カテゴリー別アーカイブ: 特別企画

特別企画

若し諱むべからずのことあらば

人生には様々なリスクがあります。そうしたものについて考えることは気を重くしたり暗くしたりするので見ないようにしているという人もいるかもしれませんが、何かしらのリスクが常にあるということを全く無視するということはできそうでなかなかできません。 世間の人達を見ると、実際にどうしようもなくなるリスクということは考えない割に、自分が恥をかいた

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ねがふは明かに答え給へかし

高校生くらいの時のことですが、何かのアニメの脇役のおじいさんが「答える義務はない」というセリフを言っていたのを観てからというもの「そうかぁ。答える義務はないのかぁ」と、ひとつの返答の形を学習してしまいました。 まあ義務と言っても究極的には何かしらの権利が欲しければ的な仮言命法的なものにしかすぎないので、権限の維持や相手からの好意等々を

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吾が学ぶ所

物事がわかる時はいずれにしても「なぜだかはわからないが急にわかった」という構造になっていたりします。 散々考えたりして少し間が空き、再度取り組んだ時に「見える!」という感じで「なぜだかはわからないが急にわかった」という感じになったりもしますし、現役で考えているときでも実際に「わかった!」となる直前までは理解できなかったということになる

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飢ゑて食を思はず、寒さに衣をわすれて

寝食を忘れるほどの集中力がある時はそれ以外のことに意識が向かない、つまり雑念が浮かばないので心地が良いものであったりします。 気力不足というものは実際に体に動かしたりして体力を消耗した時に起こるものではなく、どちらかというと意識的な情報が錯乱した時、意志決定やペース等々を振り回されたりした時、意識に上っているか無意識の底にあるかという

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生は浮きたる漚のごとく

形として見えるものでありながら、実際にあるとまでは言い切れないものであり、かつ「自らの意志」があるように見えながら流れの中にあるものということで、生とはまさに浮きたる漚のごとくという感じになりましょう。 「自らの意志で頑張った」ということも朧げなものであり、「一生懸命がカッコいい」というような周りの評価から形成されたという点もありつつ

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尊体を保ち給うて

サプリメント等々が普及したということもあってか、体調が悪いなぁと思った時に、費用を使って何かを取り入れようとしてしまいがちですが、何となく体調が悪いという場合、単に慢性的な酸欠状態だったという場合が結構あります。 そうなると体はガチガチになり、血の巡りも悪くなり、また当然に呼吸もしにくくなってさらに酸欠となります。 一旦そうなってしま

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徒に天地のあひだに生るるのみ

日常社会生活を送る上ではさして問題視されない「生きていかなければならないからね」というような言葉も、哲学の空間に足を踏み入れた人たちにとっては「ねばならない」というような断定に違和感を感じるものですし、厳密には「ねばならない」ということは確定していません。 人間賛美や生命賛美というのが当たり前かのように語られたりしますが、それら賛美は

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幼きより身を翰墨に托するといへども

詳しいことはわかりませんが、才能と呼ばれるものは基本的に「幼少期にどれだけ対象に夢中になったか」ということからしか生まれないものであると思っています。 それは文化系の領域だけなのかもしれませんが、そうした才能のようなものが語られる時、「生まれつき」と表現されたりするものの、本当は単に幼少期の体験から生まれるものばかりなのではないかと思

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渇するものは夢に漿水を飲む

欲やその充足については、まさに喉の渇きと例えられるように充足してもマイナスからゼロになるだけであり、プラスに感じてしまうのはその差の大きさからの印象にしか過ぎないということになっています。ということで、基本的には苦の範疇です。 そんな中でも生きているからにはどうしようもないという生苦の範囲に入るものと、やはり厳密に考えれば自作自演の「

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愚かなるかとつよく諌むるに

愚かなるかと強く諌められている方が、何が問題なのかを把握し、改善していくことができるので、その指摘が感情に任せた戯言でもなく、一考の余地のあるようなものなのであればそれはそれでありがたいものであったりします。 言われているうちはまだいいですが、年齢を重ねていくにつれて誰も指摘してくれなくなっていきます。ということで、どんどんと改善の可

