タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

執著の抑制というよりも解放

見渡してみるとたくさんの物が周りにあります。 空観的な見方をすると「世界には自分しかいない」というようなことも成り立つ中、それらの物の属性を考えてみると、全てが「お役に立てれば幸いです」ということでその場にいると言うような感じになっています。 「もうお役には立てません」 しかしながら役割を終えたとでも言うべきか「もうお役には立てません」という状況にあるものもあります。 例えば若い時に入社して、その後ご高齢になったスタッフの方がいたとしましょう。その方に対して、ボロボロの御老体に鞭を打ったり、また、役割がないのにその

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お互いに素直であれば仕事は驚くほどうまくいく

何だかんだで会社を創業してから結構な月日が流れました。それで今までに取引した中でうまくいっている人を観察していると共通点として「素直さ」が際立つ感じがします。 お互いに素直であればいろいろな仕事は驚くほどうまくいきます。 まあ確かに世の中には悪徳業者もいて、そうでなくても騙し要素が含まれているという面も多々ありますが、「1ミリも損したくない」と血眼になってアラ探しをしたり、駄々をこねてたくさん業務をやらせようとしてみたりするより、結局投資で言う「成り行き」のような感じで気楽にやった方がうまくいきます。 素直さがない

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大いなる自己肯定

厳密には「大いなる自己肯定」の肯定の対象は自己ではないのですが、それ以外に近い言葉がないので致し方なく自己と表記した上で、大いなる自己肯定について触れていきます。 端的には「~から」という理由づけのない、根拠のない自己肯定のようなものです。 自己中心的な視点からのスタートし、より全体へと視点が広がり、また逆流し、最終的には自己に収束していくような「意識や精神レベルの変遷」と「自己肯定感というようなものとはまた違った大いなる自己肯定」について触れていきます。 ― 「名とすべて」「虚しさの先にある安穏」の時と同様に雑記

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求めに応じることで起こる情報枯れ

あまりに人や世間に合わせて求めに応じてしまうと枯れてしまうことがあります。とりわけインターネット空間では、カラカラの土に水分を取られるように、細かい情報が生まれてはすぐに空間に吸収されていってしまうというような構造になっています。 少し生まれてはすぐに吸収されてしまうので追いつかず、結局どこかから引っ張ってきて洗練することもないまま吐き出すというようなことになっていきます。いいところ「どこぞの論文内容を引っ張ってきて説明する」というようなものに落ち着きやすいというのがわかりやすいかもしれません。 編集ばかりで新しい

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支払いの痛みと効用の逓減

普段特にキャッシュレス的なものは利用せず、できる限りの現金利用を続けています。 20歳前後の時は「カード類を持たなかった」とか、「使い方があまりよくわからなかったから」という理由で、使えても通販で本を買う時くらいしか利用はしなかったという感じですが、その後は意図的に「なるべく現金」という姿勢をずっと続けています。 その理由は単純で、一種の視覚化と「支払いの痛み」をしっかりと観るということが、トータルでは最も合理的であるというようなことを思っているからです。 「同じ支払いであればポイントのつくカードや電子マネーの方が

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評価と感動

世間では「世間的に評価されているものをある程度評価するように」というような圧力があったりします。 しかしながら、特に気に入らないものについてはそれが世間でどれだけ評価されていようと気に留める必要はありません。 そして気に入らないものについて意識の焦点を当てる必要はないという感じになっています。 ということなので、世の中的に注目を浴びているようなことでも、自分としては関心のないことであるのならば、最初から見ず聞かず、話題にもついていかないというのが一番です。 そんなことに意識を奪われていないで、自分が感動したものだけ

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何となく嫌な仕事への対応

最近、仕事をボツにする機会が多くなってきました。 ボツになったというより、何となく嫌なのでボツにしたというようが近いような感じです。 何となく嫌だからということで案件をボツにするという事自体はありがたい環境であると思いますが、よほどの窮地でない限り、基本的にこの姿勢は以前から変わっていません。 ただ少し違うのは、以前であれば多少面白くなさそうなものでもその中から面白さを見出そうとか、楽しくできるにはどうすれば良いかとか、自分ひとりで勝手に落語的に面白がってみるといった感じで取り扱っていましたが、最近では、もうあまり

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重圧の転嫁

罪と罰のラスコーリニコフのように、一種の重圧の転嫁が起こることがよくあります。そんな20歳前後の時の男性の心理状況を扱った作品は、小説や楽曲にも多くあります。 特に近代化してからが多いですが、それ以前の作品にもちらほら垣間見れるそれは、時に特定の思想を持ったものや自己顕示欲を満たすことを目的とした人に利用され、時に脳筋体育会系の優越感に利用されたりもします。 しかし転嫁も間違いですが、そうした人たちが指し示す社会への従順も本質的ではありません。そして転嫁的な意図だけが全てというわけではない哲学的領域の問いもあります

