えて、非合理な方を選んでしまうということが起こります。

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休憩時間が過ぎれば、いずれまた幕が上る

絶望の淵に立った時、あえて絶望を楽しんでみてはいかがでしょうか。 やることがなくて虚無感に苛まれた時、虚無感を楽しむ時間としてそれを楽しんでみるというのも一つの手ではあります。 またいずれうつテーマにでも書こうと思いますが、感情は抑えずに味わい切ったほうがうまくいきます。 ただ、絶望感なり虚無感なりに苛まれた時は、具体的行動として人や物に八つ当たりしてパワー的に解放しようとしたり、具体的解決策にいきなり奔走しようとはしないほうが賢明です。 そうした行動ではなく、情動、わかりにくければ今感じている絶望「感」、虚無「感

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じろりと白眼をむいて

意図的にじろりと白眼をむいている様まだしも、日常的に白眼をむいている様は、精神に狂いがあるというか洗脳されている人という感じがします。 比較的最近のことになりますが、経営者会合において「持続可能な云々」の絡みで、外国の十代の人が表立ってスピーチしている動画を観たことがありました。 目がイッています。 ああいうタイプの人は、だいたい誰かにマインドコントロールされているという感じがするのでまともに相手にしてはいけませんし、発していた発言も憲法前文のような譫言感があったので、動画を観ていた社長仲間、士業の方々は、一同「ス

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気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ

「気に入らない貰い物は、そのまま突き返してやるのが一番だ」ということで貰い物です。 人から物を貰うということにあたっては、基本的にはありがたく頂戴したりしますが、そんな中でも一応昔から「嫌いな人からは飴の一つも貰わない」ということを基本にしています。 ということで、物を貰うということについて一元化しているわけではありません。悪意を含めて相手の思いを受け取るのか否か、というところをどう取り扱うのかによって、精神の負担が変わってくるからです。 一応「律儀に反応するかどうか」というところは一種の配慮、マナーとしてきちんと

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顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい

何かしらの犯罪に関しては、「顔見知りの犯行ほど残虐性もひどい」というのが常であり、赤の他人に対するものであれば、実利だけが目的とされるものの、顔見知りに対するものであれば怨恨というものが含まれるからということになるでしょう。 実利の部分が金品なのか、愉快犯における愉快さなどの無形のものなのかはわかりませんが、赤の他人を標的にしたものであれば、そうしたものを獲得することが目的であり、なるべく無駄なことをせずにリスクを低減したいということは当然という感じです。 というのが基本でしたが、僕たちが中学生くらいのときから「変

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ゴミは砕かれた人間の伝説なのかもしれない

笑う月によると、「ゴミ捨て場から聞こえてくる悲鳴」は、咀嚼されはじめた有用性の叫びであり、「まだ自分がゴミそのものではないという自覚、もしくは幻想」が、かろうじて日常を支えてくれているシャボン玉の皮なのだ、というような感じで描かれていたりします。 咀嚼されはじめた有用性の叫び 「自分はまだ有用性を失ったゴミそのものではない」という叫びは、至るところで見受けられたりします。自尊心の補償というものの一種ではありますが、「まだまだいけるぞ」というような、「老いへの抗い」のような感のほうが強く印象付きます。 老苦の範疇に入

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