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只声を呑みて泣く泣くさらに言なし

「言わなくてもわかって欲しい」という人と「言ってくれなければわからない」という人とはなかなか相容れないものです。 しかしながら「言ってくれなければわからない」という人はまだマシであり、言ったところでどうにもならない人もたまにいたりします。 言わなくてもわかるということが成立するためには、相応の「言わなくてもわかって欲しいなぁ」という経

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陰風に眼くらみて

人は主に視覚情報を頼りに外界を判断していると言われたりもしますが、もちろん聴覚や嗅覚、味覚、触覚なども頼りにしていたりします。 視覚の比重が高いからこそ動画や画像を見て美しいものであると捉えたりもしているのでしょうが、実際に実物はそれにニオイというものも要素として加わってくるわけです。 たいていの場合「ニオイ」というと、良い匂いによる

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今夜陰風に乗りて

近年やたらとデータを集めよう集めようとしている世の中の動きがあります。その奥には様々な意図が潜んでおり、理由は一つに限定されるものではありません。 ただ、その原動力になっているもののひとつが、相関関係の発見という面であり、因果関係はつかめなくとも何かしら相関関係がわかればそれはそれで意味があるというような点がデータ収集への固執を生み出

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腹心爪牙の家の子なし

知人の一人に、いつも少し気弱な若者を舎弟にしようとしながらも一年以内に去られているというような人がいます。 連れてくる若者は大学生だったり、第二新卒あたりの年齢の人だったりするのですが、何となくの雰囲気から察するに「何となく嫌になって去っていく」という感じで一年以内に縁が切れたりしています。 「自尊心充足の踏み台」を察知して去っていく

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万夫の雄人に勝れ

特に弟の友人あたりの人たちになりますが、勤め人の方に副業関連の話をたまに相談されたりします。 そうした時によく出てくる言葉が「月数万円くらい」という言葉です。まあ仮に5万円としておきましょう。 しかしながら残念なことに副業という感覚で月5万円を稼ぐより50万円稼ぐ方が簡単だったりします。まあこれはあくまで例え的な数値ではあるものの、感

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何ゆゑにこのあやしきをかたり出で給ふや

理屈が通っていないような「何を分けのわからんことを言っておるのだ?」と思わざるを得ないようなことを譫言のように言ってくる人がいたりします。 もちろんその人にはその人なりの理屈があって言っているのでしょうが、「さっき言っていたことと今言っていることが違う」とか、「全く関係のないことを関係あるかのように語る」という場合がよくあります。 そ

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陽世の人にあらず

今年に入ってから爆読みしたもののひとつに楳図かずお氏の恐怖マンガがあります。 楳図かずお氏にはあまり馴染みがなかったのですが、「なるべくたくさんの一流に触れる」ということで、一気にたくさん読んでみました。 基本的にグリム童話系のマンガはあまり好きではなく、特にひどく残虐であればそれでいいというような描写は好みではありません。 楳図かず

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井臼の力はた款すに足ざれども、己が心なり

料理の価格をそのカロリー量だけで計ることができないように、世のすべての製品やサービスの価値は、その物理的な数量だけで計ることはできません。 技量を要するという部分もありますし、仕込みに手間がかかっているという部分もあります。結果だけ見れば大したことがなさそうに見えても、その裏で膨大な手間がかかっているということはよくあります。 思案、

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歇息ませ給へ

笑ゥせぇるすまんの頼母さんのストーリーは、至るところで頼られ続け休めない男の心境が色濃く反映されています。初めて読んだときには「笑えないなぁ」と思ったりもしてしまいました。しかしながら自分が勤め人で、昼休みに飯屋でふとこの頼母さんの話を読んだとすれば、どこかしら心が軽くなるんだろうなぁというようなことを思ったりもしました。 ― 頼られ

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寤させまゐらせん

ふとしたショックや「手を抜いていいぞ系」の環境になったようなときなど、ふとした経緯から怠け癖がついてしまうことがあります。そうした時「元に戻したいなぁ」とは思いつつも意識の力ではなかなか元に戻せなかったりします。 そんな時は、「あまり関係なさそうではあるものの何となくプラスになりそうなこと」や「いずれいつかはやることになるだろう」とい