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ワクワクなき物の購入に伴う苦痛

会計年度末や補助金利用などの際に無理にお金を使うことがあります。使うというよりも節税であったり使った金額分のうち大半が返ってくるからという理由で購入するような感じです。 昔からあまり物欲はないため、 「この金額分何かに使ってください」 と言われても結局、絶対に消費するであろう消耗品を買っておいたり、古くなったものを買い換えたり、身近な人にあげるものを購入したりといったことばかりになりました。 一応新しいものが手元にやって来るということになりますが、そこには特にワクワクがありません。 「やりたいからやった」というより

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課題を少し寝かして近似解を得る

課題を少し寝かして近似解を得るというようなものについて触れていきましょう。 あまりに対象に意識が向きすぎていると、頑張っているようで実は効率が悪いということがあります。 傍から見ると「頑張っているなぁ」と思われるかもしれないものの、それは外からの印象であって、本質的にそうした頑張りが解決に適しているかどうかは別問題であるという場合があります。 逆にサボっているように見えてその方が効率が良いという場合もよくあります。 そうした「最適な感じ」を阻害してしまうのが、時間単位の考え方と体育会系の空気感です。 ― そういえば

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偶然への気付きと必要なき裏付け

生きている中で起こる全ての出来事には偶然の要素が含まれています。この偶然とは思考の範囲外、自我による想定や判断の範囲外という意味くらいに考えていただければ良いでしょう。 自分が努力したからとか、努力しなかったからとか、才能があるとかないとかいった印象はアイツこと自我の判断であり、すべての要素を分解すると偶然要素がふんだんに含まれていることに気付きます。 また、願いのようなものが叶っているかいないかという点について、「特定の何か」に限定して「考えて」みると、叶っていないような気にもなりますが、抽象的な幸せに関しては、

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今すぐにはどうにもできないことへの評価

世の中には、外見や身分のようなものを判断材料にしている人がそこそこいます。その方が手っ取り早いということなのか、一種の恐怖心から「あちら側、こちら側」という壁を作るような感じで、時に拒絶し、時に許容します。 しかしながら、とりわけ身分的なものとして「今すぐにはどうにもできないこと」がたくさんありますし、直近の状況だけでその人の一生、全人格を評価することはできません。 そして「だったらどうなんだ?」としか思えないようなことを評価対象にしていたりします。その奥には「そうならば自分は経験済みでその全体像がわかるが、そうで

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「大人になったらわかる」というような言葉

世の中では、事あるごとに「大人になったらわかる」というような言葉を使う人がいたりします。たいてい脳筋体育会系に多いですが、世のほとんど全てのことは「ならなくてもわかる」というのが本当のところです。 この「大人になったらわかる」といったタイプのセリフは「一人暮らしをしたらわかる」とか「社会人になったらわかる」「部下を持てばわかる」とか「親になったらわかる」「子を持てばわかる」といったようなものになります。まあ一種の先輩ヅラというか先人ヅラというか、といった感じですが、「先輩を敬え」的な脳筋体育会系の儒教的な感覚がふん

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知足と空性と「充足への移動」

知足、「足るを知る」について触れていきます。その意味について至るところで様々な解釈がなされていますが、まあそれだけ抽象性があるということになるのでしょう。ただ一応ここでは、仮観の内にある俗物の解釈を超えて智慧により「足るを知る」を捉えていきます。 つぶやき程度ですが、知足について「吾唯足るを知る」というものは、吾唯足知・吾唯知足と書かれたりします。この表現は国産のものであると考えられるので、レ点の問題だけだと思っています。知足は、大乗の仏遺教経における「知足之者」や「老子」などで出てくるものですが、老子の「知足者富

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ゼロの錯覚

求めても得られない苦しみである求不得苦には様々な要因がありますが、「ゼロの錯覚」こそが求不得苦をもたらす最たるものであり、無駄な苦しみを生む要因の一つとなっています。大切なものとの別れからくる苦しみである愛別離苦についても同様です。 「ゼロ」は、数学的には偉大な発明であるものの、この心にとっては求不得苦や愛別離苦をもたらす要因でもあります。 不足感の正体はゼロを想起するというところにあります。 「ゼロ」という概念は数学的空間の中にだけあり、現実においては、記憶の連続性の中での記憶や想像とのギャップがあった時に想起さ

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意識を先に置いたり分散させること

車の運転と同じように、視点は遠い方が安定し、またたくさんの方向をちらほら確認している方が安全に歩んでいくことができます。 あまりに手前の方ばかり見すぎると、感情が大きく揺れ動いてしまい、まさに動揺してしまいやすくなります。 既に無意識的動作となっている運転動作と同様に、日常のすべてが「無意識的有能」以上の領域になると、憂いはどんどん減ってきます。ただ、リスクがすべて消えるわけではないということを踏まえての「憂いのない運転」のような感じになります。 日常の9割以上は、遠くに視点を置くだけで基本的な感情の動揺はなくなり

