タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

嫌な記憶や辛い記憶の扱い方

おそらく誰にでも嫌な記憶や辛い記憶というものがあると思います。 「嫌な記憶や辛い記憶を忘れる方法はないか?」 「いっそ記憶を消す方法はないだろうか?」 ということを思う人も結構いると思いますが、無意識の奥底まで対象とするならば基本的に記憶というものは忘れることができないため、何かしらで表面的に出てくることを抑制することはできるかもしれないものの、それらは忘れ難く、忘れようとする試みは失敗に終わることがよくあります。 嫌という感情や辛いという感情が伴うような記憶の想起は、体の緊張を伴います。ということで体に刻まれた「

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面接会場で出くわした雑な人々

かつて就職活動中に面接会場で出くわした雑な人々についてでも触れていきましょう。やはり世の中には多種多様な人がいて、「雑な人の驚くほど雑な行動」で触れていたように驚くほどの雑さを見せてくれる人もいたりします。 その人ほどの雑さではないですが、もう少しマシな雑さではあるものの、それでも危ないレベルの雑さの人たちに大量に出くわしたことがあります。 かなり前のことになりますが、就職活動中において、採用活動の中に面接の一種としてグループディスカッションのようなものがあり、たくさんの就活生と共に大きな会場にて一同に介した時のこ

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感情的解決法では乗り越えられない論理的迷妄の壁

うつなどの精神症状が語られる場合、感情的なリラックス、身体的な楽さが軸に置かれ、それらをもたらすものであるようなコミュニティや「人と話すこと」などが大切であるというようなことが囁かれたりします。 しかしながら、ここであえて触れておきますが、そうした感情的解決法では乗り越えられない論理的迷妄の壁というものがあります。 すなわち、世間で提示される「解決策」は、イライラしたり不安だったりうつ状態になっている人に対して、何かしらの物理的処置、社会的関係性の調整等々によって「ほっ」としてもらえばそれで良くなるだろうとか、「人

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春に訪れる悲愴

ちょうど2年前の同じタイミングくらいの時に「春の感傷」で触れたように、どうしても春になると一度は悲愴な感じが訪れてきます。 それは単に冬の間の縮こまりが解放されるという程度であり、どちらかというと精神の領域ではなく身体的な領域の反応に伴ってという感じだと思っています。 例のごとく今年も数日前に瞳孔が開きっぱなしになり、体は蛹が殻を破るかのごとくになりました。 今回は泣いて目が覚めるというような感じではなく、起きている時に強烈な悲愴感がやってきて、走馬灯のように記憶が凄まじい速度でぐるぐる巡って気づけば自然と涙が出て

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撫でられることや撫でることの効果

撫でたり撫でられたりするだけで「ふわぁ~」っとします。 撫でられることの効果や撫でることの効果は論理で考える以上のものとなっています。 「撫でられることや撫でることでオキシトシンが出る」とか「精神症状にオキシトシンが効く」という物理的な観測もいいですが、それは、なぜ撫でられたり撫でたりすると抗不安作用や抗ストレス作用のあるオキシトシンが出るのかを説明はしていません。 そうしたことは雑談程度にしておいて、実質的に撫でたり撫でられたりするだけで「ふわぁ~」っとなるだからそれでいいのではないでしょうか。 そして、たったそ

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コンペ参加への依頼に含まれる傲り

稀にですが何を勘違いしたのか「コンペに参加しませんか?」とか「コンペ形式を予定しています」といった感じの連絡が会社に来ることがあります。 「コンペ参加への依頼に含まれる傲り」ということで、こうしたコンペティション(競技設計という概念)に含まれる上から目線的な傲りについて触れていきましょう。 なお、ここでいうコンペとは、コンペという言葉を使って助平心的に自己都合ばかり考えている発注主が利用するコンペという概念です。性質上コンペティションがふさわしいような分野に関するものすべてに対してではないのでご注意ください。 まず

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不要な細切れの情報

不要な細切れの情報にさらされると、意味はないどころか疲れが溜まったり、頭がわいたりしてしまいます。 例えば仕事の上であれば、一見意味のなさそうな細かなデータを常時見ることも後のまとまりのための布石となったりするので有用です。 毎日のようにデータを見ることは、ある相関関係や因果関係を発見したりして、その後の推論に役立つことがあります。 しかしながら関係のないような情報、とりわけ不要な細切れの情報を毎度毎度確認することに意味はありません。 勤め人の頃を筆頭に「それに意味があるかのように説いていた大人の人たち」は概して何