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おぼろなる黒影の中に人ありて

同じような色をしていても、森の中に立っている同系色の電灯の柱などはすぐに見分けがつくように、自然な形や反射の仕方であるものとそうではないものとはすぐに見分けがつきます。 そんな感じで、だいたい普通で正常なものとそうではないものは、すぐに察知することができてしまったりします。そしてそれは概ね違和感として現れてきます。 そうした違和感を大

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軒守る犬の吼ゆる声

小型犬が多くなったということが関係しているのか、最近では番犬として家の外にいる犬を見かけることが減ったような気がします。 しかしながら、かつて番犬というものは至るところにいて、かなりの頻度で吠えられた記憶があります。そうした番犬はサイズ的に中型犬や大型犬なので幼い時は結構恐い思いをしました。 基本的には動物とは仲が良いのですが、小学生

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西に沈む日に、宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも

夕暮れ時ともなると、世間は慌ただしく「さあ帰るぞ」という感じになってきます。 仕事をしている人、旅行に来ている人、買い物帰りの人、いろいろな人が慌ただしく渋滞を作ったりしている中、公園で養子のうさぎと遊んだ後、彼を抱き上げて「さあおうちに帰ろう」という感じになる瞬間は、ゆったりとしていて、また優雅なものでありました。 「帰省する」とい

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待ちつる人は来らず

この世界においては、自然的な確率が渦巻いている中、常に可能性は重なり合っていて、純粋に意図した瞬間に確定してしまうという感じになっています。 それは自ら意志を確定し能動的となるという場合もありますが、表面的に自らが働きかけなくても起こってしまうという格好になっていることもよくあります。 そんな感じで、再会を望みつつも「待っていても来な

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な恚給ひそ

ふとした恐怖心から先手を打つという感じになるのか、予防策を講じる人が出てきたり、何かがうまくいかないことを「言い返しにくいような理由」を用いて当たってくる人がいたりします。 まあそうしたものの奥にあるものは恐怖心なので、下手に抵抗せずに安心してもらうのが先決ということになりますが、何かしらを譲る必要はありません。 可能であればできる限

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若き男は却物怯して

普段組織のトップに立つような人でも、あまり慣れていないことに対しては臆病になってしまうものです。 知人の話ですが、メディア出演する際に本番5分前まで40分間ほどトイレに立て籠もってしまったという事がありました。 やはり舞台慣れとでも言うべきか、何かしら不特定要素のある多数の人前に出るということに関しては、ある程度の慣れが必要になるのか

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けふは誰某がよき京入なる

京という字だけで都を表すとなれば、京都はみやこにみやこを重ねるという感じになっています。という僕たち京都人の感覚から言ってどう取り扱えばよいのかわからなくなるのが世間一般的な「上京」という言葉です。 さらに上京区民ならもっと「上京」という言葉に違和感を感じてしまいます。第一に「かみぎょう」と読んでしまうはずです。 ― そういえば、イス

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其の人を見てあわただしからんは、思はんことの恥かしとて

お客が来たときにだけ営業スマイルをしていればいいというようなタイプの人もいますが、そんな瞬間的な切り替わりをお客の側は敏感に察知していたりします。 もちろん雑で鈍感な人は気付かないということはあるでしょうが、平均以上の繊細さがあれば概ねそうした表と裏を瞬時に感覚で察知してしまうはずです。 「表裏がないようにとは思いつつも、仕事は面白く

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嚢をかたぶけて酒飯の設をす

高校生くらいの時の話ですが、友人宅に行くと、その友人の友人がそのまた友人を連れてやってくるという感じになりました。まあそのくらいの年齢の頃にはありがちです。 その友達の友達の友達くらいの人をひとまずAさんと呼ぶことにしましょう。ちなみに女子です。 どのような経緯があったのかはわかりませんが、Aさんは最近学校を辞めており、どこかの機械工

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下枝の茱萸色づき、垣根の野ら菊艶ひやかに

やはり茱萸(ぐみ)と菊は同じ季節の象徴として合わせて語られるのでしょう。ということも雨月物語に触れるまでは知りませんでしたし、日常でそのように感じるということもありませんでした。 現代においては、物心ついてからの成長の過程において画面から情報を得たりすることが多く、その刺激の強さに慣れ、その構造に慣れているせいか、目の前の現実にはそれ

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