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共感性なき仮説検証への過剰な欲求

共感性なき仮説検証への過剰な欲求ということで、頭の焼けた理系の「なんとしてでもデータを集めたい」というゲーム中毒・ゲーム依存にも似た過剰な欲の有様についてでも触れていこうと思います。 近年、理系に限らず「共感性がないなぁ」と思うようなあり方はよく見受けられます。 例えば「お金のために働いたことは一度もない」というようなことを自慢気に言う人がいます。この場合、お金のために働かなくても良いような環境に育ったことをパスしており「それを読んだ環境の異なる人はどう思うか?」というところの共感性が欠落しているという感じがします

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失敗の回避と立ち直り

重要なのは失敗を回避するということよりも、失敗した時の立ち直りの方であり、一応「失敗してもいい」ということを思うにあたって、失敗しない前提を持たずに、本当に失敗したときのことに対してどう取り扱うのか、再度挑むならばどう挑むのかということを想定しておく方が良いと思っています。 失敗を回避するという感じは消極的です。一応様々な準備をしたり想定を巡らすという点では理に適っていますし積極性がありますが、意識の上では消極性を持ちやすいという特性を持っています。 ー 「失敗してもいい」という言葉をかけながら、失敗しないことを前

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休業日に増幅する焦燥

ふと薬局に行った時に「うむ。やはり漢字四文字で構成されたもので最も面白いのは『歯槽膿漏』やな」などと確認したりしているのですが、そんな自分を振り返ると「ああ今はすごく健全やなぁ」と思ってみたりします。 しかしながら先日、久しぶりに限界に来てキレてしまうというようなことが起こってしまいました。 理由は簡単で「休業日にもひっきりなしに連絡してくる人がいたから」です。 それが緊急事態ならばわかりますが、別に通常営業日に連絡しても良さそうな全く緊急性のないことを休業日に何度もメールや電話で連絡してこられたので思わず 「連絡

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詰まる言葉

直接のコミュニケーションの機会が分断されているということが影響しているのか、この夏くらいから今に至るまで、スムースに話が進まず何となく言葉に詰まるということがよく起こっているような気がします。 他愛のない会話という部分を含めた会話の機会が少なく、用件を話す程度の会話が多いということが影響しているのでしょう。 何かもう一つか2つ聞いておきたいのに、それを思い出せずに詰まってしまうというようなことが多いようなそんな感じがします。 物事の運びが悪い時、たいていは「意志決定がうまくいかない」ということが要因になっています。

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いつまでも子どもでいるために

いつまでも子どもでいるためになどと言うと、語弊を生みそうな感じがしてしまいますし、あくまで「いつまでも冒険野郎な37歳半くらいの人」が目指している「童心も忘れてないぜ系等々、そういう路線でモテよう」というものとは全く異なるため誤解は避けたいところです。 が、先日「劇画・オバQ」を再読したところ、思わず10回くらい読んでしまうことになったので「いつまでも子どもでいるために」という点について触れていきましょう。 「劇画・オバQ」の内容については特に触れませんが、ふと「そうか、僕は正ちゃんにならず、Q太郎でいるために大人

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咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん

明るく楽しく熱意を持ってやってくる人、というのは一見良さそうですが、一時的なブーム・興奮によってブーストされているだけなので、その興奮が沈下した時にすぐに去っていくという特性を持っていたりします。 生きていると興奮等々により「多少気が狂れていないとできない」というようなこともあります。それは起業やプロポーズというような大それたことでなくとも、例えば朝まで話し込むというような親和の形成などもそれにあたります。興奮して若干理性が外れているくらいでないと親友も彼女もできにくいという感じになっています。 なので、そうした現

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信義を重んじて態々ここに来る

「信義を重んじて態々(わざわざ)ここに来る」ということで、接待等々について触れていきましょう。 接待ゴルフという言葉は昔からありますが、全くいやいやというわけでなくとも、本当はそれほど乗り気でもないのに付き合いできているという人たちと遊んで本当に楽しいのか、と小学生の時から思っています。 まあ脳筋体育会系としては、部下や後輩を侍らせている、とか、自分の鶴の一声で、というところで自尊心を回復していたりするのでしょう。 仕事の利害を絡めないと誰も一緒に遊んでくれないということは、それだけ本人に魅力がないということになり

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骨肉の人

深いところで軽視され、また一方深いところで重要視されたりするのが骨肉の人といった印象があります。 深い部分で理解し合えず、また一方深い部分で理解し合えるというようなものでもあり、様々な聖典の部類に示されるように、敬意は示されにくいものという感じになっています。 だいたい自分がどうなろうと、何をしようと身内や地元の人達からは深い部分では敬意など持たれないということは、太古の昔から人間社会の常となっているようです。 敬意を持たれているとすればそれは大昔から持たれているというだけで、ある程度の年月が経って改めて敬意を持た

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第1900回投稿記念

これで1900記事目になります。ブログ創設から1900回目の投稿ということで「第1900回投稿記念」です。 前回の第1800回投稿記念は、2020年4月25日だったので、前回からの100記事は、5ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づきがありました。また単純に応援メッセージをいただいたりもよくしました。ありがたい限りです。 PC、タブレッ

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