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緊張時や不眠時の精神統一

緊張時や不眠時の精神統一について軽く触れていきましょう。 緊張しているときや眠れない時は、落ち着こうと思ってもなかなか落ち着くことができません。 また無駄な思考や妄想がループしたりして無駄に疲れてしまうという時もあります。 そうした時に「思考によって思考を制する」ということはなかなかできません。 なので、手綱を取るように暴れる思考を制する実践的方法を軽めに少しだけご紹介します。 意識の散らかり 落ち着きの対極にあるものは、混乱や妄想といったものになります。そうした物を含め思考の活動は、刺激に対して反応するということ

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占いを信じる人たちの責任転嫁の心理

占いを信じる人たちの責任転嫁の心理ということで、占いに依存し、占い師の発言によって人生を導かれてしまう人たちの意識の構造について触れていきます。 占い師によるマインドコントロールや洗脳という事例に関する報道も一度や二度ではありません、そんな中でも未だにこうした占いへの依存が後を絶えません。こうしたものは、全面的に否定するというよりも、その本質的な依存の原因を探り、そして某かの有用性のようなもの、つまり機能を捉えて心理的な構造を見抜いた方が賢明です。 「それは古代から続いていて、いつの時代も占いの方に頼ろうとしてしま

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凛として淡々とした平常心

まあ社会的な騒ぎで微妙に狼狽えてしまっている人も多いと思いますが、僕はいつも通りの平常心のままだったりします。 本当に必要なニュースは嫌でも誰かが伝えてくれたりもしますし、社会的な不安ベースの情報は「見ても仕方がない」ということを十代の時に思ったので、特にニュースも見ていません(自宅にはテレビ自体もないですからね)。 どのような社会問題も、今一度普通に冷静に考えてみると「あまり関係がない」ということを思ったりはしないでしょうか。 「当事者とするならば」ということを思って、感情の動きや思考の動きを想定するという「能力

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情報が内部循環することによる疲弊

情報の一方的な垂れ流しというのも煽動される要因となるので問題がありますが、「見たいものを見る」という形でパーソナライズされた情報というものもまた、偏見を加速させ、同時に「情報が内部循環していくことによる疲弊」をもたらしていくものでもあります。 それは個人レベルでも疲弊をもたらしますが、そうした「人」で構成される社会全体も疲弊させていくものでもあります。 ある程度自分には適しているという感じで特段強いストレスはありませんが、同じような情報ばかりになるので「面白くない」という感じになっています。 新しい世界を発見するた

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指導や監督のパラドクス

どのような職場であれ大体は部下や後輩に対する指導や監督が裏目に出る「指導や監督のパラドクス」が起こったりします。 これは業務をうまく進めていくための指導や監督が逆に業務の遂行に支障をきたしてしまうというような現象です。 その要因としては、それぞれプライドを保ちたい複数の上司の指導による混乱や、サボりや失敗を防ぐための指導と監督がやる気を削ぐ以上に「行動に制限をかける」というような構造が考えられます。 表面上は部下や後輩のスキルやモチベーションを高めるための業務を指導ということになっていますが、その実、下手をすれば成

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調子が悪い時は静観して時を待つ

何かしら調子が悪かったり、ツキに見放されているように感じる時、まずやることはこころを落ち着かせることです。 そして流れを静観して、時を待つというのが理想的であり、無理な時に無理をすると、当然に理に適っていないのでより一層物事がぐちゃぐちゃになっていきます。 ― 特にここ最近は、季節的なものを含めてマクロ的な流れが意識に影響を及ぼすということが顕著になってきたように感じます。 そういえば最近のことになりますが、本ブログを通じてのご連絡に関してもタイミングがほぼ同時ということもあったりしました。それぞれの方々は、それぞ

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ジグソーパズルで高まる集中

ジグソーパズルで高まる集中力

先日から、ちらほらとジグソーパズルを楽しんでいます。 ジグソーパズルを楽しんでいる時は集中力が高まりますし、そうして高まった集中力がその後も続いています。 20歳過ぎくらいの時はよくジグソーパズルを楽しんでいましたが、かなりのブランクを経てまた楽しむことになりました。 きっかけは、水木しげるロードにて自宅用土産にとゲゲゲの鬼太郎ジグソーパズルを購入したことでした。しかし、300ピースのため、すぐに終わってしまいました。なので「次は1000ピースだ」ということで、リサとガスパールの1000ピースにチャレンジしています

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確率に潜む日和見

個人レベルの意識であれ、その集合である社会の流れであれ、決定論的な理も働く中、その実、確率による因果が働いています。 以前にも少し触れましたが、大腸菌のバランスのように善玉菌と悪玉菌と日和見菌かのごとく、ある流れとそれを否定する流れが常に争いの状態となっており、7割程度は中性で、残りの3割の枠を善と悪のような両極端が争いを起こしているという感じになっています。 残りの3割の枠に対して2対1になるのか、1対2になるのか、はたまた均衡状態にあるのかによって因果の確率の中で、決定としての現象が異なってくるというような感じ

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湿っぽい虚しさに身をまかせながら

湿っぽい虚しさに身をまかせながら、感情に浸っていると、体の方にも部分的に痛みが走り、そして感情と共に消えていったりします。 「虚しさも、どうせならば楽しんでしまえ」という感じで取り扱ってみると、「案外楽しいかもしれない」と思えてきたりします。 もはや虚しさといえば、移り行く人の意識くらいなもので、それすらも諸行無常として捉えれば憂いすらありません。 考えてみれば、例えば両親であっても、小学生の時の自分と両親の関係、中学生の時の自分と両親の関係、といった感じで、常に一定ではなく、自分も相手も環境もそれぞれ各々が変化し

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白っぽい、頼り切った微笑

白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日、検査を受けた時の自分も鎮静剤の影響で「ふわ~」っとしながら、そのような「白っぽい、頼り切った微笑」を浮かべていたような気がします。 そんな感じで頼り切った感じで思わず微笑むことがあり

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扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 羽を閉じても開いても本来の物理的な質量は同じですが、羽を広げた場合、主に面積的に空間を占める割合が広くなるというのが扇子です。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せるということは、孔雀やエリマキトカゲなど、様々な生き物で見られる現象です。同種間では魅力になるのかもしれませんが、「実際はもっと小さい」というところがポイントであり、一種の虚勢というよう

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気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたのでしょう」という同語反復的なレベルのお話として捉えるに越したことはありません。 自我領域の主観的事実が、完全にありのままを包括した世界とイコールであると考えることはできません。 見えた

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選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないということにもなります。 何かしらうまい具合に事が運んだということは良いですが、その一方で一度何かしらの成功を味わってしまうと、自分の中の可能性が広がってしまい逆に選択のストレスを味わってしま

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十代や二十代の時ほどの笑いはそれほどなく「人と話している時に爆笑」ということの数は減ってきているような感じがします。 笑うことが減った要因 「感性が鈍った」というわけではなく、冷静な傍観

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持っていないことや何もしていないことの方が不思議がられ、時に不審がられるということがあります。 「何もせずにいること」が不審者の挙動に見える その代表例は、たまに乗る電車の時です。駅のホーム

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一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 通常、消去法というと何かしらの制限があったり、それほど望んでもいないことに対して「選択肢のうち、ダメなものから削除していく」という感じになっています。対象外にしていくという感じですね。 消去法が利用され、もしくは、その利用が迫っているような時、何かしらの制限や惰性があり、視野が狭まっているということが裏側で起こっていたりします。 本当に「欲しいも

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一種の崩壊感

崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、想像と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じにはなりますが、やじろべえのようにある程度両端が伸びている方が安定したりもします。 両極端の「伸び」による安定 ということで、ある程度両極端を経験していたりしつつ、そのどちらにも傾かない

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自信がなさそうな膝の角度

意識の状態は顔や声を筆頭に身体に表れますが、ひとまずは「高い」とか「上の方」と言ったように、意識が上方に向かっている時は緊張状態であり、下の方にあればリラックスしているという感じで見分けることができます。 緊張することを「あがる」と言ったり、リラックスすることを「落ち着く」と表現したりという感じで、日本語の表現の中にもそれを意味するようなものがたくさんあります。 膝自体は曲がっていて、頭頂部の位置としては下の方であっても、そうした自信のなさそうな感じの時は、必ず意識は上の方に行っています。 呼吸にしても同様で、肺の

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